石の章 宝飾芸術の道筋について
緩やかな風が窓から吹き込んできた。室内の緊迫感を感じるような空気を緩ませるような、穏やかな風だった。
「つまり、わたくしは必要ない、と?」
おっとりと首を傾げた貴婦人は羽根扇を口元に運ぶ。ふわりと揺れる真珠色の羽が、昼の日差しを受けて煌めいた。
「これまでの恩賞以上のモノを既に享受したはずです」
男の告げるふてぶてしさを露にした言葉は、隠すことなく侮蔑の色を纏っていた。その当て擦るような言葉に、貴婦人の後ろに控える執事や侍女の眼差しが鋭くなる。
貴婦人は「そう」と溜息のような言葉を吐くと、テーブルの上に広げられた書類に目を移す。
「それで? まだ、こちらの件について、詳しいお話を伺っていなくてよ?」
書類と共にあるのは宝飾品のデザイン画と、最近購入したという相手先からの問い合わせの手紙が混じっていた。
「わたくしのデザインした宝飾品のはずですのに、売却した記憶はわたくしにはなくってよ?」
どうなってるかと問う言葉にも、目の前に座る男は臆することなく「可笑しなことを」とニヤリと笑う。
「このデザインは元々当工房のモノ。それをさも自分がデザインしたなどと……さすが、前オーナーの御寵愛を受けただけありますな」
部屋に控える貴婦人の警護の者が腰の得物に手を伸ばした。それに合わせて男の後ろに控える護衛たちも眼光鋭くなり、己の得物へと手を伸ばそうとする。
執事と侍女も負けじと不穏な眼差しで相手方を睨みつけた。
フサリと羽根扇が広がり、揺れる。
「興ざめね」
貴婦人のつまらなそうな言葉が部屋に響く。
「醜悪な噂話に踊らされる愚者に関わるなど、時間の無駄でなくて?」
「おっしゃる通りにございます」
執事が静かにうなずいた。
ヒクリと男の米神が、唇が引き攣って、声を荒げようと口を開こう……とした。
フワリと羽根扇が揺れる。
ふざけるなと怒鳴ろうとした男の喉から音が消えた。
「帰りましょう」
「かしこまりました」
侍女と執事が頭を下げれば、ソファに座っていた貴婦人が優雅に立ち上がる。
「ごきげんよう、新しい経営者様? これからの無事な御活躍を祈っておりましてよ」
にこりと微笑むとそのまま立ち去る。
警護の者が恭しく貴婦人の向かう扉を開く。廊下で待機していたメイドたちが、侍女の視線を受けて、静かに頷く。
貴婦人が「皆様、よろしくて?」と一言告げるだけで、屋敷中の使用人たちが音もなく動き出した。
部屋の中に残された男は、声の出ない喉を抑えると、苛立たしさを晴らすかの如く、テーブルの上に広がった書類を部屋にまき散らした。
宝飾工房の新たな経営者となった男が、前オーナーから引き継いだ工房。その工房に有ったものなのだ。宝飾職人を含めて全部自分の物で間違いがないだろうと、貴婦人の立ち去った扉を睨みつける。
この新たな経営者となった男は、彼女を前オーナーの愛人だと思っていた。愛人風情が、宝飾デザイナーを気取り、貴族の奥方のような生活を強請り、優雅に財産を食いつぶしている。そう信じていたのだ。
この男は知らなかった……自分が、誰に対して喧嘩を売ったのか、を。
「奥様?」
目の前を歩く貴婦人に執事の男は声をかける。
「なぁに?」
「旦那様から急使が……」
「あら?」
立ち止まった貴婦人は、パチリと瞬く。
「随分耳が早いのね?」
「あの不愉快な男の行動が、それだけ杜撰だったという事でしょう」
大切な奥様の名誉をこれでもかと踏みにじった男を思い出し、眉根を寄せる執事だったが、コホンと咳払いひとつして、平常心を取り戻す。
「既に馬車の手配をされたとのことでした」
「まぁ、頼もしい事」
フフフと無邪気に笑うと、貴婦人は足取りも軽く正面玄関へ向かう。
