序章 イヴォンネという人
人の半分は女だ。表向き男が実権を握っている風に見えても、内向きでは母親や妻、外には愛人と女の影が付きまとう。貴族の奥様方の雅やかなお茶会も、高尚な音楽や詩歌のサロンも、下町の井戸端会議と何ら変わらないと気付くのは直ぐで、そこで流れた噂は家庭内に持ち込まれ、共有されて、また広まる。
ならば、女の情報網を押さえ、上手く使えれば、良い宣伝になると考えるのは必然だった。
「とても素敵なお芝居でしたわ」
「喜んでいただけて何よりだ」
夜だというのに昼よりも明るい劇場内で、紳士淑女たちが観劇を終え、ロビーに繰り出していた。一歩路地裏に入れば暗闇で、腹をすかせた孤児たちや浮浪者がたむろっていることなど、ここにいる者たちは考えたことがないだろう。
(それは私とて同じこと……)
紅く濡れた唇を笑みの形に保ち、瞼に乗せた鮮やかな色粉に潜ませたラメがホールの光を反射させて輝く。眼の周りを縁取る黒のラインが美しい目元を強調していた。
デコルテが大きく開いたドレスは流行りの型だったが、暗い色彩のもので、周囲の若い女性たちの華やいだ色味とは一線を画していた。それでも、彼女が地味に見えないのは、光沢をもつ布のせいだろう。周囲の輝く光を受け、柔らかな光を纏っているかのようだった。
彼女を彩るのは化粧やドレスだけではない。デコルテを飾るネックレスも、耳元を飾るイヤリングも、結い上げた髪を彩る髪飾りも、全てがシンプルながらドレスの柔らかな光を引き立てている。
周囲の淑女たちは彼女の装いに目が離せなかった。もちろん、ジロジロと注視するのはマナー違反だ。だから、チラリチラリと視線を動かしながら、視界の端に彼女の姿を収める。
「あの方は……」
「彼女は……」
「あのドレスの生地は……」
「仄かに光る布なんて初めて見るわ」
会場で談笑に興ずる女性たちのグループ。背後に同行者を従えて、密やかに噂する。男たちもまた、彼女たちの噂話を機のないそぶりを見せながらも耳に納めていた。
王都にて飛ぶ鳥を落とす勢いの隆盛を誇るノルデン商会。その総領娘であるイヴォンネは、同行していた男の腕に手を添えた。
「ローデヴェルク侯」
「バルケネンデ公、お久しぶりです」
呼び止められた男は振り返るとにこやかに笑う。二人は軽く握手を交わすと、バルケネンデ公と呼ばれた初老の男は、同行していた娘の紹介を始める。
軽くひざを曲げて略式の挨拶をしようとしたイヴォンネのことは無視するような形になり、男は社交的な笑みを浮かべながらも困惑を隠せなかった。
男の同行者であるイヴォンネは笑みを崩さない。扇の向こう側、イヴォンネだけに見えるような絶妙な角度で、勝ち誇った表情を浮かべる少女へも余裕の態度を崩さなかった。
「公、私の婚約者を紹介させてもらえませんか?」
柔らかな男の言葉に、初老の男は言葉を詰まらせた。初老の男が娘を売り込もうとしていたことは明白で、対する男にそれをさせる気がない事も明らかだった。
彼女の腰に手を回して親密さを醸し出しながら婚約者だと紹介すると、イヴォンネに対しても初老の男を紹介する。
「イヴォンネ、こちらはバルケネンデ公。王家の懐刀として、尽力してくださる素晴らしい御仁だ」
「お噂はかねがね伺っておりますわ」
初老の男は不快な雰囲気を隠さなかった。隣の少女も苛立ちを露にイヴォンネを睨みつける。
イヴォンネといえば、涼し気な表情を崩すことなく柔らかな声で「ヴィル」と男を呼ぶ。その親し気な様子にざわりとホール中で驚きが走った。
「喉が渇いてしまったわ」
少しばかり困った顔を作って強請る。男も仕方ないなと気安い笑みを浮かべた。その男の態度に、ざわめきが広がる。
「公、それでは」
「あ、あぁ……」
男が柔らかな笑みのまま、初老の男に声を掛け立ち去る。二人が立ち去った後もロビー内では噂が駆け巡っていた。
「アレで良かったのかい?」
馬車の中、ヴィルベルトはイヴォンネに尋ねる。
「えぇ。助かりましたわ」
ドレスの布地を撫でる。この布の織り方はローデヴェルク侯爵領の職人が開発したものだ。糸に虫型の魔物の繭玉を使っており、光を吸収して柔らかな輝きに替える効果がある。
もともと毒性の強い繭だったが、その毒性を除去する技法が研究された。開発したのはフリモリウム魔法学院へ進学したイヴォンネの従兄だ。
従兄から無毒化された繭を貰い受けると、イヴォンネはローデヴェルク侯爵領の地方の村に糸の製作を依頼した。貧困にあえいでいた村に現金収入になると誘えば、背に腹は代えられなかったのだろう。製作を始め、出来上がった少量の糸が金に変わり、食料や生活必需品を買い求められると理解した瞬間、目の色が変わった。
