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結衣の言葉のあとも、時間は普通に流れていた。
リビングに戻れば、テレビの音がして、キッチンからは食器の触れ合う音がする。
さっきまでと、何ひとつ変わらない光景だった。
「ねえ湊、式は身内だけにする予定なんだけどさ」
結衣がマグカップを手にしながら、軽い調子で言う。
「うん」
「落ち着いたら改めてちゃんとお祝いとか……って感じになるかな」
「そっか」
それ以上、話は広がらなかった。
広げなかった、の方が正しいかもしれない。
聞きたいことは、たくさんあった。
相手はどんな人なのか。
いつから付き合っていたのか。
どうして、自分は何も知らなかったのか。
けれど――
「おめでとうって言ったよな、さっき」
「うん。ありがと」
それで、十分だった。
それ以上踏み込む資格なんて、自分にはない。
陽菜の部屋で他愛のない話をして、ゲームをして、
気づけばいつも通りの時間が過ぎていく。
笑えていたと思う。
少なくとも、自分ではそう思えるくらいには。
「もう帰るの?」
玄関で、結衣が言う。
「明日も学校だし」
「そっか。気をつけてね」
いつもと同じやり取り。
「うん。じゃあな」
手を振って、家を出る。
扉が閉まる音が、やけに大きく響いた。
外の空気は、少し冷えていた。
夕方と夜の境目みたいな時間。
歩き出して、数歩。
「……はあ」
思わず、息が漏れた。
それだけだった。
涙も出なければ、立ち止まることもない。
ただ、胸の奥に重たいものが沈んでいるだけ。
――これでいい。
何度も、そう繰り返す。
翌日。
何事もなかったように、朝が来た。
教室のざわめき。
チャイムの音。
黒板に書かれる文字。
全部、昨日までと同じだ。
「湊、おはよ」
声をかけてきたのは、陽菜だった。
「おはよ」
席に座る。
鞄を置く。
いつも通りの動作。
……のはずだった。
「ね、今日一緒に帰ろ」
不意に、そんなことを言われる。
「別にいいけど」
今までも一緒に帰ることはあった。
けれど、こんなふうに向こうからはっきり誘ってくることは、あまりなかった気がする。
「ほんと?じゃあ約束ね」
少しだけ距離が近い。
声も、どこか柔らかい。
――近い。
そう感じてから、ほんの一瞬だけ間が空いた。
「……どうした?」
「なにが?」
首を傾げる仕草。
いつもと同じ顔。
「いや、別に」
気のせいかもしれない。
そう思って、視線を外す。
けれど――
その日一日、陽菜は妙に湊の近くにいた。
休み時間も、昼休みも。
理由をつけては話しかけてくる。
距離が、ほんの少しだけ近い。
触れるか触れないかの、微妙な距離。
「ねえ湊」
「ん?」
「放課後、寄り道してかない?」
昨日までは、こんなことはなかった。
――いや。
なかった、はずだ。
「いいけど」
気づけば、そう答えていた。
断る理由も、特にない。
ただ――
どこか、落ち着かない。
何かが、少しずつ変わっている。
それが何なのかは、まだわからない。
けれど確かに、
昨日を境に、何かが動き始めていた。
静かに。
気づかれないように。
でも、確実に。




