第九話『お披露目パーティ』
「――シャルロッテ様、16歳のお誕生日、心よりお祝い申し上げます! 本日のドレスも、まるで妖精のように愛らしいですわ!」
「ありがとうございます、エレン令嬢。そう言っていただき光栄です」
純白の天幕の下、色とりどりのドレスや豪奢な礼服がひしめき合う、ヴァルハイト家の特設会場。シャルロッテはいつもの見事な金髪縦ロールを揺らし、扇子を優雅に翻しながら、次々と訪れる来賓たちの挨拶に応じていた。
ヴァルハイト家を支持する友好的な貴族たちは、城壁の外での宴という風変わりな試みに目を丸くしつつも、温かい言葉をかけてくれる。
「それにしても、この足元の絨毯の見事なこと!
なんという風流で贅沢な趣向だ」
「ええ。我がヴァルハイト家が総力を挙げて用意した特設庭園ですもの。皆様、どうぞごゆっくりお寛ぎになってね」
ふふっ、とシャルロッテが完璧な淑女の微笑みを浮かべた、その時だった。
「おやおや、お見事な大見栄ですな、ヴァルハイト家のお嬢様」
ねっとりとした、悪意に満ちた声が鼓膜を刺した。人混みを割って現れたのは、敵対派閥の筆頭であるギルフォード侯爵と、その取り巻きの貴族たちだった。彼らは手にしたワイングラスを軽く揺らしながら、値踏みするような下卑た視線をシャルロッテへと向ける。
「わざわざ騎士団を総動員してこんな街外れを囲い、天幕で必死に目隠しをされるとは……。ふむ、風の噂で、王都から手配していた最高級食材の商隊が野盗に襲撃されたと聞きましたが……まさか、本当だったのですかな?」
クスクス、と侯爵の背後で敵対貴族たちが扇子の陰で冷笑を漏らす。会場の空気が一瞬で張り詰めた。シャルロッテを心配そうに見つめる支持派の貴族たち。
普段のシャルロッテなら、図星を突かれて悔しさに唇を噛み締め、涙を浮かべていたかもしれない。
――だが、今の彼女の胸には、数分前にバックヤードの裏でかけられた、あの男の無骨で乱暴な言葉が、熱い灯火のように居座っていた。
……本当に、デリカシーのない男ですわ。
シャルロッテは心の中で小さく毒づき、すっと扇子を閉じると、最高に不敵で、傲慢で、美しい笑みを浮かべた。
「あら、ギルフォード侯爵。お耳が早いことですのね。ええ、食材の商隊が野盗に襲われたというのは、紛れもない事実ですわ」
「なっ……!?」
あっさりとトラブルを認めたシャルロッテに、侯爵が逆に面食らって眉をひねる。シャルロッテは一歩も引かず、むしろ楽しげに言葉を続けた。
「ですが、ご心配には及びませんわ。我がヴァルハイト家を侮らないことですこと。王都の最高級食材? そのような大衆食材、本日お集まりの皆様の舌には相応しくありませんわ。本日は、社交界の歴史を塗り替える、至高の料理をご用意いたしましたの。せいぜい、ご自身の狭い常識がひっくり返る瞬間を、楽しみに待つことですわね」
「貴様、何を強がりを……っ!」
侯爵が顔を真っ赤にして言い返そうとした瞬間、チリンチリン、と美しく澄んだベルの音が会場に鳴り響いた。
「皆様、大変長らくお待たせいたしました。これより、最初の一皿をお配りいたします」
一分の隙もない見事な所作のメイドたちが、一斉に天幕の間から姿を現す。彼女たちの手にある銀のトレイには、最初の一皿――アントニオが仕上げた前菜が乗せられていた。
「ふん、平民の安物市場でかき集めた料理など、一口で吐き捨ててくれるわ!」
そこへ、メイドたちが静かに最初の一皿を置いていく。総料理長アントニオが仕上げた前菜――『スモークサーモン 〜ハーブドレスソース仕立て〜』。
