繭の章 廃棄物の利用方法について
窓には分厚いカーテンがかかり、部屋の中へ陽の光が入らぬよう締め切られていた。最初に通された応接間では、明るい日差しが入り、綺麗に整えられた空間だっただけに落差が酷い。とはいえ、応接間とて、整えられたというより必要最低限のものだけを並べた、人を招く部屋ではなかったという点では、この部屋と同じだろう。
「ニコラスお兄様?」
自分はかなり胡乱気な表情を浮かべているのだろう。後ろに従っている侍女兼護衛のベルは、部屋の惨状に息を飲んだ。
(そういえば、ベルは初めて連れてきたわね)
いつもはニコラスの妹である、イヴォンネの従姉とともに会いに来ていたから、気にも留めなかったが、少しは配慮した方がよかったかもしれないと、心の片隅で思う。
「やぁ、イヴィー。今日も綺麗だね」
ヒラヒラと手を振る従兄は、山のような書類の向こうで、瓶に入った得体の知れない液体を眺めていた。
足の踏み場もないくらいに書類や書籍が部屋中に積み重ねられている。少しでも触れれば雪崩を起こしそうだった。
「お約束の時間になってもいらっしゃらないので心配しましてよ」
ちっとも心配そうに聞こえない声で告げれば、ニコラスは机の片隅に転がっている時計をチラリと見て「あれぇ?」と声を上げる。
「あと一時間あると思ってたんだけどなぁ」
「たぶん、昨日から同じ時間を指してるんじゃないかしら?」
「んー、そうかもね」
軽い調子で言うと、瓶を慎重に机の上に置いて、伸びをひとつ。
「ちょうど今、一区切りついたから、食堂にでも行こうか? 学院の飯を奢ってやるよ」
表庭に面したお洒落なカフェではなく、学生や教職員に向けてリーズナブルな食事と提供する食堂に誘うのがこの男らしいと思いながら、イヴォンネは頷いた。
「そうですわね。場所を移さないと落ち着けませんわ」
ひょろりとした背の高い男がのそりと部屋から出てくる。微かに日焼けしていて、不健康そうに見えないのは魔物が多く生息するオッフェルの森でのフィールドワークのおかげだろうか。
部屋の扉に魔法錠を掛けたニコラスは、のんびりと廊下を歩きだした。イヴォンネは溜息を一つついて、男の後ろに続く。
「今、どんな研究をされていますの?」
「んー、魔物を溶かした液体の効果を調べてるんだよね。ほら、よく森で見かける触ったら被れて痒くなる繭があるだろ。アレを薬液に漬けて、中の蛹を溶かすんだ。最初は痒みをもたらす成分を消そうと思って、薬液の配合をしてたんだけどね、繭を漬け込むしか毒を中和する方法がなくてさ。そしたら、蛹が溶けだして、繭が空になるんだよ。その抽出した液体がどうなっているのか知りたくてね。この成分がわけわかんなくて興味深いんだ。それにね……」
「お兄様」
イヴォンネは鋭い声を上げ、饒舌に語りだしたニコラスの言葉を止める。
「んー?」
「私たち、これから食堂に向かうのですよね?」
「そうだよ。キミたちは何が食べたい?」
食事前の話題には相応しくないだろうと言外に込めたつもりだったが、この男には通じなかったようだ。
別の話題をと、今回の訪問の理由の一つを述べることにした。
「叔父様から、今年の魔法特許はどれほどか、伺ってくるように申しつけられましたの」
「あー……一応、あることはあるんだよ?」
嫌なことを思い出したとニコラスの顔が歪む。ニコラスが研究を続ける条件として、どんな小さなものでも構わないから、毎年規定数の魔法特許を出願しなくてはならないという条件があった。
なお、ニコラスの父は、イヴォンネの父の弟である。イヴォンネは叔父から、ニコラスの魔法特許の数を確認するよう依頼を受け、フリモリウム魔法学院を訪れたのだ。
「今回の薬液もそうだし、魔物の蛹を溶かす技法も出願中だ。あと……」
(結局そこに戻るのね……)
指折り数える従兄の姿に、イヴォンネは墓穴を掘ったと嘆息する。
