002 再会
崖を除く斜面に対し合計3層にもなる丸太の柵に囲われた村の入り口となる門をくぐる。
通過するとき封印の森の巨木といかないまでも太さのある丸太をガッシリと組んであるところを見ると下手なレンガ造りの城壁などよりもよほど頑丈であることが伺えた。
俺は目立つ漆黒の杖を鞄の中に杖先からしまっていく。本来なら鞄の底なんてとうについているはずなのだがスルスルと入っていく。魔杖『新月』がスッポリはいった所で振り返ったエミル姉の優しい微笑みが目に入る。
「ふふふ、いいところでしょクライくん」
「グハハハハお前の森とはエライ違いだろ、ここにゃ水車もある。すげぇだろ」
「違うじゃん。ギュンターが作ったみたいな言い方するなよ」
「ここは麺が美味い」
のどかな景観なのに豪快に虎が笑うとか不思議空間にするんじゃねぇよ。情緒がなくなるだろ。俺は今、眼前に広がる棚畑や新緑の芽吹く綺麗な風景に浸っていたというのに、自重しろ虎男。そして話の流れをぶった切るなよ残念美人。どこにグルメワードがあったんだよ。水車をグルメワードとして拾ったとしたら守備範囲広すぎるだろ。
村の建物は木造が多かった。どの家の木材加工も見事なもので、よく乾燥させた後に鉋をかけたのであろう非常に滑らかに表面をしている。また、俺が住んでいた森の家と違い窓にはガラスが使われていた。透明度としては少し白みがかった曇りガラスとなっているが採光ようとしては十分なようだ。
エミル姉達と村の中を進んでいく。ギュンターとゼル姉は、つい先日死闘を繰り広げたとは思わせない程明るかった。やがて入村前にゼル姉が指さしていたティアが住んでいるという家が目に入る。
「クライくん少しは緊張ほぐれたみたいだね」
「そ…そんな分かりやすいの俺?」
「ガキの考えなんてなぁ単純なもんだ、胸張って会ってこい」
ドンっとギュンターに背中を叩かれる。その表情は先ほどまでの明るいだけの表情では無かった。
「私たちはここで待ってる」
ゼル姉も先ほどまでと違い少し真剣みを帯びる表情で俺を見ていた。
もしかして…
いや、もしかしてなんかじゃない
もう気づかないフリなんかできない。本当はとっくに気づいていたんだ。
仲間を失ってまだ数日。こんなに短期間で、こんなに明るいはずがないんだよ。
背中を向けたまま呟く
「ありがとう」
ただそれだけしか出なかった。
知っていたんだ3人は俺を気遣っているって。
「…ガキが変な気つかうんじゃねぇ」
「クライは、もう大丈夫。私が保証する」
振り返って大きく頭を下げる。地面に頭突きしたって構わない。
「ありがとう…ございました!」
「ふふ…行っておいでクライくん」
「グハハ、嬢ちゃんの前でくらいカッコつけてこい」
踵を返し少し坂になっている道に向きなると、少し上を向きながら歩いた。
泣いて叫んで気を失い、起きてはまた気絶するまで泣く。どんなに泣いても叫んでも変わらない現実が待っているなんて、命のやり取りが日常にある世界の大人として3人は嫌という程分かっている。だからこそ「ティアに伝えなきゃ」というだけで立ち上がった俺の、いつ膝を付くかもわからない程弱い心を支えるように傍にいてくれた。
エミル姉は優しく、ギュンターは明るく、ゼル姉は考え込ませないように接していてくれたんだって、気づいていたんだよ。
だから今は泣かない。
人生というか記憶にある前世からでも、かつてない程に泣き崩れて、自分の事しか見えず、仲間を失って同じくらい辛い人達に気を遣わせるという。俺史上これ以上ない程にかっこ悪いところを垂れ流してしまったのだから。
だから泣かない。前を向く風景が少し滲んでいたとしても、これを涙にかえて落とすようなことはしない。ティアに会いに行くという目的を果たす時くらいは、ここまで支えて連れてきてくれた3人の為にも格好つけていたい。
ギュンター達をおいてマスターの家とは違い、平らに整えられた木の板で外壁を囲む総木造の二階建の家の前に立つ。深呼吸なんかしない。今一呼吸おくとそれは迷いを生むと思う。何を言おうか考えて、それで怖くなるのなら俺は前に進む。『守りに徹しても今死ぬのが後で死ぬのに変わるだけなら、俺は前にでて攻める』
