011 涙の滴
涙の滴でティア。
俺の畑泥棒、濃い紫色の髪を足元まで伸ばし、顔も髪で隠れている少女の名前は、そう決まった。
少女には名前が無かったのだ。
「クライ、こいつには名前が無いそうだ。何かいい名前は無いか」
マスターの問いかけに俺は闘いの中、狂岩石蜥蜴の地響きする足音より、俺を庇おうと両手を広げた少女が足元に落とした涙の滴の音が響いたのだ。
少女は小さな体で死ぬと分かって俺の前に立ったのだ。涙の落ちる音が、その勇気を表しているように感じた。だから涙の滴からティア。
俺は転生したから、薄くなっていても大人の考えが出来る…出来ると思っている。けれど、ティアは本当に子供だ。でも勇気があったんだ。俺には、とても真似できない、逃げられる可能性を捨てて前に出る勇気がティアにはある。
ティアは生贄にされるために連れて来れれていたそうだ。
「忌み子の忌み子は魔王に成る。莫迦な迷信だ」
とマスターは言っていた。
神の『忌み子』純血のダークエルフですら忌み嫌う、完全に別種の存在として生まれてくる者がいる。瘴気に愛され、死を振り撒く、存在そのものが害悪。そうしたものが生まれ落ちるのだ。『忌み子の忌み子』、神に忌まれた存在からも忌まれる存在。それがティアなんだそうだ。
ただダークエルフには忌み子も使い道がある。瘴気に愛される性質、高い魔力と知性を有する特徴は、邪神の生贄にこれほど最適なものは無いのだとか。
“捧げれば人智を超えた邪神の寵愛を授けられる”
そう信じられている。
また、もし捧げずに下手に成長させると、力をつけた忌み子の忌み子は瘴気と死を振り撒き、その者自体が魔王のようになるそうだ。しかし、真っ先に被害を被るのが純血のダークエルフとなる。
そのため、忌み子は生贄として捧げられるべく育てられる。
名を与えられず邪神に捧げられることを喜びに思えと育てられる。
幼くとも生贄として邪神の問答に応えられるよう高い教養を持てるよう無理な詰め込み教育を受ける反面、その高い魔力を使った反抗が起こせないよう魔法などの知識は与えられない。
ティアは、森に連れて来られて生贄になるつもりだったそうだ。
連れて来たダークエルフは力を欲し、この森に侵入したそうだが解いた封印がハズレだったようだ。俺は何が封印してあるのか皆目見当もつかないがマスターは本当にヤバい所を見回りしており、まさか狂岩石蜥蜴のようなものの為に危険を冒すまいと考えていたそうだ。
「で、マスター。ティアは何て言ってるんだ?」
「ティア、 الخضروات لذيذة؟」
「نعم」
「ティアは野菜は美味しかったそうだ」
「そこは謝れよ!!」
ガタッと椅子から立ち上がり指をさすが、ティアはキョトンとしている。
トカゲ退治のケガは、涙を流し嘔吐を我慢しながら飲む羽目になったマスターの凶悪な薬を3日に渡って飲み続け、やっと完治した。ティアは、その薬を少しづつ飲ませてくれたり濡れタオルで顔を拭いてくれたりと俺の世話を焼いてくれていたことで、俺は野菜泥棒の溜飲が大分下りたところであった。
しかし、そこで俺は驚愕の事実を突きつけられることになる。
「クライ、お前の言葉はティアには通じない」
マスターは「分かってると思うけど」的な軽いノリで言い放ってくれやがった。
「虎の牙とも話せないだろう。同様だ」
「え?…エミル姉とよく話してるし、無口だけどギュンターとも話せてる!」
