Episode 012 — 本物の勇者にも、果たせなかった約束がある
二日後。
十一人の名前は、死者の碑にも、帰還者の名簿にもなかった。
だから俺たちは、崩れた救護中継所の机に、その十一人をもう一度並べていた。
ドラン街道から少し外れた丘の下。
建物は半分しか残っていない。
屋根は落ち、石壁には焼けた跡がある。
戦争中は負傷者をいったん集め、後方へ送るための中継所だったらしい。
今は風のほうがよく通る。
建物の外には、確認された戦死者の名を刻んだ板が立っていた。
十一人の名前は、そこにもない。
死んだと確認されていないからだ。
帰ったと確認された場所にもいない。
こういう人間は、どこに置けばいいのだろう。
少なくとも、石碑の作り手には分からなかったらしい。
「勇者様」
呼ばれて振り向く。
セレスタで十一人の名簿を抱えていた女が立っていた。
あの時より旅装は軽い。
腰に下げていたドラン方面の通行札もない。
ここでは、彼女のほうが地元だった。
後ろに五人いる。
年齢も服装もばらばらだった。
全員が同じ家族というわけではない。
十一人を待っている側の人間たちだと、それだけ説明された。
女の視線が机へ落ちる。
「持ってきてくださったんですね」
「はい」
これは言える種類の返事だった。
セレスタで俺が約束したのは、十一人を連れて帰ることではない。
残っている記録を集めて、分かったことを返すことだった。
紙を持ってくる約束と、人を連れて帰る約束を同じ秤に載せるのは、たぶんずるい。
それでも、前者なら今日ここで果たせる。
「始めます」
記録官が木箱を開けた。
* * *
セレスタに無かった続きは、ここに残っていた。
正確には、ここから回収された箱の中に。
最初の帳簿は救護中継所のものだった。
紙の端が黒く焼けている。
途中の頁は水を吸って波打っていた。
最後に十一人の所属が確認された日の記録。
負傷者が増えたこと。
薬が足りなくなったこと。
夜に二度、移送馬車を出したこと。
その次の頁から、字が急に荒くなる。
襲撃。
退避。
負傷者と救護員の分散。
そこで十一人の行き先が切れていた。
ここまでは知っている。
問題は、そのあとだった。
記録官が別の紙束を置く。
紙質が違う。
連合軍の野戦司令部から出た捜索記録だった。
「救護所壊滅の報告後、三経路に照会と捜索が出ています」
指が文字を追う。
「北側の荷継ぎ所。東の臨時治療所。旧捕虜移送線」
一枚目。
該当確認なし。
二枚目。
搬送者多数、氏名記録不完全。
三枚目。
収容者名簿との照合継続。
俺は次の紙を見る。
同じ十一人の名前が、何度も書かれていた。
横に線。
丸。
疑問符。
誰かがちゃんと探している時につく汚れだった。
「これ」
女が一枚を指す。
「勇者様の名前がある」
紙の下に、ユリウス・レグナートの名があった。
捜索継続。
北側荷継ぎ所の再確認。
捕虜収容記録との照合優先。
短い指示が三つ。
「本人が出したものです」
記録官が言う。
「少なくとも、司令部記録上は」
女は俺を見た。
正確には、ユリウスを見た。
「本当に探してくれてたんですね」
俺は答えなかった。
俺が褒められる場所ではない。
後ろにいた年配の男が、椅子へ手を置いた。
力を抜いたようにも見えた。
「じゃあ、忘れてたわけじゃなかった」
誰もすぐには返さなかった。
忘れていなかった。
それだけなら、たぶん良い話だった。
記録官が次の紙を出す。
ハルフェンから追加された新しい記録。
俺にも見覚えがある。
《灰橋》で戻ってきた兵士の証言だ。
十一人のうち一人の名前を、ドラン街道北寄りの荷継ぎ所で誰かが呼んでいた。
本人を見たわけではない。
時期も曖昧。
それでも、古い捜索記録の「北側荷継ぎ所」という文字と、初めて同じ場所に載った。
女の指がその二枚の間を往復する。
「ここまで行ってた可能性がある?」
記録官はすぐには頷かなかった。
「可能性はあります」
「じゃあ、生きていた?」
「そこまでは言えません」
女の顔が少し固くなる。
記録官は視線を逸らさなかった。
「声だけです。本人が呼ばれたのか、同名の別人かも確認できていません」
「……分かりました」
セレスタで俺へ言った時と、よく似た声だった。
全然、分かった声ではない。
でも今日は、俺が言わせたわけではなかった。
* * *
捜索記録は、四日目で止まっていた。
それが一番分からなかった。
最初の三日は、細かい。
誰がどこへ行った。
何人に聞いた。
どの名簿と照合した。
四日目の午後。
一行だけ。
**勇者一行、東街道へ転進。捜索は現地班へ引継ぎ。**
その下に続きがない。
「現地班の記録は?」
俺が聞く。
記録官が首を振った。
「別帳簿があった可能性はあります。ただ、この中にはありません」
「中央には?」
「完了報告は無いままです」
セレスタで聞いた言葉と同じだった。
完了報告はありません。
ただ、今回は、その手前が増えている。
女が紙を見たまま言った。
「東街道に、何があったんですか」
記録官は答えられなかった。
代わりに、隣に立っていたイレーネが口を開いた。
「報復行軍が動いた」
全員の目が向く。
イレーネは机ではなく、崩れた壁の外を見ていた。
「連合側の武装した一団が、投降者を収容していた町へ向かった。止めなければ、そこでまた戦闘になる可能性が高かった」
「それで」
女が言う。
「勇者様が?」
「そちらへ行った」
