EP 4
ファミレス『ルナキン』と、甘くて重い呪い(上書き)
ルナミス帝国の首都は、私にとって完全に未知の世界だった。
天を衝くような高い建物、夜でも昼間のように明るい魔導ネオンの光。整備された石畳の道を、馬も引いていないのに自ら走る鉄の箱『魔導車』が行き交っている。
人混みも凄まじく、色々な種族の人たちが平和に笑い合って歩いていた。
「はぐれないように、しっかり掴まってろ」
周囲の光景に圧倒されてオドオドしている私を、ヒエン様はごく自然な動作で引き寄せ、その大きくて温かい手で私の肩を抱き込んだ。
道ゆく女性たちが、ヒエン様の長身と整った顔立ちを見て頬を染めている。そんな彼が私のような泥だらけの娘を大切そうに抱え込んでいるのだから、周囲の視線が痛いほど突き刺さった。
「あ、あの、ヒエン様……私、歩けますし、そんなにくっつかなくても……っ」
「だめだ。お前は俺から離れるな。……それに、俺がお前に触れていたいだけだ」
真っ直ぐに見下ろしてくる切れ長の瞳には、微塵の誤魔化しもなかった。
サラリと言ってのけた甘い独占欲に、私の心臓がドクンと大きく跳ねる。
『報告。マスターの体温上昇を感知。ヒエン個体のフェロモン分泌量も通常値の三〇〇%を超過しています。速やかなる生殖行動への——』
「ユニ! お願いだから、今は黙っててぇ!」
私の右腕にはめられた、白銀のブレスレット。
十メートル超の機神形態では街中を歩けないため、ユニは自らを『ステルス・デバイス形態』へと圧縮し、私の腕輪として同行していたのだ。
声は私の脳内に直接響くためヒエン様には聞こえていないが、彼は私の様子を見て楽しげに口角を上げた。
「相棒殿は元気そうだな。さあ、着いたぞ。まずは腹ごしらえだ」
ヒエン様が足を止めたのは、ひと際明るい看板が輝く巨大な建物だった。
『ルナミスキング』——通称『ルナキン』と呼ばれる、二十四時間営業の巨大な飲食店(ファミレスと言うらしい)だ。
* * *
「いらっしゃいませ! 二名様ですね、奥のソファー席へどうぞ!」
明るい声に案内され、私たちはふかふかの座席に向かい合わせに座った。
ヒエン様はテーブルに置かれた見開きのメニューを開くと、私の前に突き出した。
「好きなものを頼め。ここは何を食っても美味いが、お前はとにかく痩せすぎだ。肉がいい」
「あ……でも、そんな……」
メニューには色とりどりの美味しそうな料理が並んでいたが、横に書かれた金額に私は息を呑んだ。
銀貨一枚でも、庶民にとっては大金だ。私のような追放された無能な聖女が、こんな贅沢をしていいはずがない。
「私には、こんな高価な食事をする価値なんてありません。パンの切れ端とお水だけで十分ですから……」
前の国では、それが当たり前だった。
回復魔法が使えない私は「役立たずの穀潰し」と呼ばれ、冷えた硬いパンと薄いスープしか与えられてこなかったのだから。
その言葉を聞いた瞬間、ヒエン様の纏う空気がピリッと冷たくなった。
怒っているのではない。彼の怒りの矛先は、明らかに私にそんな刷り込みをした『過去の連中』へ向けられていた。
「……すみません! 注文をお願いします」
ヒエン様は店員を呼ぶと、メニューを指差してはっきりと告げた。
「この店で一番高い『特製バイソンハンバーグセット・ソーリーフソース仕立て』を二つ。それから、ハニーかぼちゃのポタージュと、サラダもだ」
「かしこまりました!」
「ひ、ヒエン様!? そんなにたくさん……!」
慌てる私を、ヒエン様は深く、どこか昏いほどの熱を帯びた瞳で見つめた。
「価値がないなんて、二度と言うな。……俺が、お前に食わせたいんだ」
低い声が、私の鼓膜を震わせる。
