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永久凍姫と時忘れの王国  作者: とらうつぼ
第2章『ペルエット』
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第71話「香水と、旋律」


「うむ……。

 今日も快晴、海も異常ナシだな」


「はいっ!

 水流魔法のマナも、だんだん普通の濃さに戻ってきてます!」



ワタツミを討伐してから、数日。


あれから俺たちは、毎日スタッグさんの船で海に出ていた。



名目はもちろん、マナや龍脈の調査。


それから、ワタツミのような脅威や異常が再び訪れていないかの確認だ。



「あれからすっかり嵐も止んじゃったしね!

 ホントのホントに、全部ワタツミが原因だったんだねー」


「ああ、そうだと願いたい限りだぜ。

 ……スタッグさんから見ても、大丈夫そうですか?

 ワタツミや嵐はもちろんですけど、魚とか海の状況は」


「ワタツミ、なぁ。

 実は俺ぁ……その名前を聞いても、未だに実感が湧か湧かねぇんだ。

 あの日に兄ちゃんたちがぶっ倒してくれたってのはわかってるんだが……俺自身、この目で実物を見たわけじゃねぇからよ」


「なるほど……たしかに、そうですよね。

 思えば実際に遭遇したのは、ノルネスさんと俺たちぐらいですから」


「そういうことよ。

 だが……ソイツがいなくなったってのは、なんとなくわかるぜ。

 海の凪ぎ方とか、魚の動き方とかよ。

 そういうのが全部、前以上に穏やかになってやがる。

 まるで、元の姿を取り戻したみてぇに。な」


「なるほど……」



スタッグさんの言葉はどこか抽象的だったが……最も的確な表現でもあるのだろう。



マナや気候、波の強さや生態系。


自然を構成するそういった要素は、全てが複雑に絡み合い、互いに影響を及ぼしあっている。


俺たちが目で見られているのは、あくまでその表面的な部分だけ。



しかしスタッグさんは、それよりももっと深い部分を、肌とマナで。


そして何より、漁師としての長年の経験で感じているのだろう。



「そろそろか、ミラーヤ?」


「はいっ!

 もうちょっとだけすすんで~……はいっ。

 このあたりでいいと思います!」


「おっ。

 そっちの獣人の姉ちゃんは、相変わらず勘がいいな。

 昨日とぴったり同じ地点だ」



スタッグさんが最後にひとつ舵を引っ張り、エンジン音が次第に小さくなってゆく。



「えへへ、ありがとうございますっ。

 じゃあ……しらべますね」



そう言うと、ミラーヤはいつものように目を閉じて手を前にかざす。



俺たちの今いるこのポイントは、ワタツミと遭遇した場所よりもさらに東の沖合。


およそペルエットの龍脈がある地点の真上とのことだ。



ミラーヤ曰く、龍脈は海のずっと深い場所にあるようで、正確な位置までは特定できないらしい。


よって俺たちはマナの濃さを測るために、毎日このあたりに来ては船を止めてもらい、異常がなければ引き返しているというわけだ。



「ん~~っ……。

 はい、だいじょうぶです!

 昨日と同じで、マナの流れはとっても自然なかたちです。

 不自然にマナが不足している場所も、ありませんねっ」


「そっか。

 それなら安心だな」


「だとおもいます!」


「相変わらず、獣人の姉ちゃんの感覚は不思議なもんだな。

 ……っと。じゃあ兄ちゃん、引き返すぜ?」


「はい、お願いします」



俺の返事を聞いて、スタッグさんは再び舵とエンジンを動かし始めた。



「ここ数日、マナも気候も安定していますが……どうでしょう。

 漁の方は再開できそうでしょうか? スタッグさん」


「ああ、大丈夫だろうよ!

 嵐も完全に過ぎ去ってるってんなら……予定通り、明後日には遠洋漁を解禁だな!」


「それはよかったです。

 ようやく美味い魚が入荷できそうで、安心しました」



海の無事が確認でき、漁が解禁されたということは、魚の出荷のめどが立ったということ。


予定よりも少し伸びてしまったが……これでようやく、俺たちもクロキアに帰る算段をつけられるということだ。



「ガッハッハ!

 期待してていいぜ、兄ちゃんよ!