それはその村だけではなかった。同じように貧困にあえいでいた、特産品もない村々から引き合いが届き、工法を伝授する。
そうして作った新たな糸と既存の糸とで織ったのが、現在イヴォンネが身に纏うドレスの生地だ。
「村から糸が届いていると報告が届いていますでしょ?」
「そうだね。特産品に出来ると各村の村長からも感謝の言葉が届いているよ」
「それはようこざいました」
「織物の街から届く怨嗟の声は耳に入れたほうがいいかな?」
ヴィルベルトの言葉に、イヴォンネはコロコロと楽しそうに笑う。
糸がたくさん届くのだ。機織り職人たちは急ピッチで布を織り続けていることだろう。
誰も見たことのない布で作られたドレス。しかも、侯爵家の婚約者が着用したドレスだ。周囲は、隆盛を誇る商会で、最近男爵位を拝命したノルデン家の娘ではなく、侯爵家が婚約者に贈ったドレスと認識するだろう。ならば、同位の侯爵家が二の足を踏んでも、伯爵家以下ならば手に入れようと動いてもおかしくはない。
「そういえば……宮中で働く分家の者たちから、キミのドレスについて問い合わせが届いたと父から聞いたよ」
「まぁ、本当ですの?」
イヴォンネは嬉しそうに微笑む。
(……ドレスだけじゃ、勿体ないわね)
この布をスーツにも流用できれば、市場は倍に膨れ上がる。領都にある紳士服のデザイナーにも声をかけてみようと、早速脳内では算段を始めていた。
「次はヴィルベルト様のスーツも仕立てようと思いますの」
「それは楽しみだね」
ヴィルベルトは見目が良い。良い広告塔になってくれるだろうと、イヴォンネは笑顔の下で考えた。
「その時は、キミと揃いのネクタイピンを誂えてもらえると嬉しいな」
「まぁ! それは素敵ですわ」
「キミに感化されたかな?」
「いいえ。素晴らしい経営者の片鱗をみせていただきましたわ。流石ヴィルベルト様です」
「きっと先生が良いからだろうね」
茶目っ気を含ませた笑みを浮かべるヴィルベルトにイヴォンネはクスリと笑う。
イヴォンネが身に付けている装飾品は、決して高価なものではない。割れたり欠けたりして見向きもされなかった屑石を磨き、上手くアレンジしてデザインさせたもので、手に届きやすい価格帯だ。先祖代々受け継がれていくような装飾品とは比べ物にならないが、華やかさだけで良いと割り切れるならば、デザイン性の高いこちらを求める者も多いだろう。
ヴィルベルトの言う通り、男女で揃いのデザインを売り出せば、夫婦や婚約者通しなど販路にいとまがない。
なにより……
「そういえば、知り合いの伯爵に装飾品のことを尋ねられたな」
「まぁ……それでは?」
「あぁ、事前に言われていた通りに、宝飾店【ブルーム】で求めたと教えておいたよ」
「ありがとうございます」
ローデヴェルク侯爵領は山がちの地形で、宝石の産地だった。宝飾品の加工を行う職人も多くいたが、長雨と豪雨が続き、地滑りや鉱山の崩落が相次いだ。そのせいもあり財政が悪化していたことに加え、チャリティなどの貴族としての付き合いもやめることが出来ず、内情は火の車だったのだ。
婚約者となり鉱山近くの都市を視察したイヴォンネは、屑石を使った製品の開発を職人たちと共に進めた。屑石と言っても、小粒なだけで、磨きあげれば立派な宝石なのである。折しも宝飾デザイナーだった叔母がトラブルに巻き込まれて失業したばかりだったこともあり、職人たちと共に開発にあたらせれば、新たな宝飾品のスタイルを確立させてくれた。
イヴォンネは新たな宝飾品をパヴェジュエリーと命名した。小さな宝石を贅沢にちりばめた装飾品は、様々な意匠の物を作ることが可能だ。華やかなものから清楚なものまで、好みを反映させた物を作り出すことができる。
「彼は誰に送るつもりなんだろうね?」
ヴィルベルトは含み笑いと共に呟いた。
価格帯の手ごろさと、見栄えの良さから、貴族の男たちが愛人に贈るには手ごろでちょうどいいのだろう。王都にある店舗では女性客だけでなく、特別室で密かに買い求める男性客も少なくはない。
「ヴィルベルト様にも贈る相手がいらっしゃいまして?」
小首をかしげるイヴォンネ。ヴィルベルトは思わず困ったように苦笑いを浮かべる。
「そうだね……」
ヴィルベルトは軽く目を閉じて、仕方がなさそうに小さく笑った。
「日頃の感謝を込めて、母にでも贈ろうかな。父のタイピンと意匠を合わせて、ね」
