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永久凍姫と時忘れの王国  作者: とらうつぼ
第2章『ペルエット』
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第68話「刃涛と、咆哮」


「嵐って……!?」


「外、見てないっ!?

 もう来てるの! 予定より、すっごく早いっ!」



窓に駆け寄り、カーテンを開ける。


するとそこには、冪々(べきべき)と空を覆う灰色の暗雲が広がっていた。



「嘘だろ……!」



いつ豪雨が降り始めてもおかしくないほどの、分厚い雲。


嵐が来るのは二週間は先だと聞いていたのだが……あまりにも早すぎはしないだろうか。



そして今日、俺は一日中ここで考え事をしていたせいで、この悪天候にも気付かなかったらしい。



「まだ帰ってこれてない漁船がいるのっ!

 それで、スタグおじさんとノルネスおじさんが船を出したんだけど……無理したせいで、スタグおじさんが倒れちゃって!

 だから……」



そこで、ようやく息を整えたリエラがこちらを見据える。



「お願いみんな……アタシたちを、助けてっ!」



俺たちの返事は、一つしかなかった。







────

──







水流魔法を使ったエンジンの重低音と、船が波を巻き上げる白い音。


他でもないノルネスさんの運転で、俺たちは暗い海へと繰り出していた。



「すまんのう、兄ちゃんら……。

 何度も手を貸してもらって、面目ない限りじゃ」


「いえ……。

 それより、スタッグさんが倒れたというのは本当なんですか?

 にわかには信じられないんですが……」



日は差し込まないが、まだ照明がなくとも先が見える曇天(どんてん)の下。


ノルネスさんと話しながら、装備を確認する。



「ああ……こりゃ、昼過ぎの話なんじゃがな」



俺は水着の上にベルトを巻き、剣やロープなど、必要な道具を腰に提げている形だ。


ともすればまた救助をする流れになりかねないため、服装は俺以外も皆一様に水着姿となっている。



(わし)とスタッグの坊主は、港におったんじゃ。

 じゃが儂も病み上がりなもんでな、今日は肩慣らしに二人で海の様子を見に行くかと言っとった。

 そこにちょうど嵐の野郎がやってきたもんで……網の回収に出たんじゃよ」


「網の回収、ですか?」


「嵐が来るとわかれば、回収せにゃならんものもあるでな。

 海上に放置すれば事故の元になりかねんし、網も決してタダじゃあないけんの。

 もちろん海に出たのは、先に出た船の避難を助けるっちゅう目的もあるでな」



嵐が来るとわかっていながら海に出るというのは、素人目には大きなリスクにも見えるのだが……。


海に生活を委ねている人々にとっては、避けられないこともあるのだろう。



「したら、儂らが向かった先にはすでにいくつか渦が出来とったもんでな。

 それをどうにか避けながら、網どもを回収しとる時じゃ。

 スタッグの坊主が、急な旋回と高波で柱に頭をぶつけよってな」


「慣れてる方でも、そんなことが……。

 大丈夫だったんですか?」


「命に別状はないが、今は気を失って倒れとる。

 ま、アイツは丈夫じゃけえ、そのうち目を覚ますじゃろう」



それは果たして、良かったのかどうか……。


ともかく、スタッグさんは無事ということらしい。



「何にせよ網は回収できたが、問題は残りの船じゃ。

 まだ二隻、帰ってきとらんのがおる」


「俺たちが呼ばれたのは、その方々の安全確保……ということですか?」


「そういうことじゃな。

 じゃが海に出るモンにとって、二次災害はご法度(はっと)じゃ。

 何かあればすぐ引き返すつもりじゃが……それでも、できることはせにゃならん。

 ……リエラちゃんも兄ちゃんたちも、巻き込まれに来てくれてすまんのう」


「ううん。

 ……私にできることがあれば、どんなことでもしたいから」



船の後部に乗せた水上バイクを支えながら、リエラは答えた。



たしかに俺たちは一度、ノルネスさんを大渦から救った実績がある。


それに(おご)るべきではないとはいえ……このメンツであれば危機を回避しやすいのも事実だ。


リエラやノルネスさんの言う通り、できる限りの協力はすべきだろう。



(またあの時と同じことが起こったとしても、同じようにうまくいくとは限らない。

 ……それでも)



そんなことを考えながら、しばらく。



いつの間にか、俺たちが出発した港も背後に遠くなってきた頃。


目の前の景色が、徐々に霧雨(きりさめ)に覆われぼやけ始めた。



「……このあたりからが、嵐の?」


「まだ、ほんの一部じゃな。

 じゃがここから先は、波も荒れとるし、雨も容赦なく吹き付けてくる。

 用心を怠らんでくれ」



ノルネスさんが言い終わるや否や、俺の肌に(こま)かな雨の雫が張り付き始める。


フローエンに来てから初めて浴びる雨は、海水とは比べ物にならないほど冷たく、重かった。



「寒いわね……。

 クロキアの気候とは、また違った冷たさに感じるわ」


「これ着てろ、サフィーア。

 ……無理に袖は通さなくていい」


「トーヤ……ありがとう」



細い腕を抱えるようにしていたサフィーアに、ジャケットをかぶせてやる。


救助に来たというのにこちらが体調を崩してしまっては、元も子もないだろう。



「……それは、()(もの)か?

