第5話「無言の贈り物と蘇る記憶」
公爵邸での生活が始まってから数日が経過していた。
ルシアンがクロードと顔を合わせることは一度もなかった。
広大な屋敷の中で、ルシアンの生活は隔離されているようだった。
食事はすべて自室に運ばれてきて、誰かと会話を交わすこともない。
整えられた静寂があまりにも息苦しくて頭がおかしくなりそうだった。
昼下がりの日差しが窓から差し込んで、床に長い影を落としている。
ルシアンは読もうとしていた本を膝の上に置いたまま、ぼんやりと虚空を見つめていた。
扉が静かにノックされて、初老の執事が入室してくる。
彼の手には銀の盆が乗せられており、その上には美しい木箱が置かれていた。
「ルシアン様。旦那様からのお届け物でございます」
執事は恭しく頭を下げて、テーブルの上に木箱を置いた。
ルシアンは思わず瞬きを繰り返し、テーブルの上の木箱と執事の顔を交互に見やった。
クロードからの贈り物という言葉の意味が、すぐには理解できなかった。
執事が一礼して部屋を出て行った後も、ルシアンはしばらく動くことができなかった。
木箱は深みのある赤茶色の木材で作られており、表面は見事に磨き上げられている。
金具には公爵家の紋章が小さく刻み込まれていた。
ルシアンは恐る恐る手を伸ばして、冷たい金具に指をかける。
わずかな抵抗のあとに、滑らかな音を立てて蓋が開いた。
箱の中には上質なベルベットが敷き詰められている。
そこに収まっていたのは、美しい意匠が施されたガラス製の万年筆だった。
隣には真っ白で滑らかな最高級の羊皮紙が束になって置かれている。
ルシアンは息を呑んでそのガラスのペンを見つめた。
透明なガラスの中に青いインクが透けて見える細工が施されている。
それはかつて幼い頃にルシアンが街のショーウィンドウで見つめていたものに酷似していた。
『いつか大人になったらあんなペンで物語を書きたい』
遠い昔にクロードの隣で無邪気に語った夢だった。
ルシアンの指先がかすかに震え始める。
『なぜこれを』
胸の奥で波立つ感情を必死に押さえ込む。
クロードが自分の昔の言葉を覚えているはずがない。
彼が送った手紙すらすべて無視されていたのだから。
これはただの偶然だ。
貴族が愛人に暇つぶしの道具を与えるのと同じことなのだ。
ルシアンは自分にそう言い聞かせて、ガラスのペンをそっと持ち上げた。
指先に伝わる冷たい感触とずっしりとした重みが、現実の重さのように感じられる。
ペン先は鋭く磨き上げられており、光を受けて鋭く輝いていた。
ルシアンは羊皮紙を一枚手に取ってインク壺の蓋を開ける。
試しに何か書いてみようとしたが手が震えて文字にならなかった。
ペン先が紙に触れた瞬間にインクがにじんで黒い染みを作ってしまう。
かつてはあんなにも自由に言葉を紡ぐことができたのに、今は頭の中が真っ白だった。
クロードの真意が全く読めない。
顔も合わせない相手になぜこのような手の込んだ贈り物をするのか。
自分をからかっているのか、それとも富をひけらかしているだけなのか。
ルシアンはペンをゆっくりと箱の中に戻した。
カチャリという小さな音が、静寂に包まれた部屋に虚しく響く。
テーブルの上に両手をついて深くため息を吐き出した。
過去の思い出が美しければ美しいほど、今の惨めな状況が心を締め付ける。
このペンでクロード宛ての手紙を書くことなど絶対にできない。
宛先のない言葉は、かつてのようにどこかへ消えてしまうだけだ。
ルシアンは木箱の蓋を静かに閉じた。
窓の外では日が少しずつ傾き始めて、庭園の木々が長い影を伸ばしている。
美しい贈り物をもらっても心が満たされることはなかった。
むしろその意図のわからない不気味さが、ルシアンの孤独をより一層深めていく。
冷え切った指先を組んで、ルシアンはただ夕暮れが部屋を暗く染めていくのを待っていた。




