45. 世理架の悪夢
同刻、所沢保養所。
埼玉県所沢市に位置するこの保養所は新南部重工が所有する保養所。この保養所の一室にて、新南部世理架の自宅になっている。
彼女は寝苦しそうに汗ばんだ様子で呻き声を上げ、寝相を変える。
やがて寝言が大きくなり、最終的に彼女は「あああああ!」という幼子の悲鳴に似た叫び声と共に目を開け起き上がる。体中から汗が噴き出ており、世理架はべっとりとした不快感に包まれた。
「はぁ……はぁ……はぁ……クソっ、最近は見なくなったのに」
悪夢から覚めた世理架は、冷蔵庫を開けて2Lの水のボトルを取り出す。棚からコップを取り出してテーブルに荒々しくバンと音を立てて置くと、水を注ぐ。
ベッドの傍に置いた鞄から紙袋を取り出し、紙袋の中の錠剤を手に取ると1錠出して口に含み。
「ゴクっ、ゴクっ……」
コップの水を一気に飲み込み、錠剤を腹へと流し込む。
「はぁっ……わたしはもう竜王じゃないし司教じゃない……わたしに助けを求めるな。やめろ……」
世理架は怯えていた。
あれほど漆紀や彩那の前で毅然として、年上として、人を育て導き物事を見据えているような彼女が幼子の様に震えていた。
「わたしは悪くない、わたくしはもう助けるのをやめた。救世の竜王なんかじゃない……っ」
彼女が怯えるのは過去。
決して変えられない、付いて回る呪いとも呼べる過去。
彼女は目を瞑り、丸く蹲り、震えた。
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1890年
わたくしは、10歳でした。
わたくしは生まれながらに恵まれた存在でした。教育を受け、食事も不自由なく摂れ、何よりも素晴らしいのは人々に崇められるという事でした。
わたくしは竜王と呼ばれる存在でした。
1900年
わたくしは20歳になったにも関わらず、見た目は10歳の頃と変わりませんでした。わたくしの体がなかなか成長しないのは10歳を境目にしてからです。おそらくこれはわたくしが竜王だからなのです。
わたくしに個人としての名はなく、わたくしの周りの人々はみな、わたくしを「竜王様」と呼びました。
人々に応えるべく、わたくしは未熟な少女ながら励みました。学問、魔法、行事。
この国の中枢、東京の地にてわたくしは竜王としての務めに励みました。
私は彼らの笑顔が、本当に好きでした。
これこそが人のあるべき姿であり、とても愛おしく思いました。守っていきたいと、そう心から思いました。
1905年
わたくしは25歳になりました。見た目は10歳より少し成長した11歳程度のものです。
わたくしは付き人達と共に慈善活動を進めました。竜理教の予算で恵まれぬ人々への炊き出しをしたり、病に苦しむものの金がなく医療を受けられぬ人々の痛みを魔法で楽にしてあげたり、わたくしに出来る限りを事をしました。
それが正しい行いであり、竜王という特殊な存在として人々に救済を与える行為だと信じて。
1915年
わたくしは35歳になりました。年齢と見た目が一致しないのなら数える意味など無いように思えますが、歳を数えるのはなんだか楽しみなのです。
身の周りだけでも様々な人々がいますが、特に親しいのは醍醐という高位の信者。彼の者はわたくしに付き従い、いつも良き案を出してくれる。
わたくしはもっと多くの人を助けたいと思いました。
醍醐にわたくしは「自分が司教も兼任し、もっと外部に出て人を助けたい」と提案しました。これは難しい提案とは言われましたが、無理だとまでは言いませんでした。
結果的に言うとわたくしの提案は通り、この東京以外の関東各地の人々へも助けに行けるようになりました。
1923年9月1日
忘れもしない、忘れられない。
この日から、わたくしの価値観に大きくヒビが入ったと言えます。
気が付けば、わたくしの住まう屋敷の周りでは火の手が上がりあちこちで火災が発生し燃えていました。人々に避難を促し、わたくしも竜王の力を行使して瓦礫の下敷きになった方や燃える家屋から逃げ遅れた方を救出しました。
けれどわたくしの身は一つだけ。
