↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
勇者が死んだので、俺が“勇者だったこと”にされた  作者: 綴木 灯
第二章「勇者が残したもの」

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
11/32

Episode 011 — 勇者の中に、俺を見つける

ドランに入って二日目、マルクは俺の顔より先に、手を見た。


気づいたのは、たぶん俺だけだった。


駐屯地の中央広場には、朝から仮設の舞台が組まれていた。


セレスタ南門で見たのと同じ舞台板。


ただし、今日かかっている芝居は戦勝劇ではない。


長く前線にいた兵士が故郷へ帰ったら、自分の寝台を山羊に取られていた、という話だった。


兵士役が山羊役に毛布を奪われるたび、客席の兵たちが笑う。


戦争が終わり始めると、勇者が魔王軍を斬る話より、家に帰ったあとの寝床のほうが大事になるらしい。


悪くない変化だった。


少なくとも、俺の出番はない。


舞台袖ではマルクが走っている。


進行板を持って。


大道具を怒鳴って。


若い役者の襟を直して。


途中で会計係らしい女から紙を渡され、顔だけで嫌そうな計算をしていた。


忙しい。


俺がいなくても。


当たり前だ。


一座は俺の帰りを待つために巡業しているわけではない。


「次、勇者殿です」


隣の兵が言った。


「芝居には出ませんよね」


「もちろんです」


念のため確認しただけだった。


イレーネが横で小さく息を吐いた。


「そこまで戻りたい?」


「山羊役なら少し」


「似合わない」


「勇者よりは簡単そうです」


舞台では、山羊が二枚目の毛布を奪った。


笑いが起きる。


その笑いが収まるころ、進行役が前へ出た。


「――そして本日は、帰還準備に入る皆様へ、勇者ユリウス・レグナート様がお言葉をくださいます!」


今度は歓声だった。


俺は舞台脇から広場へ出た。


ここ数日で見慣れた顔が並んでいる。


北側監視所から下がってきた兵。


これから後方へ移る兵。


南側にまだ残る仲間を持つ兵。


全員が同じ理由で笑っているわけではない。


それでも、勇者が出れば顔は上がる。


俺は急いで手を上げない。


視線が揃うまで待つ。


一拍。


二拍。


それから右手を上げた。


歓声が大きくなる。


その向こうで、マルクだけが顔を見ていなかった。


俺の右手を見ていた。


ほんの一瞬。


すぐに進行板へ視線を戻す。


俺も前を向いた。


挨拶は短くした。


帰る者は帰ること。


残る者も、帰るために残っていること。


負傷した仲間を急かさないこと。


最後だけ、用意されていた文より少し短くした。


拍手が来る。


今日も大きかった。


俺はそれを受けてから下がった。


舞台袖へ入る直前、山羊役の若手と目が合った。


頭に角をつけたまま、ものすごく真面目な顔で敬礼された。


俺も返した。


たぶん、この仕事で一番難しいのは笑わないことかもしれない。


* * *


問題は、そのあとだった。


広場から宿舎側へ戻る通路は、舞台裏の搬入口と少し重なっている。


セレスタ南門の時と、よく似ていた。


嫌なほど。


背景板を積んだ荷車が一台、俺たちの前を横切る。


「止めろ、勇者殿が通る!」


護衛が声を上げた。


「すぐ抜けます!」


返事をしたのはマルクだった。


荷車の後ろを押しながら、こちらへ手を上げる。


「一分もかかりません!」


一分。


俺は両手を身体の横に下ろした。


息を吐く。


四つ数えない。


親指も動かさない。


薬指には触れない。


触れないようにした。


そこで、自分が間違えたことに気づいた。


顔を上げる。


マルクが見ていた。


やっぱり顔ではない。


俺の右手を。


今度は、はっきりと。


荷車が通り過ぎる。


「お待たせしました、勇者様」


仕事の声だった。


俺は何も言わず歩き出す。


三歩。


「勇者殿」


後ろから呼ばれた。


護衛が振り返る。


マルクは進行板を胸に抱え、礼をした。


「セレスタではご挨拶もできませんでした。慰問一座を預かっております、マルク・エッダと申します」


初対面の口調だった。


上手い。


それが少し腹立たしい。


「少しだけ、お時間をいただけますか」


護衛が俺を見る。


俺はイレーネを見た。


彼女はマルクを一度見て、それから通路の先を見る。


「五分」


「十分です」


マルクが答えた。


今度は、本当に足りるかもしれない。


搬入口の脇へ二、三歩ずれる。


護衛からは見える。


声は、舞台で山羊が三枚目の毛布を奪ってくれているので聞こえにくい。


マルクはしばらく俺を見た。


近い距離で。


勇者の顔を。


それでも最後に視線が落ちたのは、やっぱり手だった。


「昔から言ったよな」


声が変わった。


俺が知っているマルクの声になった。


「客には見えなくても、俺には見えるって」


忘れるには、何度も言われすぎた言葉だった。


俺は返事をしなかった。


「セレスタでは動いた」


マルクが俺の右手を見る。


「今日は動かなかった」


「……」


「前に見た手が気になって、今日も見てた。それだけだ」


それから、今度は俺の顔を見る。


「ノア」


「ここでは呼ばないでください」


口から出たあとで、もう十分だと思った。


マルクもそう思ったらしい。


目を閉じる。


一度だけ。


開いた時には、驚いた顔ではなかった。


怒っていた。


「やっぱりお前か」


「はい」


「ユリウスはどこにいる」


「それは言えません」


マルクの目が少し細くなった。


それ以上は聞かなかった。


今の答えから何を考えたのか、俺には分からない。


「じゃあ、お前は何してる」


答えられる範囲が狭すぎる質問だった。


「仕事です」


マルクの眉間に皺が増えた。


「それで済むと思うなよ」


