第66話「特別と、戦場」
───めんくださーい!
「んお……?」
風呂にも入り終わり、リビングでゆったりしていた折。
玄関の方から、わずかに声が聞こえた気がした。
「人か……?」
「私が出よう」
俺たちが扉の方に目を向けてすぐに、一言。
暖炉の前でトレーニングをしていたブランシュが、汗を拭きながら立ち上がった。
「悪いな」
「構わんよ」
彼女は椅子に掛けていた上着を羽織り、赤い長髪を手で後ろに流しながら玄関に向かった。
「こんな時間に来客だなんて、珍しいわね」
「だな。
たぶん知り合いだとは思うんだが……」
座りながら、廊下の方に意識を傾ける。
この部屋は玄関と隣接しているが、曲がり角と扉のせいでちょうど玄関口が見えない構図となっている。
「─────」
「ああ、いるが。
あがっていくか?」
「─────」
「ふむ。
なら、少し待ってもらえるだろうか」
わずかに届くブランシュの声に耳をそばだてていると、やがてその声の持ち主がこちらに戻ってきた。
「トーヤ殿、リエラ殿だ。
少し話がしたいのだと」
「リエラが?」
「ああ。
あがっていくほどではない、呼んでほしい。とな」
「ああ……わかった、向かうよ」
相変わらず、ブランシュの言葉は簡潔だ。
内容に少しの違和感を覚えつつも、俺はブランシュとバトンタッチする形で玄関に向かった。
「お待たせー……っと、あれ?
……いねえな」
廊下に出たところで玄関の方に声を投げたが、そこにリエラの姿はなかった。
が、玄関口を出てみたところ、階段を下りた少し先に彼女の影を見つけることができた。
「こんばんは、トーヤくん」
宵闇の中、聞きなれた声がこちらに届く。
俺は後ろ手に扉を閉め、外で待つ彼女の下へと向かった。
「よう」
「ん。
ご機嫌いかがかな」
「そこそこだ。
ミラーヤの飯は美味かったし、風呂も広くて快適そのものだ。
こんな場所を紹介してくれたスタッグさんとリエラに、感謝だな」
「あはは、そっかそっか。
ならよかった」
リエラはいつものように笑ったが……暗闇にまだ慣れていない俺の目に、彼女の表情は映らなかった。
「そんで……話って、なんだ?
前の件についての返事ってんなら、もちろん俺は嬉しいんだが」
「んー……そだね。
そういうことになるかな」
「そうか。
なら、俺一人を呼び出したのも納得だ。
安心したよ」
「そ、だね」
たった数日で判断してくれたのは、こちらにとっても喜ばしいことだ。
そのはずなのだが……リエラの言葉は、どこかぎこちなかった。
「えっとね、トーヤくん……」
「おう」
しかしきっと、彼女も俺と同じように緊張しているだけなのだろう。
───などという、楽観的な俺の予想は。
「……ごめんなさい。
アタシじゃ、トーヤくんの力になれない」
「……えっ?」
リエラの言葉によって、あっけなく打ち砕かれたのだった。
「……ホントに、ごめんね」
予想外の返事に、俺の脳は早くなる拍動と同期した。
(断られた……ってこと、だよな)
脳は冷静に、彼女の放った言葉の意味を分解する。
───でも、なぜ?