しばらく歩くと食堂に到着する。大勢の学生や教師らの胃袋を満足させるためだろう。かなり広い空間だった。それでも、昼時となれば、この広い空間が学生で埋まるのだから、初めて目にしたときは驚いたものだ。
大きな窓から明るい光が差し込み、厨房からはおいしそうな香りが漂っている。丁度昼時のピークが過ぎた時間だったからだろう。人はまばらで、自由に席を選ぶことが出来た。
ニコラスは食事を、食欲の失せたイヴォンネは紅茶を注文する。ベルは同席することなく、イヴォンネの後ろで周囲を観察していた。
「繭?」
食事を終えてナフキンで口を拭ったニコラスは、キョトンとした顔でイヴォンネの顔を見つめた。
「えぇ。蛹が溶けた液体の話ばかりで、中身が空になった繭の方の話が出てきませんでしょ? 不思議に思いまして」
「空になった繭なんて使い道あるのかな?」
「一応、糸は取れますね」
後ろに控えるベルの腕が腰に伸びる。イヴォンネが怪訝そうに声の方を見ると、白衣を着た猫背の青年が抱えた書類を隣のテーブルに置く。
鋭いベルの視線を向けられるも、気付いているのかいないのか。マイペースな調子で、置いた書類の中を確かめていた。
「先輩は興味なさそうだったみたいですけど、魔法特許の件数が欲しいって言っていましたから、先輩の名前で魔法特許の出願はしてありますよ。質疑応答も滞りなく済ませてあります……結果が届いたので、これから届けに行こうと思ってたんですが、こちらにいらっしゃったんですね」
「わりぃな」
「こんな繭どうするんだよって、怪訝そうな目で見られましたけどね……無毒化については興味を持っていただけました」
探し出した書類をニコラスに差し出した青年は、次いでポケットの中から鈍色の繭を数個取り出した。
「で、こっちが現物です。先輩、研究室にすごく大量にあるんですけど、どうするつもりです?」
「子供の玩具にでもならねぇかなぁ……なぁ、伯父さんの店で扱ってくれないかな?」
イヴォンネは繭をジッと見つめた。ポケットから無造作に取り出したということは、毒性は皆無なのだろう。
「繭って……こんな色だったかしら?」
ニコラスが告げた魔物の繭は、真珠のような白い光沢をもつ美しい繭だったはずだ。その美しさに惹かれて触れると、被れて痒みが長く続くことで有名だ。こんなくすんだ鈍色ではない。
「薬液の影響だな」
むにむにと繭を潰しながらニコラスは呟く。
「糸が取れるって聞こえたけど、本当かしら?」
「一応、ですけどね」
聞けば青年の地元では、自分たちで消費する分くらいの布を作るために、誰もが糸を紡げるらしい。久しぶり過ぎて、紡ぎ方を忘れたといいつつも、目の前の繭から糸を引き出して見せた。髪の毛よりも細く頼りない糸だ。
「これを数本撚って太さを出します。太くしたければ更に撚ります」
「へぇ……器用なもんだな」
「随分細いのね」
青年の手元を見ていたニコラスとイヴォンネは、それぞれ感想を零す。
「まぁ、何の役に立つかはわかりませんけどね。先輩、研究するなら纏めるのでデータくださいね」
「あ、部屋に例の薬液のデータ取った奴あるから、後で纏めてくれ」
「お兄様?」
当たり前のように二人が話すので、イヴォンネは首を傾げる。
「研究のデータは門外不出だと聞いた覚えがあるのですが?」
「あー……」
イヴォンネの疑問にニコラスはポリポリと頭を掻いて、クイッと親指で青年を指さす。
「コイツ苦学生。俺、商家のボンボン」
「自分で言う事ではありませんわね。つまり、苦学生のこちらの方を召使宜しく、顎で使っていらっしゃる?」
呆れた声を上げるイヴォンネに、青年は苦笑して「違いますよ」と言葉を返した。
「先輩は露悪的過ぎるんです。助けていただいてるのは私の方ですから」
すっと居住まいを正す。学院では、将来貴族と関わることを見越して、礼儀作法の授業も選択できると聞く。きっとこの青年も学んだのだろう。教科書通りの立ち姿だった。
