服の章 縫製環境の現状について
晴れ間がない。どんよりとした空模様が続き、厚い雲がゆったりと流れていた。
「嫌な天気だね。室内に干さないのかい?」
「風乾きすればいいかなって……」
尋ねてきた寮母さんにそう言いながら洗濯物を干すが、湿気が多くあまりよく乾かないだろう。出来れば気持ちよくカラリと乾いて欲しいものだと思ったところで、織物の街へ里帰りしていたはずの針子の姉さんが悄然として戻って来るのが見えた。
「姉さん……里帰りから戻ってくるの来週じゃなかった?」
「……なの」
「え?」
姉さんの言葉が聞こえなくて首を傾げた私に、姉さんは叫んだ。
「川が渡れないの! 水がすごくて……川下の橋が無くなってたの……」
織物の街へは渡し舟で渡る。もし、渡し舟が無理だったとしても、少し離れた下流にある街道の橋を渡ればよい。
泣きじゃくりながら話す姉さんを宥めながら、寮母さんと二人で話を聞けば、どうやら川が氾濫しそうなほどに水かさが増して、川下の橋が濁流にのみ込まれ倒壊していたらしい。今は、領の役人や兵士が橋の状態を確認し、近付かないように見張っているという。
「もしかして、一昨日の……」
「何か知ってるのかい?」
私はコクンと頷く。一昨日の昼間、兵士や役人が大勢、領都を飛び出していったのだ。彼らの顔は驚愕に満ちていた。それを伝えれば、御針子の姉さんは、わっとテーブルに泣き伏せる。
「川……あぁ、川上には鉱山都市があるね。鉱山都市を治めるのは子爵様か……」
寮母さんは困ったように呟いた。
「子爵様の奥方から、まだいただいてない代金がある。マダムに伝えてもらえないかい?」
「あの奥様、またツケでドレスを仕立てたの?」
「お客様の詮索はしない。ただ事実を伝えれば、マダムの方で取り計らってくれるから」
苦笑する寮母さんに肩をすくめて、チラリと姉さんを見る。あの状態では、マダムに伝言を頼めないだろう。ホントは休みなんだけどなぁと思いつつ、下っ端の私は寮母さんの言葉をマダムに伝えるために、店へ向かう。
マダムのドレスメーカーは、デザイナーであるマダムと寮母さんの姉妹が経営している。ドレスメーカーに務めるお針子たちは、寮母さんの家に下宿している子が多く、私もその一人だ。
もともと母が針子として働いていたことがあって、母が亡くなり行く当てのなかった私を「人手が足りないから」と引き取ってくれたのだ。その恩に報いるべく働かせてもらっているが、現在経営は余り思わしくない。
王都の華やかなドレスメーカーで仕立てるのが、貴族の奥様方のトレンドになったのだ。それは王都から離れたローデヴェルク侯爵領にも広がり、お得意様だった伯爵夫人や裕福な子爵夫人、大店の若奥様からの注文が入らなくなった。
経営のけの字も分からない私とて、肌で感じることがある。なんせ受注がないのだ。今は辛うじて、古い付き合いの奥様方からの注文で食いつないでいるが、王都へと旅立つ姉さんが少しづつ増えてきた。
ドレスを着たマネキンが優雅に立つショーウィンドウ。飾られているドレスは、少し古臭い(ベーシックな)型だ。裏手の従業員出入り口から店の中を覗けば、光を放つ燭台の数が少ない。今日はお客様の予約がないのだろう。体面を保つだけの灯りは、外に向かって優しい光を放っていた。
階段を昇る。店の中にある豪奢な螺旋階段ではなく従業員用の簡素な階段は、ギシギシと軽く鳴いた。
二階ではお針子の姉さん方がおしゃべりをしながら針を動かしていた。
「聞いた?」
マダムはときょろきょろ辺りを見回す私に、姉さんが声をかけてくる。
「何を?」
マダムは作業部屋には居ないらしい。刺繡の好きなマダムのことだから、きっと作業部屋で姉さん方の賑やかなおしゃべりに耳を傾けながら針を動かしているんだろうと思っていたが……当てが外れたらしい。
「次期領主の御子息様、婚約者様が出来たらしいわよ」
クスクスと姉さんが針を動かしながら笑う。
「御子息様、社交界でも人気者らしいから……涙する御令嬢は多いでしょうね」
姉さんたちは口を動かしながらも針を止めない。このドレスは例の鉱山都市を治める子爵の奥方への納品物だ。
「マダムは?」
「貴賓室よ。今、子爵令嬢とお友達の男爵令嬢が、ドレスを作るって理由で愚痴をね」
姉さんの言葉にげんなりする。つまり、御子息様を狙ってた口か。
「あー……長くなりそう」
「なりそうだから、店の灯りを落としたのよ。下手に他のお客様が来たら……」
「あの御令嬢、自分をないがしろにするのかって怒るのよねぇ」
「帰りに暗いって文句付けられない?」
「大丈夫よ。採寸に入った子たちが上手くやるから」
「それもそうね」
ケラケラと姉さんたちがお喋りを続ける。店の灯りが落ちていたのは、客が入ってこないようにだったらしい。
伝言だけ済ませたらさっさと帰ろうと思っていたけど、これは帰れそうにない。
「あんた、今日休みじゃなかったっけ?」
「寮母さんからマダムに伝言をお願いされたの……仕方がないから、帰ってくるまで手伝います」
窓際の明るいところに座り、レース糸を手に取ると、チマチマとレースを編み始める。小さな花と花を繋いで柔らかなラインを描いて、隙間の形を整えてとしていれば、時間のたつのも忘れて夢中になる。
姉さんたちの話は尽きないようだが、私の耳には入らなくなっていた。
