42. 宗一と陽夜見・その2
「妹さん出て来ましたね」
「ああ……まあ、まだ赤ん坊だけど……どうせまた父子手帳だろうしちょっと飛ばして読むか」
漆紀は手に持った日記を本棚に戻すと、何冊分か飛ばして日記を取り出し、また広げる。
「母さんの命日前後……多分この辺か」
_____________________________
夕方の頃。近所の高校生や中学生、それとランナーなどが行き交う多摩川。俺は家族を連れて近所の多摩川の河川敷に来ていた。温かい夕陽が肌に差して心にまで染み込むような気がした。
多摩川の流れは夕陽を反射し煌煌と輝き、心安らぐ流水の音を響かせていた。そんな情景に近隣の人々は心惹かれるのか、俺達以外にも子供や犬の散歩をする大人、様々な人が河川敷に来ていた。
「ここの景色も良いものだな」
俺は真紀を背負いながらも夕陽を見てそう感想を零す。漆紀と手を繋ぎながら歩く陽夜見は「ふぅ~ん」とどこか怪訝そうに首を傾げる。
陽夜見の肩にかかる長さのきめ細かい黒髪や令嬢らしい綺麗な顔立ちは初対面の頃と変わりない。変わった事と言えば、子供っぽさが抜けたことだろうか。
「きっと霞ケ浦の夕陽の方が湖と反射してもっと綺麗だったろうになー」
「お前もう無茶は言うなよ。あそこフロンティア地区で治安が最底辺なんだぞ」
「もうそんな無茶言わないって……まあでも、結婚してからは琵琶湖の夕陽を見に行けたし良いわよ、朝日も琵琶湖で綺麗なの見れてるしね」
「かーさん、かすみがうらって?」
聞きなれない言葉に漆紀は陽夜見に疑問を投げかける。
「霞ケ浦って言うのは、日本で2番目に大きい湖。わかるかなぁ?」
「みずうみなんだね、なるほどぉ。にほんで二番目に大きい……じゃあびわこのつぎ?」
「そう、琵琶湖の次」
情報に納得したのか漆紀は「うんうん」と頷きながら自分の中で嚙み砕く。
「おとーさん、あれぼーそーぞくってやつじゃない?」
俺の背中にいる真紀が指差したのは200mほど先にある橋の上を爆走する集団。
「ああそうだ。あいつら子供にも容赦ないから絶対関わっちゃダメだぞ。死んじゃうからな?」
「わかった」
死んじゃうから、という分かりやすい説明に真紀は首を縦に振る。
「ちょっと休憩しよっか。そこの階段に座らない?」
陽夜見が河川敷へと降りる階段を指さしてそう提案する。俺は疲れていないが、陽夜見が何となく休みたいようなので有無を言わず俺は頷く。
真紀を背中から下ろすと、俺は階段に座る。真紀と漆紀を間に挟んで、俺が左端、陽夜見が右端に座る。
陽夜見は明らかに体力が減ったし、健康なはずなのに顔は顔面蒼白であった。
「あー、なんだか今日はすっごい気分がいいわぁー!」
「急にどうした? 元気なのは嬉しいけど」
「なーんかもうさー。仮に例の呪いだかなんだかがあってもさ。もういいやーって」
「なんだよソレ。縁起でもないこと言うなよ母さん」
子供が成長してきてから、俺は陽夜見の事を「母さん」と呼ぶことにした。子供達が居るんだからこの呼び方の方がいいだろう。
陽夜見はきめ細やかな黒髪をゆさゆさと揺らしつつ楽しそうに言葉を続ける。
「いやー、それにしても綺麗だなあ夕陽。父さん、どう思う? 漆紀、真紀は?」
「わかんない」
「ふつー」
子供達はまだ景色を見て美しいとか心を動かされるとか、複雑な心の機微がわかる年齢ではない。今はそうでも、いずれこの景色が故郷の景色となり、かけがえのないものになったりするのだろうか。
「まだわかんないかぁ。真紀はふつーね。でもね、父さん……金田海岸もこんな赤さの夕陽だったよねぇ」
「ああ」
忘れる事はない。千葉県の金田海岸。それは陽夜見の無茶ぶりを制限するために恋愛詐欺じみた腹積もりで付き合うきっかけになった場所であり、陽夜見から結婚を持ち出された場所でもある。
陽夜見の顔を見ると、夕陽の赤に照られて顔面蒼白の色が相殺されている。彼女は出会った時とあまり大差ない見た目で、変わった所があるとすれば結婚生活を経て少し大人びて落ち着いた雰囲気になったこと。
「とーさん、真紀とそこで遊ぶよ」
漆紀は河川敷の広いグラウンド、階段のすぐ手前にある空間を指差して言う。
「いいぞ。勝手にどっか行くなよ」
そう言うと漆紀と真紀は階段を下りて河川敷で遊び始める。それを見守りながら、俺と陽夜見は話を続ける。
「……ねえ、宗一。後悔してない?」
「何がだよ」
「今に至ったこと」
「俺の人生後悔だらけだよ。大抗争時代に傭兵やって、人を撃って金貰って……俺のせいで孤児院の子供達が死んで、院長……オヤジも死んだ。他にもあれこれ後悔はあるけど……俺はこれで良かったんだ。だから、本当は後悔しちゃいけないと思う」
「私と結婚したこと?」
「いいや、ボディガードの仕事に付いたところからだ。あん時はちょっと疲れてたんだ」