「あぁ、あのエルフは魔道言語の簡易辞書を持っていたな。ギュンターなど名乗りと、はい、いいえしか言えないはずだ。この言葉を使って生活している国は無い。これは精霊や幻獣など魔力を基とする者たちの言葉だからな。人間社会の言葉じゃない」
「……」
脳をいじくり回されるような苦痛に耐えること1年、発語の練習2年、この世界に来てまともに話せるようになった俺の第一言語。どうやら『それ人間の言葉じゃねぇからー』的なものらしい。
「クライは推定人族としか言えない。使い魔化も本来人間には通用しない。だから当然、魔道言語だと思ったのだが」
またも衝撃が走る。
使い魔化は人間には通用しない。
俺の前世の世界には魔物にボールを投げて捕まえて戦わせる有名なゲームがある。要所要所のリーダーを倒してバッヂを集めるそのゲームでは、魔物しかボールで捕まえることは出来ない。目が合うだけで勝負を仕掛けてくる積極的なトレーナーと呼ばれるお姉さんが、いくら魅力的でも捕獲することは出来ない。人は捕まえられない。そのように出来ているからだ。
使い魔化も似たものらしい。人間には通用しない。だが俺には通用してしまったらしいのだ。
「卵から出て来たし、いけるのではないかと思って」
いけるのではないかでいけてしまったのだ。神様によって卵の中に閉じ込められたのであって、俺は人間だと思っていた。しかし、確かに人と人の間に生まれるから人間であって何も介さずに生まれた場合は何なのか。俺は何なんだとアイデンティティから揺らぎかねない壁にあたった気すらした。
ティアのことよりも、繰り出される俺への事実が重すぎる。
整理しよう。つまり俺は
・人には通用しない使い魔化が通用する
・俺が話している言葉は人間社会のものではない
・見た目から推定人族としているが正体不明
うん。
そりゃゴハンといわずエサと言われますわ。
まぁひとしきり泣きましたよ。「俺、人間の仲間だもん!!」とか、およそ人生を歩む上で口にだして泣くことのないであろう内容を泣きじゃくりながら口に出す程度には泣いたね。
怪我が治って、こうした衝撃を受け日常が戻った。
今、新たにティアが一緒に暮らしている。
「ティアが瘴気をコントロールできるようになるまで預かる」
マスターは考えた結果、ティアも一緒に暮らす事が最善と考えたようだ。
元の里へ戻せば、いつかは生贄となる。「迷信とは思うが確証がない」とのことで万が一、本当に厄介なものをダークエルフに手懐けられても困る。
人里にも降ろせない。魔王に成るは迷信めいているが“瘴気に愛されし忌み子”の名は伊達ではないのだ。ティアは瘴気を発することが出来る。俺とマスターには意味がないが、俺が神の気を発するようにティアは瘴気を発することが出来る。
生けとし生きる全てのものにとって毒となりうる瘴気。
瘴気をコントロール出来るようにならなければ、共に暮らす者は死に絶え、行きつく先は迫害か生贄かの2択。高い魔力と知性を持ちながら忌み嫌われて生きることになる。世を恨んで暴れだしたら「忌み子は魔王に成る」も、あながち否定できないのだ。
なるほど、ここならば瘴気の害がない2人に元々が瘴気だらけの森。問題がないというところまでは納得できる。俺みたいな訳の分からない生物を使い魔化しちゃうマスターだからティアの事も見捨てられないのも理解できる。
だが!俺には一つどうしても納得できないことがある!!
