第六話『ビジネスパートナー』
「数日後のお披露目パーティは、我がヴァルハイト家が、今後も中央の政治で発言権を維持できるかを品定めされる、冷徹な外交の場……いいえ、戦場なのですわ」
その品定めの内容は、恐ろしいほど多岐にわたる。
主役であるシャルロッテ自身のドレスや装飾品の格、洗練された立ち居振る舞い、会場の調度品や音楽。彼女はこの日のために数ヶ月前から血のにじむような準備を重ね、それらの要素に関しては、今もなお万全の体制を維持していた。
「ですが……他がどれほど完璧であっても、たった一つの綻びで、すべての評価がひっくり返るのが社交界の恐ろしいところですの」
シャルロッテの言葉に、セバスチャンが苦渋に満ちた表情で補足する。
「パーティに出される料理は、来賓すべてに、まったく同じ料理を、まったく同じ品質で出さなければならないという絶対の鉄則があるのです」
席次によって料理の質に差をつけたり、配膳のタイミングで冷めたものを出したり、人によって味が違ったりする。そんな不均一さは来賓を平等にもてなすだけの統率力がないと露呈するに等しく、敵対派閥の格好の餌食になるのだ。
「料理長の技術は素晴らしいものです。どんな食材でも一級品の宮廷料理に仕上げる腕があります。……ですが、そもそも食材が届かなければ、料理の出しようがありませんわ」
シャルロッテはコーヒーのカップを、指先が白くなるほど強く握りしめた。
「我が家へ向けて食材を運んでいた大規模な商隊が、国境近くの深い森で、野盗の襲撃に遭いましたの。パーティのために確保していた食材は……荷馬車ごと、すべて奪い去られてしまいましたわ」
「えっ……野盗に、全部ですか……?」
「今から同じ質の食材を一堂に集め直すなど、この短期間では物理的に不可能です。すべてが完璧に整っていたからこそ……この、たった一つの、けれど致命的な綻びのせいで、我が家は完全に詰んでしまったのですわ」
「なるほどな……」
カウンターの奥で、店長がふぅとコーヒーの湯気を見つめながら、気だるげにつぶやいた。
前世の企業間の接待や大規模イベントでも同じだ。どれだけ企画や会場が素晴らしくても、ケータリングの配送ミス一つでイベント全体がクソと化すこともある。
「店長、なんとかなりませんか!?」
ナズナが涙目でレジカウンターの店長を見上げる。
「うちの美味しいものをいっぱい出せば、そのパーティって、助けられませんか……っ!?」
しかし、店長はいつもの死んだ魚の目のまま、小さく首を振った。
「無理だな。コンビニの発注には制限がある。同一商品の発注は99個までだ。第一、うちはただのコンビニだ。大貴族の政争に首を突っ込む義理もメリットもない」
「そんな……」
ナズナがうなだれ、シャルロッテは「良いのです、ナズナさん。困らせてしまいましたわね」と寂しげに微笑んで立ち上がろうとした。
――その時、店長の脳裏に、古い記憶が不意にフラッシュバックした。
―――
それは、転生してまだ数日の頃の記憶だ。
城壁の外で夜通し白光を放つ異形の店舗は、当時の住人たちから見れば、怪しい魔術の館以外の何物でもなかった。
冒険者の常連がつき始めた矢先、自動ドアを乱暴にこじ開けて踏み込んできたのは、地元の商会組合に雇われた武装集団だった。
ぎらつく剣先を突きつけられ、不法占拠だ、怪しい商品の没収だと、理不尽な恫跨を浴びせられた。俺に刃物は効かないが、この世界での足場もないまま商会組合と敵対すれば、二度と普通の商売などできなくなる。
……あの時は、マジで終わったと思った。インフラがいくら完璧でも、結局、人間一人じゃ何も守れねぇってな。
そんな一触即発の店内に、偶然通りかかった大貴族の馬車から、まだ縦ロールの巻きも初々しい、少し幼い少女が姿を現した。
彼女は、丸腰の相手に凄む武装集団を一瞥すると、その圧倒的な貴族としての格だけで彼らの気勢を完璧に削ぎ落とした。
彼らに向かって「この店の商品はすべてヴァルハイト家が買い受ける」と言い放ったのだ。
『創設の四名家』ヴァルハイト家が客になった。その事実だけで、群がっていたハイエナどもは二度と店に手を出せなくなった。
少女にとっては、憐れな平民を庇った、貴族としてのほんの気まぐれな善行だったのだろう。
だが、俺にとっては違った。あの時、彼女が店ごと自分の存在を肯定してくれなければ、ファミリーイレブンはとっくに潰れていた。
―――
……チッ。思い出しちまったじゃねぇか。あの時のお前、最高に傲慢で、最高に格好よかったぜ。