 遠洋漁で獲れる魚はデケぇし、何より脂が乗ってやがるからよ。

 味も身の締まりも、今まで兄ちゃんたちが食ってた秋の魚とは全く別物だぜ。

 これからは舌がバカになっちまうぐらい美味い魚をたらふく食わせてやるから、覚悟しとけ!」


「楽しみにしておきます、本当に」



やがて船首が岸の方へ向き直ると、徐々にエンジンが唸り始める。


しかしその音に紛れ、誰かの腹の虫も唸っていたようで。



「なんだか、聞いているだけでおなかがすいてきました……」


「ふふ……そうね。

 帰ったら、ちょうどお昼ご飯の時間かしら」


「そうですねっ!

 今日はとってもおいしいトマトソースをご用意してますから!

 朝からたっぷりじっくり煮込んだので、お魚にかけて食べるのが楽しみです~っ!」


「言われたら、俺も腹が鳴ってきたぜ……。

 ……っと、そうだ。よければスタッグさんも一緒にどうですか?

 ミラーヤの作ってくれた料理は、絶品ですよ」


「お、いいのかい?」


「ええ、是非」


「ぜひぜひ、ですっ!

 ごはんはきっと、みんなで食べたほうがおいしいですからっ!」


「ガッハッハ!

 ならせっかくだ、お呼ばれに預かるとするか!」


「えへへ。

 ではでは、おうちに戻ったら、すぐに温めなおして待ってますねっ!」


「おう、そりゃ楽しみだ。

 じゃあ、出るぜっ!」



スタッグさんの合図と共に、俺たちを乗せた船は勢いよく水を巻き上げたのだった。









────

───

──








それから、また数日。



俺たちは引き続き海の安全確認をしつつも、フリージアに帰る準備を進めていた。


ここ数日は、再びのバカンス気分を楽しみながら、それぞれにやり残したことを済ませているところだ。




「───ほらトーヤ、いい加減起きなさいな」


「んお~……?」



ゆさゆさ、と。


なにやら小さな物体に身体を揺さぶられる感覚で、俺は目を覚ます。



「今日は、リエラのお家に行くのでしょう?

 あんまり寝坊すると、あの子に示しがつかないのではなくて?」


「ん~……。

 あとちょい……昼前まで……」


「もう、何を言っているの。

 とっくにお昼を過ぎてしまっているから、こうやってわざわざ起こしに来たのよ」


「え……マジか。

 もしかして、そろそろマズい時間かっ?」



一気に脳が覚醒する感覚と共に、掛け布団を()けるようにして上半身を起こす。



「まずくはないけれど……少し急いだほうがいいのではないかしら。

 貴方自身のために、ね」


「ぐぬう……。

 ……ってか、今までは決まってミラーヤが声を掛けてくれてたから、朝にも起きれてたんだがな……ふあぁ」



俺が大きく伸びをしたのを確認し、ようやくサフィーアがベッドから離れる。



「あの子は朝から、料理を教わるために宿にお邪魔しているわよ。

 今頃はきっと、あちらの厨房で元気に働いているでしょうね。お寝坊さんのトーヤと違って」


「そういえば、そんな話もあったな……っと。

 ……おはようさん、サフィーア」


「おはよう、トーヤ。

 私は、支度をして下で待っているわね。

 貴方も準備ができたら、降りていらっしゃい」


「おう、手間かけたな。

 すぐに行くぜ」


「ええ」








──









「ねえねえ、トーヤくん」


「んー?」



昼でも灯りが必要になるほどには暗い、ガレージの中。


敷物の上でなにやら作業をしているリエラを眺めながら、俺は返事をする。



「アタシがフリージアとこっちを行き来するってなったら、さ。

 アタシ用の部屋とかって、フリージアに用意してもらえたりするのかな?」


「ああ、もちろんだぜ」


「そっか……よかったぁ」


「安心してくれていいぜ。

 そこは宿の一室とかじゃなくて、ちゃーんとリエラ専用の部屋だ。

 まぁ、リエラの仕事として、馬車に乗ってもらう時間が長いのも事実だが……フリージアに到着したらすぐペルエットにトンボ返りってわけじゃないからな。

 交易のために二つの町を往復するにしても、少なくともそれぞれで数日ずつは滞在するだろうって見込みだ」


「あ、そうなんだね。

 もっと忙しく動き回るものだと思ってたよ」


「ああ。

 リエラに本当にやってほしいのは、実際に馬車を運転してもらうことじゃない。

 交易品の選定とかも含めて、その全体の管理だからな。

 入荷と販売までの在庫管理とか、売り上げの管理……それからもちろん、両方の町での仕入れとか人付き合いだな。

 最初は往復が多いかもしれないが……軌道に乗ってだいたいのルーチンが決まっちまったら、あとはリエラ自身が馬車に乗るかどうかは自由だ。

 必要に応じて、こっちにもあっちにも寝泊りすることになると思うぜ」


「へぇ~……そっか。

 なんか、安心したよ」


「そうか?

