第3話「十年ぶりの瞳と冷たい声」
大理石の床が靴音を冷たく反響させている。
ルシアンは初老の執事に案内されて、高い天井を持つ広間へと足を踏み入れた。
壁には見事な風景画が飾られて、シャンデリアが眩い光を落としている。
磨き上げられた床には塵一つ落ちていない。
その華やかな空間の中で、ルシアンの擦り切れた衣服はひどく惨めに見えた。
「こちらでお待ちください」
執事は深く一礼すると、音もなく立ち去った。
ルシアンは広間の中央に取り残される。
自分の心臓の音が耳の奥でうるさく鳴っていた。
冷たい手に少しだけ汗がにじんでいる。
どれほどの時間が過ぎただろうか。
奥の重厚なマホガニーの扉が開く音がした。
足音が近づいてくる。
規則正しく迷いのない重い足音だ。
ルシアンはゆっくりと顔を上げた。
視線の先に長身の男が立っている。
軍服のような仕立ての黒い上着が、広い肩幅と引き締まった体躯を強調していた。
銀糸の刺繍が照明を受けて冷たく光っている。
冷たい灰色の瞳が、真っ直ぐにルシアンを射抜いた。
鋭い鼻筋と引き結ばれた薄い唇。
かつてのあどけない面影はすっかり影を潜めている。
そこには他者を寄せ付けない冷徹な権力者の顔があった。
クロード公爵だ。
ルシアンは息を呑んで思わず一歩後ずさった。
クロードの視線が、ルシアンの頭の先からつま先までをゆっくりと這う。
瞬き一つしないその暗い瞳の奥からは、感情の色が一切読み取れない。
まるで物品でも値踏みされているかのような重圧に、ルシアンは息を詰まらせた。
「……着いたか」
低く地を這うような声が広間に響いた。
歓迎の色は感じられない。
ただ事実を確認するだけの事務的な響きだった。
ルシアンは慌てて姿勢を正して深く頭を下げる。
「お招きいただき感謝いたします。ルシアンと申します」
震える声を必死に抑え込んで、なんとか言葉を紡ぎ出した。
クロードは何も答えない。
重苦しい沈黙が広間に落ちる。
ルシアンは顔を上げることができなかった。
見下ろされる圧迫感に呼吸すら忘れてしまいそうになる。
『やはり忘れられている』
ルシアンの胸の奥で残っていた希望の欠片が、音を立てて崩れ落ちた。
十年前の約束は、とうの昔に消え去っていたのだ。
自分はただの政略の駒であり、買い取られた所有物にすぎない。
握りしめた拳の爪が、手のひらに深く食い込んでいる。
「部屋は用意させてある。休むといい」
短い言葉だけを残して、クロードは背を向けて立ち去った。
軍靴の音が次第に遠ざかっていく。
その足音が消えるまで、ルシアンはその場から動くことができなかった。
広間に取り残された冷たい空気が、ルシアンの細い肩に重くのしかかっていた。