ここまで歩いてきた勢いのまま扉をノックする。そのまま両開きに木造の引き戸を開く
「ティア!!」
いかん…なんて声をかけて呼び出すか位は考えておくべきだったかもしれない。
ガタガタ…ガシャン
「わっトリシアさん花瓶ひっかけちゃ「いいから行っておいでっ」
バタン、ダダダダ
奥の方に向かって階段を下りていく音が聞こえた。階段をおり手すりの始点であり家屋の柱でもある木柱を左手に、くるんと姿を現した女の子が今こちらを見つめ大きな目を更に、まんまるに見開いて走っていた勢いなど消えるように静止していた。
濃い紫色の長い髪は遠心力のためなのか、他の何かの力なのかフワッと舞うように開き、家屋の中で薄暗いにもかかわらずアメジストのような大きな瞳にはキラキラとした輝きが宿っている。肌は白く透き通るような美少女。ティアは静止していた時をはらいのけるように後ろの壁でも蹴ったのだろうかという勢いでこちらに突進してくる。
「お…おちつけ、そこで止ま――ぐふっ」
飛びつくとか抱きしめるとかでは無かった。
ティアは体当たりを繰り出した。体技として鳩尾に吸い込まれるようなヘッドバットを加えるところは芸術点を加算しても良いと思う。勢いそのままに俺を押し倒すティア。
「クライ!!なんで?どうして??」
「…ヒュー…ちょ…待っ…ヒュー」
ちょっとごめんティア、息が上手くできないから話せない。答えたいんだけどね。主にお前のせいで話せないから本当にちょっと待って。
「なになに?ふむふむ、私に会いたかったのクライ?ふふふふ」
どこの部分を切り取っても、その解釈には至らないだろ。
ティアは俺の上に覆いかぶさるだけでなく、全身全霊で肋骨周りに腕を回し抱き着いている。そのため、なかなか落ち着かなかった呼吸は、ようやくヒューヒューと音を立てることのない正常なものになってきた。俺は一呼吸置かないことが大切だったけど、ティアは一呼吸置く方の格言が必要だと思う。
ティアは、とても嬉しそうにしてくれている。
森の中にいた時のように明るく、天真爛漫に可愛さを振り撒いて俺の上に座り込む。いつもニコニコして過ごしていたティアだが、これほど嬉しそうにしているのを見るのはマスター達を手玉にとり虎の牙ごとお酒で酔わせ潰すという悪戯をしていた時以来だ。
「そっか!手紙で言ってた問題が解決したんでしょクライ!おかあさんは!?」
今度は勢いよく立ち上がりティアは周りを見渡している。頬を緩ませ、髪は左右に振られる首の後を追い光を反射する。
――あぁ、そうか…俺は今から、この笑顔を消すんだ
俺も立ち上がり服に付いた土を掃う。
ティアはまだ、俺が見つめていることに気づいていない。
このまま、この視線にも気づかずニコニコしているティアをずっと眺めていられたら…そんな考えすら浮かぶ。
もういないんだ
それを言わずにやり過ごせたらティアが悲しむこともないんだろうか。
そんな馬鹿げた考えすら浮かんでくる。
ティアを目の前にして、マスターと3人で一緒に過ごした楽しい思い出が俺の邪魔をしてくる。言いたくないんだ、俺だってまだ認めたくないんだ…ティアに告げるという事、それは俺自身がマスターがいなくなったと認めることなる。
いなくなったなんて…分かってはいるんだ。でもその程度でも受け入れがたいんだ。
でもティアが俺の視線に気づいた時、俺は『いなくなった』以上の事を伝えなければならないんだ。
覚悟はしてきたはずだった。
俺が森を出られたのは、その事をティアに伝えるためにだったのに
きらきらと輝くようなティアの笑顔を前に俺は揺らいでしまったのだ。情けないことにこの視線に気づかなければいいなんて数分の先延ばしも叶わないようなことを願ってしまうほどに
ティアの髪から揺れが鎮まる
嬉しくて細まっていた目元から喜色が薄らいでいく
緊張感で俺は手先が痺れていた。
指先の震えを隠すために拳を握りしめる。
歯を食いしばり、責め立てるような心臓の鼓動に耐える。
どこから伝えればいいんだ
俺は何て言えばいいんだ
「ねぇクライ…おかぁさんは?」
ティアの視線を真っ向から受け止めた時
俺の唇は震えていた。
「…ッ」
覚悟を決めろ。
知らないことの辛さを知ったところじゃないか
