Episode 025 — 最後に、嘘を終わらせる方法を探す
方法は四つあった。
どれも、紙の上では一行だった。
六十九日目の朝。
昨日まで空だった会議場の端で、オスカーが細長い紙を四枚並べた。
一枚目。
**勇者継続保証を外す。**
二枚目。
**当初終了手順へ戻す。**
三枚目。
**保護保証を各担当へ分ける。**
四枚目。
**拡大帰還を縮小・延期する。**
「全部見るって言いましたけど」
俺は四枚を見る。
「本当に四つ出てくるんですね」
「出すだけなら簡単だ」
オスカーが言った。
「成立させるのが難しい」
それは昨日から分かっている。
イレーネは少し離れた机で警備導線の紙を見ていた。
今日も仕事の距離だった。
オスカーが一枚目を指す。
「まず、勇者の継続保証を外した場合」
「はい」
「橋。護送。帰還側の推薦。D地区の後退。どこまで今のまま残るかを確認する」
「俺が考えるんじゃなくて?」
「君に橋の警備人数を決められても困る」
「安心しました」
少しだけ本気だった。
オスカーは三枚目へ指を移す。
「代わりに、今いる人間が自分の権限で何を持てるかも聞く」
「イレーネも?」
「必要な範囲だけ」
イレーネは紙から顔を上げない。
「私が答えるのは、私の指揮範囲だけ」
「はい」
オスカーが二枚目を取る。
「当初終了手順は最後に見る」
「最後?」
「今の案を残したまま、君だけ八十一日で消せるかどうかだ」
言い方がかなり正確だった。
「たぶん、一番都合がいいですね」
「成立するならな」
四枚目。
「それで足りなければ、帰還の規模を落とす」
「どのくらい?」
「それを今日ここで言わないために確認する」
オスカーは四枚を重ねなかった。
別々のまま置く。
「明日から、順に歩く」
昨日の《明日の朝》は、これだったらしい。
答えではなかった。
答えを出す場所を決める朝だった。
それでも、何もしない朝よりはよかった。
* * *
七十日目。
《灰橋》の通行許可机には、札が二組並んでいた。
一組は今の運用。
もう一組は、昨日オスカーが頼んだ試算用だった。
上に大きく書いてある。
**第一保護期間・勇者立会い保証なし。**
リーゼはその紙を見ても、俺を見なかった。
理由を聞かない。
聞く必要のない仕事なのだと思う。
「現在の開放は維持できます」
最初に言った。
俺は少し驚く。
「勇者がいなくても?」
「いないと橋が開かないなら、今までの確認票は何だったんですか」
「そうですね」
少し安心した。
橋は橋だった。
リーゼが今の運用札を指す。
「今の時間。今の人数。今の引継ぎ地点。ここまでは変えません」
次に、試算用の札。
昨日まで増やす予定だった二つの時間枠に、灰色の札が載っている。
**再照会。**
「増やす方は?」
「橋だけなら出せます」
「橋だけ?」
「渡った先まで人を運ぶので」
リーゼが地図を開いた。
《灰橋》から西側第一分岐。
その先。
中継所。
南支線。
D地区。
「今の拡大案は、第一保護期間の帰還便が増える前提で組んでいます」
「はい」
「その帰還便の一部が、勇者立会いを安心材料として登録されています」
Episode023で見た説明票を思い出した。
勇者がいるなら、母親を先に出す。
そういう人がいた。
「保証を外すなら、同じ人数が来る前提では出せません」
「人数が減るから?」
「それもあります」
リーゼは西側第一分岐を指した。
「護送責任者は、今も便ごとに決まっています」
「はい」
「変わるのは、乗る人と便の組み方です。勇者立会いを条件にしている登録を外せば、参加人数を確定し直すことになる」
「人数が変わると?」
「荷車。医療枠。出発時刻。護送単位」
指が地図の上を移る。
「全部、人数に合わせて組み直します」
「同じ人数が残ったら?」
「今の責任者で出せる範囲を確認します。足りなければ便を分ける」
