第五話『光と闇』
「うーむ、自販機を外に並べるのは王道として……。いや、あえて証明写真機を置いて『一瞬で自分の姿が紙に写る魔導具』として冒険者に売るか? それとも今後のために電気自動車の充電スタンドを開放しておくか……? いや、そもそもこの世界に車はねぇな」
夜のファミリーイレブン。レジカウンターの奥で、店長は手元のタブレット端末の画面を睨みつけながら、ぶつぶつと独り言を呟いていた。
いつもなら死んだ魚の目をしている男が、今は心なしか、新しいゲームを手に入れた子供のように楽しげに口元を緩めている。
「なぁ店長、さっきから何をご機嫌にブツブツ言ってんだよ? 怪しい呪文の詠唱か?」
イートインスペースの丸椅子から身を乗り出し、興味津々で覗き込んできたのはロイだった。相変わらずノートと羽根ペンを握りしめている。
「呪文じゃねぇよ。店の売上が溜まってきたから、次は何の『店舗拡張』を開放しようか考えてたんだ」
「みゅ〜……店長、とっても楽しそうですね!」
レジの隣で、ナズナがハニーオレンジの髪を弾ませながら、太陽のような笑顔を店長に向けていた。
普段はだるそうに仕事をしている店長が、今はイキイキと画面を叩いている。そんな店長の姿を見ているだけで、ナズナはなんだか自分のことのように嬉しくなってしまうのだ。
「まぁな。やっぱり、コツコツ貯めた売上で店がレベルアップしていく瞬間ってのは、男のロマンなんだよ」
店長はそう言って、画面をロイとナズナの方へと向けた。そこには詳細なメニュー画面が広がっている。
「これは、この店の発注システムに備わっている『投資メニュー』だ。こうして画面に並んでる項目の中から、次に導入したい設備をタッチするだろ? そうすると売上金から自動でポイントが引かれて24時間後には、なぜか店の外に設備が勝手に完成してる仕組みになってる」
「ええっ!? 24時間で!? 大工のドワーフを100人集めたってそんなの無理だぜ!?」
「すごいです、店長! 建築の魔法みたいですね!」
ロイとナズナが、まるで未知の古代遺物を見るかのように目を輝かせる。だが、ロイが画面の隅にある、禍々しい真っ赤な数字に気づいて羽根ペンを止めた。
「……なぁ店長。この画面の右下にある項目は何だ? 『融資』って書いてあるけど……」
その言葉に、店長はそれまでの笑顔をピタリと消し、一気にいつもの死んだ魚の目に戻った。ごくり、と喉を鳴らしてタブレットを胸に抱え込む。
「……見なくていい。そこは闇属性の魔法だ」
「気になるじゃん! 教えろよ!」
「……簡単に言うと、手持ちの売上金が足りなくても、そこをタッチすれば『借金』をして無理やり設備を拡張できるんだよ。ただし、24時間後には設備が完成する代わりに、翌月から悪魔のような金利がついた返済が、売上から『本部』に自動引き落としされる……」
「『本部』……? 光の裏には恐ろしい影があるんだな。まさに冷徹な経営システムだ……」
ロイがビビりながらも、またしても猛烈な勢いでノートに「本部の罠・恐怖の自動引き落とし」と書き殴り始める。
「店長……しゃっきんは、だめです。あぶないです」
ナズナが心配そうに、店長の袖をきゅっと引っ張った。昔、借金で首が回らなくなって消えていった大人たちを貧民街でたくさん見てきたのだろう、彼女の目はガチだった。
「分かってるよナズナ。だから俺は、絶対に手持ちの売上金の範囲内でしか投資しないって決めてるんだ。……さて、地道に貯めた売上の範囲内で選ぶとすれば、外に置く『飲料自動販売機』か、店内の『マルチコピー機』、あとはバックヤードの『特大型・特殊発注枠』のエリア開放くらいか。あー、どれにするか迷うな……」
店長が慎重に指先でトントンとタブレットを叩きながら、贅沢な悩みに頭を抱えていた、その時だった。
『ピンポンパンポ〜ン』
深夜の静寂に響く電子音。自動ドアが開いて入ってきたのは、いつも通りの黒マント姿から見事な金髪縦ロールをはみ出させた、ヴァルハイト家の令嬢シャルロッテだった。後ろには、これまたいつも通り、影のように執事のセバスチャンが控えている。
だが、何かが決定的に違っていた。
「……いらっしゃいませ。あっ、シャルロッテ様、こんばんは!」
ナズナがいつも通り元気に声をかけたが、シャルロッテは力なく、どこか虚ろな微笑みを一瞬浮かべただけだった。いつものような凛とした覇気がなく、肩の線がすとんと落ちている。