 ノルネス殿」



ブランシュが、片手で舵を握っていたノルネスさんに声をかける。


どうやら、ノルネスさんは手元で何らかの作業をしていたらしい。



「ああそうじゃ。

 信号筒(しんごうとう)や、そのへん植物で作れる炸裂筒(さくれつとう)じゃな」


「炸裂筒って……?」


「まだ帰ってきていない二隻に、岸の方向を伝えるためのものだろう。

 この天気では、狼煙(のろし)も役に立たんからな」



つまり、海上で使える爆竹のようなもの、ということか。



「そっちの姉ちゃんの言う通りじゃな。

 ただし……この嵐の中、音だけでは不十分じゃが」


「では、何か別のからくりが?」


「おうとも。

 こいつにゃ、朱い光をばらまく特殊な火薬が入っとる。

 それに加えてこの瓢箪(ひょうたん)は、破裂すると底の皮が大きく広がる特徴があってのう。

 だもんで……こいつを空中で爆発させると、それがまるで傘みてえになって、強い光を放ちながらゆっくり落ちてくる仕組みになっとるんじゃよ。

 海上で方向を伝えるなら、一番頼りになるのは光じゃけえの」


「なるほど……しばらく浮遊する形の、照明弾ということか」


(みさき)の灯台の光が届く距離にも、限界があるけえの。

 ……問題はこの天候の中できちんと火がつくかどうかと、どこまで高く打ち上げられるかじゃが……」


「であれば、その点は私に任せてもらおうか」


「姉ちゃんにか?」


「ああ。

 私は炎熱の民だ。

 着火と遠投であれば、この中で最も適任だろう」


「……そうか……そりゃありがたい。

 なら、投げる時は頼んでもええか」


「承知した。

 今のうちに、軽く使い方を教えていただいても」


「合点承知じゃ。

 ……まずは一つ、軽く握ってみな」




──




「……リエラ、大丈夫か?」



海に出てからほとんど口を開いていないリエラが心配になり、声をかける。



「うん……」


「そうか」



しかし、帰ってきたのは生返事。



「……帰ってきてない二隻、ってのだけどさ。

 誰の船なのか、見当はついてるのか?」



灰色の海に入り込んだ彼女の意識を引き戻すように、俺は意図的に脳を動かす問いを投げる。



「……ボルエさんと、トーケさん。

 二人とも、そこまで無茶する人たちじゃないから……無事だと思うんだけど」


「普段から、世話になってる人か?」


「たまに……。

 お魚を、持ってきてくれたりするんだ。

 パパのお友達だったらしくて」


「そっか……。

 なら、絶対助けないとな」


「……うん」



リエラの(まぶた)が、重く落ちる。



「不安か?」


「……当たり前、だよ。

 アタシに何ができるかなんて、わかんないもん……。

 前に上手くいったからっていっても、あの時は、ホントにたまたまだったから。

 でも、何かしたいって……今回も、その気持ちだけで」


「そうか。

 なら……それで十分じゃねえか」


「え……?」


「俺だって、不安だぜ。

 ……もしかしたら、そうは見えねえかもしれねえけどさ。

 ここは知らねぇ国で、知らねえ海で。

 何が起こるかもわからねえようなところで。

 それでも、今自分にできることをやらなきゃいけない。

 目の前で困ってる人を、放っておけないから。

 ただそれだけなんだ」


「トーヤくん……」


「だからきっと、皆一緒だ。

 何ができるかなんて、俺にもわからねえよ。

 今だって、不安で不安で、たまらねえ。

 うまくいくのか……それとも、何もできずに終わっちまうのか。

 それどころか、もしかしたら今日死んじまうのかも……って怖さもある。

 足が震えてんのもきっと、寒さのせいだけじゃない。

 ……情けねえだろ?」


「……」


「だからこそ、さ。

 信じてんだ、俺は。

 色んなことを一緒に乗り越えてきた、仲間のこと。

 前に大渦を乗り切った、リエラのこともだ」


「仲間……」


「ボルエさんとトーケさん、だったか。

 もしその二人が、前と同じように大渦に巻き込まれてたとしたら、さ。

 俺は今回も、リエラの操縦するソイツに乗せてもらうつもりだぜ。

 今ここで、リエラにしかできないこと、リエラだからやってくれること。

 そういうの全部、信じてるからさ。

 ……頼んだぜ」



あくまで軽く俺がそう告げると、リエラの眼が再びゆっくりと開かれた。


瞳の奥に宿る、静かな決意と共に。



「……ありがと」


「ああ。

 ……っと!」



ガクン、と。


高い波の反動で、船が大きく沈む。



「ちっ……そろそろ頃合いじゃな。

 姉ちゃん、炸裂筒の準備じゃ!」


「了解だ……!

 ここで良いのだな、ノルネス殿!」



強くなり始めた雨に、立っている二人が声を張る。



「ああ!

 船はまだ見つかっとらんが……仕方あるまい!

 これ以上は進めんからの!」


「承知した!」


「投げ方だけ、注意じゃぞ!

 有事の誘導の時は、ソイツを岸と平行に()く決まりになっとる!

 じゃから、今から儂が波に対して決まった角度で直進するからの!

 進み始めたら、ちょいと間を置きながら真上に投げ続けてくれ!」


「可能な限り高く……だな!」


「ああ、その通りじゃ!」



二人が準備を進めながら、船は横方向へと進路を変える。



「炸裂筒……。

 結局、船は見つからなかったってことか……」


「うん……。

 あの光が届いてくれるのを、祈るしかないね……」



気付けば雨はさらに強くなり、暴風雨と言っていいほどの荒天になっていた。




「さぁ行け、姉ちゃんよ!」


「ああ、任せておけ……!

 ふっ!!」



ブランシュの掛け声と共に、小さな瓢箪状の植物が上空へと放り投げられる。


それは空を切るように回転し、やがて───。





パァン!!!!





「い゛っ……!!」



思わず耳を塞いでしまうほど強烈な炸裂音を立て、見事に空中で爆ぜた。



「わふ……!!

 び、びっくりしました……!!」


「ア、アタシもびっくりしたぁ……!

 あんなすごい音が鳴るんだね……!」


「緊急用じゃからの!

