Episode 021 — 勇者がいなくても、止められる人
二日前に集まり始めた人たちは、二日で減らなかった。
顔ぶれだけが入れ替わった。
D地区の帰還待機所は、街道が三つに分かれる場所にある。
東がドラン。
北が連合側の集落。
西へ行けば《灰橋》方面。
普段なら、道を選ぶための場所だった。
今日は、人を渡すかどうかで揉めていた。
「第五輸送隊だ!」
柵の向こうから声が飛ぶ。
「そいつらの隊番号、紙に出てるぞ!」
帰還者の列が止まった。
二十人ほど。
男も女もいる。
荷車は三台。
昨日まで別の待機所にいた旧補助部隊の人たちで、今日ここから西側の保護路へ入る予定だった。
胸には白い通行札。
そのうち四人の旧所属欄に、同じ文字がある。
**旧補助第五輸送隊。**
柵の外には、その文字だけを書き写した紙を持っている人間がいた。
紙そのものは軍の書式ではない。
手書きだった。
上には、D地区北側で戦争中に焼かれた三つの集落名。
その下に、いくつかの部隊番号。
第五輸送隊もある。
「この紙は?」
俺が聞く。
帰還手続きの係員が首を振った。
「出所を確認中です。戦後の聞き取りを誰かがまとめ直したものらしいですが、原本との照合はまだ」
「全部嘘かもしれない?」
「そうとも言えません」
すぐ返ってきた。
「少なくとも、北側三村で被害があったことは記録にあります。旧魔王軍系の部隊が通った証言もある。ただ、この四人が何をしたかは別です」
別。
たぶん、そこが今日一番大事だった。
柵の外にいる人たちには、そう見えていない。
四十人くらい。
地元の住民。
黒い喪章をつけている人。
農作業の服のまま来た人。
軍服も六人ほどいる。
腕章を外しているので勤務中ではないらしい。
そのうち一人が柵を叩いた。
「調べるなら、こっちで調べる!」
「通したらまた消えるだろうが!」
後ろから別の声。
「この前だって敵を先に通した!」
聞いたことのある言葉だった。
俺が直接聞くのは、これで二回目になる。
回数を数えても、軽くはならなかった。
「帰還者を一歩下げて」
イレーネが言った。
声は大きくない。
でも、護衛がすぐ動いた。
「荷車の内側へ。護衛は間隔を詰める。抜剣しない」
「了解」
俺へは何も言わない。
それでよかった。
今日の護送隊は、ここから西側第一分岐の引継地点までイレーネの指揮下にある。
帰還者の通行札を確認するのは待機所の係員。
外側の連合兵を動かすのは、この地区の警備隊長。
俺の担当欄はなかった。
少し安心した。
* * *
警備隊長は、五十前くらいの男だった。
名前は聞いたが、たぶん今日しか会わない。
部下二人を連れて柵の前へ出る。
「軍服の者は下がれ」
外にいた六人を見る。
「勤務外でも所属は消えん。命令違反は取る」
三人はすぐ下がった。
二人は動かなかった。
一人だけ、前へ出た。
「隊長。北の村で死んだのは、こいつらのせいかもしれないんですよ」
「だから記録を出せ」
「出してる!」
手書きの紙を持ち上げる。
「原本を持ってこい。証言者がいるなら名前を出せ。照会を掛ける」
「その間に西へ行く!」
「通行を止める根拠が出れば、係へ回して正式に止める」
隊長は柵を指した。
「今あるのは部隊番号だけだ」
兵の顔が歪む。
「部隊が村を焼いたなら十分でしょう」
「十分か決めるのはここで怒鳴った人数じゃない」
隊長の声も少し硬くなった。
柵の外から、女の声がした。
「うちの家は焼けました!」
みんながそちらを見る。
五十代くらいの女だった。
手にはさっきの紙。
「父は逃げる途中で死んだ。弟は戻ってない。第五輸送隊がいたって、村の人が見てる」
警備隊長は黙って聞く。
「名前を伺います」
係員が紙を持って近づいた。
女は名乗った。
村の名前も。
見たという人の名前も二人出した。
係員が全部書く。
嘘だとは言わない。
本当だとも、まだ言わない。
女は柵の向こうを見る。
「それでも帰すんですか」
答えたのはイレーネだった。
「今日は引き渡さない」
女がイレーネを見る。
「敵を?」
「今、私の護送下にいる人を」
イレーネは言った。
「正式な移管命令か、通行停止の記録が出るまでは渡さない」
「勇者様の命令ですか」
「違う」
短かった。
「私の指揮です」
柵の外がざわついた。
俺も少しだけ驚いた。
内容ではない。
あまりに迷わず言ったからだった。
* * *
最初に柵を越えようとしたのは住民ではなかった。
軍服の男だった。
さっき警備隊長の前へ出た兵だ。
横の低い柵に手を掛ける。
「待ってたら逃げる!」
警備隊長が言う。
「戻れ!」
男は越えた。
着地する。
帰還者の四人のうち、一人へ向かう。
四十くらいの、痩せた男だった。
第五輸送隊と書かれた札を胸につけている。
護衛が二人、間へ入る。
軍服の男が片方の肩を押した。
そこでイレーネが動いた。
速かった。
男の前へ入り、剣の柄に伸びかけた右手を押さえる。
「手を離して」
「クロイツ副官、どいてください」
「戻って」
「そいつらは――」
「戻って」
同じ声だった。
男が腕を振った。
たぶん、イレーネを殴るつもりではなかった。
邪魔な腕を外そうとしただけだと思う。
それでも次の瞬間には、男の腕が背中へ回っていた。
剣帯が外される。
膝が地面についた。
派手な音はしなかった。
「隊長」
イレーネが呼ぶ。
「そちらの兵です」
警備隊長がすぐ来る。
「拘束する。命令違反と護送妨害」
