第67話「憧憬と、曇天」
「はぁ……」
「はいフィーニャ、おやつですよっ!」
「あら、可愛い。
これはどうしたの?」
「お魚の皮を、食べやすく切って揚げてみました!
くるくるしてて、とってもかわいいですよね!
えへへ」
「ふふ……そういうこと。
ありがとうねミーチカ。
お魚を使ったおやつというのも、新鮮で良いわね」
「はいっ。
トーヤさんも、どうぞ」
「あぁ……ありがとな」
礼は言ったものの、俺の視線はいまだ天井に向けられたままだった。
「……はぁあ~~……」
声かため息か、正体不明の何かを上に向けて吐く。
ソイツを吐き出した数は、今日だけで三桁を超えただろうか。
「もう……しっかりなさい、トーヤ。
落ち込む気持ちはわかるけれど、もうお昼過ぎよ?
朝からそんな様子じゃ、そろそろ貴方の溜め息だけで部屋に雲が出来てしまいそうだわ」
「そうですよ、トーヤさんっ。
ためいきばかりだと、幸せがにげちゃうんですよ……?」
「あぉ~~……。
だってよお~~……」
俺のうめき声に、二人は眉を下げて少し笑った。
「リエラのことなら、私も同じ気持ちよ。トーヤ。
心配だから声をかけてあげたいけれど……そうもいかないものね。
せめてお仕事の話をきっかけにでも話しかけられればいいのだけれど、理由が理由だけに、それも難しい。
だからといって、決して放ってはおけない……。
本当に、難しいお話ね」
「あぁ……そうだ……」
「リエラさんもトーヤさんも、なんだかかわいそうです……。
ト、トーヤさんっ、わたしでよければ一緒になやみますよっ。
……あんまり、お力にはなれないかもしれませんけど……」
「ありがとな、二人とも……」
彼女たちの温かさに、力なくもたれかかっていた俺の首がようやく前を向いた。
「なんつーか……さ。
……俺は。
リエラに、前を向いてほしかったんだよ」
考えながら視線を上げると、ミラーヤの置いてくれた魚皮チップスが目に入った。
一枚一枚が熱でくるりと丸まったのであろうそれは、たしかにどことない可愛らしさを感じる。
「過去を振り返るな、とは言えねえよ。
でも……リエラは、本当はもっと未来を見てていいはずなんだ。
色んなことを経験してて、知識も能力もあって……。
少なくとも、自分を卑下するべき人間なんかじゃない。絶対に」
「ええ」
「だから、交易の仕事を通じてそれをわかってくれたらって。
リエラの能力を、フリージアで示してくれたらって。
そう……思ってたんだがなぁ……」
考えれば考えるほどに、自分の理想が理想でしかなかったことに気付かされる。
「最後はやっぱり、リエラさん自身が、『がんばろう』って思ってくださらないと……。
むずかしいですもんね……」
「ああ……。
やっぱ、都合がよすぎたんかなぁ……。
リエラの感情と俺の仕事を、合わせて考えたこと自体が間違ってたのかもしれん。
一挙両得と言えば聞こえはいいが……こっちの都合に合わせたせいで、いつの間にか。
……俺は、リエラの気持ちを無視しちまってたのかもな……」
「───いいえ」
ふわり、と。
「それは、違うんじゃないかしら」
サフィーアの言葉が、雪の一粒ように降り落ちた。
「貴方の選択は。
貴方の優しい気持ちは、きっと間違ってはいないわ。
トーヤ」
「サフィーア……」
「あの晩。
リエラは、トーヤの提案に前向きだったのでしょう?