 ならよかったが」


「うん。

 今の時点で、すごく具体的に道筋を決めてくれてるんだな~、っていうのもそうなんだけど……。

 何よりも、自分の部屋があるみたいでホッとした」


「気持ちはわかるぜ。

 やっぱ、自分にとっての決まった居場所みたいなのがないと、不安だよな」


「不安っていうのもあるんだけど……荷物が、多くなっちゃうだろうからね」


「荷物?」



リエラが言っているのは、着替えや日用品などの必ず持っていくことになる物……に加えて、それ以上のものがあるという意味だろう。



「えっと、ね。

 アタシ、持っていくことにしたんだ。

 ……この子たち、全部」



手元で磨いていたカップを敷物の上に置き、リエラは手を休める。



「この子たち、ってーと……今目の前にある、昔の仕事道具たちってことか」


「うん。

 トーヤくん、言ってくれたでしょ?

 ここにあるものは全部、アタシの過去そのもので、アタシを作る一部なんだって。

 それから……この子たちのことを好きになれたら、一緒に仕事をしよう。って」


「まぁ……そうだな」



リエラに返事をしながら、改めて床に置かれている道具たちを見回す。


彼女は今日、これらの道具たちを全て磨いていたのだ。



「この一ヶ月。

 トーヤくんは、アタシの過去をひとつひとつ拾い上げてくれた。

 全部に価値があるんだよって、教えてくれた。

 だからアタシも……好きになるんだ。

 この子たちのこと。それから、アタシ自身のことも」



光沢を取り戻したカップの光を、リエラの瞳が反射する。



「だからね。

 この子たちは、ここに置いていかない。

 埃を被ったままにも、させない。

 全部、持っていくんだ。

 アタシがアタシを、好きになるために」


「……そっか」


「それもこれも、全部トーヤくんのおかげだよ。

 ……ありがとね」


「……おう」



その瞳を今度は俺のほうに向けて、リエラは微笑む。



「ぷっ……。

 あはは、なにトーヤくん。

 照れてるの?」


「いや、まあ……。

 そう正面から礼を言われると……どうも、な」


「もう。

 アタシの手を引っ張るために、何度も何度もキラキラした言葉をくれたのは、トーヤくんの方でしょ?

 ……アタシは、全部憶えてるよ」



そう言って、リエラは胸の上で両手を重ねた。



「……なのに今更、なにを恥ずかしがってるのかなって……ふふっ。

 自分が言うのはいいのに、言われ慣れてはないなんて……トーヤくんって、ホントに変な人だね」


「うるせえやい……」



リエラにからかわれそっぽを向くと、不意にどこかから音が漏れていることに気が付いた。



「……ん?

 こりゃ……なんかの音楽、か?」


「んーっと……あ、ホントだね」



俺に言われリエラも耳を澄ませたようで、座りながらその背筋を伸ばす。



「これは……うん、上からだね」


「上から?

 っていうと……」


「うちのリビングの、ピアノの音だね。

 いま上にいるのは、おばーちゃんと───」









──








「なるほど。

 そういうことだったのですね……」



老婆が頷き、二人は同時にカップに口をつけた。



「……ええ。

 その場にいた全員が、一歩間違えれば命を落としてしまうような。

 そんな夜でした」


「あの子は……リエラは、そこまでとは言っておりませんでした。

 ただ、皆で大きい魔獣を倒したのだと」


「きっとお婆様のことを心配して、敢えて伝えなかったのだと思いますわ」


「……そうなのでしょうね。

 あの子は、優しい子ですから」



砂糖を取るために老婆が腰を上げると、椅子がギィと鳴いた。



「それでも……誰も大きな怪我などをしなくて、よかった」


「本当に、そう思いますわ。

 私たちも、この町の方々も無事で」


「ええ。

 リエラやトーヤさんはもちろんですが……スタグヴァンゲルさんも、ノルネスさんも。

 みな、昔からの知り合いなものですから。

 私もこの歳でいまさら、自分より若い人の葬儀に参加したくはありませんからね」



それを聞き、老婆の向かいに座っていた少女が目を伏せる。



「……やはり、悲しいものですか?