なんで言ってくれなかったんだと恨んだところじゃないか
今度は呼吸を整えた。躊躇いのためじゃなく踏み出すために、だ。
「クラ…イ?」
「マスターは…瘴気の森の封印を解いて、魔王を倒したんだ…」
ありのままを、そのままに伝えよう
俺がティアの心で感じることを邪魔しないように
「あの森の瘴気の発生源だった200年前瘴気を撒き散らしていた魔王の封印を解いて、虎の牙と一緒に戦ったんだ」
「瘴気の魔王はマスターにそっくりだった。
それに…強かったんだ…
ギュンターよりも力が強くて
全身鎧のゼル姉よりも頑丈で
ジーノ兄よりも速くて、エリック兄より頭がキレて
エミル姉より正確な攻撃で…マスターより魔法が強かったんだ」
「魔王って名前の通り、強かった。
ジーノ兄とエリック兄は…魔王に貫かれて…
でも、それでもマスターは魔王に勝ったんだ」
ただ知っている事実を伝えて行こう
「マスターは自身は魔王になった忌み子の忌み子が捨てた人の部分だったらしくて」
俺の感情で脚色してティアの心が感じるものを邪魔しないために、今だけはただ真実だけを
「魔王を倒したら……マスターは、光になって…消えた」
耐えろ…エミル姉に、ギュンターに、ゼル姉に支えられてここまできたんだ。今度は俺が支える番なんだから…今俺が泣くわけにはいかない
「マスターは、もういないんだ…ティア」
ポタッ…
ポタッポタッ…
ティアの瞳から雫が零れていく
大粒のそれは頬を伝い
顎先から足元へ落ちる
髪を伝い
髪を水滴で纏めてしまう
嘘だと言って欲しい
表情を変えることなく
ただ涙だけを零す瞳から刺すように伝わる想い
俺は、ただ黙って見つめ返す
何を言っても足りないから
せめて逸らすことが無いように
刺すような視線を瞳で受け止める
ポタッポタッ…
涙の滴が落ちる音が響く
ティアの手が、そっと俺の袖を掴む。ロールアップしているせいで厚みのある袖を、力の限り掴んでいる震えが服を通して俺の腕に伝わってくる。ティアは理解が良く頭も良い。だから今も俺の言葉が真実だと理解しているのだと思う。
認めたくない気持ちを必死で抑え込んでいるのだと分かる。何か言いたいけれど、その一言で堰が切れてしまうことを恐れて耐えているんだって分かってしまうんだ。俺たちは家族なのだから。
ティアは生まれてから我慢ばかりで生きてきている。
忌み子として生きることを諦める死を受け入れなければならない環境に我慢して、やっと自分を受け入れてくれる場所を得たのに、そこから出ていくことも我慢して受け入れているんだ。今だって、ここで泣き喚いてしまったら俺まで去ってしまうんじゃないかって我慢しているんだろ?
「マスターは、自分が消える瞬間まで俺と…ティアのことを気にしてた」
ティアは歯を食いしばっているようだった唇を固く結び必死に耐えている。手からは力が抜け俺の袖を離していた。
「ティアに…悪かったってさ」
「ふぅ…ふゎ…ぅ…ぅわ」
ティアは口が半開きになり、嗚咽が漏れだしていた。俺も限界だった…瞳から零れるソレを見せないように俺はティアを抱き寄せる。
「母さんさ、手も足も透けて光になってるのに
俺たちのことだけを考えてた」
「全身透けて消えてくのに今まで見た事ない程に
優しく笑っててさ…
愛してるって…そう言って、光になったんだ」
「ぅわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ―――」
ティアの堰が切れた。
しがみつくように俺に寄りかかる。
膝から崩れ落ちるように全身から力が抜けるティアを強く抱き寄せ支える。
感情の発露から足元から黒い霧のようなものが立ち込めてくる。足元の草が枯れ土も色を失っていく…瘴気があたりに立ち込めていた。
「うぐッご…ごめ、ふゎ…ぅうわぁぁぁ」
「気にしなくていい、我慢なんてしなくていい」
ティアが眩しくないよう俺の服に顔をうずめさせ体から神の気を放ち瘴気を打ち払う
わぁぁぁァ――――
ティアの叫びが周囲に響く
次第に声もなくなっていった
ただ涙だけが俺の服に染みてくる
上着に染み、シャツも通過し感じられるティアの涙は
まだ止まる様子など無かった
「マスターはさ、ティアの事、娘だと思ってるって」