自分にしかできないことを、用意してみせる。って。
トーヤのその言葉に、あの子は希望のようなものを見出していた。
だったら少なくとも、自分や貴方を信じたいという想いはあったはず。
そしてそれは、きっと今も変わっていないと思うわ。
ただ今は……挑戦することへの怖さを、思い出してしまっただけなのよ、きっと」
「……怖い。か」
「ええ。
それはきっと、『特別』への憧れ。
ただ今回は、それが裏返しになってしまったのね。
だから結果として、あの子にとって畏れに近い感情になってしまった。
……憧れることは、自らその対象と距離を作ってしまう行為でもあるもの」
(憧れと畏れは、表裏一体……ってヤツか)
たしかに、サフィーアの言う通りなのかもしれない。
国を跨ぎ、さらに目の前で魔獣を退けてみせた俺たちは、リエラにとって特別に映ったのだろう。
「でも……。
俺たちからしてみりゃ、リエラだって十分特別な人間だぜ。
ここまで俺たちの手を引いてくれて、色んなことを教えてくれて。
それはきっと、この町でたった一人しかいない……どうあっても、決して替えなんて効きやしない。
そんな人間のはずだ」
「そうね……。
だからこそ、あの子はきっと……怯えているんじゃないかしら。
あの子が当然だと思っていたことに、突然別の名前がつけられたから。
自分にしかできないことだと、そう言われたから。
それに手を伸ばすことが……憧れていた『特別』に、自分自身がなってしまうことが。
何よりも、怖いのかもしれないわね」
「……」
それだけ言って、サフィーアはゆっくりと目を閉じ、その先を語ろうとはしなかった。
だが……もし、リエラの気持ちが俺と一緒なら。
俺たちが、まだ同じ方向を向いているのだとしたら。
(俺が今、リエラの手を取るのに必要なことは。
……いや、必要なことなんて、ないのかもしれないな)
ただ、今の俺たちが同じ場所に立っているということ。
それを伝えるだけで、十分なのかもしれない。
(……だったら)
もう一度だけ、リエラに会いに行こうと。
俺は、そう決めたのだった。
(そしてもう一度、同じように手を伸ばすんだ。
どんなことを知った後でも、俺たちの距離は変わらないって。
それを、伝えるんだ)
もう一度だけ自分を信じたいと言っていた、リエラの言葉。
俺はそれを、嘘にはしてほしくなかったから。
「───戻ったぞ」
などと考えていたところで、おもむろに玄関から声が響いた。
「お……ブランシュか。
おかえり」
「ああ」
肩にかけていたタオルで汗を拭きながら、ブランシュがリビングに上がってくる。
「おかえりなさい、ブランシュ」
「おかえりなさい、ですっ」
彼女は今日、気分転換と称して走り込みをしていた。
今は昼下がりの一周を終えて、休憩に戻ってきたというところだろうか。
「お休みの日だというのに……朝からすごい運動量ね、ブランシュ」
「この程度ならば、基礎訓練の内だ。
それに……走っていると、何も考えずに済むのでな」
昨日の今日だ。
ブランシュも俺と同じく、考えをまとめるために自分と向き合いたかった部分もあるのだろう。
「なあ……ブランシュ」
「ん?」
「もしこれからもう一周いくなら、俺もついてっていいか?」
「ふむ、構わんが……。
考えねばならんと言っていたことは、終わったのか?」
「ああ、半分な。
もう半分は……俺も走りながら考えたいと思ってさ。
できれば、ブランシュと話しながら」
「ふ……そういうことか。
であれば、断る理由は無いな」
「そうか。
じゃあよろしく頼むぜ」
「ああ。
私と同じ歩幅を維持しながら、口を開く余裕があればの話だがな」
「……相変わらず、容赦がないもんで」
「当然だ。
手を抜いていては、鍛錬にならんのでな」
冗談を一つ飛ばし、お互いに笑い合う。
どうやらブランシュの方も、走り込みのおかげで昨日より思考がクリアになっているようだ。
「さて。
では準備運動を終えたら出るとするか」
「おう」
ブランシュに促され、俺は上着を脱いで立ち上がる。
リエラのことは、早めに決着をつけるべきだろう。
『特別』と向き合い始めた彼女に再び、どのように手を差し出すべきか。
彼女と共に多くの時間を過ごしたブランシュであれば、きっと良いアドバイスをしてくれるはずだ。
「よし、っと……。
じゃあサフィーア、ミラーヤ。
ちょっと俺も、しばらく外に───」
そう、告げようとした矢先に。
───ドンドン、バンッ!!!
「っ!?」
ノックをしたのか、それとも扉を押し開けたのか。
荒々しい音と共に、玄関が開く気配がした。
「なんだ……!?」
一斉に、廊下の方へ向けられる視線。
しかし、バタバタと足音を立てながらそこに現れたのは───。
「はあ……はあっ……!!
トーヤくん……ブランシュさんっ、いるっ!?」
他でもない、件のリエラその人だった。
「リエラ……!?
どうしたんだ、一体……?」
いつかのホットパンツと水着に身を包んだ彼女は、息を切らせながら放った。
「スタグおじさんが……倒れちゃったのっ!!
嵐と、大渦に、巻き込まれてっ!!」
「は……!?」
フローエンを覆う暗雲は、その裏に潜む不吉なものを解き放とうとしていた。
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