どうしても人手が足りず、私が燃え盛る家屋に入ると、既に焼け焦げたご遺体が見つかる事も多々ありました。
火と、血と、瓦礫と、悲しみの匂い。そればかりが街に漂いわたくしを苦しめました。
申し訳なくて心が痛い。わたくしはあれほどの大火に煽られても一切熱くない、竜王だから。この力を少しでも人々に分ける事が出来たら、あんな黒焦げのご遺体になることなどなかったのに。
わたくしは無力です。これほどの力を持っているのに無力です。
きっと苦しかったでしょう、生身を死ぬまで焼かれるだなんて。
きっと痛かったでしょう、瓦礫に潰されて息絶えるのは。
1924年
関東大震災後、年を越してもわたくしを非難する声が後を絶ちませんでした。
お前が助けないから家族がみな死んだ。ふざけるな、家を返せ。家財を返せ、似非仏教が、紛い物の邪教め。
わたくしが助けられなかったご遺族の方々が非難の声を別荘に来ては叫ぶのです。酷いときは別荘にゴミを投げ込まれたり、脅迫や非難の矢文が射られる事まであった。
特にわたくしの心を叩いたのは、醍醐が去ってしまったこと。彼の者が何を思ったのかは定かではないけれど、東京を去りどこかへ行ってしまった。醍醐は心の支えでもあったから、わたくしは深い悲しみと喪失感を覚えました。
とはいえ全ての人々が手の平を返してわたくしを恨んだわけではなかった。
わたくしを擁護し、今後も信じると言って下さる方々もいた。
わたくしは竜王。そう生まれた限り、救い続けなければならない。
非難をされようと、手を止めてはいけない。そのはずなのだ。
どれだけ傷ついてもわたくしは止まってはいけない。
救い続けなければわたくしは――――
1945年
轟音に目が覚めたらわたくしの身の周りは全て燃え盛っておりました。
東京が米軍の空襲を受けたのです。
辺り一面が火の海となり、周囲からは人の焼ける匂いや血の匂い、断末魔や救いを求める声、様々でした。それらすべてがわたくしの脳を揺さぶり、心を昏くする。
わたくしは酷く動揺し、関東大震災ですら生ぬるい程の火の海と悲惨な状況に動揺し息を荒らげました。
わたくしのすぐ近くから、いくつもいくつも救いを求める声が聞こえるのです。瓦礫を退け、火など臆さず助けても、皆息絶え絶えで酷い火傷。どうあっても助からない、助けられない。黒焦げた体が崩れ落ちていくばかり。
それなのに声だけが、声ばかりが四方八方から四面楚歌の如く聞こえてきた。
それは救いを求める声のはずが、まるで呪詛のような悍ましさで。憎しみすら籠っていたようで。
わたくしは走った。どれだけ走っても走っても、声が周囲から聞こえてくる。
『竜王様』
『救世の竜王様』
もう助からないであろう人達の声が、子供、大人、老人、年齢性別問わずあちこちから聞こえてくる。
黒焦げた手が、わたくしを求めてあちこちから伸びて来る。
助けられない。
無理なんですよっ……
あなたたちの怪我はもうどうやっても助けられないのに
『りゅうおう、さま』
『りゅ……お、さま』
それなのに声は止まらない。呪詛のような、地獄の亡者のような声が。
耳を塞いでも四方八方から、火炎の音すら凌駕してとめどなく鳴り響いてくる。
もはや本当の声か幻聴かもわからなくなり。
わたくしは――――――――
「ああああああぁぁあああぁぁあああぁぁぁぁぁああああああ!!」
1945年8月15日
救世の竜王などいなかった。
わたしはもう、誰も助けない。
いかに個人が人の理を超えた大いなる力を持っていようが、個人という限界が付き纏うのだ。
人類の膨大な物量作戦にかかれば、わたし個人の竜王としての力すら無力になるのだ。
どれだけ助けようと、人々は平然と手の平を返す。
どれだけ助けても人はいつか必ず死ぬ。
そしてなにより、どれだけわたしが人を救っても、わたしを救う人は誰もいないし現れない。
わたし自身がわたしを救うこともきっと出来ない。
わたしは竜理教を去った。
竜王の座も司教としての務めも、全て投げ捨てて。
わたしはもう誰も助けない。
きまぐれの親切はあっても、その人の人生を救うような真似はしない。
もう救うほど深くかかわるつもりもない。
助けるのはもう嫌だ。




