第13話「重なり合う体温と約束の夜明け」
額に落とされた静かな口づけの熱が、ルシアンの全身へとゆっくり広がっていく。
十年間ずっと凍りついていた心の奥底が、春の雪解けのように溶け出していた。
クロードの大きな手がルシアンの背中を力強く包み込んでいる。
軍服の冷たい生地越しに、彼の速い心音と高い体温が伝わってきた。
ルシアンはそっと腕を伸ばしてその広い背中に手を回す。
ためらいがちに指先が黒い上着の背に触れると、クロードの体がかすかに跳ねた。
恐る恐るルシアンの腰を抱いていた腕にさらに強い力が込められる。
息が止まるほどきつく抱きしめられて、ルシアンの視界が再び大きくにじんだ。
「……苦しくないか」
耳元で囁かれた低い声には隠しきれない焦りがにじんでいる。
ルシアンはクロードの胸元に顔を埋めたまま静かに首を横に振った。
「もっと。もっと強く抱きしめてください」
消え入りそうな声で懇願すると、クロードの喉の奥から短い呼気が漏れた。
彼はルシアンの細い体を、自身の体温ですっぽりと包み込むように抱き寄せる。
書斎の大きな窓から差し込む夕日が、二人の影を長く床に伸ばしていた。
静寂の中で、重なり合う互いの呼吸の音だけが部屋に満ちている。
ルシアンの鼻先に、かすかな煙草の香りと古い紙の匂いが漂ってきた。
それが今のクロードを形作る大人の匂いなのだと深く肺に吸い込む。
十年という歳月は、二人を全く別の人間のように変えてしまった。
無邪気に野原を駆け回っていた少年たちはもうどこにもいない。
しかしこうして互いの体温を確かめ合えば、根本の何も変わっていないとわかる。
「……すまない」
クロードの硬い唇が、ルシアンの耳介に触れるように近づく。
「俺は言葉を知らない。どうやってお前を安心させればいいのかわからないんだ」
その不器用すぎる吐露に、ルシアンは目尻を柔らかく下げて小さく笑い声をこぼした。
あれほど冷酷で完璧に見えた権力者の本質は、ひどく臆病で誠実なのだ。
「十分です。あなたが私の手紙を大切にしてくれていたことだけで」
ルシアンは体を少しだけ離してクロードの灰色の瞳を真っ直ぐに見つめた。
いつも鋭く周囲を威圧していた瞳が今は濡れたように揺らいでいる。
「もう手紙は書きません。言葉ならこうして直接伝えられますから」
ルシアンが冷え切った指先でクロードの頬にそっと触れる。
剣だこで荒れたクロードの大きな手が、その手を覆い込むように握りしめた。
指と指が絡み合い、互いの熱が皮膚の境界を越えて溶け合っていく。
「ああ。もう二度とお前を一人にはしない」
クロードは誓いのように低く告げて、ルシアンの手の甲に唇を落とした。
その真摯な仕草に、ルシアンの胸の奥で甘い痺れが広がっていく。
没落の身代わりとして買われたという絶望はすっかり霧散していた。
ここは冷たい鳥籠ではなく、クロードが築き上げた最も安全な砦なのだ。
ルシアンは繋がれた手に力を込めて、彼に向かって深く柔らかな笑みを向けた。
夕暮れが夜の帳へと変わり、書斎に深い青の影が落ち始める。
二人はただ静かに身を寄せ合い、長い空白を埋めるように体温を分かち合っていた。