陽夜見のボディーガードをすることになった仕事。あの時俺は、ただ人を撃って金を得る事を繰り返すのに虚無感と自責を覚え始めていた。金さえ貰えれば敵は選ばず、勢力を何転もして人を殺す。
そんな日々に、どこか違和感を抱いていた。
そうしてここまで来てしまった。
「私はね、一つ後悔してる事があるなー……実家と仲悪いままだなぁって」
陽夜見の実家、天川家。俺が陽夜見と結婚した事で、天川家からは恨まれることになった。直接なにかされるわけではないが、俺に関してはあまり顔を見せれる関係ではない。
「孫は可愛いのか、喜んで遊んでくれるが……まあ、それはそれとして俺は相変わらず憎まれている」
「仕方ないよねー、だって守るはずの令嬢を自分の妻にしちゃったのだからー」
陽夜見はニヤニヤとわざとらしくあざとい笑みを浮かべながら棒読みをする。
「それはもう仕方ないだろ。大体、結婚自体はお前が提案した事じゃないか」
「そうだったかなー」
「俺からしたらそれはもう面倒臭い身の振り方だったぞ。真紀はお前に似て欲しくないな」
「うわぁ酷い事言った! 自分の奥さんに対して酷過ぎると思うんだけど!」
「冗談だ。女は多かれ少なかれ面倒臭い部分あるだろう」
「ん~……なんかさぁ。宗一はかなり落ち着いたなって」
「何が?」
「話し方とかだよ。昔はチンピラというか若いというか砕けた喋り方だったのに、整ってて落ち着いた喋り方になったなーって」
「それは……子供達が居るんだ。俺はちゃんと、親をやらなきゃいけない。話し方も変えるし汚い言葉は言いたくない」
「……あとさ。後悔してる事、もう一つあって……うーん……」
陽夜見は歯切れの悪そうに、言い出そうかやめようか悩みつつ唸り声を出す。
「言ってみてくれ」
「私さ、呪いで死んじゃうから……あの子達の事、最後まで見れないのが……悲しいなって」
「それは……」
「こんな風に自分の意思で誰かと結ばれて、そして子供とこんな風に過ごして……昔じゃ絶対考えられなかったもん」
「それは俺だって同じだ」
「だから、あの子達と触れ合う度にどうしても辛くなるの。私はあの子達を最後まで見れないって、わかってるから。あとどれだけ漆紀と真紀に触れていられるだろう……って」
陽夜見には呪いがかかっている。本来魔法にそういった人を一定期間で殺すようなものは存在しない。あるとしても固有魔法でそれに似た事が〝出来るかもしれない〟というレベルの話なのだ。ゆえにありえないはずの確定した死、それはまさしく呪い。
後何年先か、それとも今年中か、明日か、それとも今日か、今日の何時間後、何分後、何秒後。
いつ死ぬかわからぬ恐怖は、陽夜見の中に常にあったはずだ。
「確かに悲しいことだよ。でも、あの子達を見ていたら、こうやって一緒に過ごして、こんなにキレイな夕陽を見ていたら……怖くなくなった」
「……」
「私、今だったら死んでもいい気がする。今なら死んでも、きっと後悔しない」
「おい、縁起でもないこと言うなって言ってるだろ」
「本当だよ? 嘘じゃない」
「……」
「だからね、もう後悔しないで。私が死ぬこと、それと私と結ばれたこと」
「ああ。後悔しない、誓う」
「あー……」
陽夜見は立ち上がって両手を真横に広げる。その全身で夕陽と風を受けながら、呟く。
「感じる。多分、これは……今……!!」
その瞬間、陽夜見の胸からかつて言夜が放ったものと同じ黒い淀んだ光が吹き出し――
「ッ!? 陽夜見!!」
間違いない、呪いが発動した。
そのはずなのに、場違いなくらい澄み切った表情で陽夜見は俺を見た。
「子供達をお願いね」
陽夜見がそう零した直後、黒い光は「バン」と音を立てて胸から弾けて周囲へ霧散する。黒い光が消えた途端、陽夜見は全身の力が抜けたようで後方に倒れ込む。
「おい!」
俺は倒れ込む陽夜見を両手で受け止め、その顔に触れて確認する。
「おい、陽夜見? 縁起でもないって言っただろ。おい……目を開けろ、おい」
俺は陽夜見を寝かせ、手首や首の脈を測るが動きがない。
「冗談だろ……」
上あごを持ち上げて喉を確認するが、呼吸をしていない。
「なあ……」
胸の中心、心臓のあたりに手を当ててみるが鼓動を一切感じられない。
「どーしたのとーさん」
「なになにお兄ちゃん」
異常を察知して漆紀と真紀が階段を上がって来るが、とてもそれどころではない。
肩にかかる長さのきめ細かい黒髪や令嬢らしい綺麗な顔立ち、それらがそのままなのに一切の動きを彼女の体から感じなかった。脈も、心臓も、息も感じない。
「母さんが、息をしてないんだ。救急車を呼ばなきゃ……」
俺は携帯電話を取り出してすぐさま119番通報をする。
「ふざけるな、死ぬな……なあ、おい……生きろよ、ふざけるな!」