『マスターはティアに甘い』
まずは服だ。
ティアはボロボロのワンピースで来た。
しかし、今ティアは黒いワンピースに5分袖の黒のカーディガンを羽織っている。
黒づくめなのはマスターのお古だからだ。マスターが自分の服の中から少し手直しすれば着られるものをティアに次々に渡しているのだ。
ちなみに俺は、ここに来たときバスタオルを半分に折ったものの折り目に穴を開け頭を通し、腰辺りを麻かなにかの粗い紐でくくるという縄文時代以下の服装であったというのにだ。
一緒に暮らしだしてから既に1カ月は過ぎている。
ティアも家事を手伝っている。
マスターは最初
「別に何をする必要もない。瘴気を放つこと扱うことに慣れれば、それでいい」
と言っていたけれど、ティアが自発的に行うものを止めることはしない。
マスターを介して
「果樹の世話をさせて欲しいそうだ。沢山とったことを悪く思っている」
と聞いてから、午前中ティアは果樹園の収穫や水やり、草取りをしている。
俺とマスターが実践訓練している時は近くで瘴気を全開で放つ練習をしている。これは、実践訓練中、俺が神の気を多く放つため浄化の手間が省けるとティアが提案し、被害がないところで黒煙や深紫煙を発していた。今まで抑えるばかりで、まだ慣れない様子だ。
実践訓練が終わると一緒に魔法の練習に入る。
マスターから忌み子の忌み子は<強い魔力>と<高い知性>を持つとは聞いていたが、ティアは魔法が得意だった。呑み込みが早いとかのレベルじゃない。俺が4年かけたところまで1カ月で追いついたのだ。魔法に関して一切知らないところから1カ月でだ。マスターも
「ティア、凄いじゃないか。よくやった」
なんて褒めるものだから、ティアはますます魔法の練習に力を注いでいる。本人には好循環だが、追いつかれ追い抜かれそうな俺は、何とも言えないモヤモヤした気持ちに駆られる。
日が暮れて家に戻ると今まで本を読んでいた時間が一変した。
「ティア、おれ、クライ。わかるか?」
俺は人族の言葉で話しかける。
マスターに聞きながら覚えた拙いものだが、少しずつ“言葉”を覚えている。
はじめ、最低限だけでも前のように嘔吐を我慢して落とし込んで貰ったが、魔道言語程時間がかかることもなく、最低限は単語を拾えるようになった。あとはマスターから話して覚えろと言われたのでティアと話すようにしている。
「わかる。わたしのなまえ、ティア。クライ通じてる?」
ティアは“魔道言語”を順調に覚えている。
俺のように脳を直接いじるような乱暴な方法ではなくマスターと質疑応答やヒアリングだけで…だ。ティアは俺では頭が上がらない程、地頭がいい。
そして就寝なのだが、ここからが問題だ。
ティアは、なんとマスターの部屋でマスターと眠るのだ。
「女の子だからな、クライと同じ部屋というのも違和感がある」
とかなんとか言っていたが俺は知っている。
マスターは何やらティアを着せ替え人形のようにあれこれ着せたり持たせたりしてから寝るのが新しい趣味と化しているようだ。
「似合う。ティア、それはお前にやろう。次はコッチだ、捨てようと思っていたが仕立て直したら丁度いいのではないかと…うむ…やはり」
といったマスターの楽しそうな声が聞こえてくるのだ。
ここ最近顕著に感じているがマスターは冷徹な印象が強かったが
『可愛いものが好き』で意外と『少女趣味』を持っている。
毎日破れては修繕されている、原型の服を思い出せない俺と異なり、ティアはいつも違った装いで出てくる。
ティアは恥ずかしそうにしているものの。
「クライ、わたし、ヘン?」
と、はにかむ様子を見ていると、まんざらでは無さそうであった。
ティアはマスターが少し髪を切っていたせいもあり、全方位地面に付くほど長かった髪は、前髪は目が隠れる程度に、サイドや後ろはお尻のあたりと長いには変わりないが表情が分かるようになっていた。
そして分かったことだが、ティアは目が大きい。子供の体だから、そう見えるだけなのかもしれないが、くりっとした大きな目に長い睫毛、子供ながらに筋の通った鼻に、小さな口。耳はエルフ族の端くれだから尖り気味だが、エルフ然とした感じではなく人とエルフの中間のような丸みをもちつつ尖った感じ。