 まだまだ頼むぞ、姉ちゃんよ!」


「ああ。

 あと十発はあるからな……まともに聞く必要はない、皆は耳を塞いでおけ!」



ブランシュの合図と共に、次々と炸裂筒が打ち上げられていく。


その凄まじい膂力により、かなり上空まで撃ち上げられているはずなのだが……それでも、目に焼き付くほどの閃光と心臓まで響く炸裂音に、俺たちは身を屈めざるを得なかった。




「よし……こんなものか」


「おう。

 よくやってくれた、姉ちゃんよ!」


「ああ。

 (くだん)の二隻が、こちらを見つけてくれるといいが……」



やがて弾が尽きたのか、ブランシュが船主の方から返ってきた。



「うむ……十分じゃな。

 ほれ兄ちゃんたちよ、後ろを見てみな!」


「ん……?」



ノルネスさんの合図で、皆の視線が後方に向けられる。


すると───。



「まあ、これは……」


「わあ……!!」



そこには、船が通った軌跡を示すように、朱い光を放つ炸裂筒が一直線に並んで空中を漂っていた。



「へぇ……」



強風にもかかわらず、それぞれがゆっくりと落下しながら、激しく燃える朱い光を生み出している。


それらは小さいながらも十分な光量を放っており、まるで仄暗(ほのぐら)い雲の中を泳ぐ小さな花火のようでもあった。



呑気(のんき)なことは言っとられんが……悪くない景色じゃろ?

 中々見られん光景じゃぞ」


「ええ……どこか、美しくもありますね」


「あとは、二人がこれを目印に無事に帰ってきてくれることを祈るだけじゃの」



言いながら、ノルネスさんは再び船の進行方向を変更する。


目的地は、もちろん俺たちが出発した港だ。



「……二人は、無事かな」


「結局、目視じゃ見つからなかったし……やっぱ気がかりだよな」


「なあに、心配はいらん。

 あいつらも一端の漁師じゃ。

 多少の時化や渦になぞ、負けはせんよ」


「そうは言っても……」


「そもそもじゃ。

 今しがた海に出た儂らと入れ違いの形で、すでに港に帰ってきとるっちゅう可能性もある。

 戻ってきとらんのは、本当にあの二人だけじゃったけんの」


「……そう、か。

 そういう可能性もあるんですね」


「おうとも。

 じゃから余計な心配はいらん。

 無事じゃと信じとれば、大抵のことはなんとかなるもんじゃ」


「そだね……。

 ノルネスさんの言う通り、二人を信じよっか」



そう言っている間に、船首は元来た方向へと向いていた。


今回は大きな危機が訪れなかったこともあり、(わず)かな安堵感が俺たちの間に流れ始める。


岸の方まで進めば、天候も少しはマシになるはずだ。



「でも……どうしていきなり嵐が来たんでしょうか?

 それも、こんなに早く」


「それは……儂にもわからんのう。

 ただ、お天道様の機嫌が悪かっただけかもしれん」


「うーん……そんなもの、ですかね」


「ああ。

 気にしても、詮なきことじゃ」



ノルネスさんの言う通りではあるのだろう。


自然とは、予想のできない気まぐれなもの。


スタッグさんも、以前にそう言っていた気がする。



しかし。


俺はそれでも、どこか引っかかる部分があった。



「なあ、ミラーヤ」


「はいっ?」


「マナについて……何か感じることはないか?

 ってか、できればこの場の全体のマナを探ってみてくれないか」


「え、えっと……わかりました。

 いちど、探ってみますね……!」


「頼むよ」



ミラーヤはひとつ頷くと、目を閉じて意識を集中し始めた。


時折耳がピクピクと動いているのは、獣人としての癖か、もしくは雨が当たっているせいだろうか。



「これも調査の一環、ね」


「ああそうだ。

 ついでにはなっちまうが……嵐が起きてるときの観測結果のひとつぐらいにはなるかと思ってな」


「悪くないと思うわ。

 この問題を根本から解決しようと思えば、必要なことだもの」


「まぁ、この雨の中でミラーヤの感覚がどこまで働いてくれるかってのはあるが……」



やがて、眉を下げながらミラーヤが目を開けた。



「う~ん……」


「どうだった?」


「えっと、ですね……。

 まず嵐は……東から来てるとおもいます」


「方向が、わかるのか?」


「は、はい……。

 たぶん、ですけど……。

 東の方だけ、とってもマナが薄いので……」


「マナが薄い……?」



俺たちが会話していると、それを聞いたノルネスさんが横から添えた。



「嬢ちゃんの言っとることは合っとるぞ!

 この時期の嵐は、東からくるけえの!」


「なるほど……たしかに、スタッグさんも東からって言ってたよな……」


「あとあと、これはその、とってもいやな感覚なんですが……」


「……前と同じヤツか?」


「はい、そうです。

 なんだか、口をあけてうなっているような……。

 まるで、海全体が怒ってるような。

 そんな、いやな感覚です……」


「やっぱそれも東から、か?」


「はい……」


「そうか……ありがとな」



ふるふると水を払うように首を振ったミラーヤをよそに、俺は思索を始める。



(ならやっぱり、天候が荒れたのはマナが薄くなったせいか……?

 だったら直接的な原因は、マナの氾濫(はんらん)じゃなくて、枯渇(こかつ)の方……。

 もし嵐を呼んだ、もしくはそれを速めたのが、魔獣やワタツミの仕業だとしたら。

 ……そいつらの狙いは……)



今まで集めた情報が、脳内で形になり始める。


それと同時に、嫌な結論が俺の中で顔を覗かせ始めた。



「……一応、確認だけするか」


「なにかされるんですか、トーヤさん?」



おもむろに立ち上がった俺の背中に、ミラーヤの声がかかる。



「魔獣が追ってきてないかの確認だよ。

 前も、帰り際に襲われただろ?

 だからちょっと、海ん中を見てやろうと思ってな」


「な、なるほどです……」



皆が座っている場所より、さらに後方。


船尾の横、一番低くなっている部分に足をかけ、俺は水中に手を入れる。



「気を付けてね、トーヤ」


「おう。

 ……冷てっ」



どうやら雨のせいで海面の温度まで下がっているらしく、以前の渦の時に比べて水はさらに冷たく感じた。



(……これが嵐の海、か。

 さすがにこんだけ荒れてりゃ、水中のマナも支離滅裂だな……)



手の先から自身のマナを送り込み、海中の動きを探る。


しかし返ってきたのは、不規則で無秩序な反応だった。



波に加え、大雨と渦。


水同士が様々な方向にぶつかり続ける様子は、捉えようのない自然の動きそのものだった。



(でも、だからこそわかることだってあるはずだ……!)