 親しかった人たちと、別れるのは。

 これは、以前お聞きした話にも通じるのですけれど。

 ご友人やご家族が突然いなくなるなんて、私ならきっと……」


「そうですねえ……。

 それが悲しくないと言えば、嘘になりますが……。

 ですが、命にはきっと、定められた長さというものがあるのではないかと。

 私は、そう思うのです」


「……定められた、長さ……」


「ええ。

 少なくとも、私が見てきた者たちは皆、その中で果たすべきことをたしかに果たし、あちらへ逝きました。

 ……それに、私も近いうちにそちらへ行きますから。

 だから、寂しいとは思いませんよ」


「……そう、ですのね。

 私にも、いつかその気持ちがわかるのかしら。

 お婆様のように、意義のある時間を重ねて、歳をとれば……」


「ふふふ……何をおっしゃいますか。

 あなた様は、私なんかよりもずっと先にいらっしゃるでしょう?」


「……わかって、しまうのね」


「ええ……なんとなくですけれど。

 あなた様の纏う空気は、とても見た目通りの子供のものではありませんから。

 それに……」


「それに?」


「……女の勘とは、鋭いものです。

 人より長く生きた女なら、なおさら。

 違いますか?」


「……ふふ。

 そう、ね

 そうだわ、きっと」



老婆が冗談めかして微笑みかけると、ようやく彼女は笑顔を返した。



「ありがとう、ルミエさん。

 今日は、いいお話が聞けたわ」


「どういたしまして、サフィーアさん」



そう言って、二人は初めてお互いの名前を呼び合う。



「あら……。

 壁にかかっているあれは……ヴァイオリンかしら?」


「ええ。

 ご興味がおありなら、触ってくださって結構ですよ」


「ありがとう。

 ん……これは、練習用のものかしら」


「はい。

 あの子が、子供のころに触っていたものです

 よくお気付きで」


「でも、とてもよく手入れされているのね。

 弦も弓も、すごく綺麗……」


「ふふふ……。

 私が、たまにいじっておりますので。

 あくまで、手慰み程度にですけれど」



キィイ、と。


弦の一つが、よく通る声をあげた。



「まあ……」


「ふふ。

 よければ、ルミエさんも一緒にどうかしら?」



跳ねるように、誘うように。


二つ目の弦が、軽やかな音を放つ。



「ふふふ……それでは、ご一緒しましょうか」


「ええ、ぜひ」



やがて、居間でひときわの存在感を放つピアノがその口を開ける。



「さて……。

 私のような老骨が、追いつけるとよろしいのですけれど」


「私が手を引くわ。

 気の赴くままに、ゆっくりと歩きましょう?」


「はい。

 では……」



まるであくびをするかのように、その巨体は低い音から順に喉を鳴らし始める。



「名付けるなら……そうね。

 ───遠き追憶のカノン」



指を慣らすように、目を覚ますように。


この場を包む声が音に取って代わった時、二人はすでに一歩を踏み出し始めていた。



小さくも大きく響く弦の音が、一歩先を進み。


その軌跡を、打鍵の歩みが足跡にする。



奏でられる世界の中で、音色はたしかに語り合っていた。


まるで、互いの記憶を交換するかのように。







──








「───おぉー……」



ぱちぱちぱち、と。


およそ即興なのであろう合奏を聴き終えた俺たちは、小さな拍手をあげていた。



「ふわー……すごいなぁ。

 気が合うんだね、おばーちゃんと」


「素敵なお祖母様ね。

 とても綺麗な音を奏でられるものだから、聞き入っちゃったわ」


「ふふふ……よく仰る」



サフィーアがふわりと微笑むと、ルミエさんも楽しげに笑う。



「アタシが習ってた頃は、おばーちゃんのピアノに全然ついていけなかったのに……。

 ヴァイオリンもできちゃうんだね、サフィーアちゃんは……って、あ」



しまったと言う風に、リエラが手を口にあてる。



「まぁ……ふふ」


「あらあら……。

 サフィーアちゃん、ですって」


「ふふ……私はよくってよ。

 若く見られて、喜ばない女はいないもの。

 そうでしょう?」


「ええ、仰る通り」



どこか通じ合うところがあるのか、ご年配の女性陣はまたくつくつと笑った。



「え、えっとえっと……。

 だったら、サフィーア……さん?

