布の章 紡織産業の再建について
かつて機織りの音が街中に響いて、とても賑やかだった。川岸に作った染色小屋では、織り上がった布を色鮮やかな色に染めるため、たくさんの大人たちが働いていた。
太陽の下、川岸にはためく布の群れが、青空に映えて美しかった。
目の前の川は茶色く、轟音を立ててすごい勢いで流れていた。空は曇天で、雲が厚く太陽が見えなかった。
最後に青空を見たのはいつだっただろうか?
機織りの音はしばらく聞こえてこない。糸がないのだ。糸だけじゃない……何もかもがなかった。
「この川の流れじゃ、舟は渡せないな……」
小舟など川の勢いに負けて転覆してしまうだろうと、誰もが分かっていた。
「上流の橋は川の中だ。渡れねぇ」
上流にある橋は潜水橋だ。欄干がなく、川面すれすれに掛けられているため、増水すれば川の中に潜ってしまう。無理に渡ろうとすれば、川の流れに足を取られて流されてしまうだろう。
「下流の橋が流されたのが痛かったな」
既に川を渡る手段はなかった。川を渡れなければ領都に向かえない。川の反対側は山だ。山を越えれば、何処かの集落に辿り着くかもしれないが、誰も行ったことがない。あるかどうかすらも未知数だ。
普通ならば川の流れは穏やかなのだ。荒れたとしても、数日過ぎれば、元の穏やかな川に戻る。だから、川を渡って遠くない領都に全てを依存していた。
「まだ備蓄はある」
苦し気に父は言うが、その備蓄でいつまで過ごせばいいのか、誰も分からなかった。なにより、川が穏やかになった所で、このままこの街で生活できるかが分からなかった。
糸がなければ機を織ることができない。織らなければ布が作れない。作れなければ売るものがなく、売れなければ買うことができないのだ。
それは染物を扱う家でも同じだった。
川を渡る魔法でもあればと夢みたいなことを考え、茶色の濁流を眺めていた時だった。
「あちらに運べ」
力強い声がした。ペガサスに括り付けられた荷物が川の上空を駆けてこちら側へやって来る。ペガサスに乗った人たちが荷物を降ろすと、ペガサスは対岸に戻っていき、また荷物を括り付けられて、こちらに戻ってきた。
遠巻きで見る街の人たちを尻目に、彼らは川岸に簡易的な竈を作り炊き出しを行う。酷くいい香りが川岸に漂い、人々は無意識のうちに一列に並んでいた。
具の多い温かいスープを貰う。冷えた身体が腹の底から温まった。
「新しい布、ですか?」
集会所の中では大人たちが集まって、領主の使いという人たちと話し合いをしていた。
「えぇ。この糸を使って新たな布を開発して欲しいのです」
女性の声が聞こえた。集会所の扉や窓の下には野次馬のように人が群がって、中の声を聞こうと固唾を飲んでいた。
「随分柔らかい光の糸ですが……少し硬い、ですね」
「えぇ。この糸だけで織りあげてはドレス用の生地にするには向かないでしょう」
どんな糸だろうと興味を持ったのは私だけではないはずだ。周りの大人たちも、子供だって耳を澄ませて、少しでも情報を得ようと聞き耳を立てる。
「ん? 微量だが魔力を纏ってるな」
「あぁ? こっちの魔力を吸い取ったら糸の感触が変わりやがった!」
「一寸待て! なんだこの糸は?」
集会所の中が蜂の巣をつついたような騒ぎになり、集会所の外でもざわめきが広がる。
「なかなか難しい素材なので、皆様の御力をお借りしたいのです」
柔らかな女性の声に、唸る大人たち。
「まぁ、やって見ないことにはな……」
結局は職人なのだ。新たな素材があれば、色々試したくなるのだろう。新たな織り方に挑戦する父の無邪気な顔が思い浮かんだ。
「織り上がった布はどんなものでも、こちらで買い取らせていただきます」
女性の声に、集会所の内と外でどよめく。お金を貰って新作を研究できることなど、そうそうない。
「そのかわり、織り方の製法を纏めていただき、この地の特産物にしていただきたいのですわ」
「特産物となると税率が変わるが?」
この街の代表の声だ。一気に周囲はシンと静まり返り、答えを待った。
「そうですね……まずはドレス二着分の布の量が欲しいので」
悩むように言葉が途切れた。
「二着分の布が出来上がる期間に応じて、特例を作っていただきますわ。もちろん、出来上がりまでの期間が短ければ短いほど、皆様に喜んでいただけるようにしましてよ」
声を失った。誰も彼もが声を失ったのだ。
そんな中、女性は楽し気にふふふっと笑う。
「品質は皆様が作られているドレス用の布と同等レベル。最上とは言いませんわ。汎用レベルで十分です。王都の宮中役人の奥方が身に纏うレベルの布が大量に欲しいのです」