俺はそのまま、東の沖へマナを伝わせる。


この混沌の中だからこそ、何かしら意思を持った存在は際立つはずだ。



例えば、以前の魔獣が持っていた敵意のような。



「……っ!?」




そう予測した瞬間。



俺の背筋は、一瞬にして凍り付いた。




(───『観測され(みられ)』た!?)




咄嗟に引き抜いた俺の手に刻み込まれていたのは、あまりにも大きな()()の跡。



「トーヤさんっ!?」



その気配に遅れて気づいたのか、ミラーヤも立ち上がる。



「……ノルネスさんっ!!

 すぐに港に引き返してくださいっ! 全力で!!!!」


「なんじゃ、兄ちゃん!?

 何が起きた!?」


「気付かれました!!

 赤い眼……ワタツミですっ!!!」


「なんじゃとっ……!?」


「エンジンッ!

 リエラもできるなら手伝ってくれ!!

 とにかく、全速力で港まで!!!」


「わ、わかった、よ……!?」



俺の言葉にバタバタと、二人が動き始める。



咄嗟(とっさ)に手は引き抜いたが、遅かった……!

 あのデケェの、俺が流し込んだマナに気付いて、確実にこっちを『観測し()』やがった……!)



海中に探りを入れた時。


返ってきた気配は、間違いなく『赤い瞳』の持ち主のそれだった。



それはただ静かに、だが確実な怒りと共に、こちらを認識していた。


以前と同じ、生物が持つ危険信号を直接かき鳴らすような、その赤い視線を以って。



「トーヤ、大丈夫?」


「トーヤ殿。

 ワタツミとやらが、いたのか?」



震える腕を押さえながら思考を続ける俺に、二人が声をかけてくれる。



「ああ……悪い。

 余計なことをしちまったかもしれねえ……!」


「わ、わたしも感じました……。

 まるで野生の動物さんが、えものを狩るときみたいな……そんな視線でした」


「……あちらが、我々を狙っているということか?」


「多分だが……そうだ。

 少なくとも、とんでもねぇ敵意は持ってたぜ。

 前よりもずっと、鋭いヤツをな……」


「トーヤの推理が当たっているとすれば。

 マナが枯渇している魔獣たちは今、とてもお腹が空いていて。

 魔法が得意な私たちを、格好の獲物として見ている……ということかしら」


「……そうなる、か」



以前俺が推理した、大渦は奴らにとっての『狩り』の一種だったという説。


それが正しいとすれば、常人に比べマナを多く持つ俺たちはヤツらにとって最高の餌なのだろう。



であるなら、次のあちらの手は───。





ボンッ!!!!!!





「なっ……!?」





背後からの、突然の爆発音。



耳を(つんざ)くそれに耐えながら咄嗟に振り向いた俺たちの、目の前にあったのは。




「津波っ!?

 ……だとしても、高すぎるだろっ!?」




月と雲、それらを空ごと覆い隠さんとするような高波だった。




「え、えっ!?

 ウソでしょっ、こんないきなり!?」


「これも、ワタツミとやらの仕業か……!!」


「ど、どうしましょう、トーヤさんっ!!」




(横幅……無理だ、デカすぎるっ。旋回は間に合わない!

 だとしても、距離も速度も、負けてるよなこりゃ……!!)




「こりゃあ、避けれんぞ……!

 どうするんじゃ、兄ちゃん!?」


「……真っ直ぐ!!

 そのまま港まで向かってください!!!」


「で、でも、このままじゃ飲まれるよっ!?」


「わかってる……!!

 だったら、勝負に出るしかねえだろっ!!!」



思考よりも早く、体が動く。



「距離……デカさ……。

 前の大渦と同じか、それ以上の相手かよ……!!」



後部甲板の高い部分に足をかけ、腕を前にかざす。



「何をするつもりだ、トーヤ殿!?」



全てを飲み込まんとする大波は、既に目前に迫っていた。


このままでは、十秒後には俺たちは間違いなく海の底だ。




「こんな時に俺ができることっつったら……一つしかねえだろうよっ!!!」




叫びと共に、全力で練ったマナを目の前の大波に向けて解き放つ。



それは、幅も、高さも。



誰が見ても、人が止められる範疇を大きく超えていた。





(───それでもっ!!!)





吹き荒ぶマナの暴風。



鼓膜を震わせる轟音。




刹那。


逃げ場を許さない水の処刑台が、容赦なく海面に打ち付けられた。





「……はあっ、はあっ……!!」





───俺たちの船が通る道だけを、避けるように。




「わ、っぷ……!?

 な、何が起きたの……っ!?」


「ぐっ……!!

 ……生きとるのか、ワシらは……っ!?」



立っていられなくなるほどの振動と、怒涛の水飛沫が去ったあと。


ようやく、全員が事態を理解した。



「……まさか。

 私たちの船の幅の部分だけ、あの波を止めてみせたというのか……」


「……呆れたわ。

 本当に、怖いほど頼りになる子ね……」



船の背後、俺の目線の先には巨大な氷の柱が一本。


俺たちを飲み込む瞬間のうねりを形に、時だけが切り取られたように屹立(きつりつ)したそれは。



正しく、俺が凍らせた大波の一部だった。



「はぁ……はぁ……。

 こうでもしないと、助からねぇだろうがよ……」



大量のマナを消費した疲労で、俺はその場に尻もちをつく。



「わふ……!

 す、すごいですトーヤさん……!」


「ほら、いらっしゃいトーヤ。

 マナを分けてあげる」


「ああ……」



立ち上がったサフィーアに手を引かれるように、俺も中央の甲板に移動し座り込む。



「よくやったわね……本当に」


「はぁ……自分のケツを。

 自分で、拭いただけだ……」



だがさすがに、一度にマナを使いすぎた。


サフィーアの手から流れ込んでくる時魔法のマナが、俺の身体を満たすように冷たく駆け巡る。



「ノルネス、さん……っ!

 港まで、あとどれぐらいですか……!」


「あと一、二分じゃ!

 もう見えてくるけんの!」


「そう、ですか……」



視線の先で、俺の凍らせた柱が音を立てて倒れていくのが見えた。



「どう、トーヤ?