「橋は?」
「空いている時間まで閉める理由はありません」
かなり普通だった。
勇者がいなくても世界は終わらない。
札が少し減る。
そのくらいが、たぶん一番困る。
リーゼが窓の外を見る。
「ちょうど一便出ます」
「今の?」
「今の運用です」
二台の荷車が、白い通行札をつけて出発線へ入っていた。
「第一分岐まで見れば、今の責任の切れ目は分かります」
俺はイレーネを見る。
彼女はもう立っていた。
「行くよ」
仕事の声だった。
* * *
橋の上では、勇者の仕事はなかった。
二台の荷車。
前に護衛二人。
後ろに二人。
イレーネは先頭と二台目の間を歩く。
俺は後ろ寄り。
いつもの位置だった。
橋の中央で人数確認。
西側で通行札確認。
門が開く。
閉じる。
それだけで進む。
一台目には老夫婦と荷物。
二台目には三人家族と木箱が乗っていた。
誰も俺に何かを聞かなかった。
少しだけ楽だった。
第一分岐には、別の護衛が待っている。
名前は聞かなかった。
今日一日しか会わない人まで増やすと、俺の頭の方が先に閉じる。
腕章だけ違う。
イレーネが台帳を出した。
「二台。五人。荷物九。途中停止なし」
向こうの責任者が数える。
「受領。中継所まで四名」
紙に印を押す。
イレーネも押す。
二つの欄が埋まった。
**引渡し前責任者――イレーネ・クロイツ。**
**引渡し後責任者――西側第一分岐警備責任者。**
勇者の欄はなかった。
荷車がまた動く。
俺たちはそこで止まった。
「ここまでは、イレーネ」
俺が言う。
「そう」
「ここからは、あの人」
「そう」
「南支線なら?」
「別の指揮」
「まだ決まってないところもある」
「ある」
それだけだった。
一つの道には、一つずつ持つ人がいる。
勇者一人で道全体を持っているわけではない。
でも、持つ人が決まっていない区間を、勇者の名前で決まったことにはできなかった。
* * *
帰還準備区画へ入ると、セレクは反対側の机にいた。
朝から代表者用の説明票を確認していたらしい。
俺たちが入っても、すぐには来なかった。
係員と一枚の宿泊票を見終えてから、こちらへ来る。
その間に、試算用の板が出された。
本番ではない。
出発候補札の複製を使う。
第一便。
残る。
第二便。
**保留。**
第三便。
**保留。**
「これが、勇者保証なしの案?」
俺が聞く。
「今ある個別保証だけで組んだ場合です」
係員が答えた。
「第一便は、橋から第一分岐までクロイツ副官指揮。その先の受入れも確認済み。宿と医療枠も取れています」
「第二便は?」
「南支線を通ります」
D地区。
二日前にも赤い札が残っていた場所だ。
「第三便は、人数が多くて今の開放時間では収まりません」
「だから拡大が要る」
「はい」
係員が二枚の札を保留欄へ置く。
試算なのに、木の札が当たる音が妙に大きく聞こえた。
オスカーからの照会票が、セレクの前にも一枚置かれる。
**勇者継続保証を置かない場合、帰還側代表として推薦可能な範囲。**
秘密は一文字も書いていない。
セレクは試算板を見る。
「第一便については、検討できます」
「勧められる?」
俺が聞く。
「まだです」
即答だった。
「条件が揃っている、というところまでです」
「第二と第三は」
「今のままなら勧めません」
「勇者がいないから?」
セレクは保留札を見る。
「勇者がいないことだけが理由ではありません」
第二便を指す。
「南支線の引継ぎが未確定」
第三便。
「拡大後の便が未確定」
それから俺を見る。
「勇者がいる、という一行を外すと、残っている条件が見える」
「見えた方がいい?」
「決める側には」
味方の答えではなかった。
今日も、そうだった。
「この形なら、帰還側へ何て言います?」
「第一便は、名前のある護送と受入れがある」
セレクが言う。
「第二、第三は待つ」