「御両親思いですのね」
なるほどと頷く婚約者は、現侯爵夫妻をも広告塔に仕立て上げる算段でも始めたのだろう。瞳がキラキラと輝いていた。
ふと、その輝きが曇る。
訝しんだヴィルベルトが目で促すと、ため息交じりにポツリと零した。
「少し急ぎ足かもしれませんが……」
イヴォンネとしては、本来ならば手札は少しずつ出して、小さな流行を重ねたかった。だが、領内の立て直しは急務だったのだ。惜しむことは出来なかった。
「いや。これが上手くいけば、領民たちの苦労に報いることができるだろう? 感謝することはあっても、逆はありえない」
男は柔らかな笑みをイヴォンネに向けた。
「キミには感謝しているよ」
「感謝するのは私の方ですわ」
イヴォンネは心からの笑みを浮かべる。
(女では店を持つことも、商会を起こすことすらできないわ)
女にも求められるのは奥向きの役割だけで、女が店や商会を持とうとすれば、男を代理人に立てるしかない。それが故のトラブルは履いて捨てるほど聞いていた。
幸運なことにイヴォンネは自身の父と契約書を取り交わし、名義を父に据えることが出来た。利益の一部が父へ流れるのは業腹だったが、婚姻後は夫であるヴィルベルト名義へ移行する契約を取り交わしてある。
なお、ヴィルベルトからは商会からの配当は侯爵家の予算に組み込まれると聞いている。
「ヴィルベルト様のおかげで、やりたいことが全て叶うのですから」
目の前の男は、侯爵家という本来ならば知り合うことなどなかった相手だ。ノルデン商会の抱えている貴族向けの金貸しに借金の申し入れをしてきたローデヴェルク侯爵へダメもとで売り込みをかけたイヴォンネとしては、少しでも成果を出さなければという思いが強い。
(これで足掛かりができたわ。次はそれを更に広げるためにどうすべきかしら……)
次の手を考えるイヴォンネ。彼女を柔らかな眼差しで見つめるヴィルベルトは「私はね」と言葉を零した。
「女神だと思っているんだよ」
王都の石畳を馬車が進む。ガタガタと馬車の車輪の音が大きく、イヴォンネはヴィルベルトの声が聞こえなかった。
「なんでしょう? ヴィルベルト様?」
問いかけるイヴォンネに、ヴィルベルトは目を細める。
「領民たちが少しでも楽になればいいと言っただけだ」
「大丈夫ですわ」
イヴォンネは勝気に笑った。
「そのために、私は輿入れするのですから」
売り込みをかけた以上、それ相応の結果は出すと言外に告げるイヴォンネを、ヴィルベルトは眩しそうに眺めていた。
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聖暦892年。新侯爵の婚姻と共に発表された光絹布。柔らかな光沢を持つ布は、魔力を含ませれば仄かな光が浮かび、まるで光を纏うようだと話題になった。
光絹布を独占的に販売するカレイド商会には、王都中のドレスメーカーから問い合わせが殺到したと伝え聞いている。
また、披露宴では、ローデヴェルク侯爵家に連なる一門の者たちが、当時王都で流行しているパヴェジュエリーを身に付けていたことも目を引いていたとの記録が残っている。小粒とはいえ、色鮮やかな宝石を贅沢に敷き詰めた装飾品は見事なものばかりだった。
現存するパヴェジュエリーは当時のままに王都の博物館で確認できるので、是非一度ご覧いただきたい。
後年、この光絹布は、フリモリウム魔法学院の魔法特許を利用したものだと公表された。
魔法特許から開発されるものといえば、攻撃魔法や治癒魔法、防衛を目的としたものが主流だった時代の話だ。
生活に根ざすものへ魔法特許を利用するという考えを持つものは皆無だった。その最初の風穴を開けたのがローデヴェルク侯爵家なのだ。
光絹布を皮切りに、生活を豊かにする魔法特許が次々と生み出され、人々の暮らしは大きく変わっていくことになるのは、諸兄諸姉らも知るところだろう。
そして、その中心にいたのはローデヴェルク侯爵であるヴィルベルト・ローデヴェルクであることも周知の事実だ。
「新たな時代の幕開けだ」と告げる彼の隣には、常に伴侶である侯爵夫人イヴォンネの姿があったと記録が残っている。
当時の史料を紐解くと、功績の大半は当主であるヴィルベルト・ローデヴェルク侯爵へ帰している。
だがしかし、それを覆す資料が最近発見されたというのは御存じだろうか?
「男だけでは歴史は動かない」
聡明たる諸姉らの言葉に間違いはなかったと、私は猛省している。
<とある歴史家の講演記録より抜粋>