 いや、サフィーア様……?」


「どのような呼び方でもよくてよ。

 私の周りの子たちは皆、好きなように呼んでいるわ」


「そうだな。

 フレイミアの連中なんかは、サフィーアのこと未だに『嬢ちゃん』なんて呼んでるもんな」


「そ、それはさすがに……」



リエラが考え込んでいる間に、サフィーアは楽器を片付けてしまう。


そしてあーでもないこーでもないと悩んだ末に、結局『サフィーアさん』と呼ぶことに落ち着いたのだった。



「ま、それがちょうどいいか」


「う、うん。

 フリージアに行ったら、周りはほとんどクロキアの人たちでしょ?

 だから、そのあたりも考えたんだけど……」


「いまさら接し方とか呼び方を変えすぎるのも違う気がする。だろ?

 わかるぜ。俺もそうだった」


「うん……」


「構わないわ。

 人は、ほとんどのことを見た目で判断するというもの。

 立場や年齢なんて、あまり意味を成さないものよ。

 特に、あの村においてはね」


「ま。

 あまり、で収まる度合いを超えてるとは思うがな。俺は」


「そうだね。

 だってサフィーアさんは……」



サフィーアが自身の唇に指を当て、その先を制止する。



「……なるほど、そうでしたか。

 どこか高雅なお方かとは思っておりましたが……。

 やはり、貴ぶべき立場であられるのですね」


「やめて頂戴な、ルミエさんまで。

 私はただ、幼い頃に少しばかり教養を叩き込まれただけの女よ。

 生まれを理由に、距離を置いてほしくはないわ」


「ふふふ……では、そういうことにしておきましょうか」


「ええ、お願いね」



最後にサフィーアが満足そうに微笑み、俺たちはテーブルについた。



それからは、リエラのこれからのことや、これまでのこと。


そしてフリージアや、俺が音楽についてはからっきしなことなどを話しながら、穏やかな時間が過ぎていったのだった。









────

───

──










「……ミラーヤ殿。

 次の角を曲がるぞ」


「わふっ?

 えっとえっと、おうちは真っすぐの方向だったはずですよ……?」



昼下がり。


宿にいた友人を迎えに行くついでにいつもの買い出しを終えた二人が、町で一番大きな通りを歩いていた。



「後ろだ。追われている。

 ……明らかに、我々を狙っている動きだ」


「えっ……。

 ほ、ほんとですか……?」


「ああ。

 どうやら、まだ危害を加えようという気はないようだが……念のためだ。

 あちらに悟られんよう、次の角で撒くぞ」


「は、はいっ……!」



買い物袋を提げながら、その大きな耳をピンと立ててミラーヤは追従する。



「……これは……ふむ」


「通行止め、でしょうか……?」



二人が曲がろうとした角───細い路地への入り口は、運悪く木の板で塞がれていた。



「都合の悪い……。

 ミラーヤ殿、もう少し歩くぞ。

 どこかで、撒ける場所を探す」


「はいっ。

 自然に、自然にですね……っ」



言いながらも、彼女の尻尾はぴったりと背中に張り付いていた。



「……どこか、身を隠せる場所は……」



歩きながら見渡すも、先ほどのように都合のよい路地は見当たらない。



「……あれは……!

 よし。あの建物に入るぞ、ミラーヤ殿」


「あの看板は……えっと」


「ああ。

 一度入ったことのある場所だ。

 少なくとも、中の構造がわからず不利になることはあるまい」


「……はい、わかりましたっ」



素早く開けた扉が、ドアベルを強く鳴らす。


喧騒と人混みに紛れながら、ブランシュが手を引くような形で二人は入店した。



「ふう……。

 これで、見失ってくれればよいのだが」


「いらっしゃいま───あっ!」


「……ん?」



ドアに背を預けながら通りを横目に睨んでいたブランシュは、正面からの声を受け視線を移す。



「かわいい香りのお姉さんっ!

 またお越しいただけて、とっても嬉しいです!」


「あ、ああ……。

 そういえば」



ブランシュが思い出したのは、以前の香水の話。


彼女たちが入った店は、紛れもなく以前訪れた小物屋だったのだ。



「お連れ様も、いらっしゃいませ!」


「あ、は、はいっ」


「それでそれで、お姉さん、以前の香水はいかがでしたかっ?

