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勇者が死んだので、俺が“勇者だったこと”にされた  作者: 綴木 灯
第一章「勇者を演じる」

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Episode 007 — 保証できないことは、言わない

俺はまだ、その道を見たことすらなかった。


その道の安全を、保証してほしいと言われている。


順番としては、あまり良くない気がする。


「確認させてください」


俺は机の上の通行票を見る。


「ハルフェンの外に出たあと、どこまで安全が確認できてるんですか」


職員はすぐには答えなかった。


代わりに、イレーネが壁際の地図へ寄った。


「ここの旧料金所までは、今日も巡回が入ってる」


指が道をなぞる。


「その先は?」


「明日の朝、向こう側の巡回隊と引き継ぐ予定。でも、今日の確認便がまだ戻ってない」


「何かあった?」


「分からない」


イレーネはそこで止めた。


分からないものを、分かったように言わない。


ありがたい。


職員が補足する。


「ここ二日ほど、街道から外れた場所で武装した小集団を見たという報告があります。ただ、復員途中の兵なのか、地元の自警団なのか、それ以外なのかは確認できていません」


「襲われた人は?」


「今のところ、こちらには報告されていません」


安全だという証拠ではない。


危険だという証拠でもない。


きれいに、分からない。


向かいに座っていた父親が口を開いた。


「それは、さっき聞きました」


声に苛立ちが混じっていた。


「私たちも分かっています。絶対に安全じゃないことくらい」


母親も頷く。


子供だけが、大人の顔を順番に見ていた。


「それでも、明日出たい?」


俺が聞くと、父親はすぐ答えた。


「出たいです」


迷いはなかった。


「明日の便を逃すと、次は三日後です」


職員が言う。


「この家族は、外路の復旧隊と同じ荷車列に乗れる予定でした。復旧隊は明朝出ます」


父親が続ける。


「向こうの製材所で、人手を探してるんです」


「仕事?」


「はい。明日の隊と一緒に来られるなら、入れてもらえる話になってる」


「三日後だと?」


「その席が残ってるかは分かりません」


また、分からない。


今日はその言葉が多い。


母親が二つの荷物へ手を置いた。


「ここにいる間も、お金は減ります」


責める言い方ではなかった。


そのほうが重かった。


「子供も、ずっとこの待機所です」


俺は机の上の通行票を見る。


明日の朝。


復旧隊。


仕事。


三日後。


俺が一言言えば、その全部が動くらしい。


「勇者様の保証があれば」


職員が慎重に言った。


「例外として、明朝の便に載せられます」


「俺が保証すると、護衛が増えるんですか」


「いいえ」


「巡回の範囲が伸びる?」


「それもありません」


「じゃあ、変わるのは」


「通行許可です」


職員は少し申し訳なさそうに答えた。


「勇者様が安全に問題なしと判断した、という扱いになります」


道は変わらない。


護衛も増えない。


紙だけが変わる。


そして、その紙で三人が出ていく。


分かりやすい。


分かりやすいから困った。


* * *


「俺たちは行きます」


父親が言った。


「何かあっても、自分たちで決めたことです」


母親も頷いた。


「ここに残って、仕事までなくなるほうが困ります」


俺は二人を見る。


本気だった。


怖くないわけではない。


それでも行きたい。


その気持ちまで、俺が決めることではないと思う。


問題は、二人が行きたいかどうかではなかった。


俺が、知らない道を安全だと言うかどうかだった。


「一言でいいんです」


職員が言う。


「明日の外路は問題ない、と」


たぶん、本当に一言で済む。


俺はそういう一言を言うためにここにいる。


大丈夫だ。


心配するな。


勇者がついている。


何度も似た言葉を練習してきた。


客席は、舞台の先に何があるか知りたいわけではない。


役者が迷わず言えば、それで場面が進むこともある。


でも、これは舞台ではない。


この三人は、俺の台詞のあとで本当に道へ出る。


俺は通行票から目を上げた。


「安全だとは言えません」


父親の顔が固まった。


職員も黙る。


俺は続けた。


「その先が、まだ確認できてないので」


「それは分かってます」


父親の声が強くなった。


「分かったうえで行くと言ってるんです」


「はい」


「なら、私たちに決めさせてください」


その通りだと思った。