息をするのも苦しそうな背中を撫でながら伝える
「俺は決めたんだ
マスターに胸を張っていられるような
そんな生き方をするって
ティアはさマスターの教えを受けた
自慢の娘なんだから…出来ないことなんてないだろ
だからティア…我慢ばっかの生き方なんてやめようぜ」
強くしがみつくことで同意を伝えて来たティアは、そのまま気を失った。
俺は抱きとめたまま腕を膝に回しティアを抱え込む
俺の服がティアの涙で濡れていたように
意識を失ったティアの服も俺の涙で濡れていた
「この世界で生きることを楽しめ…だ、ティア」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ティアが住んでいた家の、すぐそばで話ていたこともあり中から心配そう見守っている二人が見えた。俺はティアを抱えたまま家の中に入る。
「…こんにちわ」
「……」
「……」
銀髪をスポーツ刈りにしている50代位に見える男性と、少し小太りな40代後半に見える同じく銀髪の女性は無言であった。二人は褐色の肌をしており、目じりに皺をたたえている優しそうな瞳はゼル姉と同じ鉄のような深い灰色であった。
あれ、言葉って俺違うのかな…
ふと、マスターの「お前のソレ人間の言葉じゃねぇから」宣言が頭をよぎるが、むしろコッチか
「…السلام عليكم?」
「いや、スマンさっきのであってる」
今度は間髪入れず男性から声がかかった。どうやら言葉は通じていたようだ。レミーさんところと人種が違うからとは思ったが、語学再びとならず安心した。
「坊やがクライくんかい?ティアの部屋は2階だよ、そのまま連れて行ってあげてくれないかい」
「それじゃあ、失礼します」
「あぁお待ち、重いだろうけど、ちょっとごめんよ」
女性はティアを抱えた俺の前に立つと、その手の平でグイっと俺の目じりを拭った。
「ティアが起きた時、それじゃカッコ付かないだろう?落ち着いたら下りといで、お茶位ならいくらでも出せるからね」
「あぁ落ち着いてからでいいんだ。半年足らずだがティアは私たちの娘のようなもんだから。後でいいので私たちにも話を聞かせてくれないかね」
「はい…ティアを部屋に置いたらお話します」
俺は簡素な受け答えしかできなかった。
良かった。
ティアが、一人じゃなくて良かった。
森を出ても寂しさに苛まれる日々じゃなく、温かい人たちが一緒にいてくれて本当に良かった。そんな気持ちで胸がいっぱいになってしまい、拭ってもらった涙がまた溢れてしまわないようにすることで多くを応えることは出来なかったんだ。
2階には左右に1部屋ずつあるだけで、右に扉が開けっ放しになってる部屋からマスターがリサイズして拵えたティアの服が見えたので、迷わずその部屋に入る。中は質素ながらも女の子の部屋と言った感じだ。木製のベッドは家にある俺のベッドよりも柔らかそうだし、机の上にあるコップのような陶器の花瓶からは森でも咲いていたティアが好きな白い花が活けられている。
ティアは、こうした小物使いが上手いと思うしセンスもある。ただ俺が返信した手紙を机の前に貼って、その上に花やらクローバーのような草で飾り付けるのは止めて下さい。
書いた手紙を晒すとかいう精神攻撃を備えた部屋のベッドにティアを下ろす。
下に戻……
ティアの手が俺の服をガッチリ掴んでいた。ちょっと身を捩っても離しそうにない。子供らしくて可愛いところもあるもんだと頭にポンポンと手をやり、髪を撫で、掴んでいる手に俺の手を添えティアの手を剥がそうとするが…
「ティアちょっと休んでろって、すぐ戻るから」
そう声を掛けティアの手首を掴んで引っ張るが、動かない。
そろそろベッドに降ろした中腰がキツくなってきたんだが…それにこの姿勢、今見られたら俺が抱き着いて覆いかぶさってるように見えるんじゃないだろうか。
俺の中に、徐々に泣き疲れて寝ちゃった少女を置いてくるという空気とは感じの違う焦燥感のようなものが芽生えてくる。
さっきの夫婦も、どう考えても「すぐに置いてきてぱぱっと戻って事情を聞かせてくれ」といった感じだったのだ。ちょっとそろそろ時間的に「なかなか下りてこないけど、どうしたんだろう」に移行しているんではないだろうか。