マスターで美人も見慣れてしまったが、コイツは育つ…美人の種のようだ。今はまだ可愛い女の子だが、これは伸びる。
それがマスターがリメイクした、かわいらしい服を着ているのだから素直に「可愛い」とでもいえばいいのだろう…が、俺は言えずにいた。
ずるい。
そんな思いばかりが頭の中を駆け巡っていた。
「みずくみ、わたし、てつだう」
「要らない、ティアは果樹園で待ってろ」
畑仕事の時だった。ティアが手伝いを申し出たことを俺は魔道言語で断った。ティアには断られたことは伝わったようだ。前髪の分け目から覗いていた目が、俯いたことで隠れてしまった。俺に背を向けると、とぼとぼと果樹園に歩いていく。
俺は木々の間を駆け抜け水汲みを行う。だいたい、この木々の間を走ることすらできないのだ。
「邪魔にしかなんないくせに…」
水を持ち帰りながら呟く。
水を持ち帰ると畑用の大きな水瓶に水を移す。
その水をバケツに汲み取り果樹園にはティアが水をまく。
移動用の甕を背負い何往復か水汲みを行っていると、ティアがこっちにきた
「ほかのところ、わたし、てつだう」
「いい、要らない」
水甕から水を汲み、畑に撒きながらティアを突き放す。
また水が減って来たので森を往復する。
「みずくみ、たいへん。わたし、ミズのマホウつかっててつだう」
ティアは俺の知らない間に、どうやら水の魔法を使えるようになったらしい。俺が習うことが出来ない寝る前の時間などにもマスターから習っているのだろう。
ずるい。
しかし、この大変な水汲みが減るならばお願いしてみたいところだ。
小さな畑だが薬草を実験的に育てているところが果樹園の近くにある。ティアが水を撒けるなら、そうした小さな畑をお願いすれば、俺が魔法を勉強できる時間も増えるかもしれない。なんとなくだけど、後から来たティアに俺は負けたくない。
「なら、そこの薬草園。できるか?」
すこしムスっとした声になってしまったがティアにお願いしたい畑を指さす。
「できる!」
髪が揺れるほど勢いよく俺に詰め寄り答えるティア。アメシストのような、紫がかった紫陽花のような瞳をキラキラさせてティアは畑へ走る。
あとを歩いて付いていく。ティアが魔法を唱えていた。俺には理解できなかったり、発動が上手くいかない詠唱を行った魔法。
魔法は詠唱により、魔法本体を強化させる。
例えば火の魔法だ。強いイメージで火の玉を作るとする。これに詠唱を加えると、例えばスムーズに魔力が流れ火の玉が大きくなったり熱量が増すなど、威力をあげられる。また他の属性付与なども行える。
魔法はイメージの具現化だが、詠唱は魔法の補助・強化を行う役割を持つ。俺は、だったら最初から強く思い描けばいいのにと思っているが、マスターも詠唱することがあることから、出来るに越したことはないのだろう。俺は詠唱が上手くできないが、ティアは、もう出来るようになっているのだ。
ずるい。
才能もあるのだろう。魔力も高いのだろう。でも、俺は4年も練習したのに
そんなことを思いながら後ろからティアの魔法を眺めていた。
「天に上り、集い、その身を地に捧げよ」
魔道言語による詠唱なのだろう。普段の言葉より聞きやすい。
俺が往復に使う水甕2~3杯分、一般的な家庭用の浴槽1杯分の水が畑の上にフヨフヨ浮いていた。俺には、こんな量の水を出すことは出来ない。
ん?
なんだか水の様子がおかしい。
「ティアちょっと待…「“大雨”!!」
ティアが手を畑にかざし叫ぶ。
浮いていた水玉が震え、シャワーのような水が辺りを濡らす。畑だけに的を絞った局所的な大雨。それが薬草園の隅々まで行きわたり。
畑の作物を壊滅させた。
違和感があったのだ。
ティアが作り出す水。
その水は俺の眼から見て分かるほど
大量の瘴気を内包していた。
ティアの詠唱に惹かれるように、何故か周囲の瘴気が水玉に集まってきていたのだ。ティアは詠唱に夢中で気づかない。ティアが出したものではなく周囲から集まって来た瘴気。瘴気に愛されし者…こういう事か…