「ほう……」
ギルフォード侯爵は、手元の皿を見て思わず小さく声を漏らした。純白の磁器の上に美しく並べられたサーモンは、驚くほど艶やかで、まるで磨き上げられた琥珀のように輝いている。
「ふん。見た目だけは取り繕ったようだが、どうせ王都の最高級食材を失い、この街の市場でかき集めた安物の魚だろう。どれ……」
侯爵は品定めするようにサーモンを口へと運んだ。敵対派閥の貴族たちが、嘲笑の笑みを浮かべながら侯爵のリアクションを待つ。
――だが。侯爵がそれを咀嚼した瞬間、その贅沢に肥えた顔が、彫刻のようにピキリと凝固した。
「っ……!?」
「侯爵閣下……?」
取り巻きの貴族が恐る恐る声をかけるが、侯爵は応えない。いや、応えられなかった。
口いっぱいに広がったのは、一切の生臭みを排した、濃厚で上品な魚の脂の旨味。そして、鼻腔を心地よく突き抜ける気品溢れる燻製の香り。そこにアントニオの神技による地元の新鮮なハーブソースが絡み合い、完璧な調和を奏でている。川魚や保存肉特有の臭みや雑味が一切存在しない。
「な、なんだこれは……っ! 雑味が、全くない……!? 脂の乗りも、塩加減も、燻製の燻し具合も、これほど澄み渡ったサーモンなど、王宮の晩餐会でも口にしたことはないぞ……!」
我を忘れてサーモンを次々と口に運ぶ侯爵の姿に、周囲の貴族たちも慌てて自分の皿へとフォークを伸ばした。
「う、美味い……!これが市場の安物だと!? 魔法で獲れたてを運んでこなければ、こんな鮮度が保てるわけがない!」
天幕の下が驚愕と絶賛の嵐に包まれる。
だが、彼らを本当に震撼させたのは、その味の先にある異常だった。
250人分のテーブルに並んだスモークサーモンは、切り分けられた身の厚み、脂のサシの入り方、果てはソースの量と温度に至るまで、寸分の狂いもなく完全に均一だったのだ。
前菜の衝撃が冷めやらぬ会場に、再びメイドたちが一斉に現れる。次に配膳されたのは、湯気を立てる黄金色のスープ、籠に盛られた二種のパン――『濃厚コーンポタージュスープ』、そして『ふわふわロールパン』と『サクサクミニクロワッサン』だった。
給仕された瞬間、天幕の中に暴力的なまでに芳醇なバターの香りが満ち満ちる。
「……裏ごしを、何万回繰り返せばこうなるのだ……っ!?」
スープを口に含んだ貴族が、その滑らかさに喉を震わせた。ざらつきが一切存在しない。シルクの布を滑り落ちるかのような極上の舌触りと、コーンの圧倒的な甘みがダイレクトに脳を揺さぶる。
だが、彼らの理性を完全に粉砕したのは、横に添えられたパンだった。
「な、何だこの柔らかさは……!? 雲を掴んでいるかのようだぞ!」
一人の貴族がロールパンを指先でつまみ上げ、驚愕に声を裏返した。触れただけで指が沈み込むほどフワフワだ。ちぎった瞬間に溢れ出す純白の湯気は、濃厚なミルクの香りを孕んでいる。
さらに、三日月の形をしたクロワッサンを口にしたギルフォード侯爵は、その小気味いい、サクッという音と共に、完全に硬直した。
外側は薄氷のようにサクッと崩れ、内側は融解するようにフワッと溶ける。幾重にも重なった美しい生地の層から、芳醇なバターの香りが決壊したように溢れ出してくる。
そして、すべてのパンが、まったく同じ形、同じ焼き色、同じフワフワ度で並んでいる。一秒の焼きムラすら許さない、完璧な均一性。
「人間の仕業ではない……! ヴァルハイト公爵家は、神の厨房でも手に入れたというのか!」