だから余計に、次の言葉が出しにくかった。


俺は少し黙った。


「でも、俺が安全だと言うことはできません」


「同じでしょう」


父親が立ち上がった。


椅子が床を擦る。


「あなたが言わなければ、この人たちは出さないんでしょう?」


職員は答えなかった。


答えなくても分かる。


父親は俺を見る。


勇者を見る目ではなかった。


「昨日は、敵だった人間を橋の向こうへ返したんですよね」


「はい」


「今日は、帰りたい私たちを止めるんですか」


言い返せることはいくつかあった。


橋と街道は違う。


昨日はリーゼが止められる範囲だった。


今回はその先が分からない。


たぶん全部、説明としては正しい。


でも、この人が失う明日の仕事を軽くする説明にはならない。


「……明日の便には、出せません」


職員が代わりに言った。


父親が唇を噛む。


子供が母親の服を引いた。


「帰れないの?」


母親はすぐには答えなかった。


それから、子供の頭へ手を置く。


「明日はね」


俺は何も言えなかった。


勇者なら、ここで何か言うのかもしれない。


大丈夫だとか。


必ず帰れるとか。


少なくとも、子供が少し安心する言葉を。


今の俺には、そのどれも言えなかった。


* * *


三人が待機所の奥へ戻ったあと、イレーネが職員を呼び止めた。


「寝床は?」


「今夜まではあります。明日から家族区域の割り当てが変わります」


「三人分、残して」


「食事券も延長が必要です」


「それも」


「次の護送枠は三日後ですが、人数が――」


「空きを確認して。無理なら別便を探す」


話が増えていく。


俺が一言言わなかったぶん、誰かの仕事が増える。


分かっていたつもりだった。


実際に聞くと、思ったより多い。


「ごめん」


俺が言うと、イレーネは書類から目を上げなかった。


「何に対して?」


「仕事、増やしたので」


「増えたね」


否定してくれなかった。


「でも、保証したら私の仕事が減るわけでもない」


そこで初めて俺を見る。


「その先で何か起きたら、もっと増える」


慰める声ではなかった。


ただの事実だった。


「明日の復旧隊には三席空く」


職員が小さく言った。


「製材所の話は?」


俺が聞く。


「復旧隊経由の紹介なので、たぶん一度流れます」


たぶん。


また、その言葉だった。


俺は待機所の奥を見る。


三人は見えなかった。


見えないほうが、少し楽だった。


* * *


翌朝。


復旧隊の荷車は、予定どおり出た。


俺たちの出発準備より少し早かった。


木材を積むための空荷の荷車が何台も並び、作業着の男たちが乗り込んでいく。


後ろから二台目に、三人分の空きがあった。


たぶん、あそこだったのだと思う。


父親は待機所の入口に立っていた。


荷車を見ている。


母親と子供も隣にいる。


足元には、昨日と同じ二つの荷物。


俺と目が合った。


父親は先に逸らした。


当然だと思う。


復旧隊が門を出ていく。


子供が一度だけ、荷車へ手を上げた。


誰に向けたのかは分からない。


俺は手を上げなかった。


代わりに、自分たちの馬車を見る。


俺たちには護衛がいる。


道の確認役もいる。


向こう側との連絡も取る。


だから出られる。


勇者だから安全なのではない。


安全にするための人間が周りにいるから、先へ進める。


その違いを昨日もっと早く分かっていれば、何か変わっただろうか。


たぶん、変わらない。


それでも考えてしまう。


「出るよ」


イレーネが言った。


「はい」


馬車へ向かう途中、セレクが橋の側から歩いてきた。


昨日の話をどこまで聞いていたのかは分からない。


彼は復旧隊が消えた門を一度見た。


「行かせなかったそうですね」


「安全だと言えなかったので」


「家族は、行きたいと言った」


「はい」


「それでも?」


俺は少し考えた。


説明を足すほど、言い訳になる気がした。


「俺には、分からなかったので」


セレクはしばらく何も言わなかった。


「覚えておきます」


セレクは馬車のほうへ歩き出す。


途中で振り返った。


「一つだけ」


「はい」


「ヴェルサでは、その顔を見て安心する人ばかりではありません」


俺は返事を待つ彼を見る。


昨日まで、勇者の顔は人を止めたり、動かしたりするのに使えた。


次は、顔を見せるだけで話が難しくなるらしい。


「分かりました」


それだけ答えた。


灰橋の向こうへ続く道が、朝の光の中に伸びていた。


今度は、見たことのない道を見に行く。

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