第八話『イベント開始』
「――ナズナどの! 我が心の聖域! 街道に咲く一輪のひまわりよ! 今朝も一段と笑顔が眩しいですぞ!」
けたたましい鎧の擦れ合う音と共にファミリーイレブンの敷地へ突撃してきたのは、白銀騎士団の団長アルベルトだった。相変わらず、ナズナを見た瞬間に端正な顔立ちを限界まで歪めて狂喜乱舞している。
そこへ、レジカウンターの奥から死んだ魚の目をした店長がタブレットを持ったままぬっと声をかけた。
「おい、変態団長。ちょうどいいところに目を血走らせてやってきたな。仕事だ」
「なっ……! 誰が変態団長だ、失礼な! 私は白銀騎士団の――」
「ヴァルハイト家のお披露目パーティ当日、会場周辺の警備と、街道に出る魔物の討伐。これ、うちからの正式な依頼な」
店長の容赦のない丸投げに、アルベルトは端正な眉をこれ以上ないほど跳ね上げた。
「断る! 我ら白銀騎士団はリンデンの盾! 現在は任務がびっしり埋まっているのだ! 私的な依頼を受ける余裕など一秒たりとも――」
「アルベルトさん……そこをなんとか、お願いできませんか……っ」
アルベルトの熱弁を遮るように、ナズナがキュッと両手を胸の前で合わせて上目遣いで見上げた。その瞳には、困っているシャルロッテを救いたいという真っ直ぐな光が宿っている。
「……っ!? お、お願い、だと……!?」
アルベルトの脳内に、未曾有の衝撃波が駆け巡った。
「な、ナズナどのが私を頼ってくださるなど……! い、いやしかし、騎士団の公務が……くっ、だがナズナどのがそんな潤んだ瞳で……!」
ガタガタと甲冑を震わせ、苦悩の末に天を仰いだアルベルトは、突如ガシン! と大音量を響かせて胸当てを叩いた。
「――よし分かった!! 今から不眠不休で溜まった仕事を明日中にすべて終わらせる!!」
「えええええっ!? 明日中にですか!?」
背後に控える副官のハンスが驚愕の声を上げる。
「ナズナどのが守ってほしいと仰るのなら、そこは命に代えても死守すべき絶対聖域! 魔物の一匹どころか羽虫一匹すら近づけさせぬと誓おう! まずは戻って、溜まった書類を音速で片付けるぞ!」
胸に手を当てて深く一礼したハンスと共に、白銀騎士団は嵐のように去っていった。
「わぁ……っ! ありがとうございます、アルベルトさん!」
そんな、朝っぱらから限界突破している白銀騎士団の喧騒を、店内のイートインスペースから、ひどく冷めた目で見つめている男がいた。
常連のいかつい男、アントニオである。
彼は店の隅の丸椅子に腰掛け、白く細い指先で、いつも彼が好むマイルドなものとは違う、鼻腔を突き抜けるほど辛口で刺激の強い『ヒールハーブ・エキストラホット』を、そっとパチンと弾いた。
漂う容赦のない激辛の香りを深々と吸い込み、アントニオは「――チッ、煙てぇな」と、吐き捨てるように重いため息を漏らす。あちこちに小さな傷や焼き焦げの痕が刻まれた無骨な両手で、がっくりと頭を抱えていた。
「おい、アントニオ。朝からうちの特等席で随分と不味そうに薬草をふかしてるじゃねぇか。あんた、そんなに暇なのか?」
「……店長か」
アントニオは力なく顔を上げ、自嘲気味な笑みを漏らした。
「ああ、暇さ。これ以上ないほどにな。仕事で最悪の手詰まりが起きてるってのに、自分の力じゃ何一つ解決できないんだからな。座り込んで管を巻くしかないのさ」
「手詰まり、ねぇ」
店長は腕を組み、窓の外の街道に視線を向けた。
「数日前、貴族へ食材を運んでた大規模な商隊が、野盗の襲撃に遭って荷馬車ごと全部奪われたらしい。……あんた、その話、知ってるか?」
「……知らないね。しがない客に、貴族様の流通事情など関係のない話だろう」
「関係ない、ね。……じゃあ、なんであんたの手は、そんなに震えてるんだ? ヴァルハイト家が誇る、総料理長……『七ツ星』のアントニオ」
ピタリ、とアントニオの手が止まった。
彼は声を荒らげることもなく、ただ鋭い眼光をゆっくりと店長へ向け、低く、静かな声で言った。
「……なんでわかった?」
「バレバレなんだよ。……まず、その手だ」
店長は淡々とした口調のまま、アントニオの無骨な両手を指差した。
「周りの連中は、そのあちこちに刻まれた傷を見て『凄腕の冒険者』だと勘違いしてたが、手の甲の無数の小さな傷……それは魔物の爪痕じゃねぇ、高温の油が跳ねた痕だ。毎日毎日、限界の火加減と戦ってきた料理人の勲章だろ」
「……それだけで分かるわけがないだろう、店長」