誰も彼もが頭の中で算段しているのだろう。この街に住むのは全員が機織り職人か染色職人なのだ。生まれてすぐに機織りの音を子守歌に、座れるようになれば機織りを見て育つ。ある程度の年齢になれば見習いとして働きだすのだ。
役人の奥方と言えば子爵夫人レベル。子爵夫人が着用するドレスの布の質と、様々な織り方に染め方。新たな糸でソレをくみ上げるとなれば、どのくらいの月日が必要であろうか。
「口約束は信用しない。こっちは、あんたが本当に……なのかもわからないんだ」
「そうですわね。それでは、契約を交わしましょう」
「どういう特例かもわからないのに、か?」
警戒するような代表の声に、女は楽し気に告げる。
「そういう慎重さは嫌いではないわ。大丈夫です。ヴィルベルト様からは、この布に関してなら最大5年の税の免除までならば私の好きに出来るとお約束いただいていますの」
悪戯が成功したかのような女の笑い声が、集会所の内外に響いていた。
渡された糸は難物だった。それでも、魔力の高いものが糸をなだめて柔らかくすれば、織り手の言うことを多少は聞いてくれるようになり、仄かな光を放つ布が作れるようになった。
もちろん、ここに来るまでには大量の使えない布が生産されることになり、それらを嬉々として女の代理人だという商会の馬車が積み込んでいった。
そう、馬車がくるようになっていたのだ。丈夫な橋が渡されて、領都まで伸びる道が整備されていた。
女の要望に応える布が出来るまで、手紙が何度も往復していて、そのたびに職人たちの怨嗟の声が街に響いていた。
やれ光が足りない。ただの布だ。特殊な糸を使いすぎて売り物にならない。丈夫だが、ドレス用ではない。
彼女からの手紙は「もっと繊細さを出せると思っていました」と、まるで期待外れであるかのような結び方で終わっている。
そのたびに職人たちは奮起して立ち上がり、見返せとばかりに街が一体化していた。一丸となって女の要求を満たす布を作ろうと躍起になっていたのだ。
「聞いて! 私も織り手に加わってもいいって言われたの」
年子の姉が嬉しそうに教えてくれた。姉は丁寧過ぎて早さが足りないと父から指導が入っていたが、許されたと行ことは克服できたのだろう。
私の方は、染色への興味が強すぎて、既に戦力外だと告げられていた。
「じゃぁ、これ使ってみる?」
「なにこれ……随分黒いわね」
通常なら鈍色ばかりの糸だったが、これは黒味の強い黒橡色だ。その糸を姉に渡せば、不可思議そうにしげしげと観察された。
「この色を出すのも何気に大変だったんだよ」
「へー」
全くもって苦労した甲斐がない返事だ。
薬研の皿に橡実を置いて、魔力を通した薬研車で擂り潰したものを鉄鍋で煎じる。その鍋に例の糸と月華草の花を入れ、水に浸して、満月の光を一晩浴びせて煮詰めるのだ。
かなり手間がかかったが、染まらぬ糸が見事な黒橡色に染め上がり、手ごたえを感じる。一緒に染めた毛羽立ちの少ない滑らかな木綿糸も見事な黒橡色に染まっており、この二つの糸で織れば見事な布が出来るのではないかと楽しみにしていた。
が、姉から大人たちに知れ渡り、大事な糸を黒く染めたと酷く怒られてしまった……解せぬ。
それでも、姉が丁寧に織ると、赤みを帯びた黒茶の艶やかな布が出来上がる。しかも他の布よりも魔力の浸透率が高く、淡く蛍火のような輝きを灯すのだ。
これならばと意気込んで送れば、帰ってきた返事は「艶やかさは見事だが、次は淡い色合いが欲しい」だ。正直殺意が湧いた。
私はこの糸を扱うたびに思う。
果たして、この糸は何から作られているのだろうか? 布に織り上げると染まらぬくせに、糸の状態ならば染まる染料があるのは何故なのか。
今回の橡もそうだが、月華草を煎じて煮詰めた汁に一晩漬けた時も鼠色に薄まった。だが、同じように次に試せば染まらぬのだ。条件の違いが分からず困惑する。
答えが見つからないなか、糸の状態ならば染めることの出来る染料を探し出すたび、纏めて女に送っていた。最終的には織った布に解説書として添付した。
だが、返ってくるのは「淡い色を作って欲しい」「白に近ければ近いほど良い」という要望だ。訳が分からない。
今回、両親や染色小屋の棟梁である伯父にお願いして、貴重なカラドリウスの羽根を譲ってもらうことが出来た。かなり渋られたが、勝算があった。
これまでの染色実験で、あの糸と月華草の組み合わせが上手くいくことは分かっている。月華草は擂り潰した草の汁を切り傷の薬として利用している。カラドリウスの真白い羽根も治癒の効能があると聞いたことがある。
そう。鍵は『治癒』だ。思えば、薬研や薬研車も治癒の力が強い石を使っているではないか。
(見てろよ……)
そうして私は、春に咲く桜の花を更に薄めたような仄かに色付く白い糸を作りだした。
私はあの女に勝ったのだ。ざまぁみろ!