 また来ていただけたということは、別の香りをお探しでしょうかっ!」


「い、いや。

 今日は違う用件……というかだな、今度こそ冷やかしになってしまうのだが……」



店員の勢いに押されたブランシュは、のけぞりながらも答える。



「あら、そうなんですか?」


「ああ……。

 実は我々は今、何者かに追われていてな」


「ほうほう……?」


「動きから、賊の類でないとは思うのだが……誰ともわからん人間に追われるのは、いい気分ではないのでな。

 申し訳ないが、奴らを撒くためにこの建物に入らせてもらったのだ。

 ……そもそも、追われる理由などないはずなのだが……」


「追手さん、ですか。それは物騒ですねぇ……」


「ああ。

 そういうわけでな、もしこの店に別の出口などがあるのなら、案内してほしいのだが……」


「別の出口……うーん、別の出口ですかぁ」


「裏口でもどこでも構わない。

 無茶を言っているのは承知の上だが……万が一のこともある、協力してくれないか」


「裏口……あったような、なかったようなー?

 ……あっ、そういえば」


「心当たりがあるのか?」


「はい。

 あるにはあるんですが……」


「そうか。

 よければ、場所を教えてくれないだろうか」


「それがですねぇ、場所をど忘れしてしまいまして……。

 ……香水をお買い上げいただいたら、思い出すかもしれませんっ」


「……そういうことか……」


「ふふふ」



店員の抜け目のなさに、ブランシュはやれやれと言った風に額を押さえる。



「だいじょうぶですか、ブランシュさんっ?」


「ああ……問題ない。

 会計をする余裕ぐらいはあるだろう」


「ふふっ。

 お付き合いいただき、ありがとうございます」


「では……そうだな。

 折角だ、前と同じものを一ついただけるだろうか」


「前と同じ、ですか?

 うーん、同じものを二つ持つというのは、ちょっと面白みがないですねぇ」


「故郷にいる妹への土産にするつもりだ。

 であれば、文句は無いだろう?」


「まあ……!

 それなら、喜んでお包みしますねっ!」



嬉しげに香水を包む店員を見届け、会計を済ませる。



「ふふふ……。

 こんな素敵なお姉さんから、同じ香りのプレゼントをいただけるなんて。

 きっとその妹さんは、幸せ者ですねっ」


「ですって、ブランシュさん!

 よかったですねっ」


「……出口の場所は」



意味合いの違う二つの笑顔に頭を抱えながら、ブランシュは平坦な声を出す。



「はいはいっ。

 裏口はこちらですよ。

 ここから出ると、大通りから見てひとつ隣の道になりますので。

 きっと安全なはずです」


「恩に着る」


「いえいえ~。

 故郷の妹様にも、ぜひうちのお店を宣伝しておいてくださいね」


「……考えておこう」



そうして二人は、無事に追手を振り切ることに成功する。


───しかし、通りを出て歩くことしばらく。



「でも、なんだか変な感じがしますねぇ……」


「どうした、ミラーヤ殿?」


「うーん……。

 ブランシュさんに手を引いていただいている間、たしかにわたしも聞こえたんです。

 ぴったり同じ距離で、わたしたちを追いかけてくる足音が。

 でも……」


「でも?」


「なんだかふしぎと、嫌な感じはしなかったんです。

 むしろ、とってもいいもののような……?」


「……それは、またマナの気配などで察知したということか?」


「あ、いえいえっ!

 そういうのではなくて、あくまで、直感ですっ。

 なんとなーく、ふんいきだけなんですけど……」


「であれば、気のせいだろう。

 人を尾行しておきながらよいものなど、ありはしないさ」


「うーん、そうでしょうか……。

 でも、どこかで聞いたことがある足音の感じだった気も……」





──






「す、すみませんっ!」



バタン。と。


勢いよく開いたドアから、数人の女性が姿を現した。



「あらあら、いらっしゃいませ。

 皆様、そんなに息を切らされて……。

 うちは香水は置いていても、普通のお水は置いていないのですが……」


「ち、ちがうんです。

 えっと……」


「足がとっても綺麗なお姉さんが、こちらに来ませんでしたかっ!?」


「そうです!

 足が長くて、赤い髪で……!!」


「……これはこれは……。

 なんだか、思っていたよりも可愛い追手さんでしたねぇ……」


「あと、獣人の女の子を連れていて……!」


「ふふふ、はい。

 その方なら、知っていますよ」


「本当ですか!?

 どっちに行きましたか!?」


「教えてくださいっ!!」


「そうですねぇ……どちらへ行かれたかは存じ上げませんが……」



そう言って彼女は、さきほど包んだ香水と同じものの前まで移動し。



「そのお姉さんは、こちらの香水を買われていきましたよ」


「「全部くださいっ!!」」


「ふふっ。

 お買い上げ、ありがとうございまーす♪」





その後。


フローエンの女性の間では、とある花の香水がしばらく流行したという。




毎日昼12時に、一話ずつ投稿予定です

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