「それだけじゃない、あんたがうちの冷凍炒飯を食った時。あんたは米粒一粒ずつの油のコーティングや、小ネギの歯ごたえを分析し始めた。うまいもの食った人間の、普通の反応じゃねえんだよ。自身の技術に絶対のプライドを持つ超一流の職人が、未知の技術に完敗した時のリアクションだ」
「……」
「おまけに、あんたが前に家を追い出された理由……妻の作ったスープの火加減に口出ししたって言ってたろ。あれ、厨房で何十人もの従業員を相手に指示を出す時のクセが、そのまま無意識に私生活で出ちまったんだ。……つまり、料理に異常に詳しくて、手の甲には油跳ねの痕、部下に指示を出すクセで夫婦喧嘩。おまけにロイが置いてった新聞に顔写真付きで載ってた『七ツ星』の総料理長アントニオの記事。これだけの材料が揃って、気づかない方がどうかしてるぜ」
アントニオはしばし沈黙し「……フッ」と肩をすくめた。その表情からは料理界の頂点に立つ男としての、圧倒的な威厳と風格が滲み出ていた。
「とんだ名探偵だな、店長。……そうだ、私がヴァルハイト家の総料理長だ」
「で? 食材を奪われたなら、この街の市場からかき集めれば済む話だろ」
「話にならないよ」
アントニオは自嘲気味に首を振った。
「社交界の鉄則は不均一の絶対排斥だ。街の市場でバラバラに買い集めた、大きさも糖度も育った畑も違う安物の食材で、どうやって250人の気難しい貴族どもに『寸分狂わぬ同じ味、同じ品質の皿』を行き渡らせろと? 隣の人の料理より小さい、色が悪い……そんな不均一が発生した時点で、敵対派閥の格好の餌食になり、ヴァルハイト家の名誉は地に落ちる。王都直送の最高級食材を失った今、ヴァルハイト家は……お嬢様は、これで完全に詰んだんだよ……!」
職人としての限界を認め、静かに悔しさを滲ませるアントニオ。
だが、店長はそんな料理長を見据え、前世の過酷なノルマ地獄を生き抜いた男としての、不敵で、悪魔的な微笑みを浮かべた。
「おい、料理長。こっちの常識で詰んでるからって、諦めるのはまだ早いぜ」
「……あ?」
店長の不敵な言葉に、アントニオが怪訝そうに眉をひそめる。
店長はレジカウンターの横にある、従業員以外は立ち入り禁止の扉へと手をかけた。
「ついてきな。うちの店の心臓部を見せてやるよ」
カチャリ、と静かな音が響き、扉が開かれる。
促されるままにアントニオがその一歩を踏み出した瞬間、料理長の鋭い両目が、かつてない驚愕に大きく見開かれた。
「な……ッ、これは、一体……!?」
一歩足を踏み入れただけで肌を刺す、異様なまでの鋭い冷気。部屋の奥に鎮座する巨大な棚には見たこともないほど大量の、謎の袋や箱が整然と保管されている。
そして何よりアントニオを圧倒したのは、壁一面を隙間なく埋め尽くすように並んだ、無数の白い箱の群れだった。
「えへん! 店長さんに頼まれて、私が寝ずにぜーんぶピカピカに整理整頓したんですよ!」
横からひょっこりと顔を出したナズナが、少し眠そうな目をこすりながらも、誇らしげにきゅっと胸を張った。シャルロッテの力になりたい一心で、この異質な空間を完璧に磨き上げたのだろう。
厨房というにはあまりに無機質な空間。アントニオがその圧倒的な光景に言葉を失っていると、店の自動ドアが開く音がバックヤードまで響いてきた。
「よぉ店長! 頼まれてたお披露目パーティの来賓リストと派閥の裏情報、きっちり集めてきたぜ!」
店への入り口から、何枚もの紙束を抱えたロイが賑やかに入ってきた。彼はバックヤードにヴァルハイト家の総料理長が立っているのを見ても驚きもせず、ただニヤリと不敵に笑った。
「やっぱり連れてきたか、店長。お前が『七ツ星』を引き入れるつもりだって言った時は正気を疑ったが……なるほど、そっちの準備は万端ってわけだな」
「ああ、お前が持ってきた情報のおかげで、最後のピースが揃った」
店長はロイから紙束を受け取り、パラパラとめくる。
「店長。一体何を企んでいる? どうして一介の商人がそこまで――」
「貴族の派閥争いだの、ヴァルハイト家の権威がどうだの、そんな難しいことは俺の知ったこっちゃねえんだよ。……ただな」
店長はそこで一度言葉を切り、いつもの死んだ魚の目を、ほんの少しだけ和らげた。
「せっかくの16歳の誕生日だろ。あのお嬢様の人生に一度きりの特別な日を、政治の道具にされて、悔し涙で終わらせるのだけは気に食わねえ。……楽しい思い出のまま、笑顔で終わらせてやりたい。俺の動機はそれだけだ」
「店長さん……」