続けて浮かぶ、疑問符。
しかし、この答えを予想していなかったわけではないはずだ。
俺がリエラに投げかけたのは、単純な二択。
交易の仕事に協力してもらえるか、否か。
それは必然、どちらの答えが返ってきても不自然ではないということ。
だが俺は、ほとんど確信のようなものを持っていたのだ。
あの日のリエラの言葉。
もう一度自分を信じたいという、心の叫び。
そして、今日まで彼女と共にこなしてきた仕事の数々。
そこで培った信頼と、時間。
打ち破られたものは、それそのものだった。
「……よければ、理由を。
聞かせてくれないか」
「……」
ようやく絞り出した俺の声を聞いた後。
月に背を向けるように、リエラは俯く。
「アタシは……『特別』じゃないから」
そしてその口からこぼれ出たのは、彼女から何度も聞いた言葉だった。
「特別、って……」
「アタシには、何の力もない。
きっとトーヤくんについていっても、迷惑をかけちゃう。足を引っ張っちゃう。
今までと、同じように……」
リエラの言葉は、誰に向けられているのかもわからないままに紡がれ続ける。
「……そんな思いをするのは、もう、嫌だから……。
だから……」
そして、最後に俺を一瞥してから。
「……ごめんっ」
俺が反応するよりも早く、彼女は駆け出してしまった。
「ちょっ、リエラ……!」
情けなく伸ばした手は、空を切り。
彼女の姿は間もなく、町を包む暗闇の中に消えてしまったのだった。
────
──
「……ただいま……」
「おかえりなさいっ、トーヤ……さん?」
意気消沈。
それを体現した顔で帰ってきた俺を、リビングにいた三人が目線だけで迎えてくれた。
「……だぁ~~~~っ……」
ぼふり、と。
投げ出した体を、ソファが受け止めてくれる。
「あらあら……。
重症ね」
「ああ……」
「……トーヤ殿。
もしや、話してきたのはさきほど言っていた件か?」
「ああ……」
「あらまあ。
この反応ということは……もしかしなくても、そういうことかしら」
「ああ……」
俺の態度で、三人はすでに何が起きたかを感じ取っていたようだが。
「……フラれちまった……」
その一言で、全てを察してくれたようだった。
──
─
「つーわけだ……」
「そう……。
それは、残念だったわね」
「はあ~……。
うまくいくと思ったんだがなぁ」
「はい、トーヤさん。
あったかいお茶ですよ」
「あぁ……ありがとな、ミラーヤ」
垂れ流したヘドロのようにソファにへばりついた俺を見て、目の前のテーブルにミラーヤがお茶を置いてくれた。
「……俺の説得、響かんかったのかなぁ……。
てか、さすがに都合が良すぎたのかもしれんなぁ……」
自分の行動を振り返り、独りごちる。
あれだけの啖呵を切っておいて……という気恥ずかしさもあるが、そもそも条件が合わなかった可能性もあるのだ。
「う~~~~む……」
しかし。
「……トーヤ殿」
そんな俺の様子を見て、テーブルで腕を組み静観していたブランシュが口を開いた。
「ん~……?」
「リエラ殿の返事について、だが。
理由があるとすれば……それはきっと、私のせいだろう」
「……え?」
予想外の言葉に、自然と身体が起き上がる。
「……すまない」
「いやいや……え?」
眉間に皺を作ったブランシュの顔が、今度こそ正しい角度で視界に入った。
「ブランシュのせい、って……。
どういうことだよ……?」
「……リエラ殿は」
ブランシュは俺の方を見ずに、低く続けた。
「リエラ殿は……『自分は特別ではない』と。
そう、言っていたのだろう?」
「ああ、まぁ……そうだが」
「であれば……私が昨日伝えた話が原因と見て、間違いないだろう。
……すまない、トーヤ殿」
「昨日伝えた話……?
ちょっと、詳しく聞かせてくれないか」
目の前で湯気を立てるカップに一つ口を付け、俺は姿勢を整える。
「ああ……。
これは、昨日の稽古が終わった後の話なのだがな───」
────
───
──
─
「───ふうっ!
どうかな、ブランシュさん?