店長は深く、これ以上ないほどだるそうにため息をつくと、手元のタブレットの画面を指先でパチリと叩いた。目の前の、今にも泣き出しそうにうなだれている金髪の頭を見据える。
「……おい、金髪縦ロール。さっき、もう我が家には頼れる者が誰もいないって言ったな」
「え……? ええ、そうですけれど……」
顔を上げたシャルロッテは、突然かけられた低い声に瞬きをした。
店長は、いつもの死んだ魚の目のまま、けれどどこか挑戦的に口元を歪め、タブレットの画面を彼女へと向けた。
「誰もいないなら、俺を頼れ。ただし――ボランティアじゃねぇ。『ビジネス』として、お前が俺の『パートナー』になるって言うなら話は別だ」
青白く発光するタブレットの画面には、金色に輝く文字が浮かび上がっている。
「店長……『パートナー』って、まさか……」
その光景を横で見つめていたナズナが、驚きに目を見開いて声を漏らした。
「うちの店の名前、ファミリーイレブンって言うだろ。地元でも、大家族経営か? とか、サッカーチームみたいな名前だとか、色々言われたが……伊達にその看板背負っちゃいねぇよ」
店長はタブレットをトントンと指先で叩き、不敵に言い放った。
「うちのキャッチコピーはな、『欲しい時に、欲しいパス』だ。うちのファミリーになった奴が、アウェイの戦場でパスを要求してんだ。寸分狂わぬ最高の品質で、ドンピシャのタイミングで届けてやるのが、コンビニの商売なんだよ」
「……店長さん……」
「どうする? うちに投資して、その戦場に殴り込みをかける気はあるか?」
シャルロッテは、青白く発光するタブレットと店長の顔を交互に見つめ、不審そうに眉をひそめた。
「……一体何をするつもりですの? ……何か、考えでもありますの?」
すがるような、けれど疑いの入り混じったシャルロッテの問い。
「いや。具体的な中身は今から考える」
「……は?」
シャルロッテは完全に呆気にとられ、美しい唇をぽかんと開けた。
あまりの物言いに、思考が完全に停止する。
狂っている。
この男の口から飛び出したのは、確固たる秘策でも何でもない。この土壇場で、これから考えるだなんて、ただの無責任な狂人の台詞以外の何物でもない。
「お、お嬢様、やはりいけません! このような場で我が家の命運を賭けるなど――!」
「ハッ、行き当たりばったりで上等だろ。何が起こるか分からねえ戦場だからこそ、その場で一番マシな選択肢を選び続けるんだよ。――どうする? お嬢様。俺をパートナーに選んで、その戦場に殴り込みをかける気はあるか?」
「お嬢様!」
背後でセバスチャンが鋭い一歩を踏み出し、店長を睨みつける。
だが、シャルロッテは白く震える手をすっと挙げて、忠義なる老執事を制した。
じっと、店長の目を見つめ返す。
……ああ、そうですわ。この男は、最初からこの世界の枠組みなど見てはいない。
ボランティアではなく、ビジネス。手を差し伸べられる弱者ではなく、共闘するパートナー。
この不器用な店長は、自分が床に這いつくばって涙を流すことなど求めていない。ヴァルハイト家としての、傲慢なまでのプライドを、そのまま持ってこいと突きつけているのだ。
不思議なほど、彼女の肩の震えがピタリと止まった。
……だったら、乗って差し上げようじゃありませんの。
シャルロッテはゆっくりと涙を拭うと、毅然と顔を上げた。
今にも泣き出しそうだったその瞳に、貴族としてのギラギラとした光を蘇らせる。
「……ふふっ。おかしなことを言いますのね、店長さん。我がヴァルハイト家の財力が、どれほどの重みか、あなた理解していまして?」
彼女は一歩、カウンターへと踏み込むと、店長が差し出すタブレットの画面を、その気高い指先で強く、強く押し込んだ。
「いいでしょう、その不遜な大口、わたくしが買い取って差し上げますわ! ファミリーイレブン……あなたたちが我が家のパートナーとして、その戦場に極上のパスを回せるのかどうか、このシャルロッテ・フォン・ヴァルハイトが、特等席で見定めて差し上げますわ!」
不敵に笑う少女を、店長はいつもの死んだ魚の目のまま、けれどどこか満足げに迎え撃った。
自分のポリシーを崩さず、なおかつ貴族としての彼女のプライドを絶対に傷つけない、商売人としての完璧な建前。
あの時の借りだ。――今度は俺が、利子つけてきっちり返させてもらうぜ、お嬢様。
店長の手元で、タブレットの画面が怪しく、しかし最高に頼もしく青白い光を放ち、絶望の淵から這い上がった令嬢の瞳を、強く、強く照らし返していた。




