番外編「灰色の王座とただ一つの光」
◇クロード視点
重厚なマホガニーの扉の向こうに彼がいる。
クロードは冷たい真鍮のドアノブに手をかけたまま静かに息を吐いた。
手袋越しの掌にじっとりと冷たい汗がにじんでいる。
広間に呼び出したルシアンの姿を見た瞬間、心臓が破裂するかと思った。
擦り切れた衣服をまとい、血の気のない顔で震えていた彼の細い肩。
今すぐにでも駆け寄ってその体を抱きしめたい衝動に駆られた。
だが十年もの間、血みどろの権力闘争を生き抜いてきた体は素直に動かなかった。
感情を殺すことだけが生き残るための唯一の術だったのだ。
わずかな隙を見せれば、親族の刃がルシアンにも向かう危険があった。
だから冷酷な公爵という鉄の仮面を被り続けるしかなかった。
ルシアンへ氷のような言葉を投げつけるたびに、自分自身の内側が鋭利な刃で削られていくようだった。
ルシアンが怯えたように視線を逸らすたびに、奥歯を噛み砕くほど食いしばった。
彼が公爵邸に来てからの数日間、クロードはまともに眠れていなかった。
夜の庭園で偶然彼を見つけたときも気の利いた言葉一つかけられなかった。
凍えそうな彼に外套をかけるのが精一杯で、逃げるように立ち去ってしまった。
自分は彼を救い出したかっただけなのに、結果的にひどく傷つけている。
執務机の上に置かれた木箱に視線を落とす。
そこには叔父の隠し金庫から見つけ出した手紙の束が収められている。
三年前にこれを見つけた日の光景が、クロードの脳裏に鮮明に蘇る。
助けを呼ぶルシアンの切実な言葉を見たとき全身の血が逆流するほど激昂した。
叔父の喉元に剣を突きつけてそのまま切り裂きたい衝動を必死に抑え込んだ。
当主としての実権を掌握しきるまで、彼を迎えに行くことはできなかった。
男爵家の多額の負債を密かに全て買い取り、外堀を埋めた。
彼を傷つける可能性のある者を一人残らず社交界から排除した。
ただルシアンを手に入れるためだけに権力という鎖を幾重にも編み上げたのだ。
夜会で下劣な言葉を吐いた男を消し去るのは容易いことだった。
ルシアンの細い手を引いて歩いたとき、その体温の脆さに胸が詰まった。
自分が与えた豪華な衣服や部屋が、彼を縛る鳥籠になっていることにも気づいていた。
だが他にどうやって彼を守ればいいのか、クロードにはわからなかったのだ。
ドアノブを回して、ゆっくりと書斎の中へ足を踏み入れる。
窓辺に立つルシアンがこちらを振り返り大きく目を見開いた。
彼の細い腕の中にはあの手紙の束が大切に抱きしめられている。
瞳からこぼれ落ちた大粒の涙が、古い羊皮紙に染みを作っていく。
その涙を見た瞬間、クロードの中で張り詰めていた糸が音を立てて切れた。
権力も体面も公爵としての威厳もすべてがどうでもよくなった。
ただ彼の涙を止めたいという強い衝動だけが体を突き動かす。
歩み寄り彼を抱き寄せたとき、十年分の飢えが満たされていくのを感じた。
もう絶対にこの手を離すことはない。
この灰色の世界で、彼だけが自分のただ一つの光なのだから。