アタシも、ちょっとは様になってきたんじゃないかなっ?」
その日、リエラ殿には訓練用の剣を振ってもらっていた。
「ああ、そうだな……。
切っ先も安定しているし、姿勢も悪くない。
筋肉量が増えれば、さらに良くなるだろう」
「えへへ……そっか」
今日に至るまで彼女には、主に身体作りと真剣の扱い方について教えていた。
魔法の指南をすることもあったが、どちらかと言えば基礎訓練が中心だっただろう。
「あのね、ブランシュさん。
アタシ最近、ちょっと自分に自信が出てきたんだ」
「ほう……」
「ブランシュさんに色々教えてもらったり、トーヤくんと一緒にお仕事をしててね。
ちょっとだけ、前向きになれた。
もう少しだけ、自分を信じてみたいなって。そう、思えるようになったんだ」
「それは良い傾向だな。
人間、毎日身体を動かしていれば自然と前向きになるとも聞く。
私の教えがリエラ殿にとって良い方向に働いたのであれば、何よりだよ」
「うんっ。
だからね、もう少し頑張れば。
この訓練を、もっと続けてれば……アタシでも魔獣と戦えるようになるかな。なんてっ」
「……魔獣を、か。
ふむ……」
「どうしたの、ブランシュさん?」
「リエラ殿。
少し、聞いてもよいだろうか」
「え? うん……」
「リエラ殿は。
本気で魔獣と戦いたいと思っているのか?」
「それは……うん。
アタシは今、そのために鍛えてもらってるつもりで……」
「では、私たちが出会ったあの日にリエラ殿を追跡していた、狼型の魔獣。
あれと相対することに、恐怖は無いか?」
「こ、怖いかって言われると……怖いけど。
でも、アタシには……」
「可能であれば、両親の仇を取りたい。
そういった、立ち向かうための理由があるから。か?」
「……うん」
「そうか……」
リエラ殿の目は、迷っていた。
だがそれは、決して悪い迷いではなかったのだ。
「……リエラ殿。
一つ、伝えておきたいことがある」
「伝えたいこと……?」
しかし、だからこそ私は、それを話さざるを得なかった。
「今日までリエラ殿に教えていたのは、『護身術』だ。
……決して、魔獣を討伐するための術ではない」
「……えっ?」
「命の危機に瀕した時。
逃げられるのであれば、当然逃げた方が良いのだよ。
私が教えたのは、もしそれができない場合に。
そして、それが剣一本でどうにかなる相手である場合に。
リスクを承知で、退けるための方法だ。
魔獣を討伐するためでも、それらに立ち向かうための術でもなく、な」
「……そ、そんな……」
「もしリエラ殿が、『訓練を積むことで魔獣を狩ることができる』と思っているのであれば。
それは、今すぐにでも改めるべき考えだ。
そもそも魔獣の討伐というものは、小隊や中隊を組んで挑むものなのだ。
魔獣寄せの香や、専門の追跡術を持つ者。そして熟練の戦士と、専用の魔術兵装。
それらを駆使してなお、死人が出ることもある。
……それだけ、人と魔獣には個体としての差があるのだよ」
「……」
「それに、先日我々が遭遇したのは、魔獣の中でもかなり小型のものだ。
あの時は相手も群れではなかったため数も少なく、何よりもトーヤ殿という常識外れの戦力がいたからこそ成し得たことだ。
本来は、ああも簡単にはいかない」
「で、でも……。
トーヤくんたちは、戦ってたじゃない。
サフィーアちゃんみたいな小さい子だって、魔法を使って……」
「……そう、か。
リエラ殿には、話していなかったな……」
「えっ?」
リエラ殿に、今伝えなければならないこと。
そしてそれが、自分の中ですでに『当たり前』になっていたことに改めて気付かされる。
「よく聞いてほしいのだがな、リエラ殿。
あの者たちは……特別だ」
「特別……?」
「これは、伝えていなかった私たちも悪いのだがな……。
トーヤ殿は……彼は、とある特殊な境遇だ。
時を遅らせる特異な魔法と、私にも劣らない身体能力を持っている。
軍人の私から見ても、個としては反則級の戦力だ。
ミラーヤ殿も、身体能力の高さは我々と同程度。
さらにマナとの特別な繋がりに加え、その扱いにも長けている。
どちらも、獣人としての特性だろうな。
そして最後に、サフィーア殿。
彼女は……他でもない、クロキアという国の、国王その人だ」
「え……?
