第9話「嘲笑の輪と静かなる守護」
王宮の大広間は眩いばかりの光と色彩に満ち溢れていた。
巨大なクリスタルのシャンデリアが頭上で眩く輝いている。
楽団の奏でる優雅な音楽が広間の隅々にまで響き渡る。
着飾った貴族たちがグラスを片手に優雅に談笑していた。
幾種類もの高級な香水が混ざり合った甘い香りが漂っている。
ルシアンはクロードの少し斜め後ろを息を潜めるように歩いた。
冷酷な公爵が姿を現した瞬間、広間の空気が一変したのを肌で感じる。
畏怖と好奇の入り交じった視線が一斉に二人へ向けられた。
クロードは表情一つ変えずに堂々とした足取りで歩みを進める。
彼に挨拶を求める貴族たちが次々と群がり、ルシアンは背後へと追いやられた。
クロードが有力な貴族と話し込んでいる隙に、ルシアンは壁際へと退避する。
きらびやかな空間はルシアンにとって針のむしろでしかなかった。
ふと近くからくすくすという忍び笑いが聞こえてきた。
扇で口元を隠した婦人たちがあからさまにルシアンを指差している。
「見なさい。あの方が公爵閣下の新しいお気に入りですって」
「実家の借金のために身売りした没落男爵家の次男だそうよ」
「まあお可哀想に。閣下も酔狂なことをなさるわね」
「いつまで飽きられずに持つかしら」
甘い香水に混じる毒を含んだ言葉の刃が、ルシアンの胸を容赦なく切り裂いていく。
ルシアンは下唇を強く噛んで深く視線を落とした。
反論することなどできない。
彼女たちの言う通り、自分は借金の肩代わりとして売られた身なのだ。
屈辱と悲しみで目頭がじわりと熱くなるのを必死に堪える。
その時、ルシアンの目の前に恰幅の良い中年の貴族が立ちはだかった。
「いやはや。これは見事な着せ替え人形だ」
男は下品な笑みを浮かべてルシアンの顔を覗き込んでくる。
「公爵閣下のお下がりになったら私のところへ来るといい」
ワインの饐えた匂いとともに放たれた言葉に、ルシアンは肩を震わせた。
後ずさりしようとしたが壁に背中がぶつかって逃げ場がない。
男がぬらりとした手を伸ばしてルシアンの顎に触れようとした。
その瞬間だった。
「……その汚い手で彼に触れるな」
地を這うような冷酷な声が広間の空気を凍りつかせた。
伸びていた男の手が空中でピタリと止まる。
ルシアンが顔を上げると、いつの間にかクロードが傍らに立っていた。
彼の灰色の瞳は凍てつくような怒りを宿して男を射抜いている。
周囲の音楽すら遠ざかり、息の詰まるような沈黙が落ちた。
「こ、公爵閣下。私はただご挨拶を」
男は顔面を蒼白にして震える声で言い訳を口にする。
クロードは一歩前へ踏み出してルシアンを背後に庇うように立った。
「私の伴侶に対する侮辱は公爵家への宣戦布告と受け取る」
低く静かな声が周囲で聞き耳を立てていた者たち全員に響き渡る。
「次に彼の名を軽々しく口にする者がいれば一族もろとも破滅させる」
広間にいた貴族たちが一斉に青ざめて慌てて視線を逸らした。
嘲笑していた婦人たちも恐怖に顔を歪めて後ずさりしていく。
クロードは男から視線を切ってルシアンへと振り返った。
冷気をまとっていた瞳が、ルシアンを見た瞬間にわずかに和らぐ。
「顔色が悪い。外の空気を吸いに行くぞ」
クロードはそう言うと、ルシアンの震える冷たい手をしっかりと握った。
厚い手袋越しでも伝わってくる力強い熱にルシアンは息を呑む。
クロードは周囲の視線など気に留めることなくルシアンを連れて歩き出す。
しっかりと繋がれた手が、これ以上ないほど雄弁に彼を守っていた。
広間を後にする背中に向けられるのはもはや嘲笑ではなく、声も出せないほどの怯えに変わっていた。
ルシアンはクロードの広い背中を見つめながら熱くなった目元を伏せる。
繋がれた手から伝わる確かな体温が、ルシアンの凍えた心を優しく包み込んでいた。