そのただならぬ雰囲気に、ロイも羽根ペンを止めて静かに見守った。
「……7番の『シトラスハーブ・マイルド』を、一ついただけますかしら」
その注文に、店長はパチリと三白眼を動かした。
「……おい、金髪縦ロール。いつもの『いちごのショートケーキ』じゃなくていいのか?」
「ええ、今夜は……そういう気分ですの」
いつもなら甘いお菓子に目を輝かせる彼女が、大人の冒険者たちが張り詰めた心を落ち着かせるために弾く、薬草を頼んだのだ。店長は何も言わず、指定のパックをカウンターに置いた。
「ありがとうございますわ」
シャルロッテはそれを受け取ると、イートインスペースの丸椅子へと静かに移動した。
無骨な指先で薬草を弾く冒険者たちとは違い、彼女は白く細い指先で、壊れ物を扱うようにそっと薬草をパチンと弾いた。
衝撃で弾けた瞬間、爽やかな柑橘の香りと、薬草の独特の渋みがイートインスペースに優しく広がる。シャルロッテはゆっくりと目を閉じ、その香りを深々と吸い込んだ。
張り詰めていた糸が少しだけ緩んだのか、彼女は「――はぁ」と、小さく、重いため息を漏らす。その後ろで、セバスチャンがいたたまれないような、ひどく痛々しいものを見る目で、じっと主の背中を見つめていた。
「……なぁ店長。あれ、ガチでヤバい奴だろ」
ロイが声を潜め、店長に耳打ちする。
「お披露目パーティを数日後に控えた主役のお嬢様が、夜中に執事一人だけ連れて、コンビニの隅で薬草吸って管巻いてるんだぞ。何があったか知らねえが、話聞いてやれよ」
「断る。うちはただのコンビニだ。カウンセラーの資格なんて持ってねぇよ」
店長はダスターでカウンターを拭きながら冷淡に返したが、その袖を、今度はきゅっと強い力で引っ張られた。
「店長……」
見れば、ナズナが今にも泣き出しそうな、ひどく胸を痛めた表情で店長を見上げていた。
「シャルロッテ様、あんなに悲しそうな顔、一度もしたことありません……。私、あの方が嬉しそうにケーキを食べてくれるのが、いっつも本当に嬉しかったんです。……お願いです、店長。お話、聞いてあげてください……っ」
普段なら店長の決定に素直に従うナズナが、真っ直ぐな善意の目で必死に訴えかけてくる。
「……チッ」
店長は深く、これ以上ないほどだるそうにため息をついた。
ダスターをレジ裏に放り投げると、頭の後ろでガリガリと髪を掻きむしりながら、イートインスペースへと歩き出す。
「おい、ナズナ。レジを離れるからホットコーヒーでも淹れて持ってこい。甘々のやつな」
「はいっ! すぐ用意します!」
パッと顔を輝かせたナズナを背に、店長は丸椅子に座る金髪縦ロールの正面へと立った。漂うシトラスの香りが、どこか苦々しい。
シャルロッテは薄く目を開け、無言で立つ店長を、力なく見上げてきた。
「……お嬢様。うちの店は長時間のイートインの利用は禁止だ。特に、そんな今にも消えちまいそうな顔で居座られると、他のお客の迷惑になる」
ぶっきらぼうに、けれど逃げ道を作るような店長の一言に、シャルロッテは自嘲気味な笑みを小さく漏らした。
「……そうですわね。……少しだけ、誰の目もない場所に逃げてみたくて、立ち寄っただけですの……」
「逃げる、ねぇ。数日後にはあんたが主役の、ド派手なお披露目パーティが控えてるんだろ? 街一番の敏腕新聞記者が、ここで耳をダンボにして特ダネを待ってるぞ」
店長が親指でロイを指すと、シャルロッテは視線を落とし、細い指先で自身のマントを強く握りしめた。
「……そのパーティは、もう、開かれることはありませんわ。……いいえ、正確には開いても、ただ我が家が恥を晒して破滅するだけになってしまいましたの」
「――っ、それってどういうことだよ、シャルロッテ様!?」
こらえきれずにロイがノートを叩いて割り込んできた。その後ろから、ナズナが温かいコーヒーの入った紙コップをトレイに乗せて、緊張した面持ちで近寄ってくる。
「シャルロッテ様、お話を聞かせていただけませんか?」
シャルロッテは差し出されたコーヒーの温もりに指先を這わせ、ゆっくりと口元へ運んだ。一口、その温かい液体を喉に流し込む。
「……ふふ。本当に、甘いですわね」
そして彼女はカップを見つめたまま、ヴァルハイト家を襲った最悪の事件について、ぽつり、ぽつりと、静かに語り始めた――。




