エピローグ「鳥籠を開け放つ春の風」
柔らかな朝の光が、レースのカーテンを透かして部屋に降り注いでいる。
ルシアンはかすかな鳥のさえずりで静かに目を覚ました。
肌に触れる滑らかな絹のシーツは、もう冷たい鎖のようには感じられない。
背中にはぴったりと張り付くような力強い体温があった。
クロードの太い腕がルシアンの腰をしっかりと抱き寄せている。
静かな寝息がルシアンの首筋をくすぐって心地よい安堵をもたらした。
ルシアンは身をよじって彼の腕の中でゆっくりと振り返る。
無防備な寝顔は、夜会で見せる冷酷な権力者のものとは別人のようだ。
わずかに開いた口元や閉ざされた長い睫毛がひどく幼く見える。
ルシアンは指先を伸ばしてその銀色の髪にそっと触れた。
クロードの眉間がかすかに動き、ゆっくりと灰色の瞳が開かれる。
寝起きのぼんやりとした視線がルシアンを捉えると甘く細められた。
「……おはよう」
かすれた低い声が朝の静寂に溶けていく。
「おはようございます。クロード」
ルシアンが微笑んで答えると、大きな手が伸びてきて頬を優しく撫でた。
不器用な手つきには彼なりの最大限の慈しみが込められている。
すれ違っていた時間を取り戻すように、二人は互いの存在を確かめ合った。
朝食はルシアンの自室ではなく、太陽の光が差し込む明るいテラスに用意された。
執事やメイドたちの態度も、以前のような事務的な冷たさは消え失せている。
彼らもまた当主の不器用な愛情の行く末を密かに見守っていたのだろう。
テーブルには湯気を立てる温かいスープと焼きたてのパンが並んでいる。
クロードは言葉少なにルシアンの皿に果物を切り分けて乗せた。
その動作は自然で、長い間共に暮らしてきた家族のような温かさがある。
食後、二人は手入れの行き届いた庭園へと散歩に出た。
冬の冷たい風は少しずつ和らぎ、木々の枝には小さな蕾が膨らみ始めている。
ルシアンはクロードと並んでゆっくりと石畳の道を歩いた。
かつては広すぎて恐ろしかったこの庭も、今は美しい散歩道でしかない。
厚手の手袋越しにしっかりと繋がれた手が決して離れることはない。
「この前いただいたガラスのペンで新しい本を書いてみようと思います」
ルシアンがぽつりと言うと、クロードの足がぴたりと止まった。
彼は少し驚いたように目を丸くして、それからかすかに唇の端を上げる。
「ああ。必要なものがあれば何でも取り寄せよう」
その柔らかな表情を見て、ルシアンの胸の奥に温かいものが込み上げてくる。
凍える寒さの中で始まった公爵邸での日々はもう遠い過去のことだ。
閉ざされていた鳥籠の扉は開け放たれ、温かな春の風が吹き込んでいる。
ルシアンは繋いだ手を軽く引いて、クロードに向かって悪戯っぽく笑いかけた。
「あなたが一番の読者になってくれますか」
クロードは静かに頷き、ルシアンの手の甲にそっと口づけを落とす。
澄み切った青空の下で、二人の穏やかで幸福な日常が静かに始まろうとしていた。