「思ってません」


「説明は」


「できません」


短く言うと、マルクは笑わなかった。


当然だった。


「勝手にやってるのか」


「違います」


今度は、しばらく何も返ってこなかった。


舞台の向こうで兵が笑っている。


誰かが手を叩く。


ここだけ別の場所みたいだった。


「消える前に、一言くらい言えただろ」


マルクが言った。


さっきより声が低い。


「すみません」


「俺にだけ謝って終わるな」


「はい」


「お前がいなくなって、台本を三本直した」


具体的だった。


「勇者役を消して、代役を二人入れて、取ってあった仕事を一つ断った。衣装も余った」


「……衣装まで」


「そこ気にするところか」


違ったらしい。


マルクは息を吐く。


「困ったよ」


俺は黙っていた。


「三日くらいはな」


少しだけ顔を上げる。


「四日目からは困ってる暇がなかった。次の仕事が来た。人を入れた。芝居を変えた。今はここにいる」


進行板で、舞台のほうを軽く示す。


「お前がいなくても、一座は回る。回すのが俺の仕事だ」


それは、知りたかった答えではなかった。


でもたぶん、聞くべき答えだった。


セレスタで荷車を見た時、俺は一座に自分の場所がまだあるか聞きたかった。


聞かなくてよかった。


場所は、空けて保存しておくものではないらしい。


「ただ」


マルクが続ける。


「今日、見た」


「何をです」


「お前のユリウス」


胸の奥が、ほんの少しだけ軽くなった。


最悪だった。


マルクに芝居を褒められるのは、昔から効く。


「前より上手くなってる」


完全に褒められた。


さらに最悪だった。


俺は何も言わない。


言えばたぶん、余計なものが出る。


マルクは俺の顔を見た。


「青灯座に行きたいって言ってた奴が、今いちばん大きい仕事で別人やってる」


少し間を置く。


「笑えないな」


今度は、返す言葉がなかった。


歓声が聞こえる。


さっき俺が受けたのと同じ種類の音だ。


嫌ではない。


そこが一番困る。


「困ってます」


やっと出たのは、それだけだった。


マルクは否定しなかった。


* * *


「これ」


マルクが上着の内側から封筒を出した。


青い印が押されている。


見覚えがあった。


商都ミレア。


《青灯座》。


俺の手が、さっきよりずっと簡単に動いた。


封筒を受け取る。


表に名前がある。


**ノア・フェルン殿。**


二十日近く、呼ばれていない名前だった。


「一座の留め先に回ってきた」


マルクが言う。


「セレスタを出る前日に届いてた。お前の行き先が分からなかったから、帳簿に挟んだまま持ち回ってた」


「開けても?」


「お前宛てだ」


封を切る。


中は一枚だけだった。


秋季入団選考。


受付期間、九十日目から九十四日目。


俺の指定は、九十二日目の午後。


旅程遅延の場合は期間内の空き枠へ振替可。


九十四日目終了後は無効。


文字はそれだけだった。


採用とは書いていない。


期待しているとも。


待っているとも。


ただ、来れば審査する、と書いてある。


それで十分だった。


七十六日から七十八日で終わる。


ミレアまで身軽なら四日。


八十日から八十二日。


間に合う。


前にも計算した。


何度も。


なのに、紙の上に九十二という数字があるだけで、初めて本当に期限になった気がした。


「受けられるだけだからな」


マルクが言った。


「分かってます」


少しだけ、昔の会話に戻った。


戻ったのは一瞬だった。


マルクはすぐ真顔になる。


「今のこと」


俺が言いかける。


「誰にも言ってない」


先に言われた。


「今すぐ言う気もない」


「助かります」


「礼はまだ早い」


進行板を持ち直す。


「俺はお前の秘密を守る仕事を受けたわけじゃない。一座に危ないことが来るなら、俺は俺の都合で動く」


「はい」


「それに、明日の昼にはここを出る。お前の裏方をやる気もない」


「……分かりました」


マルクの口元が、ほんの少し動いた。


笑ったのか、呆れたのかは分からない。


たぶん両方だった。


「五分」


後ろからイレーネの声がした。


本当に五分だったらしい。


役者の感覚としては、かなり短かった。


マルクがもう一度、仕事の顔に戻る。


「では勇者様。慰問一座を、今後ともどうぞご贔屓に」


「こちらこそ」


俺もユリウスの声に戻した。


二人とも上手かった。


そこだけは、少し笑えた。


* * *


翌朝、一座の荷車はもう半分が積み終わっていた。


舞台板。


衣装箱。


山羊の角。


どれも紐で縛られている。


マルクは荷台の上で何か数えていた。


俺が離れた場所を通っても、特に手を上げなかった。


俺も上げなかった。


そのくらいでよかった。


上着の内側には、昨日の封筒が入っている。


そのさらに奥には、セレスタから持ってきた募集要項がある。


古い紙と、新しい紙。


どちらにも《青灯座》の青い印。


違うのは、新しいほうには俺の名前と日付があることだった。


「次の予定」


イレーネが紙束を差し出す。


俺は受け取る。


ドラン街道沿いの旧救護中継所跡。


現地記録の確認。


関係家族との面会。


その下に、見覚えのある数字があった。


**十一名。**


セレスタで、勇者が覚えているはずだと言われた十一人。


ハルフェンで、一人だけ名前の手がかりが戻ってきた十一人。


「明後日?」


「ええ」


それ以上、イレーネは言わなかった。


まだ分かっていないことがある顔だった。


俺も聞かなかった。


上着の内側には、九十二日目にノア・フェルンとして行く場所がある。


手元の予定表には、明後日、ユリウスとして会う人たちがいる。


自分の名前に初めて日付がついた日に、借りている名前の予定も待っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。