ティアの手を剥がす作業に少し力が入る。服が伸びちゃうとかの心配は無いが、いくら何でも強すぎるだろ…
「…まさか」
魔力の流れに意識を集中させてようやく気付いた。
ティアは手先に凄まじい魔力を集めたまま気を失っていたのだ。昔、水の魔法を使ったときに勝手に瘴気が集まりだして魔法を強化したように、周囲の魔力が吸い込まれるようにティアの手に集まっていた。自身の中にある魔力操作でなく、周囲から集めるというのは俺の知る限りティアにしかできないしティアも意識して出来ている訳では無い。
それが今、どうも全力で発揮されて握った手が離れないようになっているのだ。
仕方ない…服は諦めて着替えてから行くか
シャツまでシッカリ握り込まれているため全部脱ぐしかないと判断し、もぞもぞと袖から腕を抜き、上に着ている服を同時に全て脱ぐところで後ろから男性の声がする。
「クライ君…だったかね?何を…しようとしているのかね」
どうもタイミングだけは最低だったようだ。
もぞもぞと服の中に戻って事情を説明する。特に、あらぬ誤解を生まないとも限らない部分について、俺は10歳そこそこの子供に手を出すような変態じゃないと熱意をもって語ったのだが「クライ君はティアと同じ年じゃないのかね?」と取り合ってはくれなかったのだが、そこへ助け船がやってきた。
「どうしたんだい、遅いじゃないかって、あらまぁ」
「違ッティアの手が離れなくて」
「この子ったら、坊やの話ばっかりしていたからね、よっぽど嬉しかったんだろうね。いいじゃないかい。坊やも隣で一緒に一寝入りしてからおいで」
「ト…トリシアっそんなティアを男と一緒に寝かせるなんて」
「子供相手にバカいってんじゃないよ、家の旦那が悪かったね」
そう言うとトリシアさんは俺の傍で屈み靴紐を緩めてくれた。
「ほら、そのまま転がっちまいな。私たちは下に居るから安心してお休み。さ、いくよコクラン」
「いや、いいのかトリシア、ティアが「おーりーるーよッ!頭の左右についてるソレは飾りかい?」
眉間に皺を寄せたままトリシアさんに押し出され渋々と部屋を出ていくコクランさん。
「手だすんじゃないよ?ま、あたしゃ心配しちゃいないけどね」
「子供相手に手なんて出さないんで安心して下さい」
「はっはっは、坊やも子供じゃないかい」
豪快に笑いながらトリシアさんも出ていくと部屋の中は静かになっていた。
俺は靴を脱ぎすて、ティアを再度抱え直す。ベッドに片膝をついてティアを奥に下ろし隣で横になる。ティアは一向に目を覚ます気配はない。
「…いい人たちだな、ティア」
薄っすらと神の気を纏った手でマスターが撫でる様子を真似するように、ゆっくりとティアの髪を撫でる。
しばらくティアの髪を撫でてていたのだが、いつの間にか俺も眠っていたらしい。ふと目が覚めると曇りガラスの窓から入る光が赤みがかっているのが分かる。結構寝てしまっていたらしい。
夕暮れにさしかかる室内を確認しティアを抱えている胸元に目線を戻すと目が合った。
大きな紫の瞳は赤く充血し、涙の筋が真横に流れていた。胸元の冷たさから察するに少し前からティアは起きていたようだ。
かける言葉なんてない
気の済むまで泣いて叫んできた俺が
落ち着いたか?とか大丈夫だとか
そんな事言えるわけないんだよ
ただ、俺はギュンター達に支えられてここに来たんだから子供一人くらいは俺が支えてやりたいと思う。家族であるティアは俺が支えたい。
出来ることなんてティアが動くまで動かず傍にいてやる位しかできないけれど、0と1の差は大きい。ただ誰かが傍にいてくれるだけで支えられることはあるんだよ。その位のことが分かる程度には、俺の前世の記憶も捨てたもんじゃないのかもな。
そんな事を考えながら、ゆっくりとティアの髪を撫でていると、ティアはまた眠ったようだ。もう服は離してくれていた。俺はティアを下ろすときに押しやった掛布団をティアだけにかけ、その横で仰向けになる。
ティアは、布団の隙間から手を出し俺の服をまた掴んでいた。
「起きるまでいなくなんないから」
夕暮れから部屋の中が暗くなっていくさまを眺めていた。2時間ほどたっただろうというところでティアが目を覚ます。