 もう平気?」


「ああ……すまん。

 助かった」



サフィーアから供給された時魔法のマナのおかげで、俺のマナ不足は瞬く間に解消していた。


体内の半分ほどのマナを使った感覚だったが……この一瞬でかなりの密度のマナを分け与えて見せたサフィーアは、やはり時魔法を司る国の王なのだろうと改めて感じる。



「ミラーヤ。

 どうだ、他の感覚はあるか?」


「え、えっと……ありますっ!」


「……おいおい。

 あるのかよっ!?」


「はいっ……!

 また同じ、東からですっ!」


「ちくしょう……!

 嘘だって言ってくれよ……!?」



もう一度立ち上がり、後部に視線を注ぐ。


船の上の全員が、俺と同じ方向を向いた。



その瞬間。






「───グギャオオオオアアアアアア!!!!!」






猛獣か、怪鳥か。


どの生物ともつかない絶叫を海に轟かせ、波の彼方からそれは姿を現した。





「……ワタツミ……!!」





俺の言葉に、異を唱える者はいなかった。





「あれが、ワタツミか……!?」


「まるで大きいウミヘビね……。

 今見えている部分だけでも、さっきの波よりもずっと高く見えるわ」


「あ、あれも魔獣なの……!?」


「そうだと、おもいます……!!

 この距離でも、濃すぎるマナを感じます……っ!

 まるで、まわりのマナを全部食べながら移動してるみたいで……!」



龍か、蛇か。


この距離では、その流線形の細長いシルエットもぼやけて見える。



しかし、この場の全員が。


その赤い瞳から向けられる確かな敵意を受け取っていた。



「あれが本体かよ……!

 さっきまでのは、前座だったってことか……!?」



そう言っている間にも、ワタツミは大渦と暴風の間を泳ぐようにしてこちらに接近してきている。



「こちらを追ってきているぞ……!」


「やっぱり、私たちのことを獲物だと認識しているのかしら」


「たた、食べられちゃうんですか、わたしたちっ!?」


「このままだと、きっとね」


「見えたぞ!

 港じゃ!!」




全員の焦りと同時に、ノルネスさんが目的地を視認した。




「に、にげきれるでしょうか……!?」


「ああ、大丈夫じゃろう!

 この距離なら、ヤツも追いつけん!」


「アタシも、全力でエンジン回してるからね……っ!!

 陸にさえ逃げちゃえば、こっちのものでしょ!」


「……いや」



だが俺は、逆のことを考えていた。



「ノルネスさん!

 進路を北に変えられますかっ!?」


「なぜじゃ!?

 港は町の南側じゃぞ! もう目の前じゃ!」


「だからこそです!」



俺の叫びに、視線がこちらに集まる。



「このまま俺たちが陸に逃げて、腹が減ったままのアイツが海に帰ったらどうなりますか!?

 もし、ボルエさんとトーケさんがまだ海にいたとしたら……!!」


「……!!」



この場にいた全員が、俺の嫌な想像を共有できたようだ。



「……なら、どうする!」


「北です!

 砂浜に乗り上げてください!!」


「砂浜ぁ!?

 座礁しろってのかい!?」


「そうです!

 俺たちのコテージがある浜に、アイツをおびき寄せたい!!」



ノルネスさんは俺の言葉を咀嚼(そしゃく)しようとしたが、それよりも早く判断を下してくれたようだった。



「……やりたかないがの。

 これも必要なことだっちゅうんだろう、兄ちゃんは!」


「ええそうです!

 お願いしますっ!!」



俺の叫びと同時に、ノルネスさんは舵を北に切る。


急な旋回に、俺たちは振り回されるようにしながら水飛沫を浴びた。



「トーヤ殿!

 浜におびき寄せるといったが、そこからはどうするつもりだ!?」


「……時間を稼ぐ!

 まだ帰ってきてない二隻が帰ってこられるだけの、十分な時間を!」


「我々が囮になり、引き付けるということか!?」


「そうだ!

 港と違って、あそこの砂浜なら人も物も無いだろ。

 だから、ある程度暴れさせても問題ないはずだ!」


「アレ相手に時間稼ぎ、か……」


「ぶっ倒せってより、現実的だろ?

 砂浜なら、何かあってもいつでも陸側に逃げ込める。

 海の上で命を懸けて戦うより、よっぽどマシなはずだ!」


「ふむ……」



俺の現実的な案に対し、ブランシュは考え込む。



「……それでは根本的な解決にならない。

 とでも言いたげな顔ね、ブランシュ?」


「ああ……その通りだ」


「おいおい……じゃあまさか、あのデカブツと正面切って戦うつもりだってのかよ!?

 海から顔を出してた部分だけで、この船の何倍以上もあったんだぜ!?

 もし口を開いたら、この船ごと丸呑みにできそうなデカさだってのに!」



ここに来て、意見が割れる。



しかし俺たちは、そもそもワタツミに対しての立場をまだ明確に決めていなかったのだ。


危険因子であることは把握していたものの、それをどのように扱うかは情報を集めてから。ということだったはず。



今回の急な襲来に意見が分かれるのも、当然といえば当然だろう。



「しかしこれだけの被害が出ている以上、討伐ができればそれが最良の結果であるのは間違いないだろう。

 そして今、アレが陸に近づいてきてくれるのであれば、それは討伐に最も適したタイミングだ。

 次にいつ訪れるかもわからない、最大の好機とも言える」


「そりゃそうかもしれねぇけどよ……!

 だとしても、相手は伝承に出てくるような……半分神様みたいなモンだぞ!?

