第1話 一生懸命な勘違いAI
本作は、女性の身体・性感・セルフプレジャー機器を題材にしたAI開発コメディです。解剖学的名称や性的な話題を含みますが、官能描写を主目的とした作品ではありません。
午前九時十分。黒崎怜華は会議資料を開き、昨夜の会食のことを頭から追い出そうとした。
取引先の男性役員は、食事の間じゅう自慢話を続けていた。帰り際には「黒崎さんみたいな人も、いい男を見つけたら変わりますよ」と笑った。あの顔は、自分がその「いい男」だとでも言いたげだった。
面倒くさい。仕事の付き合いで自慢話を聞かされるだけでもうんざりなのに、恋愛にまで口を出されたくない。
「目指すのは、完全自動よ」
怜華は向かいの二人を見渡した。会議室の大型モニターには、白い曲面で構成された小型の装置が映っている。
三人が開発しているのは、女性が一人で性的な欲求を満たすための機器だった。身体に触れる部分の位置や刺激の強さを、使用者の希望に合わせてAIが調整する。使っている最中に、何度も設定をいじらなくていい。それが、怜華が企画の段階から譲らなかった条件だ。
「誰かの都合に合わせたり、機嫌をうかがったりしなくていい。使いたい時に、一人で好きなように使える。私が欲しいのは、そういう製品よ」
「『機嫌をうかがう』って、めっちゃ個人的事情っすね」
機械設計を担当する天城ミウは、金髪の毛先を指に巻きつけた。派手なネイルに大ぶりのピアス。どう見ても電子部品の調達交渉を一人でまとめる女には見えないが、怜華のチームで彼女以上に機械の癖を理解している人間はいなかった。
「市場調査に基づく要求仕様よ」
「その市場調査、被験者一名じゃないっすか?」
「まず一名を満足させられない機械が、百万人を満足させられる?」
「いいこと言ってるっぽいっすけど、実験計画としては穴だらけっすよ」
「量産前にモニターは増やすわ。今は試作機の説明をして」
ミウが画面を切り替えた。精密に制御される駆動部、取り外して洗浄できる接触ユニット、安全停止系。費用はかさんでいたが、構造はよく考えられている。
「ハードはできてるっす。問題はソフト。こいつ、どうすれば人が気持ちいいのか、まるで分かってない」
「女性の身体については、専門資料を学習させたんでしょう?」
「はい〜。基本の資料はひととおり読ませましたよぉ」
AIを担当する白石ひよりが椅子の上で小さく手を振った。淡いカーディガンの袖が手の甲まで落ちている。マグカップには小さなウサギの顔が付いていた。
「じゃあ起動して」
「はぁい。ユウくん、おはよう」
モニターに青い輪が灯り、若い男性の声が遠慮がちに流れた。
『おはようございます、ひよりさん。えっと……今日は、何を勉強するんですか?』
怜華は資料をめくる手を止めた。
「……誰?」
「試作AIのユウくんですぅ」
『初めまして。僕、まだ分からないことばかりなんですけど、一生懸命やります』
「ちょっと、ひより」
「はい〜?」
「なんでこんな設定にした?」
「え〜。素直でかわいいと思って」
「なんで女の身体を理解させるAIを、女の身体について何も知らない男の子にしたのよ!」
「知らないから、ちゃんと質問してくれるんですよぉ」
「そのせいで教え込むことが増えてる!」
『あの……僕がいると、困りますか?』
「その聞き方もやめて!」
『す、すみません』
「謝られると、こっちがいじめてるみたいでしょう!」
ミウは机に額を伏せた。肩が震えている。
「笑わない! あなたも責任者でしょう!」
「うちは機械担当っす。人格の趣味は管轄外っす〜」
「趣味って言ったわね?」
「……ちょっとだけ、私の好みも入ってますぅ」
答えたのは、ミウではなくひよりだった。
怜華は深く息を吐いて、ユウに話しかけた。
「いい? あなたの仕事は、女性用の装置を安全で快適に制御すること。専門知識に基づいて判断するの」
『はい。女性器の構造は勉強しました』
「なら、どうすれば気持ちいいかも分かるでしょう?」
『あの……敏感な場所を刺激すればいいんですよね?』
「大まかには、そうでしょう」
『じゃあ、一番敏感な場所に、一番強く作用させれば一番いいんですね』
「違うっす!」
ミウの椅子が床を滑った。彼女は一気に画面へ身を乗り出す。
「なんでそうなるんすか。敏感なところに強すぎる刺激を加えたら、痛いだけじゃないっすか。いきなり最大出力なんて、そんなの使わせられないっすよ」
『あっ……すみません。敏感なのと、気持ちいいのは違うんですね』
「そう! それ!」
怜華が指を突きつけると、ユウは気弱そうに言った。
『でも、どう違うんでしょう。僕には感覚がないので』
会議室が静かになった。
怜華は勢いのまま答えようとして、口を閉じた。その違いを、感覚のない相手にどう説明すればいいのだろう。
「ほらぁ」
ひよりが悪びれず笑う。
「かわいい質問でしょう〜?」
「質問はいいのよ。性格が余計なの!」
『あの、怜華さん』
「何」
『女性の皆さんは、自分の身体のことなら、ちゃんと分かるんですよね?』
怜華はミウを見た。ミウはひよりを見た。ひよりは、なぜか嬉しそうだった。
「……その質問は明日にしましょう」
『はい! 明日までに勉強しておきます』
「あなたじゃなくて、私たちの方がね」
思わず口にしてから、怜華は愕然とした。
会議が終わる頃には、完全自動化の企画書に、最も嫌いな一文が追記されていた。
**人間による追加教育が必要。**
しかも、教える側は自分だった。