水が降り注ぐと、収穫寸前の薬草は黒く染まり、枯れずして腐り落ちた。土も森の中の空気が悪いところのように立ち上る空気すら気持ちの悪い纏わりつくようなものに変わる。
「ご・・・ごめんなさ・・・」
「バカヤロー!!俺が、土から…このッ!どけよ!!いなくなれ!!」
俺は涙ぐむ少女を押しのけ神の気を溜め光る。
空気の重さはスグになくなる。土の様子は…残念ながら、何度か耕して浄化していかなきゃならないっぽい。薬草は…瘴気は抜けたが腐り落ちたままだ。
「クライ…ご、ごめ「引っ込んでろ!!」
後ろから声を掛けてくるティアに振り向かずに大声で返す。
ひっく、ひっくとティアが泣くのを我慢している声が聞こえた。
「ごめん…なさぃ」
そう言い残し、ティアは家へ戻る気配を背中で感じた。
ティアが立ち去ったあと振り返ると、ティアがいた足元には水の魔法でない雫が落ちた形跡があった。
実践訓練でも、魔法の練習でもマスターは何も言わなかった。
夕食を三人で囲む。初夏の野菜で作られたサラダもマスターが作ってくれたトマトのパスタも味気なく感じた。
ティアは疲れた様子で今日は本を読むことなく先にマスターの部屋へ入っていった。
次の日、ティアは俺の目を盗むように水汲みの合間だけを狙い畑の大甕から果樹園へ水を撒いたらしい。午後の実戦練習にティアは顔を出さなかった。
魔法の練習に入るときマスターは俺に一枚の紙切れを渡した。
「お前たちに何があったのか知らない。クライ、お前は私の修行をこなしているのだ、ただの子供と私は言えない」
俺は黙って聞いていた。薄っすらとはいえ前世の記憶もある。精神も大分体に合わせて退行しているが、自分が自覚する自我は子供とは言い難い自覚がある。
「だがティアは、どうなんだろうな。生贄として親の顔知らず、名前も持たず、確かに高い魔力と瘴気の扱い。ただの子供ではないのだろう。だが、中は、心はどうなんだろうな」
俺はハッとした。
確かに体つきは同じようなもんだ。
生活する上でも、贔屓されているとはいえ家に住んでからは俺と同じように出来る仕事をして訓練や魔法、勉強をする1ヵ月半を送っている。
だから俺は魔法の才能やティアの勤勉さに負けまいと張り合っていた。だが、そうだ。ティアは純粋に子供だ。前世の記憶があるわけでも、神から特殊な力を引きついたわけでも無く、ただ生まれが純血ダークエルフの血統で、たまたま突然変異として生まれた、それだけの子供なのだ。
半分に折られた紙切れを開く
そこには不慣れで書きなれていないだろう魔道文字が拙く記されていた。
『クらイ さま へ
わたし の、命を すくってくれて ありガとう
わたし は、おんを返す がしたいです。
おてつだい で、クらイのダイジな畑をこわして
とても、ごめんなさい。
わたし が、生きている はクらイの おかげ
あなた の、やくにたちたいです。
ティア』
それはティアからの手紙だった。
目を凝らし、前後から予想を立て、ようやく読み取れるような酷い文字で、だけど一生懸命に書いたことが分かる、そんな手紙だった。
言葉の勉強で分かったことだが、魔道言語は話すだけでもエルフの言語より遥かに難解だ。文字ともなれば、その難易度が更に上がる。この手紙を書くためにティアは、どれだけ勉強したのだろう。
俺も、来たばかりのころ、いや今でも。
マスターの役に立ちたいと思っている。正体不明の俺を拾い、生かしてくれている。その恩を返したいからだ。
ティアも同じなのではないだろうか。
逃げきれず、死にかけたが俺が時間を稼ぎ、マスターが敵を倒したことで生き延びることが出来た。そして今、生贄になるためだけに生きていた名もなき少女は、畑から泥棒をすることもなく食べる心配が消え、名前を持ち、可愛らしい服を着て生かされている。賢いティアが、そのことを自覚しないはずがないのだ。
恩を返したい。
たとえ僅かでも出来る全てで
この恩に報いたい
森の中、卵の中で絶望に暮れていたところ。もしマスターがいなければ服どころか食べ物もなく、街まで大人の足で5日間かけるような森を彷徨うはめになっていたのだ。命の恩人に恩を返したい。俺ですらそう思ったのだから。