 仮に立ち向かうとしても、俺たちみたいな外部の人間が勝手にやっちまっていいのかって問題が……」


「いや……それについては、構わんじゃろう」


「ノルネスさん……!」


「そっちの姉ちゃんが言う通り、あやつは既に見過ごせん被害を出しとる。

 儂もスタッグの坊主も、一度は渦にやられかけとるんじゃ。

 それに兄ちゃんの言う伝承ってえヤツも、もう誰も知らんほどに古くなっとるでの。

 ……じゃけん、あやつはもう、この町に住む人間の敵じゃ。

 兄ちゃんたちがやれるってんなら、あれの息の根を止めちまっても誰も文句は言わんだろうよ!」


「……」



悩む俺をよそに、ブランシュは続ける。



「リエラ殿も、それで良いな?」


「……うん。

 アタシなんかに、何ができるかはわからないけど……」


「ふむ……その言い方。

 何かをする気はある。ということだな?」


「それは……」



意識的なものか、それとも無意識にか。


リエラは、腰に提げた剣の柄を握っていた。



「その様子だ、我々が止めても討伐に参加するつもりだろう?

 であれば、初めから戦力として数えさせてもらえないか。

 今回はヤツを陸におびき寄せるとはいえ……直接叩き斬るとなれば、それは水上での話になるだろう。

 であれば、その機体と操舵の技術を含め、リエラ殿の力は我々にとって必要不可欠なものとなる」


「……アタシの、力が」


「そうだ。

 今日まで学んできた護身術を。そして、それを教えた私を信じてくれるのであれば。

 この町を守るために、どうか力を貸してもらえないか?」


「守る、ために……」



ブランシュの言葉に、柄を握っていたリエラの手がさらに握りこまれる。



「……する。

 協力、させて。アタシにっ!」


「良い目だ。

 ……では決まりだな、トーヤ殿?」


「はぁ……ったく」



ブランシュの発破と、リエラの覚悟。


それらを見せられては、俺にはもう断ることはできなかった。



「浜に着いたら、まずはアイツを足止めする! あくまで第一は時間稼ぎだ!

 その次に、やれそうなら仕留める方法を探す! 俺たち全員で!

 それでいいな!」


「ああ、異論はない」


「わ、わかりました!」


「戦いのために魔法を使うのは、あまり気が進まないのだけれど……わかったわ」



リエラを含む全員が、同時に頷く。



「ただし、少しでも危険だと判断したら陸に逃げるって約束してくれ!

 絶対に今やらなきゃいけないってわけでもないし……たとえ仕留めきれなくても、人を襲う気がなくなるぐらいの傷を負わせれば、それで十分だ!」


「承知した」


「ええ、合理的ね」


「うん……了解だよ!」


「よし、だったら……うおっと!?」



船体が波の谷に落ち、全員がバランスを崩す。


岸はすでに目の前だというのに、海面の荒れは激しくなるばかりだ。



「くっ……あやつめ、船を狙って波を立てよるわい!」


「渦も波も起こせるなら、これぐらいは朝飯前ってことかよ……!」



後ろを向くと、ワタツミの巨体の一部が波の合間に姿をのぞかせていた。


それとの間隔は、すでにここから砂浜までの距離と同じほどに近づいていた。



「もう近い……!

 ノルネスさん!!」


「わぁっとる!!

 これでも全力でやっとるんじゃが……!!」



ノルネスさんは太い腕に筋を立てながら舵を握りしめているが、船は思うように前に進まない。



「……おかしいっ!

 アタシも全力なのに、全然前に進まないよっ!?」


「……まさか!!」



リエラが異常を察知したと同時に、俺は一つの可能性を思い浮かべる。


嫌な予感に後方を確認すると、そこには───。



「大渦……!

 しかも、前のと比べ物にならねぇぐらいデカいっ!!」


「なんじゃと!?」



以前とは比較にならないほどの、渦潮。


それはまるで巨大な竜巻をそのまま海に落とし込んだかのように、俺たちの後ろでぽっかりと口を開けていた。



「ウソでしょ、また……っ!?」


「以前にノルネス殿たちを襲ったものと、同じ大渦か……!」


「いや、前はもっと小さかったぜ!

 今のこれは……前の三倍か、それ以上だ!!」


「……お城一つ程度なら、丸ごと飲み込んでしまえそうな大きさね」



あまりに現実離れした光景に、焦燥だけがせり上がってくる。


しかしそう言っている間にも、渦は拡大し速度を増し続けてていた。



「ぐぬっ……!

 いかん、舵がもたん……!!」


「このままじゃ、引きずり込まれる、よっ……!!」



エンジンへの魔法出力と操舵を担っている二人も、どうやら限界が近いらしい。


一度でも船が速度を失ってしまえば、あとは海の底へまっしぐらだろう。



「つったって……この大きさじゃ、渦全体を凍らせるってのもできねえし……!

 クソッ!!」



縋るように辺りを見回すと、視界の端でブランシュが剣を抜いていた。



「やりたくはないが……仕方あるまい!」


「ブランシュ……!?」


「……皆、全力で船を掴んでいろ!!」



ブランシュはそのまま船尾に立ち、両手で握った長剣の先を海面に接触させた。



「『飛ばす』ぞ!!」


「……っ!!

 サフィーア!!!」



ブランシュが何をしようとしているかを理解した俺は、咄嗟にサフィーアを抱きかかえる。



「きゃっ!?」



その瞬間。






───ボゴォッ!!!!!






水の混じった爆発音と共に、俺たちは船の床に叩きつけられる。



それは、俺たちが重力に負けたわけではない。


むしろ、その逆。



海中で起きた爆発により、『船自体が浮き上がった』のだ。



「ぐっ……!?」



ブランシュが海に向けて行使した爆発魔法による、物理的な爆圧。


それは船を弾き飛ばし、渦から脱出するのに十分な力を伴っていた。



「いたっ……!!」



浮遊感の直後、再び押しつぶされるような圧力がかかる。


上昇したのであれば、同じだけ下降するのも道理。



落下の衝撃に、俺たちは船のへりを掴むようにして倒れこむ。


全身を打ち付けられた俺たちをよそに、膝をつきながらも立っていたのはブランシュだけだった。



「くっ……皆、立て!

 岸に着いたぞ!!」



ブランシュの声で、全員が目を開ける。



「岸……?

 ホントだ、砂浜……!!」



気付けば、船は見覚えのある浜に乗り上げていた。



「わ、ホントです……!!」



計画していたのとは別の形だが、どうやら俺たちは船で砂浜に到達することができたらしい。


視界の奥には、俺たちが過ごしていたコテージも見える。



「あの距離を飛んだって、マジかよ……!

