45.聖都フォートレス6/クラリス
僕の妹――セルソラがいる静養棟は、このフォートレス聖療院から少し離れた区画にある。神殿長とリリムを伴って、まずはそこへ向かうことにした。
神殿長の話では、勇者は呪われているらしい。けれどそれは治す治さないといった類のものではなく、証として利用されているようだ。それなら、話を聞くにも何をするにもまずはセルソラを治すことを優先することにした。あいつらを牢屋から出してやるにはそのほうが早いと思ったからだ。
「神殿長にまでなっても、やっぱり僕たちのようにはいかなかったか?」
「貴方は本当にいくつになっても嫌味ですね。我々セレド教はドワーフの神を信仰しておりますが、ほとんどは人間ですし、回復魔法の強い者ばかりです。しかし、それでも貴方がたほど"呪い"に長けた者はおりません」
「……ふん、僕らだって、好きでそうなったわけじゃないさ」
セレド教は人間ばかりだが、巫女や神官といった役割は代々ドワーフの中でも回復魔法と土魔法に長けた者が引っ張ってこられる。両親が落石事故で亡くなり、元々セレド教にいた祖父に連れられて僕たち兄妹はここフォートレスでその職に就いた。僕たちはたまたま回復魔法と土魔法に長けていたために、呪いを治すのが上手かった。
「魔力を本人たちから出さないようにする結界は、回復魔法だけでも土魔法だけでも難しいからな」
呪いは魔力が流れ出ることによる心身の異常だ。魔力が流れ出る原因にはいろんなものがあるが、それは様々な鉱石で見分けることができる。魔力に反応して色を変えたり、性質が変わったりする。時には水晶の形にして占いに使うものもいる。……おそらくだが、勇者の紋章も同じ仕組みなのだろう。
結界を作って維持するには、土魔法で神への言葉を紡ぎ、回復魔法として場に魔力を残す。魔力をトラップや結界として場所に残すには、技術だけでは足りず精霊との相性や自分自身の膨大な魔力を消費する。ヤークが好きそうな話だ。
「現在では、神に愛されたクラリス様とセルソラ様にしかできませぬ」
神に愛された、ね。神の存在を憎むどころかいないと考えているリリムをちらりと盗み見る。僕たちドワーフはセレド神を信仰しているけれど、一部の人間ほどの熱心さは持っていない。こんなものは運だと思う反面、それで救われる人がいるのならと祈り続けている。
静養棟へ続く通路の途中にある扉は、以前以上に頑丈に戸締まりされていた。前の勇者とやらのせいかもしれないが、やりすぎて更に閉じ込めているような見た目になってしまっている。
重い扉を開くと、濃密な魔力の気配に息が詰まりそうになった。
「これはセルソラの魔力だな」
「はい、これほどの魔力が外へ流出すれば、魔物にどれほど影響を与えるか……」
側にいる患者や看病に当たっている人間も息苦しいだろう。魔力が目に見えやすいリリムなんかは露骨に顔を顰めている。
急いでセルソラの眠る部屋へ向かうと、そこには見た目の変わらない妹の姿があった。何十年ぶりだろうか。駆け寄って頬を撫でるも、だいぶ痩せこけてしまっている。今は眠っているが、起きていても意識は朦朧とし、立ち上がることもできないようだ。
「すぐ治してやるからな」
ずっと放っておいた罪悪感を胸にしまい、セルソラの身体に集中する。魔力は身体を流れる見えない液体のようなものだ。それが本人の意思や精霊への願いと関係なく流れ出るということは、身体の異常だと言っていい。そしてそれは回復魔法の得意分野だ。
回復魔法は身体を治す、それだけの魔法。だけど、火や水のように工夫もできる。範囲を絞る、広げる。怪我をした表面の肌を紡ぐ、火傷で荒れた肌を均す。呪いも同じだ。原因を探して、そこを重点的に治せばいい。