国王、って……?」
「氷雪の民が、長寿を含め特異な体質だということは知っているか?」
「それは……理外の国だから、だよね……」
「そうだ。
そしてあの方は、その国の王。
あの姿で数百年以上も生きている……『老獪』だ。
当然、魔法の実力も常人を逸脱しているのだろう」
「……数百年……」
「つまり我々は、それぞれに特異な生まれや境遇であり。
そして、そのような人間ですら、魔獣の相手は容易ではない。
故にリエラ殿。魔獣というのは、決して自ら立ち向かう相手ではないのだよ。
それは言わば、一種の自然災害であり……もし遭遇してしまったのなら、命懸けで生き延びるものと思え」
「……そっ、か
そうだったんだ……。
……みんな、特別。なんだね……」
それきり、リエラ殿は俯いてしまった。
「伝えておらず、申し訳ない。
サフィーア殿が王であるという事実も含め、あまり公にすべきことではないのでな……」
「……ううん。
そう、だよね。
ブランシュさんの……言う通りだと、思う」
「すまないな、リエラ殿……。
しかし、私のように自らの命を捨ててまで魔獣の相手をすべき人間など、少ない方が良いのだよ。
少なくとも私は、リエラ殿にはそのような戦場に立って欲しくないと思っている。
何よりも、自分の命を優先して欲しいからだ。
……理解してくれるか」
「うん……。
ありがとう、ブランシュさん。
よく……わかったよ」
「そうか。
ならば、安心した。
決してリエラ殿は、私のような血生臭い生き方を選ぶべきではない。
リエラ殿はリエラ殿の活躍できる場所で、その力を発揮してくれ。
それが一番だ」
「……そう、だね。
アタシみたいな人間には。
……特別じゃない人には、フツーが一番。だよね……」
─
──
───
────
「『特別』じゃない、か……」
「すまない。
……本来であれば、すぐにでも皆に伝えておくべきだった話だ」
「いや……そういうことなら、しょうがねえよ。
ブランシュがさっき言ってた話。
リエラが今日一人で海の警備をしてたってのも、たぶんそういうことだろ?」
「ああ……おそらく、だが」
「そうか。
だとすれば、今日のあの様子も、あの返事も……納得できる、か」
リエラにとっての、『特別』という言葉の意味。
俺たちの行動のすれ違い。
それこそが、リエラと俺たちの間に溝を作ってしまったのだろう。
そしてそれがそのまま、俺への返事に繋がったと考えるのも自然なことだ。
「すまないな……。
私から事実を打ち明けるべきでは、なかった」
「いいや……ブランシュは悪くねえよ。
そもそもで言えば、最初から立場を明かしてなかった俺たちが悪いんだ。
だろ?」
「しかし私は、トーヤ殿の計画を。
……そして何より、あの子の希望を……」
深く後悔しているのか、ブランシュは俯いたまま、筋が浮き上がるほどに強く拳を握り締めていた。
「ブランシュ、顔をあげてくれ。
絶対、ブランシュだけの責任じゃねえって。
今言った通り、本当は事前にもっと事情を話すべきだったんだ。
特に……一緒に仕事をしてた俺なんかがな」
「それで言えば、私も反省する必要があるわ。
あの子が私のことを『サフィーアちゃん』だなんて呼んで、見た目通りの子供だと思い込んでいたのはわかっていたのだもの。
いつか打ち明ける必要があるとは思っていたけれど……身分を隠すのに都合がいいから黙っていた。
それが結果として、貴女一人に重いものを背負わせてしまうことになった。
……ごめんなさいね、ブランシュ」
「いや……」
「ブランシュさん……」
他人の感情に最も敏感なミラーヤも、つられて耳をしゅんと下げてしまう。
「まぁ……そういうわけだ。
俺たち全員のやり方が悪かったんだよ、きっと。
俺の提案が断られたのも、ブランシュのせいじゃねえって」
「……すまない……」
それでも顔を上げないブランシュは、きっと何よりもリエラのことを心配しているのだろう。
思えば、こちらに来てからリエラと最も長く一緒にいたのはブランシュだ。
彼女の面倒見の良さや、責任感。それらを考えると、ブランシュの心中は察するに余りあるものだった。
(つっても……どうすべきなんだ?
何よりも先に、リエラのことが心配なんだが……交易のことも無視できねぇ。
事実として、リエラは協力者として有力すぎる。
正直、ペルエットのことをなんも知らねえ俺たちが、今からリエラ以上の協力者を見つけられるとは思えない。
……だからといって、リエラから見て俺たちが『特別』な境遇だってのも、事実なんだよな……)
リエラから見て『特別』な側である俺たちが、近付くこと。
それすらも彼女にとって負担になるのではないかという考えが、頭をよぎる。
それほどまでに、彼女と俺たちの間の溝は大きかった。
「……はい、おしまいよ。
今日はもう、お開きにしましょう。
このままみんながみんな暗い顔で集まっていても、後ろ向きな考えしか出てこないわ。きっと」
パン、と小さな手を叩き、サフィーアが提案する。
「ああ……そうだな。
いっぺん寝て、頭をスッキリさせるとするか」
「そ、そうですねっ。
たくさん寝て、起きたらみんなでおいしいものを食べましょう!」
「……ああ」
そうして俺たちは、誰からともなく席を立つ。
しかし俺は、部屋に戻り、布団の中で意識を落とすまで。
さきほど飲んだ紅茶の渋みが、いつまでも口から抜けないでいたのだった。
毎日昼12時に、一話ずつ投稿予定です