「お前に冷たい飯を食わせた馬鹿どものことなんて、今すぐ忘れろ。俺が作った飯と、俺の国の美味い飯で、お前の記憶ごと全部上書きしてやる。……お前の中を、俺の与えるものでいっぱいにしろ」
それは、まるでもう逃がさないと宣言するような、甘くて重い呪いだった。
彼の熱い視線に絡め取られ、私はただ、顔を真っ赤にして頷くことしかできなかった。
* * *
やがて、ジュージューと食欲をそそる音を立てて、分厚い鉄板に乗った巨大なハンバーグが運ばれてきた。
焦げたソーリーフ(ソース味の葉)の甘辛く濃厚な香りが、鼻腔をくすぐる。
「熱いから気をつけて食えよ」
ヒエン様に促され、私はナイフを入れた。
その瞬間、肉汁が滝のようにジュワァッと溢れ出した。一口サイズに切り分け、フーフーと冷ましてから口に運ぶ。
「……っ!!」
ロックバイソンの野性味溢れる濃厚な肉の旨味。それが、タマンネギという不思議な野菜の甘みで極限まで柔らかくなっており、舌の上でホロホロと解けていく。
そこに絡みつくソーリーフソースのコク深さが、絶妙なバランスで味を完成させていた。
「おい、しい……っ! こんなに美味しいお肉、初めて食べました!」
パァッと顔を輝かせた私を見て、ヒエン様は心底嬉しそうに目を細めた。
「そうか、そりゃよかった。ほら、口の端にソースがついてるぞ」
彼は身を乗り出すと、紙ナプキンで私の口元を優しく拭ってくれた。
指先が微かに唇に触れ、私はまたしてもボッと顔を赤くしてしまう。
『マスター。緊急報告があります』
その時、腕輪のユニから緊迫した声が響いた。
私はビクッとして思考を切り替える。また敵襲!?
(ど、どうしたのユニ!?)
『このエリアの深部に、未知の魔力液体供給システム——呼称「ドリンクバー」なるものを発見しました。ヒエン個体が先ほどマスターのために運んできた、あの緑色の液体です』
(あ、メロンソーダのこと?)
『成分解析完了。大量の糖分、謎の緑色着色料、および炭酸ガスを確認。推測……これはマスターの精神を強制的に弛緩させ、多幸感をもたらす「合法的な依存性薬物」です。速やかに廃棄を——』
(ちっ、違うよ! ただの甘いジュースだから!)
私は慌てて心の中でツッコミを入れた。
冷たいメロンソーダを一口飲むと、シュワシュワとした炭酸と甘さが喉を潤し、歩き疲れた体が癒やされていく。
『……マスターの脳波から、極大のアルファ波を観測。やはり危険な薬物です。ですが、マスターが幸福を感じているのであれば、一時的な摂取を許可します』
ポンコツなのか有能なのか分からないAIの言葉に、私は思わずふふっと笑みをこぼしてしまった。
「どうした? メロンソーダ、気に入ったか?」
「はい。甘くて、不思議な感じで……すごく美味しいです。ヒエン様、ありがとうございます」
私が心からの笑顔を向けると、ヒエン様は少しだけ目を丸くした後、照れ隠しのようにガシガシと赤い髪を掻き回した。
「……反則だろ、その笑顔は」
「え?」
「いや、こっちの話だ。しっかり食って体力をつけろよ。この後は、ちょっと気合のいる場所に行くからな」
「気合のいる場所、ですか? ギルドとか……お城とか?」
首を傾げる私に、ヒエン様はハンバーグを切り分けながら、さらりと言い放った。
「俺の実家だ。母さんに、お前を紹介しに行く」
「…………はいっ!?」
あまりの急展開に、私は思わずメロンソーダを吹き出しそうになった。
ヒエン様のご実家。つまり、この国で一番偉い方々へのご挨拶。
出会ってまだ二日目だというのに、外堀がマッハの速度で埋められようとしていることに、私はただただ戦慄するしかなかった。