「待つ人が増える」
「増えます」
「それでも?」
「私が帰れと言う人間に、ない保証をあるとは言いません」
短かった。
係員が試算板の下へ新しい紙を挟む。
**初期帰還・限定案。**
昨日までの紙にはなかった言葉だった。
限定。
便利な文字ではない。
保留欄の二枚が、その意味だった。
* * *
帰還準備区画を出ると、オスカーが入口脇にいた。
手に、灰色の返書を二枚持っている。
「そっちは?」
俺が聞く。
「D地区と後退調整側」
一枚目を見せる。
**D地区・現行保安条件。**
その下。
**第三警戒隊――維持。**
**南支線安全条件――継続。**
「勇者保証を外しても?」
「外すから増やす、とは書いていない」
オスカーが言う。
「未回収武器と南支線の条件が消えていないから残す、と」
ベアトリスらしい答えだった。
俺の正体を疑っているかどうかとは、別の紙で考えるらしい。
二枚目。
**第二段階後退・主要区画。**
**現行移動を基礎に再確認。中止要求なし。**
「こっちは?」
「勇者保証だけで決めた後退じゃない。すでに荷も動いている」
「残る?」
「再確認は要るが、残せる可能性は高い」
D地区は残る。
元から残っている。
主要区画は、全部やり直しにはならない。
それも試した結果だった。
「戻るぞ」
オスカーが書類馬車を指す。
俺とイレーネも乗った。
荷台の半分は紙だった。
人より多い。
馬車が石を踏む。
紙束が一度跳ねた。
一枚が床へ落ちる。
俺が拾う。
**第二段階後退・再調整候補。**
全部は消えない。
全部が残るわけでもない。
紙は、その中間だけ増えていった。
* * *
七十一日目。
会議場の中央に、昨日とは違う板が立っていた。
昨日までの最終協議案ではない。
オスカーが作らせた比較用の板だった。
左。
**現行案。**
右。
**勇者継続保証なし。**
左には札が多い。
《灰橋》拡大。
初期帰還三便。
第二段階後退。
第一保護期間。
D地区二点留保。
右は少なかった。
《灰橋》現行運用――維持。
拡大便――再照会。
初期帰還第一便――条件確認。
第二便――保留。
第三便――保留。
主要区画第二段階後退――維持見込み。
D地区第三警戒隊――維持。
南支線――再調整。
昨日、地図や台帳で見たものが一枚に集まっていた。
「壊れてはいませんね」
俺が言う。
「壊れてはいない」
オスカーも認めた。
「ただ、今より狭い」
「待つ人が増える」
「増える」
「兵も残る」
「D地区は特に」
「会議は?」
「文面を変えるなら再確認が要る」
「延期?」
「可能性はある」
全部、昨日より見やすかった。
見やすいから軽いわけではなかった。
「これが四枚目ですね」
俺が言う。
「拡大帰還を縮小する」
「そうだ」
オスカーは右側の板を見る。
「勇者を外した穴を全部別の人間で埋めるんじゃない」
一枚の保留札へ触れる。
「穴が出ないところまで、最初に動かす範囲を戻す」
「かなり減りました」
「かなり減る」
そこを良い話にはしなかった。
「今まで準備した人たちは?」
「待つ」
「いつまで」
「次の保証と運用が揃うまで」
答えはあった。
日付はなかった。
俺だけではなく、待つ側にも終わりが見えなくなる。
右側の板にも札は残っている。
でも、左と同じ数ではなかった。
* * *
「じゃあ、二枚目を見ます」
俺が言った。
オスカーは何のことか分かっていた。
会議場の壁際。
署名後に各区画へ回す説明書の束がある。
まだ封はしていない。
オスカーが一部取った。
第一保護期間。
勇者立会い。
予定確認日、第九十六日。
昨日まで何度も見た文だ。
「このまま署名する」
俺が言う。
「それで、八十一日で元の終了手順に戻す」
イレーネの視線が一度こちらへ来る。
オスカーは紙を閉じなかった。