するとそこには、がっしりとした身体つきの大男が立っていた。
ホールには声のトーンが少し高い男の声が響く。
「キミたち、運びだすのは最小限で構わないよ」
「旦那様、奥様の御愛用の品でしたら、いつでも運び出せるようまとめてあります」
メイドの言葉に感嘆の声を上げる男。
「それは素晴らしい。流石だよ、見事過ぎる! キミたちはメイドの鑑だね」
その男の声に、貴婦人は笑みを浮かべた。
「お待たせしまして?」
「私の女神! 永遠のミューズ!」
彼女が言葉を掛けると、大男の向こう側から男の声がして、玄関ホールに響いた。
大男の陰にいたのは小太りでチョビ髭の小男だ。小男は、貴婦人の姿を認めると、嬉しくてたまらないと喜色を露にして、ちょこちょこと駆け寄った。
「マリュア、キミに会いたくて、会いたくて、居ても立っても居られなくてね……迎えに来てしまったよ。怒らないでくれると嬉しいんだがね?」
「まぁまぁまぁ……わたくしが、怒るなんてありえないわ。丁度今、帰ろうと思ったばかりだったの」
貴婦人がおっとりと笑う。
「ここには、わたくし……必要ないみたいですもの」
「へぇ?」
小男は屋敷の奥を鋭い眼差しで眺めた。
「じゃぁ、ここはもういらない、かな?」
「旦那様」
大男と執事の声が重なる。その声色は、大男が引き留めるような、落ち着けと云わんばかりのものに対し、執事のそれは、焚きつけるような、遠慮することはないと云わんばかりの正反対のものだった。
さて、マリュアと呼ばれた貴婦人の兄はノルデン商会の会頭をしており、彼女の夫である小男は、その流通部門を管理している。
ノルデン商会が何を販売しているかと尋ねられると、人によって様々な物をあげるだろう。それくらい手広く何でも扱う商社なのだ。最も大きな取引先は軍であり、フリモリウム魔法学院の魔法特許を用いた対魔物用の様々な魔道具は、ノルデン商会に大きな利益をもたらしている。
それだけではない。着る物から食べる物、宝飾品だけでなく、客が望めば魔法の触媒となる魔物のパーツをも用意するほどに、何でも扱う総合商社がノルデン商会で、ノルデン商会で扱わぬものはないと評判だった。
「キミのね、デザイン画にあったネックレスを見かけて、御婦人に声をかけてしまったんだよ」
馬車の中、フランクはきまり悪げに呟いた。
「そしたら、デザイナーの名がキミじゃなくて……とてもね、とても心配したんだよ。不当なことになってるんじゃないかってね」
両手をもじもじとさせながら、フランクは妻であるマリュアに弁明を重ねる。
「あら、旦那様がお迎えに来てくださって、わたくし……とても心強くってよ」
ふんわりと微笑む姿に、フランクは馬車の床に膝まづくと「女神!」と妻のドレスの裾に口づけ……馬車がガタンと大きく揺れた。そのはずみで、彼女のスカートの中にポスンと飛び込むことになってしまい、マリュアの笑いを誘うのだった。その軽やかな笑い声にフランクも照れたように笑う。
ひとしきり二人で笑った後、ちょっと恥ずかしそうな表情を浮かべながら、フランクは対面に座り直した。
「そうだ……義兄上殿のところの、僕たちの小さな姫君のことを聞いたかい?」
「イヴィーがどうかして?」
「どうやら、どこぞの馬の骨と縁付くことになったらしいんだよ……」
肩を落とす夫に、マリュアは困ったような笑みを浮かべた。
(その小さな姫君ってイヴォンネのことよね……あの子、20歳くらいじゃなかったかしら?)
「尊敬してやまない義兄上殿と同じように、商才のある賢い姫君だから、どんな男だって心を奪われてしまうのは、そりゃね、仕方がないとは……そう思っては、いるんだけど、ね?」
(お相手は侯爵令息って聞いていたけど……馬の骨?)