「あら? 小鳥ちゃんは、今日お休みじゃなかったかしら?」
野太い声が作業部屋に響く。
「マダム。この子、寮母さんから伝言預かってきたんですって」
姉さんの声にハッと私は顔を上げた。
「まぁ、お姉さまから?」
「あ、はぃ……あの実は……」
私は里帰りするはずだった姉さんから聞いた橋と川の話と、マダムからの鉱山都市の子爵の奥方からの代金未納の話をマダムに伝える。
「まぁ……困ったわね」
眉を下げて困った顔になりながら、針子の姉さんたちが縫っているドレスを眺める。
「実は、このドレスだけじゃないのよね……」
「それ、寮母さんは?」
「んー……」
バツの悪い顔でこちらを見ないで欲しい。昔は線の細い美青年だったかもしれないが、今は中年のおっさんだ。そんな表情でこちらを見られても、寮母さんへの伝言はお断りだ。
「お得意様だから、ね……」
「マダム、知ってます? お得意様って金払いのいい人だけに付けていい称号なんですよ」
姉さんたちが噴き出して笑いが止まらなくなっていた。
「もぅ……貴女、母親に似てきたわね」
私の母は、マダムと寮母さんの姉弟子だったらしい。私の小生意気なセリフにも、マダムは怒ることなく懐かしい目を向けてきた。
「ところで、子爵令嬢と男爵令嬢の方はどうだったんですか?」
姉さんが笑いながら話をかえてきた。
「愚痴を言うだけ言ったら、ディドレスの注文をして帰って行ったわ。前金は御付きの方から頂いたから安心して頂戴」
「失恋には新しい恋よって発破をかけてましたね」
採寸役でマダムと一緒に接客していた姉さんたちが帰ってきた。マダムに貴賓室を片付けた報告をしていたので、後処理をしていたらしい。手に持つ書類は採寸データだろう。
「そうよぉ。いい男は御子息様だけじゃないもの」
マダムはフフッと笑って、ディドレスのデザイン画を採寸データに合わせて微調整していく。これから型紙を起こすのだろう。
「それじゃ……伝言、伝えましたので」
私は出来上がったレースをまとめ、レース糸とともに籠に入れる。家に帰って続きをしようかと考えたときに、マダムからも寮母さんへ伝言を預かることになる。
「帰るならお姉さまに伝えてもらえるかしら……侯爵夫人からお呼び出しがかかってるの」
「……」
思わず真顔になる。おしゃべりに夢中だった姉さんたちも黙り込む。
「どうもうちだけじゃないのよね。領都中のドレスメーカーがお声がけされたらしいわ」
「いつです?」
「明日よ」
姉さん方が喚きだしたが、私は持ち帰ろうと思った籠を置いて飛び出すと、階段を駆け下りた。
(急いで寮母さんに伝えなくちゃ……)
領都中のドレスメーカーに声がかかるということは、どう考えても、御子息様の婚約者様に関係する話だろう。
何を準備するのか、何を持って行かねばならぬのか……準備が一日で足りるとは思えなかった。
案の定、私の話を聞いた寮母さんは怒り狂い、マダムの元へ向かう。
私は、外に揺れる洗濯物を諦めて、寮母さんの後を追った。
そして、姉さん方とともに情報収集に走り回ったり、布見本を修復したりと徹夜の作業になった。
ぐったりと疲れてソファや床に座り込む姉さんたち。私も床に座り込んで、ばたりと倒れていた。
やがて、帰ってきたマダムと寮母さんの手には、未知の布と糸があった。
胡乱気な眼差しで、鈍色の布と糸とを眺める私たちは知らない……それが、これまでの日常をひっくり返すことになるのかを。
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聖暦890年某日。
ローデヴェルク侯爵領にて、婚約内定者として侯爵夫妻と共に挨拶を行った。侯爵領の社交界でのお披露目だ。既に王都にて契約書は交わしてあるので、形式的な事だが、体面を重んじる貴族の方々には重要なのだろう。
婚約者であるヴィルベルト様に懸想するお嬢様方は大勢いたらしい。射るような眼で睨みつける姿が、子猫が毛を逆立てているようで大変愛らしい。
来年、王都にて婚約式を執り行うが、この分では王都でも似たような視線を浴びることになるのだろう。もしやすると、私が子供を産まなくても構わないのではないだろうか。
さて、そんなことよりも、例の繭で作った布だ。侯爵領の主幹事業にしなくてはならないのだ。既に、紡糸は長雨で被災した村の復興事業として許可を得ている。第一陣が届いたので確認したところ、初めてにしてはなかなか素晴らしいのではないだろうか。創意工夫をしている者もいるらしく、今後が楽しみである。
だが、紡織の方は芳しくない。糸の扱いが、なかなかに難しいようだ。知り合いの伝手を辿って紡織工房に依頼してみたが、ことごとく匙を投げられてしまった。おかげで様々なデータは集まりはしたものの、ドレス用に使えるものが集まらない。
辛うじてディドレスとして流用できそうな布が出来たので、今回はこれを使うとしよう。
なに、今後の試金石でしかないのだ。問題ない。
紡織に関しては、領都近くに織物の街があるというので、そちらに期待しよう。
聖暦890年某日。
領都でドレスメーカーを営むものたちを一堂に集めた。
広間に集めたので、困惑の表情を浮かべる者ばかりだったが、まぁ、仕方がない。
さて、この中のどれだけのドレスメーカーが、私の期待に応えてくれるのか、非常に楽しみである。
<イヴォンネの日誌より抜粋>