イレーネは短く答えた。
「この捜索は現地班に引き継いだ」
「戻るつもりだったんですか」
少し間があった。
「本人は、そう言っていた」
女が俺を見る。
俺は動かなかった。
「でも」
イレーネが続ける。
「この捜索には戻らなかった。そのまま最終攻勢の準備に入った」
風が壊れた窓から入る。
机の紙が一枚浮いた。
記録官が押さえる。
それだけの音が、しばらく続いた。
年配の男が先に口を開いた。
「じゃあ、別の人を助けに行ったんですか」
「そうです」
イレーネは否定しなかった。
「私たちより?」
今度は答えなかった。
男がもう一度聞く。
「そっちのほうが大事だったんですか」
「私には決められません」
イレーネの声は変わらない。
でも、短かった。
たぶん、それ以上長くすると別のものが混じるのだと思った。
女が十一人の紙を見る。
「見捨てたわけじゃなかった」
誰に言ったのか分からない。
「でも、戻ってもこなかった」
同じ口から出た。
どちらも本当だった。
* * *
「なら」
女が顔を上げた。
「今、戻ってきたんでしょう」
その言葉は、俺に向けられていた。
勇者ユリウス・レグナートに。
「戦争は終わった。ここにも来た。だったら、続きをしてください」
返事に困ったのは、事実が足りないからだけではなかった。
本当のユリウスは、もう続きをできない。
それを知っているのは、この場では俺とイレーネだけだ。
俺が答える前に、記録官が言った。
「未照合の収容記録は、まだ残っています。照合は続けます。新しい記録が出れば、同じ窓口からお返しします」
女は記録官へ一度頭を下げた。
「ありがとうございます」
それから、俺を見る。
「でも、私が聞いているのは紙の話じゃない」
「はい」
「十一人です」
「はい」
「今度こそ、最後まで探すって言ってください」
言える台詞だった。
言い方も知っている。
この場所なら、たぶん前より上手く言える。
記録まである。
ユリウスが本当に探した証拠もある。
同じ約束を重ねる理由は、セレスタの時より増えていた。
だからこそ。
「十一人全員を必ず連れて帰る、とは言いません」
女の目が閉じた。
一度だけ。
「前も、そう言いましたね」
「はい」
「前のあなたは、言ったのに」
俺は返せなかった。
前の俺、ではない。
でも、それを言えるはずもない。
後ろの男が机を見た。
「紙で人は帰らない」
「はい」
そこも否定できない。
女が顔を上げる。
怒っていた。
セレスタの時より、静かに。
「でも、あの約束があったから、捜索が始まったんです」
俺は机の記録を見る。
三つの経路。
何度も書かれた十一人の名前。
確かにそうだった。
「みんな、あの言葉を信じて待った。家を残した人もいる。墓を作らなかった人もいる」
女は紙を一枚取る。
ユリウスの指示が残った紙だった。
「無責任だったみたいに言わないでください」
「言いません」
そこだけはすぐに答えた。
女の目が少し動く。
俺は続けなかった。
約束が大きすぎたとか。
守れないことを言うべきではなかったとか。
そんなことを、ここで俺が言うのは簡単だった。
でも、その約束で動いた人間がいた。
探した人間がいた。
待てた人間もいた。
そして、待ったままになった人間もいる。
全部同じ紙の上に残っている。
女はしばらく黙っていた。
やがて、十一人の名簿と記録の束をまとめる。
「これは、持って帰っていいんですよね」
記録官が頷いた。
「公開できない軍事記録を除いた写しです。照合結果も追加で送ります」
「お願いします」
女は俺ではなく、記録官へ言った。
それでよかった。
立ち上がる。
「私は」
出口の前で一度止まった。
「前の約束を、まだ捨てません」
俺を見た。
「あなたが今、同じことを言わなくても」
「……はい」
それしか言えなかった。
女たちは、十一人分の紙を持って出ていった。
人は一人も増えていない。
それでも、セレスタで渡せなかったものは渡せた。
良かった、と言うには少し足りなかった。
* * *
記録官が残った箱を閉じる。
俺は手伝おうとして、やめた。
中身の順番を知らない。
イレーネが一番上の帳簿を持ち上げた。
「前のあなたなら言った、か」
「そうみたいですね」
「たぶん言った」
「でしょうね」
それで会話は終わると思った。
イレーネは帳簿を箱へ戻す。
「前も、そう言わなければいいと思ったことはある」
俺は彼女を見る。
イレーネはこっちを見なかった。
蓋を閉める。
「それだけ」
褒められたわけではなかった。
むしろ、何か別の話の端だけ見せられた気がした。
聞かなかった。
今は、十一人で十分だった。
外から足音がした。
駐屯地の伝令が、崩れた入口で止まる。
「クロイツ副官」
「何」
「南西帰還路の石橋、通行不能です。昨夜の増水で橋脚がずれた。工兵が閉鎖しました」
イレーネの顔が仕事のものに変わる。
「帰還便は」
「橋の手前で停止中。負傷者を含みます」
「迂回路は」
「山側があります。ただ、今朝、不明な武装者らしい足跡が確認されました」
一つ話が終わる前に、次が来る。
ユリウスも、たぶんこういう順番で東街道へ行ったのだろう。
そう思ってから、それ以上は考えないことにした。
イレーネが俺を見る。
「戻るわよ」
「はい」
十一人の記録を家族へ渡したその日に、今度は帰る途中の人間が道の上で止まった。
今度は、帰るための道そのものがなくなっていた。