無理に結界を直したと言っていた。身体の限界を越えて魔力を使えば、止まらず流れ続けるのも無理はない。慎重に膜を張るようにセルソラの身体に回復魔法を這わしていく。
巡業の旅に出てからずっと帰らなかった神官の僕と、ここでずっと民を回復し続けた妹。
身体なんて見なくても、どちらがより大変だったかは明白だ。せめて今、妹を回復できなければ僕は立つ瀬がない。セルソラが動いても魔力が出ないように、回復魔法を何重にも織って完璧に仕上げる。
「……よし!」
神殿長から借りた鉱石でセルソラから魔力が漏れ出ていないことを確認した。安心すると、力が抜けた。足の踏ん張りが効かなくなってフラつくと、リリムが背中を支えてくれた。
「もう大丈夫なの?」
「ああ、どうだセルソラ」
セルソラの目は開いていた。まだつらそうな表情ではあるが、いずれ回復するだろう。声を出そうとして咳き込むセルソラに神殿長が慌てて水を差し出していた。身体を支えて半身を起こしてやると、少し水を含み声を出した。
「おかえりなさい、お兄ちゃん」
「あぁ。……あぁ、ただいま、セルソラ」
懐かしい響きに鼻がじんと痛む。人間より筋肉の発達が良いドワーフとはいえ、十年も寝たきりだったんだ。体力が落ちているのだろう、まだ息が整わない。それでも健気に僕の顔を見る。
「お兄ちゃんがいなくても、私、ちゃんと巫女様できてたでしょ?」
「僕より立派だよ」
僕なんかより、よっぽど。支える僕の腕を握る手の力は弱々しい。でもきっと治療をした患者の数は僕より多いはずだ。疲れているだろう身体をそっとベッドに横たえさせる。目を塞ぎ、持てる限りの優しい声をかけた。
「さあ、一度寝ておくんだ。……僕はここにいるから」
不安が、声に出ていなかっただろうか。一瞬脳裏に浮かんだ顔を追い払い、セルソラの息遣いを確認する。さっきまでとは違い、規則正しい寝息に戻っている。ちゃんと寝たようだ。身体を離して一息吐く。
「お疲れ様でした。クラリス様」
「朝になっちゃったな……。悪いけど、僕らにも水をくれないか」
安心した様子で部屋の外まで水を取りに行った神殿長の背中を見送る。これでひとまず、一息つけそうだ。
「リリム。付き合わせて悪かったな」
「私はべつに何もしてないよ」
そうかもしれないけれど、僕としては居てくれるだけで心強かった。なんだかんだと旅してきた月日は着実に僕らを仲間にしていた。頼りにしているし、頼られている部分も知っている。
「さすがに、まだあいつらを牢屋から出してはやれなさそうだ」
「そっか」
「さすがに眠いだろ。リリムの分のベッドぐらいは用意させるが、どうする?」
「クラリスはどうするの?」
僕は、まだ少しここから離れたくない。目が覚めたとはいえ、セルソラが本調子に戻るまでは時間がかかるだろう。
「僕はそこのソファででも寝てるよ」
「じゃあ私も、ここにいようかな」
あいつらと一緒に、牢屋に入れてやればいいんだろうか。しょうがなかったとはいえ、首輪を外してからのリリムは元気がない。リリムのご機嫌をとっていたのはいつも人間三人組だ。同じ奴隷、同じ長命種であるリリムを、僕は対等に感じていた。張り合うというほどではないけれど一緒に役に立とうと頑張ったり、軽口を言い合ったり。あのバカどもに振り回される、友達、のように思っていたのかも。
「ルートリアがいなくても眠れそうか?」
「……抱き枕がないと眠れないのはあの子のほうだよ」
からかうと、ソファに腰掛けた僕の隣に乱暴に座った。奴隷になってすぐ、あいつらに買われる前はこうして二人で身を寄せ合っていたっけ。そのとき僕はまだ人間の子どものフリをしていた。幸の薄そうな顔をしたエルフを、あわよくば盾にしようと考えていた。こんな風に、良い服で良いソファで、からかい合うような仲になるなんてひとつも考えていなかった。