 無事か、サフィーア?」


「え、ええ……。

 ありがとう、トーヤ」



胸元に抱いていたサフィーアの無事を確認し、腕から解放する。



「あだだだ……。

 まったく、腰が抜けるかと思ったわい……」


「ノルネスさんも無事で……!」


「ああ。

 老体に鞭を打つような無茶じゃったが……どうにか無事じゃ。

 そっちの姉ちゃんには、感謝せにゃならんな」


「礼はいい!

 全員、今すぐ船から降りて砂浜に上がれ!

 ヤツはまだこちらを諦めていない!!」


「っと、マジだ……!」



ブランシュの号令で全員が素早く船から降り、ようやく砂浜に足をつける。


踏みしめても揺れることがない地面は、やはり陸上こそが人間の居場所であると俺に再認識させた。



「ここから、どうするの!?」


「ノルネスさんは陸から港に回って、二隻が帰ってきてるか確認してください!

 リエラはそれの付き添いだ!

 ノルネスさんを安全な場所に送り届けて、ボルエさんとトーケさんが帰ってきてるか確認できたら、ここに戻ってきてくれ!」


「トーヤくんたちは!?」


「俺たちは囮だ! ここを離れられねぇ!

 リエラが帰ってきてくれて初めて、撤退するかどうかの作戦を立てられる!!

 だから……頼んだぞ!」


「……わかった!

 すぐ戻ってくるからね! 絶対!!」


「ああ!

 信じてる!」



その言葉を最後に、リエラは駆け出す。


俺たちは、ノルネスさんとリエラが街の方面に消えてゆくのを背中で見送った。



「ミラーヤ!

 ワタツミはまだ来てるか!?

 距離は!?」



言いながら、俺たちは波打ち際で構えを取る。


俺とブランシュは剣を抜き、ミラーヤとサフィーアはその少し後ろという形。



「……います!

 目の前ですっ!!」


「よし……!!」



どうやらあちらは、しっかりと俺たちのことを餌と認識してくれているらしい。


腰を落とし、そう考えた瞬間。




「───グギャオオオオアアアアアア!!!!!」




凄まじい巨躯と、同じだけ大量の水飛沫を巻き上げながら、それは現れた。


本来魚類が持つはずのない声帯を、再び震わせながら。




「来たか……!」


「チッ……。

 間近でみると、やっぱデケぇな……!!」



海面から出た部分だけでも、どこかの城と同じぐらいの高さを誇る、圧倒的なまでの巨体。



それはウミヘビやウツボのような細長い体に青黒い鱗を束ねた、海竜とでも呼ぶべきシルエットだった。


しかしその流線型の中にも茨や棘のようなヒレが蠢いており、それらは確かな攻撃性を秘めていた。



そして何より目立つのは───。




「『赤い瞳』……!」




伝承に語られる、赤い光を放つ眼だった。




「間違いない……こいつがワタツミだ!」


「嵐を呼び、海を操る……。

 それだけの力を持った魔獣、ということね」


「やはり、人に害をなす魔獣ということか。

 であれば話は早い、今ここで斬り伏せるだけだ……!!」



決して人の手が届かない高さから注がれる眼光に、右手の剣を強く握りなおす。



「で、でもでも、怒ってますよ……!

 とっても!」


「そりゃそうだろうよ……!

 何度も俺たちに、『狩り』を邪魔されてんだからな!」



「───ギギャアアアアアアアアア!!!」



俺の言葉を肯定するように、殺意を孕んだ咆哮が繰り出される。



「ぐっ……!!

 叫んだだけで、これか……!」



それは、爆風にも似た衝撃波。


俺たちの鼓膜だけではない。水面や木々をも揺さぶるほどの圧力を伴った振動だった。



「……!

 来るぞっ!!」



かばうように上げた腕を構えなおす間もなく、ブランシュが叫ぶ。



「クソッ……!!」



マナが圧縮される気配と、空気を裂きながら何かが飛来する感覚。


本能的な危機感に、俺は咄嗟に右脚を引く。



すると、一秒前まで俺の足があった場所に鋭い何かが着弾していた。



「弾丸……いや、魚!?」



着弾の衝撃と共に巻きあがった砂が収まった後。


そこに突き刺さっていたのは、ワタツミと同じ青い鱗を持つ魚だった。



「そうか、こいつ……あの時の!!」



その体は、各所のヒレが前に向いている、生物としては(いびつ)な形状で。


全身の棘が、まるで前方を掘削をするかのような形で生えている。



それは間違いなく、以前に俺やノルネスさんたちを襲った魚型の魔獣そのものだった。



「ってことは、前のも全部アイツが生み出してたのか……!!」


「前を向け!

 次が来るぞ!!」


「くっ……!!」



二発、三発。


次々と飛来するそれを、俺とブランシュは剣で両断していく。



「クソッ……!

 早すぎるっ!!」


「だが、対応できんほどではないだろう!」


「そうだが、よっ……!!」



五発、十発と。


音を置き去りにするような速度でこちらを狙うそれは、たしかにワタツミ本体から撃ち出されていた。



息をつく暇もない射撃に俺たちは防戦一方であったものの、しかしここから一歩も引くわけにもいかなかった。


すぐ後ろにサフィーアたちがいるというのも理由だが……戦線を下げれば下げるほど、それに反比例してワタツミが逃げてしまう可能性が大きくなってしまうからだ。



「自分で魔獣を生み出して、それをそのまま射撃に使ってるってことかよ……!!

 チッ、剣が鈍ってきた!」



二十匹かそこらを捌いたところで、魔獣の血や脂で切れ味が悪くなってきたのを感じる。


次々と射出される魚を斬り払いながら、俺は両刃の剣を素早く逆に持ち替えた。



「すみません、お二人ともっ!

 ちょっとだけ我慢してくださいっ!」


「どうしたミラーヤ!?」



横目に後ろを確認すると、両手を前にかざしているミラーヤが目に入った。



「マナを、触ります……っ!