俺は目線を手にした手紙と、マスターに向けキョドっていた。
マスターは、察した様子で「行ってこい」と言ってくれたので、俺は家に駆けて行った。マスターの「明日厳しくすればよいか」との呟きを耳に、扉をあけ、マスターの部屋まで走る
「ティア!ごめん!!俺が悪かった!!」
扉に向かって大声で言った。
扉を勢いよく開け
「俺は、ティアが魔法で俺の仕事をとっちゃうんじゃないかとか、マスターに贔屓されてズルいとか、そんなことばっかり考えてた!」
ティアはお着替えの最中だったらしく、これから着るであろう服で体を隠すと真っ赤になりながらマスターの布団へ潜っていった。
いや、こんな子供の着替えを覗いて、どうこう思うような中身じゃないんだけどね。冷静に扉を閉める。しばらくすると中から扉が開けられた。
「声が聞こえて…パジャマのままだったから、着替えてたの」
「う…ごめん」
ティアは、俯いていた。魔道言語でなく、人族の言葉でポツポツと話し出す。
「ううん。わたし、ごめんなさい。薬草、全部だめにして」
「私、今までオマエとかオイとかしか呼ばれたことなくて、生贄として、この森にきたの。一緒に来た大人の人たちは、いろんな封印を解こうとしてて、私はまってるだけだったんだけど、森に入ってから全然食べ物貰えなくて…畑からゴメンナサイ…その人たちはダメだったみたいで、多分…」
どうなったかなんとなく察しているのだろう
「私を連れて来た人はたくさんいたのに…封印が解けそうって2人が私を連れに来て、あの大きな魔物が…封印を解いた人がすぐに…もう一人は、私の事を食べて命令を聞けって叫んでたけど轢かれて…怖くなって逃げたの。生贄になるために生きて来たのに…ぐす」
「だ…だから、ぐす、たすけてくれたから…おかえしがしたかった」
「私は浄化も、ぐすっ…力のいる仕事もできないから…ま、魔法をって。ヒック…はな、話せるように言葉をって…なのに、なのにごめんなさぃ…ごめん、なさい」
ぽたぽたと涙の滴を床に落として、ティアは泣きながら俺に謝っていた。俺は、人族の言葉を聞き取ることは出来ても上手く話せない。こんな子供に、こんなに頑張らせて俺の方こそゴメンな。そう思いながらティアの頭を撫でた。
ティアは撫でると何故か、声を出して泣きだしてしまったので、そのまま抱きしめた。ティアは子供だ。俺は、それを忘れないようにしよう。そう思いながら俺の服で涙を受け止められるように抱き寄せ、頭を撫で続けた。
「仲の良いのは良いことだが…そういうのは大きくなってからしろ」
マスターが机に頬杖をつきながら言い放った。
俺はビクッとなったが、ティアも落ち着いたし、なんだかんだ、そのまま夕食になった。
マスターが風呂に向かった後、ティアに人族の言葉で助けたことを気にするなと伝えたがうまく伝えられたか自信が持てない。
「これからも、言葉、おしえてほしい。あと、畑は一緒につくろう。水の魔法、うまくつかえるかもしれない」
とティアにはお願いした。
今回は瘴気まみれで落としてしまったが、水魔法自体を浄化できないだろうか。もしできれば畑の作業は大幅に効率が良くなる。生活用水だってそうだ。
ティアは、髪の間から大きな瞳を輝かせて嬉しそうに
「うん!約束!私がんばるから!!」
と言っていた。前も思ったが、ティアは成長したらモテそうだな。
「明日から、頑張るからね!おやすみクライ」
「よろしくな、ティア。ん、おやすみ」
ティアは嬉しそうに部屋に戻っていった。
翌日、ティアの水魔法浄化は成功した。
実際に血も汗も滲ませて作った畑を2枚ほど犠牲にしたけれど、その畑の復活に作り直しレベルの仕事が待っているのも把握しているけれど、ティアが喜んでいるのだから良しとした。
この日を境に、ティアとはわだかまりなく接することが出来るようになった。
3人が暮らす家は、前よりも少しだけ賑やかな場所になった。
血の繋がりはないけれど、温かみのあるそこは俺にとって紛れもなく家族のいる家となっていた。