「グスッ…クラィ…あり、ありが…とぅ」
「こら、聞いてなかったのかよ。我慢するなよ。泣きたきゃ泣きゃいいんだから」
「ヒック…もう…大丈夫」
「大丈夫じゃないから言ってるんだ。耐えて押し込めて迷惑かけないようって顔にかいてあるヤツの大丈夫なんて誰が信じるんだよ」
あぁなるほどね。
エミル姉の言ってた事が今すげぇ良く分かった。
大丈夫なワケがないんだよ。
『大切な人』なんて軽い言葉に嵌るほど小さな存在じゃなかった人を亡くして、1日2日泣いたところで何が大丈夫になるんだよ。
「ふぇ…ぅっ…ぅう、うぁぁおかあさ…ん、ひぐっおがぁざ…ぅうぁぁぁぁ」
ティアは声を上げて泣くと、ほどなく意識を失った。
扉の向こうに2人の気配がする。
部屋にはいろうかどうか迷っているのだろう。
「ティア寝てますけど、どうぞ。今なら話せますから」
カチャっと、音を立てないようにしながら2人が入って来た。
「どうだい…ティアは、落ち着いたかい?」
「ゼル様達が夕暮れ時にいらっしゃって、概ねの話は伺えたよ」
2人は声を抑えながら小声で話している。
「事情は、多分聞いた通りです。コクランさん、トリサアさん…で合ってますか?ティアのこと大事にしてくれてありがとう」
「あぁ合っている。私たちには子供がいなくてね…ティアは可愛い娘のように思っているよ」
「ま、あたしらにしちゃ出来過ぎた娘だよ。最初はゼル様がたに頼まれた手前どうなることかとおもってたけどね」
「ここに着いた時のティアの事を見れば…とても大事にされてるんだって分かりました。けど、知っておいてください。俺たちのマスターがティアをここにお願いしたのは、ティアを愛しているからだって」
追い出したくて追い出したわけじゃない。
ただそれだけは知っておいて欲しかった。
「あぁ分かっているわさ。あたしたちゃね、この子が来てから毎日カーティスさんと坊やの話を聞いて過ごしているんだ」
「ハハハ君こそ私たちを見くびらないでくれないかね。君たちが家族であるように、時間は短くとも私たちとティアだって、もう家族なのだよ」
「…ティアが来るのが、お二人のところで…本当に良かったです。ありがとう…ございます」
「はっは、ティアが言う通り涙もろい坊やだね」
いい人たちに出会えたんだな…ティア
俺はしばらく、ギュンター達が話したのと同じこれまでに何があったかと、マスターがどんな人なのかなどを2人に話した。トリシアさん達からは、ここに来てからのティア様子を聞いた。
ティアは最初こそ、少し口数も少なかったらしいが、二人のことをよく観察し花を飾ったり掃除を手伝ったり料理をふるまったりと、2人を感心させたらしい。それに明るく輝くような笑顔を振りまく美少女としてすぐに村の人気者となっていたらしい。
トリシアさんは、時折部屋で涙を流していることを知っていたそうだが、コクランさんはティアが泣くのを見たのが初めてらしく今日は相当動揺したらしい。
「お、ティアの目が覚めちまったようだね」
トリシアさんに言われ首を向けるとティアは目こそ開いていたが口をパクパクさせるだけで声が出ていなかった。俺もこうだったんだなぁ…泣きすぎて叫び過ぎて声が出ないティアの喉にそっと手を触れる
「いい、俺がやるからじっとしてろ…癒しの力よ…回復」
「…ぁ、ありがとぅクライ」
自分でサイレントマジックを行使しようとしていたティアは、喉の様子を確認するように声をだすと掛布団をめくり起き上がった。立ちくらみなのかフラっとしたところを俺も起き上がり支える。
「いま水をもってきてあげるからね」
「トリシア、わ、私も何か手伝えないか」
「あんたは人の事よりシャンとしな。男がみっともないよ」
これまでの何度かのやりとりで、そう深く理解できていないコクランさんとトリシアさんについてだが二人のパワーバランスだけはこれ以上ない程に理解できていた。
「コクランさん…心配かけてごめんなさい」
「ハハ、いいんだよティア。謝ることなんて何もないじゃないか」
「そうだよティア。あんたは気をつかいすぎなんだよ。ほら、お水飲めるかい」
「トリシアさん、ありがとう」
ティアはコップを受け取ったが飲まずに水に目をやったあと俺を見ていた。