その後、私は何故か領都にある学問所に招待され、様々な年代の者たちと共に、魔法学院の入学を目指して勉学に励むことになっていた。
「フリモリウム魔法学院に行けば、貴女の問いの答えが見つかる筈よ」
優雅に笑うその女は、ローデヴェルク侯爵の奥方であるイヴォンネ様と名乗られた。嘘だろうと周囲を見れば、誰も彼もが私を憐れみの目で見ていた……解せぬ。
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聖暦891年某日。
織物の街から今日も分厚い手紙が届く。今回は限りなく黒に近い赤みを帯びた茶色の糸が出来上がったらしい。黒橡色というのか。なかなかに興味深い。
あの魔物の繭は、薬液の影響で真珠色の輝きを鈍色に曇らせている。その曇りを取り除けないものかと期待していたが、どうも難しいらしい。
やはり、市井では無理なのかと諦めかけていた時、件の黒橡色の糸で織った布が届いた。なかなかに艶やかで滑らかな光沢を持っている。魔力を浸透させてみれば、仄かな光が布をボンヤリと覆うではないか。
惜しいと思う。これが白に近ければと悔やまれてならない。
とりあえず、この布で夜会用のドレスを作るよう命じた。既にデザインは決めており、採寸や仮の布での仮縫いは済ませている。
既に鈍色のドレスは完成して手元に届いている。この黒橡色のドレスで二着目だ。契約通り、ヴィルベルト様に特例を願わねばなるまい。
鉱山都市にいる叔母を呼んでパヴェジュエリーの打ち合わせもせねば……
計画も立てつつも、あの黒橡色の布が淡く白味の強いものであったらと思わずにはいられなかった。
ウェディングドレスは義理の母であるローデヴェルク侯爵夫人の物を手直しして使おう。
本来ならば例の布で作ったウェディングドレスを纏いたかったが、色は白地と決められている。結婚式までに残された時間を思うと諦めざるを得ない。
ウェディングドレス用に考えたデザインは破棄するしかないだろう。
聖暦892年某日。
白い。白い布だ。驚いた……職人の本気というのは凄まじいものだ。
これには脱帽するしかない。
まるで春に咲く桜を淡くしたような色合いで、非常に華やいだ白だった。
今から間に合うか? 針子たちには苦労を掛けるが、是非ともこの布で挙式に臨みたい。念のために仮の布での仮縫いを済ませておいて正解だった。ドレスメーカーの者たちの勧めに従っていておいて良かった。
このウェディングドレスで挙式をして、この布を広く知らしめるのだ。
そして、王都の者どもを震撼させてやる。ローデヴェルクの紡織がどれほど素晴らしいのか、その価値を改めて感じ入るが良い。
あとは、ドレスメーカーの針子たちの腕を信じるだけだ。
そうだ……織物の街には褒美を出さねばなるまい。何が良いか、ヴィルベルト様にも相談してみよう。
この布とパヴェジュエリー。ローデヴェルクの新たな特産物だ。
そういえば、この白い布を見た時にヴィルベルト様が「艶やかに光る絹の布のようだ」と呟いていた……光絹布。安直かもしれないが、これ以上善き名は見つかりそうになさそうだ。
こちらも明日、ヴィルベルト様に相談してみよう。
結婚式が、酷く楽しみだ。
<イヴォンネの日誌より抜粋>