「まぁ……イヴィーがお嫁さんになるのが、おいやかしら?」
おっとりと問うてみれば、ブンブンと勢いよく首を振る。
「お嫁に行っちゃうのが嫌なわけじゃないんだ。だって、あのイヴォンネちゃんだよ? とても愛らしい僕たちの小さな天使。それが誰かのお嫁さんになっちゃうだなんて寂しくて……」
「わたくしが傍に居ましてよ?」
そっと夫の頬を撫でれば、フランクはボフンと顔を真っ赤に染めてあげた。
「キミは芸術のミューズだから……僕だけじゃなくて、世界に光を注ぐ方がふさわしいと思ってるんだよ」
潤んだ小さな瞳が美しい貴婦人であるマリュアを見つめた。
「でもね……少しだけでいいから、僕のそばで羽を休めてくれたら……もう僕は、それだけで……」
「旦那様?」
こてんとマリュアは首を傾げた。
「何か隠していまして?」
彼女の夫はショボンと小さな身体を更に小さく丸めた。
そして、妻から睨みつけられてしまい、涙目になりながら、観念したようにかくかくしかじかと隠し事を吐き出すのだった。その内容にマリュアは甲高い声を上げる。
「まぁ、信じらえなくてよ」
フイッと彼女は夫から視線を外し、更に羽根扇を広げて視界を隠す。
「そんな楽しいことをイヴィーが考えてたのに、仲間外れにしようとするだなんて……」
「だって、ほら……まだ、表だってトラブルになってたわけじゃなかったわけだし……まだ、あの工房に未練があるのかなって……」
「未練など既に欠片も持っては居りませんわ」
トラブルの種に勘付いていたからこそ、聡明なる姪は話を持って来ていたのだろう。ならば、さっさと引き払って、ボランティア活動に興じた方が建設的ではないかと、直ぐに報せを寄こさなかった夫を羽根扇の隙間から睨んだ。
夫はと言えば、睨みつける視線に気付いて、にへらとだらしなく笑みを浮かべていた。
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聖暦890年某日。
父方の叔母が宝飾デザイナーをしている宝飾工房のオーナーが昨年亡くなり、あらたな経営者が取り仕切るようになったと聞いたが、新たな経営者は目も耳も悪いらしい。叔母を前オーナーの愛人と言って憚らないため、叔父の怒りを買っていた。既に父は件の工房とは距離を置くことに決めているらしい。
ならば叔母に鉱山都市の宝飾品について御力添えをいただきたいと、叔父を通して連絡をしておいた。なんといっても叔母のデザインする宝飾品には、国内外に愛好家が多くおり、その一番のファンが前王妃様なのだ。
前王が退位する際、慰労に来訪された方々へお礼の品として、叔母のデザインした宝飾品が贈呈された。その功績から叔母は、一代爵位である『フラール女男爵』を拝命したのだ。
女性が一代爵位を得ることは珍しい。
さて、紡績や紡織の傍ら、鉱山都市へ向かい、色石の件について動いていたが、やはり昔気質の職人には、色石を扱うことが難しそうだ。叔母の力が必要だと感じた。
私の願いが届いたのか、叔父が叔母を連れて侯爵領へ赴いてくれた。やはり叔父は頼りになる。
早速、叔母に例の鉱山都市で磨かせた色石について話すと、任せて欲しいと請け負ってくれた。叔母は宝飾デザイナーだ。職人たちとの連携に期待したい。
叔母は「細かな宝石を台座というキャンパスを彩る絵画にしてみせましょう」と言っていたが、どのようなことになるのか楽しみである。
宝飾品は叔母が請け負ってくれるのならば、私の方は、それに負けぬようなドレスを作らねばなるまい。
そういえば、あの繭は叔母の息子であるニコラスから譲られたものだ。そう考えると、叔父の言う通り、叔母は私の女神なのかもしれぬ。いや、私だけではないな……ローデンベルク侯爵領の女神といっても過言ではないかもしれない。
ただ、そう言うと叔父に睨まれてしまうから、ここにコッソリと記すだけに留めておこう。
<イヴォンネの日誌より抜粋>