あぁはいはい。俺は無言のままコップに手を添え神の気を送り込む。暗くなった部屋だと分かるが薄っすらと水面から淡い光が見える。
「…ありがと、クライ」
頬を緩ませ水を飲むとティアは、ようやく落ち着いたようだ。
何となくコクランさんは複雑な表情で、トリシアさんは女性なのだが何故か男らしい笑みを湛えティアが水を飲む様子を眺めていた。
「ほら顔ぐらい洗っておいで、お風呂も沸かしておいたからお入んなさい」
「ありがとうトリシアさん…本当に、心配かけてごめ「覚えときなティア、女はね心配かけたもん勝ちなんだよ。親としても可愛げを感じるもんさ。まして男の心をくすぐるには心配かけさせといた方がいいんだよ、気にさせるってこたぁ自分の事を考えさせるってことさ。あんたは、その辺もう少し我が儘を言って心配させた方が得なんだよ」
「ハハハ私はトリシアを心配したことは無いがね」
キッと睨まれ硬直するコクランさんをよそにティアは立ち上がる。
「クライ、この村ね『お風呂』っていってお湯を浴びるんじゃなくて入るんだよ」
ティアは立ち上がりコップを机におくと、袖で顔を拭き笑顔で振り返った。
目元は泣き腫らしているし、鼻も赤くなっていた。それでも尚、美少女であることに疑いは無いのだが、髪がぺちゃんこなのは涙の重さだと思う。決して起きるまで撫で続けた俺のせいではない。
そんなティアが悪戯っぽく笑う
「いっしょに入「入らねぇよ!早よ顔洗ってこいっ」
要らん事を言うんじゃない。コクランさんが凄い顔になってんじゃねぇか
「ほぅクライ君は、森では一緒に入っていたのかね?おかしくないかね?父である私ですら、あのような声が掛かったことは無いというのに」
「いや、無い、無いですから、コクランさん椅子持ち上がってますから降ろしてください」
「あんた父親じゃないだろうに、ったく」
「トリシアは一緒にはいっているじゃないか!」
「バカちんかいアンタ、あたしゃ女だからに決まってんじゃないか!はぁ…落ち着きな」
クスクスという声と共にティアが階段を下りていく音が聞こえる。
今度こそ本当に大丈夫なのだろう。
悲しくない訳じゃないけれど
辛くないなんて、とても言えないけれど
自分の足で立てている
「ティアが変わってなくて、安心した」
声に出ていた呟きをトリシアさんは聞いていたようで、また男らしい笑みで俺を見ていた。何というか逞しいオバちゃんだと思う。
ティアには「女とは!」って語っているんだから、俺にも言葉で伝えてくれると助かるんだよ。その私の顔を見れば分かるだろうという男らしい表情でフリーズされたら俺はどう反応すればいいんだよ。
苦い顔をしながらもティアの事を実の娘のように俺に自慢してくるコクランさんの話と、トリシアおばさんの男らしい表情集に晒されているとティアが風呂から上がったらしく次に入れとのことで俺は風呂へ向かった。
1階奥にある風呂は中に蛍光石と呼ばれる日光を蓄光しておく石が壁にかけてあり薄暗いながらも十分視界を確保できた。そして何より風呂だ。この村の木工技術から期待していた通り、湯を湛え木製の風呂桶がそこにあった。床面だけは石造りとなっているところから外から焚くタイプのものなのだろう。
桶を手に取りササっと体を洗い流すと俺は素早く湯船に入る。
「…最高だ…まさか風呂に入れるなんて…」
子供の体なので十分に足を伸ばせる。森から、ここまでの疲れが取れるばかりか、泣き続けていたここ数日間の気持ちまで解れるようだった。
温かい人に囲まれ
大事にされているのだから
ティアをここに預けたゼル姉には感謝しかない
この後、落ち着いたティアにはマスターからの贈り物を渡して
「それから…どうするか…か」
どこにだって行ける――この世界を楽しめ
「とりあえず、この国の都会に行ってこの世界の事を勉強だな」
それから、少しどんな世界なのかをみる旅をしてみよう
ギュンター達は国との連絡をしていたはずだから、少なくとも国との関係が深い都市なり首都なりに行くだろう。そこまで同行を頼もう。
資金的には当面は大丈夫だと思える位に鞄の中には金貨や銀貨が入っているんだ。マスターからのお金だから節約しながら旅をして稼げる手段なんかも見つけなきゃな。