「レディ、ご挨拶が遅れてしまい、大変申し訳ございません。私、マディアスと申します。庶民ですので姓はございません」
イヴォンネの動きに合わせて、ベルが椅子を引く。優雅に立ち上がると、貴婦人かくやという仕草でドレスを持ち上げ、一礼する。
「ご丁寧にいたみいりますわ。わたくし、イヴォンネ・ノルデンと申しますの。従兄が面倒をおかけしているみたいですわね」
チラリとニコラスを見れば「対価は払ってるから問題ないよ」とへらりと笑う。
「お兄様の相手は御迷惑ではなくて?」
「いろいろ助かっています。ノルデン会頭にも紹介していただけましたし……」
「お父様?」
父親の話題が出るとは思わず驚くイヴォンネ。ニコラスは自慢げに鼻を鳴らした。
「ほら、治癒宝珠。マディアスがアレの魔法特許の持ち主だ」
「まぁ! あの治癒宝珠の!」
治癒宝珠とは、宝石の中に治癒の魔法を潜ませた商品で、切り傷などの血止めの効果がある。媒介に宝石を使うこともあり、一つ一つが高額になってしまうので購入できる層は限られているが、かなりの数が売れていると聞いている。なお、一番のお得意先は軍部だ。
「先輩が紹介してくださったおかげです。これまで頂いたロイヤリティで奨学金の半分くらい返済できましたから、助かりました」
挨拶が終わり席に着いた三人。和やかに話している間も、青年の手はゆっくりと繭から糸を引き剥がしていた。気になって見ていれば、ぺりぺりと剥がれていくのが見て取れ、思いのほか簡単にできるようだと思った。
「やってみますか?」
差し出された繭と糸をベルが受け取り、イヴォンネに差し出す。糸の端はベルを介して、青年に繋がっていた。片手に繭を持ち、片手で糸を摘まむ。引いてみれば、ぺりりと糸が剝がれ、薄っすらと魔力が糸に吸い込まれた。ベルの表情に変化はない。
(剥がすときに魔力が吸われる?)
自身の魔力に注視しながら、糸を剥がす。やはり、剥がす瞬間に糸へ魔力が流れるのが分かった。
「この繭についての魔法特許って、どのようなものかしら?」
「繭の毒素の除去の方法です。抽出液の副産物みたいなものですが、魔物の毒素が除去できることは稀なので、その点が評価されましたね」
「マディアスの方の研究にも派生しそうだな」
「マディアス様は何を専攻されていますの?」
「生命学です」
なるほどとイヴォンネは頷く。生命学を専攻しているのであれば、治癒系の魔法特許を持っていてもおかしくはない。
「今は主に解毒薬の研究をしております」
ニコラスは昆虫系魔物の生態を専攻している。魔物には毒を持つものも多数おり、そこから二人は知り合ったのだろうと、イヴォンネは推測した。
「ちなみに……マディアス様は、この繭から糸を剥がすときに何か感じたことはなかったかしら?」
「え?」
「……ん?」
「お嬢様、お借りしても?」
首を傾げる男たちと違い、ベルは問答無用でイヴォンネから繭を奪い取った。
徐に繭から糸を剥がせばベルも魔力の流れに気付いたのだろう。目を大きく見開いた。
「何か感じたか?」
「先輩、忘れてませんか?」
「ん?」
「私、魔力感知が下手なんです」
「あー……そういえば、お前、魔力強すぎて逆に繊細なの苦手なんだよな」
遠慮ないニコラスの言葉に、がっくりとマディアスは肩を落とした。
一方、イヴォンネは不思議そうに指をこするベルを眺めながら考え込む。自分の指にも魔力を吸いだされた感覚が残っていた。
「ベル、糸を……」
一瞬躊躇するベルだったが、イヴォンネの表情を見て諦めたように糸を緩くイヴォンネの手に巻いた。
掌に纏わりつく糸を握りしめる。糸に魔力が吸いこまれることはなかった。
意識して魔力を纏わせて握る。糸の中に魔力が浸透していって、硬かった糸がクタリと軟らかなものへと変化した。その変化が不可解で眉根を寄せる。
掌を開けば、指の陰に仄かな光がほわりと灯った。
「これは……少し面白いかもしれないわ」