自分の部下へ言った。
二人が男を受け取る。
イレーネはそのまま護衛へ向く。
「列を詰める。帰還者は荷車の後ろから出ない」
「了解」
今度は、外から何人も声が上がった。
「敵を守るのか!」
「味方を縛ってまで!」
「また敵側が先か!」
最後の言葉だけは、前より近かった。
俺のほうを見る人間が増える。
来ると思った。
「勇者様!」
やっぱり来た。
さっきの女ではない。
黒い喪章の男だった。
「勇者様はどうなんです!」
何を、と聞く必要はなかった。
「こいつらをこのまま帰すんですか!」
視線が集まる。
前なら、ここで一言言うのが仕事だった。
たぶん今も、言えば効く。
勇者が前へ出る。
敵も味方も落ち着けと言う。
昔から何度も使われてきた形だ。
イレーネは俺を見なかった。
護衛の間隔を直している。
警備隊長は拘束した兵の名前を確認している。
係員は女の証言を書き続けている。
もう、動いている人がいた。
俺が真ん中に入らなくても。
「この護送の指揮はクロイツ副官です」
それだけ言った。
男が聞き返す。
「勇者様は止めないんですか」
「別の命令は出しません」
声を張る必要はなかった。
聞きたい人は聞いていた。
それ以上は言わなかった。
正しい人が誰かを決める演説は、今日は要らない。
少なくとも俺の仕事ではなかった。
* * *
柵の外の人間は、すぐには帰らなかった。
一人拘束されたからといって、父親や弟が戻るわけではない。
怒りが消える理由もなかった。
ただ、次に柵を越える人はいなかった。
警備隊長が軍服の残り五人を道路の反対側へ下げる。
「勤務外兵は全員、詰所で事情聴取。拒否するなら上官へ回す」
今度は全員従った。
住民には係員が一人ずつ回る。
紙の出所。
証言者。
村名。
日付。
書けるものは書く。
分からないものは分からないまま残す。
第五輸送隊の四人も、何もなかったことにはならなかった。
係員が通行札に小さな印を追加する。
「照会継続。次の中継所でも所在確認を取ります」
痩せた男が聞く。
「俺たちは捕まるんですか」
「今は通行許可が有効です」
係員が答える。
「正式な照会命令が来れば、次の場所で話を聞くことはあります」
男は何か言いかけて、やめた。
無実だと叫ばなかった。
それで無実だとも、有罪だとも分からない。
「出す」
イレーネが言った。
護衛が動く。
一台目の荷車。
二台目。
帰還者が柵の内側から西の道へ入る。
外から罵声が飛ぶ。
石は飛ばなかった。
護衛の一人がイレーネへ聞く。
「副官、後ろにつきますか」
「最後尾」
「勇者殿は」
「中央。いつもどおり」
仕事の声だった。
俺に聞かずに決める。
それも、いつもどおりだった。
列が動き出す直前、柵の外から女の声がした。
さっき証言した人だった。
「クロイツ副官!」
イレーネが振り向く。
「あなた、どっちの兵なんですか」
イレーネは少しだけ止まった。
「今日は、この護送の指揮です」
それだけ答えた。
女は納得しなかった。
当然だった。
俺も口を挟まなかった。
* * *
西側第一分岐で、予定どおり次の護衛隊へ引き継いだ。
帰還者の列は、そのまま西へ進んでいく。
第五輸送隊の四人も一緒だった。
照会の印をつけたまま。
俺たちは待機所へ戻った。
待機所では、セレクが係員と話していた。
今日の帰還登録を確認するため、朝から来ていたらしい。
俺たちを見ると、先にイレーネへ向いた。
「先ほどの件、記録は残りますか」
「残す」
イレーネが答える。
「護送妨害一件。地域側の照会申立て。帰還者四人は所在確認継続」
「誰の命令で引き渡さなかったかも?」
「私」
セレクは一度だけ頷く。
それから係員を見る。
「記録にも、その名前で?」
係員が台帳を確認する。
「護送指揮、イレーネ・クロイツ副官。地域側の兵士拘束はD地区警備隊長命令です」
「そのまま残してください」
セレクが言った。
俺は聞く。
「何に使うんです」
「帰るよう勧める時に」
セレクは台帳を見る。
「誰が止めたかは必要です」
それ以上は広げなかった。
今日、柵を越えた一人を止めた人間の名前が残った。
それだけだった。
台帳には、イレーネ・クロイツと書かれていた。
* * *
「勇者殿、何か手続きがありますか」
係員が台帳を閉じながら聞いた。
俺は帰りかけて、止まった。
せっかく道の机がある。
一つ、確認しておきたいことがあった。
「会議が終わったあとの個人移動って、ここで申請できます?」
係員が顔を上げる。
「個人移動?」
「ミレア方面です」
言うと、少し懐かしい地名に聞こえた。
係員は別の帳面を出した。
人名ではなく、役職ごとの移動予定が並んでいる。
指を滑らせる。
一度戻る。
もう一度見る。
「勇者殿の個人移動枠は、こちらでは受け付けられません」
「前から?」
「いえ」
係員が困った顔をした。
「現在、勇者殿の移動は警護行程側で一括管理になっています。個人旅程を入れるなら、調整局と警備側の確認が必要です」
俺は帳面を見る。
「いつからです?」
「そこまでは、こちらでは」
係員は別の紙を探す。
「確認を回しますか」
「お願いします」
簡単な返事だった。
ミレアへ行く。
そのための道を一つ確認するだけだった。
今日、誰が誰を止める権限を持っているかを何度も見た。
最後に確認したのが、自分の道だった。
そこだけ、誰の欄に入っているのか分からなかった。