ナズナが胸を打たれたように両手を合わせる。アントニオは、店長の本音に、呆気にとられたように目を見張った。
「どれだけうちの店が完璧に均一のベースを用意できたとしても、それだけじゃただの美味い既製品だ。大貴族の気難しい舌を黙らせるには、最後の仕上げに、あんたの技術が必要不可欠なんだよ」
店長は死んだ魚の目に、前世の過酷なノルマ地獄を生き抜いてきた男としての、頼もしい光を宿した。
「来賓の情報はロイが集めてきた。料理のベースはうちの店が用意する。そして最後の決定打――」
店長は不敵に微笑み、料理長の胸元をビシッと指差した。
……俺は必ずこのパーティを成功させる。
「――ソースはお前だ、アントニオ」
「…………ッ」
アントニオは息を呑んだ。
この作戦の命運を背負わされた男は、しばしの沈黙の後、低く、深く笑い始めた。
「クソッタレが……。とんだ悪魔の厨房だな、店長。……いいだろう、私のすべてをあんたに預ける。『七ツ星』の名誉に懸けて、最高の料理を提供してみせようじゃないか」
料理長の手の震えはいつの間にか止まっていた。その目には、料理長としての誇りの炎が、ギラギラと燃え上がっていた。
―――
お披露目パーティ当日。
会場となったのは、他でもない、ファミリーイレブンの駐車場だった。
『投資メニュー』によってオープンカフェへと生まれ変わっていた駐車場は、本日、さらなる変貌を遂げていた。
ヴァルハイト家の手配により、純白のシルクに金糸の刺繍が施された巨大な天幕が幾重にも張られ、地面にはふかふかの真紅の絨毯が敷き詰められている。きらびやかな衣装をまとった大勢の貴族たちがグラスを片手にひしめき合う光景は、もはや街外れのコンビニの駐車場とは思えないほど絢爛豪華な社交場そのものだった。
コンビニ店舗のすぐ隣には、この日のために突貫で建てられた臨時の厨房が設置されていた。
アントニオ率いる料理人たちや、一分の隙もない動作のメイドたちが、凄まじい緊張感の中で忙しなく動き回っている。
そして会場の周辺を固めるのは、アルベルト率いる白銀騎士団の精鋭たちだ。
団長の宣言通り、彼らが放つ圧倒的な威圧感の前に、近隣の魔物の気配など微塵も感じられないほど、完璧な治安が維持されていた。
だが、集まった貴族たちの口から漏れるのは、やはりねっとりとした品定めと悪意の噂話だった。
「聞いたか? 王都からの最高級食材が野盗に奪われたというのは、どうやら事実らしいぞ」
「いくら騎士団を並べ、天幕を豪華に飾ろうとも、社交界の格を決めるのは料理だ。ヴァルハイト家もこれまでだな」
「ふん、大衆料理なんか出してみなさい、騒ぎ立ててやるわ」
敵対派閥の貴族たちが、扇子の陰でクスクスと醜い嘲笑を交わし合う。
会場の隅の天幕の裏では、シャルロッテが緊張と恐怖、そして悔しさから、ドレスの裾を白くなるほど強く握りしめていた。その大きな瞳には、今にもこぼれ落ちそうな涙が溜まっている。
「おい、金髪縦ロール」
そこへ、場違いなほどいつも通りやる気のない、低い声が降ってきた。
シャルロッテがハッと顔を上げると、いつもの制服姿にエプロンを締めた店長が、死んだ魚の目のまま缶コーヒーを片手に立っていた。
「て、店長……? どうしてここに……」
「どうしてって、うちの敷地だからな。それより、なんだそのお化けにでも遭ったような情けないツラは」
「な、なんですって……っ! これはお披露目パーティという、私にとって人生で最も重要な――」
「余計なもん背負い込んで、勝手に泣きそうな顔してんじゃねぇよ。お前はただの、ちょっと顔がいいだけの16歳のガキなんだからな。いつもみたいに、傲慢で高圧的でわがままで他人の都合も考えずに踏ん反り返ってりゃいいんだよ」
店長はそう言って、シャルロッテの頭をポンと無造作に叩いた。
「……っ、ちょっと店長!? 途中からただの悪口になっていませんこと!?」
シャルロッテは頬をぷくっと膨らませて怒ってみせた――が、その瞬間に、胸を押し潰していたドス黒い緊張が、綺麗に消え去っていることに気づいた。すとん、と肩の力が抜けて、いつもの彼女らしい気高さが戻ってくる。
店長はそれを見てフッと口元を歪めると、踵を返してバックヤードへと歩き出した。
「文句は終わってから聞いてやるよ。……さあ、イベント開始だ」
……ふん、あとで覚えてなさい。
――遠ざかる店長の背中に小さく呟き、シャルロッテはいつもの気高き美貌で、華やかな戦場へと歩み出した。




