第6話「静寂の図書館と使用人たちの囁き」
部屋の息苦しさに耐えかねて、ルシアンは廊下へと足を踏み出した。
使用人から図書館の利用は許可されていると聞いていたからだ。
公爵邸の廊下はどこまでも長く続いていて、歩くたびに自分の足音が寂しく反響する。
壁には歴代の当主たちの厳格な肖像画が等間隔に飾られている。
どの瞳も冷たくこちらを見下ろしているようで、ルシアンは視線を落として歩いた。
西棟の奥にある図書館は想像を絶する広さだった。
二階までの吹き抜けになっており、壁一面が本棚で埋め尽くされている。
古い紙とインクの匂いが静かな空気に溶け込んでいた。
ルシアンは少しだけ心が安らぐのを感じて、本棚の間をゆっくりと歩き始める。
背表紙の文字を指先でなぞりながら読みたい本を探した。
歴史書や哲学書が並ぶ棚の奥へ進むと、かすかに人の声が聞こえてきた。
ルシアンは足を止めて本棚の陰に身を隠す。
声の主は書架の整理をしている二人の若いメイドだった。
「それにしても驚きね。旦那様がわざわざあの方を図書館へ入れる許可を出すなんて」
「ええ。この部屋は旦那様が最も大切にされている場所でしょ。誰も立ち入らせなかったのに」
ルシアンはそれが自分のことだと直感し、思わず息を殺した。
メイドたちの会話はひそやかな囁き声で続けられている。
「お食事のメニューもすべて旦那様がご自身で確認されているのよ。薄味で胃に優しいものをって」
「あの冷酷な旦那様が信じられないわ。先月も少し音を立てただけで庭師が解雇されたばかりなのに」
ルシアンの心臓が急に早鐘を打ち始めた。
メイドたちの言葉が頭の中でぐるぐると回る。
冷酷で無慈悲だと恐れられているクロードが、自分の食事の献立を気にしている。
誰も入れないはずのこの図書館の利用を特別に許可している。
それはただの慰み者に対する扱いとは明らかに違っていた。
「あのお部屋に飾られている花も、旦那様が毎朝温室から選んでいらっしゃるそうよ」
「本当にお優しいのね。あんなお顔を見るのは初めてだわ」
ルシアンは冷たい木の本棚に背中を預けた。
足の力が抜けてその場にしゃがみ込みそうになる。
部屋に毎日飾られていた可憐な白い花。
それはルシアンが故郷の森で好んで摘んでいた花に似ていた。
ただの偶然だと思っていた。
使用人が適当に飾っているだけだと信じて疑わなかった。
だがすべてがクロードの指示だったというのか。
顔も合わせない冷たい態度の裏で、そんな細やかな気遣いをしていたのか。
『なぜ。そんなことをするくらいなら、なぜ会いに来てくれないんだ』
疑問と混乱がルシアンの胸の中で激しく渦を巻く。
十年間の空白と届かなかった手紙の恨み。
そして今目の前にある不器用すぎる優しさの欠片。
どれが本当のクロードなのかルシアンにはまったくわからなかった。
メイドたちの足音が別の通路へと遠ざかっていく。
ルシアンはゆっくりと本棚の陰から歩み出た。
高い窓から差し込む午後の光が図書館の床に四角い模様を描いている。
空気中を舞う細かな埃が光の筋の中でキラキラと光っていた。
ルシアンの視線が自分の着ている上質な服の袖口に向けられる。
これもただの束縛の鎖ではなく、彼なりの不器用な庇護の証なのだろうか。
ルシアンは自分の胸元を強く握りしめた。
今まで信じ込んでいた絶望の輪郭が音を立てて崩れ始めている。
自分が閉じ込められている鳥籠は冷たい鉄ではなく、ひどく不格好な優しさで作られているのかもしれない。
その事実に気づいた瞬間、ルシアンの目頭がひどく熱くなった。
乱れた呼吸を整えるように深く息を吸い込む。
古書の匂いに混じって、かすかにあの花の香りがしたような気がした。