この糸で布を織ったらどうなるのだろう。
(糸を紡ぐ人を探さないと。魔力が吸われてしまうから数を揃えたほうがいいわ……あとは布を織る機織り。出来上がった布を使って……あぁ。私の商会を使うなら下級貴族向けくらいの価格帯がいいわ。原価を抑える方法は……)
ぐるぐると頭の中で様々なことを思いめぐらす。それらを実現するには、まず第一に、この繭が必要だ。
だから、邪気のない笑みを浮かべて、従兄に強請る。
「お兄様、この繭……私に譲ってくださいません?」
「あ? 処分に困ってたから引き取ってくれるならいいけど……何に使うんだ?」
不可思議そうな声を出すニコラスに、イヴォンネはにっこりと優雅な笑みを浮かべた。
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聖暦889年某日。
フリモリウム魔法学院にて研究開発に勤しむ従兄ニコラスより、実験の副産物として大量に余らせている魔物の繭を手に入れる。この繭、完全に毒性を除去したものだが、生来の真珠色の光沢が無くなり、鈍色のくすんだ色合いになっていた。
繭から糸を剥がす際、微量の魔力が奪われる。持って行かれるのは微量の魔力だ。負担は軽い。ただ、布に出来るほどの大量の糸を得るとなれば、人海戦術で行う必要がありそうだ。
つまり人手が必要になる。特産物等の乏しい寒村を複数用意できれば問題ないだろう。逆に村の収入源として期待できるかもしれない。
さて、この糸をどうやって布にするかが課題の一つである。布を織るには織物産業の盛んな領地との協力が不可欠だ。
紡績と紡織。この二つを手掛ける領地は数多い。
各領地をカレイド商会とノルデン商会の伝手と情報網を使って探った所、最近ローデヴェルク侯爵家の資金繰りが思わしくないらしいとの情報を掴む。
ローデヴェルク侯爵家は数代前には王家の姫君が降下したり、娘を王家に輿入れさせたりする由緒正しい高位貴族だ。その領地も織物と宝飾に秀でている。
それでも斜陽ということは、大半の貴族家と同様、世流を読むことを怠ったと予想ができる。多くの貴族は商人ほど金の流れに敏くない。
つけこむ隙があるとすれば、その辺か……候補地の一つとして、注視しておこう。
聖暦890年某日。
各地で気候が荒れている。魔法王国全般で不作が続いており、他国から運んだ食料が飛ぶように売れている。これはよろしくない。
カレイド商会の運輸担当者から、商品を輸送する際の護衛の強化について相談された。父と協議して、ノルデン商会経由で護衛の増強を行う。
そう、表立ってはまだ平穏を保っているが、状況は良くない。
特にローデヴェルク侯爵領では、昨年から続く長雨と豪雨の影響で作物が育たず、先日は宝石を採掘する鉱山の崩落の話を耳にした。表立っては噂にはなっていないが、かなり信頼できる筋からの情報だ……間違いはないだろう。
鉱山が崩落するほどの雨量ということは、山がちな領内のこと。地滑り等が起こっていてもおかしくはない。
ノルデン商会の金貸し部門に、ローデヴェルク侯爵家からの使者が密かに訪れたと、父が囁いてきた。私がローデヴェルク侯爵家に注視していているのを承知した上での情報提供だ。
私は賭けに出ることにする。
ローデヴェルク侯爵家には適齢期の嫡子がいる。穏やかな気質で、仕える者たちを適材適所に配置し、能力を十二分に発揮できるよう采配すると評判の男だ。
この男ならば、女が領地経営に口を出しても無下にはしないだろう。なにより、こちらには父と私、二つの商会がついている。
婚姻となると家と家との契約だ。父から釣書と結納金についての話をしてもらう。嫡子には金貸屋に御足労戴こう……二十歳の年増との婚姻と引き換えに領地の繁栄を約束してやるんだ、そのくらいしてもらってもいいだろう?
高位貴族か……華やかに見えて、憐れなものだな。
<イヴォンネの日誌より抜粋>