 ブランシュさんにとっては、すこし息苦しくなるかもしれませんが……!」



ミラーヤがそう言い終わった瞬間、俺たちを包んでいたマナが変容したのを感じる。



「これは……クロキアのマナ……!?」



空間に満たされたマナを、肌で感じる。


それは間違いなく、俺が最も慣れ親しんだ時魔法のマナだった。



「この場のマナを、書き換えたのか……!?」



水流魔法のマナが時魔法のものに変質すれば、この場において魔法に関するあらゆる法則が変化するだろう。


ブランシュもそれを感じ取ったのか、剣閃を光らせながら声を上げる。



「構わん!

 私が魔法に頼らん戦い方だというのもあるが……元より水上の戦いだ!

 炎熱魔法など、使えずとも誤差の範囲だ!」


「ありがとうございますっ!」



それよりも重要なことは、水流魔法のマナが薄くなったことでワタツミの操る魔法の力が弱まるであろうこと。


そして何より、俺が各段に動きやすくなるということだ。



「さっきより、身体が軽い……。

 これならっ!!」



少し神経を集中し、同時に襲ってきた魚の弾丸を斬り払う。



「……よしっ!!」



一振りで、五匹。


太刀筋が鋭ければ、その血が刃に付くこともない。



「ブランシュ、いけるぞ!

 これなら、攻めに転じるのも───」



俺が視線を横に向けると、そこには歯を食いしばるようにして前方を睨みつけるブランシュの姿があった。



「……トーヤ殿、アレを見ろ……!」


「アレって……。

 ……おい、嘘だろ……!?」



ブランシュの視線の先に、俺も焦点を合わせる。


そこにあったのは、雲霞(うんか)のごとく集まった───『弾丸』の群れだった。



「ありゃ……十や百、って数じゃねえな……!!

 今までの攻撃は、アレを蓄えるための時間稼ぎだったってことか……!?」



眼前。



ワタツミの背後から天を覆うように浮遊していたのは、おびただしい数の魚型の魔獣。


射出されるのを待っているであろうその群れは、瞬く星々の全てを隠すように逆光を浴びていた。



「おいおい……!!

 アレが一度に飛んできたら……さすがにもたねえぞ!?」


「離れていろ、トーヤ殿……!

 全力を出せば、私一人で二百は───」


「その必要はないわ」



冷たく、ゆっくりと。


この場を支配するように響いたのは、サフィーアの声だった。



「サフィーア……?」


「待たせたわね、トーヤ、ブランシュ。

 あなたたちのおかげで、私もようやくこの空間のマナを全て捉えられたわ」


「全て、って……」


「さぁ……刻み付けましょうか」



サフィーアが、その手をゆっくりと宙にかざす。



すると。



いつの間にか俺たちの頭上には───星の海を背に、無数の氷柱が浮かんでいた。



(いや……あれは、つららじゃない……!?)



ワタツミの作り出した弾丸よりも多く、そして高く輝くそれは。



剣であり、槍であり、斧であり。



一つ一つが、仇なす者を引き裂くための刃であった。




「───終焉(ピリオド)を」




氷の王が、そっと手のひらを閉じた。




その刹那。




幾百の刃涛が、浮遊する魔獣の群れに向けて一斉に降り注いだ。



空を、風を。そして、星々を切り裂くように。



目に映る全ての(きら)めきは、そこにある者の命を奪うために穿たれる。



あちらもそれに反応したのか、個々が回避するような動きで群れ全体を蠕動(ぜんどう)させる。



だが、無慈悲な氷の刃はそれを許さない。



飛翔し、猛追し、その全てが、敵を貫くためだけに空を舞い。



的確に、そして容赦なくその煌めきを(あか)色に変えてゆく。



別れもなく、悲鳴もなく、造られた無数の命が次々と破れていくその様は。





まるで、目を奪うほどに美しい───『災害』だった。





(おいおい、ウソだろ……!)





凶器と化した氷に射貫かれた魔獣は、地に墜ち、海に落ち、その姿を氷像に変える。





───そして、気付いた時には。





夜空を覆わんばかりに存在していた魔獣たちは、一匹たりとも生存してはいなかった。




「……ふう。

 あとはよろしくね、トーヤ。

 少し疲れちゃったわ」


「わわ、フィーニャっ!」



サフィーアはそのまま身体の力を抜き、ミラーヤにもたれかかる。



しかし俺は、目の前の光景に寒気を覚えずにはいられなかった。



「あれを一瞬で全滅させるとは……まったく、恐れ入る……!!」


「はっ……バケモンは、一体どっちなんだか……!」



さきほどまで『戦いのために魔法を使いたくない』と言っていた人間のやることが、これだ。


戦況の変化に俺は鼓舞されつつも、改めてサフィーアが常識を遥かに逸脱した一人の魔法使いであったことに驚かされる。



「トーヤ殿!」


「ああ、わかってる!

 あの魔獣の生成に、アイツは相当な量のマナを使ったはずだ!

 マナが切れかけてる今がチャンスだろうよ……!!」


「───トーヤくんっ!!」



言うや否や、背後から静寂を打ち破る声がひとつ。



「リエラっ!?」


「はあ、はあっ……!

 おまたせ……っ!」


「早かったな、リエラ殿……!」



息を整えるように膝に手をついたリエラは、間もなく顔を上げる。



「アタシたちが、港についたとき……!

 ちょうど船が二隻、港に到着してね……!!」


「ってことは……!」


「うん……帰ってた……!

 ボルエさんと、トーケさんっ!!」


「よしっ……!」



リエラの報告に、俺たちは拳を握り締める。



「ホントに……みんなが時間を稼いでくれたおかげだよっ!

 それがなかったらきっと、二人は港に着く前に……!」


「ああ……リエラもよくやった!

 最高の結果だ!!」


「うむ。

 そして、二隻が無事に帰ってきたのであれば……」



ブランシュの言葉を合図に、俺たちは改めてワタツミに向き直る。



「ああ。

 ……こっから、反撃開始だ……!!」





この場にいる全員の意志が、今。



一つの大きな刃になろうとしていた。



毎日昼12時に、一話ずつ投稿予定です

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