「公には、容体悪化から活動停止。必要なら、その後に死亡発表」
「元の予定ですね」
「時期は後ろへ動くが、形は」
「その場合、この紙は?」
俺は第九十六日の行を指す。
「途中で成立しなくなる」
オスカーが言った。
「本当に傷が悪化して死んだなら?」
「将来の事故や病死まで保証できる条文ではない」
「ですよね」
「実際にそうなったなら、その時点で代わりを協議する」
そこまでは普通だった。
「でも、俺たちは八十一日にいなくするつもりで署名する」
オスカーが黙る。
俺も続けなかった。
言葉の問題ではなかった。
紙の下には、署名後配布と書いてある。
これを受け取る人は、第九十六日まで勇者が立つ予定だと思う。
その時、俺たちはもう八十一日に終わらせる予定を持っている。
「セレクは受けない」
オスカーが言った。
「はい」
「彼が知らなければ、手続きとしては進められる」
「知ってます」
「そうだ」
それで終わった。
誰かが本当に倒れる可能性と。
倒れることにしてから約束することは。
同じ欄へは入らなかった。
「文を変えるなら?」
俺が聞く。
「勇者が活動可能な場合に限る、とでも?」
「それなら保証の意味が弱くなる」
「一枚目に戻る」
「戻る」
四つの方法は、別々に見えていた。
二枚目だけ、途中で一枚目へ戻った。
* * *
午後、比較板の右側に札が三枚増えた。
**帰還側へ再提示必要。**
**連合側承認再確認。**
**ハルフェン運用再確認。**
俺は札を読む。
「これは?」
「静かに差し替えられない、という意味だ」
オスカーが答えた。
「セレク側には、勇者保証がない条件で帰還を選び直してもらう」
「はい」
「連合側にも、帰還規模と後退条件が変わることを出す」
「はい」
「リーゼにも、最終運用として確認を取り直す」
「はい」
「ここで右の板に替えて、左の説明を配ったままにはできない」
当たり前だった。
右側を選ぶなら。
待つ人にも。
兵を下げる人にも。
橋を通す人にも。
条件が変わったことを知らせないといけない。
「理由は?」
俺が聞く。
「どこまで言う必要があります」
オスカーは少し考えた。
「最低限なら、第一保護期間を通した勇者継続を保証しない、と」
「それだけ?」
「文書だけなら」
「聞かれますよね」
「聞かれる」
「どうして、今ここにいる勇者が、九十六日にはいないかもしれないのか」
「聞かれるだろうな」
オスカーは右側の板を見る。
「説明しないまま押し切ることも、不可能ではない」
「でも信用は落ちる」
「落ちる」
「何か別の理由を作るなら」
そこまで言って、やめた。
また嘘になる。
オスカーも続きを言わなかった。
「真実を全部言わなくても、条項を外すこと自体はできる」
やがて言った。
「ただし、今の広い案は残らない。理由を伏せるなら、その不信まで追加で払う」
「はい」
「全部言うなら、別の損が出る」
「それも分かってます」
まだ、どちらを選ぶ話ではなかった。
今日は、方法を探す日だった。
比較板の右側にも、札は残っていた。
橋。
第一便。
主要区画の後退。
消えていないものはある。
その隣に、保留札も残っている。
あとから俺だけ消える方法は、見つからなかった。
「七十三日の夜」
オスカーが言った。
俺は顔を上げる。
「会議前に、最後に一度だけ話そう」
「何を?」
「右側を選ぶ場合に失うものと」
左側を見る。
札が多い。
人も多く動ける方。
「君が九十六日まで立つ場合に残せるものを」
それは、まだ見ていない最後の比較だった。
「分かりました」
オスカーが比較板を布で覆う。
今日はまだ、どちらも正式案ではない。
嘘を終わらせる方法はあった。
和平を小さくして、条件を出し直す方法。
でも、黙って終わらせる方法はなかった。
俺がいない未来を選んでもらうなら。
俺がいないことだけは、先に言わなければならない。