そんなことをぼんやりと考えながら風呂をでた。
上では俺がどこで寝るかを夫婦があーだこーだ言っていたが、ティアの部屋の床に布団を敷くことが決まったようだ。
「さ、アンタ私たちも風呂に入って寝るよ。蛍光石が切れちまう前にね」
「ぐ…クライくんは私と同室でトリシアがティアと「ぐだぐだ行ってないで、風呂だよ風呂。あんたの大好きなお風呂の時間さね。ほら行った行った」
トリシアおばさんには敵わない様子で、またも苦々しい顔をしながらコクランさんは部屋を追い出され、2人とも階段を下りて行った。部屋は月明りに照らされているだけだが十分に明るかった。
「良い人たちだな」
「うん、本当に…こんなお家で生まれてたらなって思う位に良い人だよ」
ティアは少し寂しげであった。本当に家族のように接してくれる二人はティアにとっても大切な存在なのだと思う。それでも、ティアはマスターと過ごしたかったんだと思う。俺はもって来た荷物の中から黒い鞄を手に取りティアに渡す。
「マスターから、ティアにって。部屋に置いてあったんだ」
ティアは鞄を受け取ると月明りに照らしまじまじと眺めていた。
「わぁ…大人っぽい。ねぇクライ、私もコレ着けたら、おかあさんみたいにカッコよくなれるかな」
「それだけじゃなれねぇだろ…でも、ほら」
俺は鞄の中にしまい込んだ魔杖『新月』を取り出しティアに差し出す。
「これはティアにって」
「これ…『新月』を、私に?」
「ああ。杖と魔導の極意をティアに託すって、俺の手紙にかいてあった。鞄の中に黒い本とティアへの手紙、入ってるだろ?」
「あ、うん入ってる。これ魔道具なんだ、おかあさん凄いね」
「手紙、読まないのか?」
「…うん、今日はいい。泣いちゃうもん」
「そっか、そうだな」
俺も手紙には、やられましたもんね。
ティアが月明りを取り込む窓に布を被せていく。スライド式ではなく上から降ろすタイプのカーテンだ。
「手紙読むときは、傍にいてねクライ」
「手紙読むときは、な。だから今はベッドに戻れ」
「いいじゃん、前は一緒に寝てたよ?」
「なんで俺が覚えてないみたいに言ってんだよ。ティアが入って来たんだろ。それにお前布団全部もってくんだから帰れ」
「大丈夫!私、成長したもん」
「大丈夫な根拠が見えないから言ってるんだよ」
少なくともコクランさんの恨み的には大丈夫じゃないことが確定してるじゃねぇか。
「ほら、じゃじゃーん!マイ掛布団、そして来たれマイ枕~」
「来たれとかいって手づかみで取るくらいならベッド戻れ」
「これで、クライの布団を奪う理由がないでしょ」
「はぁ、分かった、分かったから。折角ベッドあんのに」
「ふふふふ、おやすみクライ」
「あい、おやすみ」
ティアは床の敷布団で一緒に寝た。なんだかんだ言っても、こういった所が子供らしくて可愛げがあるとは思う。
朝になる。
結局俺の掛布団は無く、ティアは布団2枚を巻き込んで成長したミノムシとなっていた。更に扉を開けたまま表情が固まっているコクランさんと目が合っているのだが、ティアは何とかしてくれるんだろうか…
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男の蒼い瞳は輝くほどに力に満ちており吹きすさぶ強風に長い銀髪が靡く
全身は漲るような活力が見て取れるほど鍛えこまれており隆々とした筋肉が全身を覆っていることが分かる。
「ぬぅ…神気の気配…ここより南西の方角か」
転がる大岩が蚊でも払うかのように振った腕で粉砕されていく。
直進
邪魔だから払いのける。ただそれだと言わんばかりに目の前の障害物を払いながら進んでいく。これだけ力があるのだったら避けた方が早いだろうが、男に避ける逃げると言った選択肢はない。
前進
彼には選択肢などないのだ。
「走れば、その内着く。待っていろ…」
そう呟くと岩や木を粉砕し真っすぐ進みだす。深い山奥からの走り出しの為、周囲は障害物だらけで、手を振る数が多く結果、避けて歩く方が早い状態となっても彼は信念をまげないのだ。
「まっていろ!神気に至しものよぉぉぉ!!!」
叫ぶ勢いと進む速度が噛み合わなくとも、凄まじい気合を放ち目の前の障害を吹き飛ばし
男は『直進』を始めた。