畏怖に怯え、ガタガタと震えながら料理を貪る貴族たち。その静まり返った会場を、シャルロッテは凛とした足取りで歩み、ギルフォード侯爵の前でピタリと足を止めた。
「お口に合いましたかしら、ギルフォード侯爵?」
シャルロッテは最高に気高く、不敵な笑みを浮かべ、動揺する侯爵を見下ろした。
「まだ前菜とスープですのよ? 我がヴァルハイト家が用意した至高の料理、存分にその舌に刻み込みなさいな」
―――
表舞台で魚料理や口直しの冷菓が配膳され、大貴族たちがその未踏の美味にどよめいている頃。
「店長、そろそろ教えてくれ、何がどうなってるんだ?」
潜入取材を敢行している新聞記者ロイは、激しい目眩を覚えていた。
250人分の宴である。さぞかし大型の獣肉や、熟練の職人たちが大汗を流して大鍋を振るう光景が広がっているはず――そう確信して足を踏み入れた裏方は、静かで、冷徹で、そして致命的に奇妙だった。
ロイは、棚に並んだ白い箱の前で黙々と作業をこなす店長に詰め寄った。
「あんた、ファミリーイレブンのシステム上、一度に発注できる上限は99個だって言ってたよな? 250人分をどうやって賄ったんだ?」
店長は視線すら動かさず、手元のハサミで『冷凍ミニハンバーグ』の袋を淀みない動作で切り裂いた。
「ロイ、落ち着け。上限は99個だ。だが、それが1個単位とは限らない」
「……つまり?」
「このハンバーグは1袋に6個入りだ。つまり、上限いっぱいの99袋を発注すれば、594個。250人分なんて余裕で賄えるってことだ」
ロイが顎が外れそうなほど口を開いた瞬間、店長が顎で厨房の壁際を指した。
「ロイ、遊んでる暇があったらお前も手伝え」
店長の視線の先、壁際には魔法の白い箱――電子レンジが99台、整然と並べられていた。壮観にして狂気の光景だ。
「俺がハンバーグを皿に盛り付ける。お前は横で、加熱のボタンを押してくれ。加熱時間、間違えるなよ」
「おいおい、俺は新聞記者だぞ、なんでレンジのボタンを――」
「行くぞ!」
ロイが有無を言い終わるまもなく、爆速のライン作業が始まった。店長がハンバーグをレンジに放り込み、ロイがボタンを押す。
そのタイミングで、厨房の奥から熱気とともにナズナが銀のトレイを抱えて走ってきた。
「店長! 揚げたてアツアツの『からあげ殿下』、250人分用意できましたぁ!」
トレイの上で黄金色に輝くのは、スパイシーな香りを漂わせる『からあげ殿下』。ファミリーイレブンの看板商品だ。
その完璧な揚げ上がりの山を見て、これまで無言でソースの調律をしていた総料理長アントニオが、爛々とした目を輝かせて包丁を抜いた。
「よし、仕上げだ。ハンバーグはそのまま中央へ。その周りに、半分に切った『からあげ殿下』を添える」
アントニオの手によって、純白の磁器皿の上に、一切のブレがない完璧な盛り付けがなされていく。
皿の中央に鎮座するミニハンバーグ。その周囲を彩るように配置された『からあげ殿下』。仕上げにアントニオが、艶やかなデミグラスソースを丁寧に回しかけた。
「ハンバーグと『からあげ殿下』をこうして配置すれば、『二種の肉のメダリオン・デュエット仕立て』の完成だ。ソースの香りが、すべてを高級料理へと昇華させるのだ」
アントニオが完璧な一皿を掲げると、厨房全体に爆発的な肉の香りが立ち込めた。
「よし、配膳だ。……貴族どもがどうなろうと知ったことじゃないが、主役が笑顔になれない誕生日パーティなんて、クソくらえだ」
――現代のインフラと異世界の職人技。シャルロッテの笑顔を守るためだけに用意された歪で完璧な一皿が、いよいよ表舞台へと運び込まれていく。