「でも、そうだね。ルートリアは眠れたのかな……?」
僕ですら抱き枕にするやつだ。ヤーク辺りを抱き枕にして文句を言っていたんじゃないだろうか。リリムの心配は杞憂というものだろう。あのバカどもは、放っておけば暴走するほど元気なんだから。
そう、放っておいても、平気なんだあいつらは。
僕らがいなくても、旅は進む。いつもみたいにしょうもない失敗もするだろう、でも笑いながら怒鳴りながら反省しながら、止まることはない。ルートリアは旅をやめないし、スナッチはついていくのをやめない。ヤークも勇者を追いかけて一人で旅をするほどのバカだ。
ぐしゃりと自分の髪をかき混ぜた。視界に入ったセルソラをただ眺める。僕がいれば、こんなことにはならなかっただろうか。
隣にいるリリムの気配を確かめる。僕がいなかったら、あいつらはここまで来れただろうか。
「リリム」
リリムは心配そうに僕を見つめていた。
「僕は、ここで少し、偉い立場にある」
「そうみたいだね」
「僕が頼めば、リリムも良い暮らしができると思う」
「クラリス?」
僕は、何を。
「リリム、僕と一緒に、ここに残らないか?」
言って、自分自身の発言に真っ青になった。僕はなんてことを!
口を開けて呆けているリリムに居た堪れなくなる。ソファから立ち上がり、部屋の外へ駆け出した。自分自身の弱さを、リリムに押し付けたのだ。
僕は、フォートレスに残らないといけない。
あれほどボロボロになったセルソラを置いて、また旅になんて出られない。でも考えたくなかった、あいつらと離れることを。旅を終わらせたくなかった!
僕はフォートレスの神官だ。
僕はあいつらの回復役だ。
ここにいないといけないならば、旅の欠片を残したかった。仲間たちのうち、誰でもよかった。それを一番立場が弱いリリムに押し付けた、よりによって!
救いを求めるように走って走って、結局僕はまた自分の弱さを確かめることになった。着いた先はあいつらが捕らえられている牢屋だった。二百五十年も生きてきて、心許せる相手なんて四人しかいない。
生まれた国では、回復に長けた筋力の無いドワーフの男など気持ち悪いと言われ、兄妹共々居場所がなかった。鉱夫だった両親が落盤事故で亡くなったときには絶望したものだ。妹を自分が守らなければ、と誰も彼も敵だと思っていた。そうして祖父が迎えにきたときには僕はすっかり擦れていた。
高飛車で嫌味な言い方ばかりする僕は、フォートレスでも好かれてはいなかった。素直でより清楚な雰囲気のセルソラばかり好かれていた。それはそれで構わなかった、セルソラが好かれているのはいいことだ。でも僕自身の居場所は無いように思えた。
遠くの教会からの巡業要請が出た時、僕はすぐさま飛び出した。巡業は良かった、自由に教会を渡り歩き、治療を施し、性格なんて知れ渡る前に旅立てば良い。気楽な旅は時間を忘れさせた。
そうして、僕は一度もフォートレスには帰らなかった。
セルソラには悪いと思った。でも、セルソラは大丈夫だ、と自分に言い聞かせていた。だからセルソラが倒れたと立ち寄った教会で聞いたとき、すぐに戻ろうとした。フォートレスに戻ることは、僕にとって贖罪だ。身を寄せた旅団が襲われ奴隷になったとき、最悪な環境ではあったけれどそれも罰だと思った。
それを、あいつらとの旅は忘れさせてくれた。必要とされ、笑いかけられ、怒れば嬉しそうにする。嫌味な僕も、ひっくるめて必要としてくれる。それはあまりにも居心地が良かった。
(嫌だ)
置いて行ってほしくない。行ってはいけない。頭の中がぐちゃぐちゃだ。知らずに溢れていた涙を拭いもせず扉を開ける。僕は救いを求めて、自ら暗い牢屋へ入った。暗さに目が慣れ、一際目立つ大きな身体を見つけて僕は駆け寄った。




