第63話「地下室と、月明り」
「さて、と。
相変わらず暗ぇなここは……」
フローエン北端の町はずれ。
街灯も存在しない森の入り口に、俺は再び訪れていた。
「つっても、前と違って何があるかはもうわかってんだ。
気合入れて、進むとしますかね」
以前よりも遅い時間を狙ったためか、目の前に広がる暗闇も些か大きくなっているように感じる。
俺はひとつ息を吸った後に、最低限のマナを蓄え、林道に足を踏み入れたのだった。
────
──
「お、見えてきたな……」
一筋の光を追いかけるようにして、歩んだ先。
そこには、以前と変わらない墓園があった。
「相変わらず、街灯は一つだけか。
暗くてしょうがねえが……」
ここは、生者と死者を分かつための場所。
そんなルミエさんの言葉を思い出しながら、俺は独りごちる。
「さて。
尋ね人はお見えでしょうか、と……」
冥の境を踏み越え、その中へ。
足音を立てすぎないようにしながら奥へ進むと、そこには見慣れた後ろ姿があった。
「……してて……たから……」
僅かに聞こえた、優しい音色。
その声の持ち主は、以前と同じ場所でしゃがみこんでいた。
(……ちょっと、邪魔するぜ)
「それでね。
アタシももっと───」
「よう、リエラ」
はっ、と。
背後からの声に少し遅れて気付いたように、彼女は振り向きながら立ち上がった。
「……えっ?
トーヤ、くん……?」
「ああ。
時間でいうと、こんばんはだな。
正真正銘、烏兎 凍矢だぜ」
突然声をかけられ驚いたのか、リエラは信じられないものを見るように目を見開く。
「こん、ばんは……」
しかしその目線は少しの間こちらを捉えたかと思うと、驚きと困惑を携えたまますぐに横に逸れた。
「悪ぃな。
別に覗くつもりも、盗み聞きするつもりもなかったんだが……」
俺が迷いながらそう伝えると、リエラは再度僅かにこちらを一瞥した。
「……え、っと……。
なんで、こんなところに……?」
それは、深い木々に吸い込まれてしまいそうな、か細い声だった。
普段とは正反対の様子の彼女に、こちらもどこかバツの悪さを感じてしまう。
「人気のない方に向かってくリエラの姿が見えたもんで、気になってな。
……だからといって、なんとなく追いかけてきたってわけでもないんだが……」
「……」
やはりリエラは、ここに来ているということに後ろめたさを感じているのだろう。
沈黙を守るその姿に、ひとまずは安心してもらおうと俺は言葉を重ねる。
まず伝えるべきは、『こちらがリエラの行動を非難しようとも咎めようとも思ってはいない』ということだ。
「あー、その……なんだ。
こんな時間のこんな場所に、女の子が一人でいたら……心配するだろ?
……って、これじゃあ別に俺がここに来たコトの答えにはなってないか」
だというのに、俺の口から出たのは曖昧な言葉ばかりだった。
「だからまぁ、なんつーか……アレだ。
まずは、安心してほしいっていうかだな……」
───しかし。
「……ふふっ」
「リエラ……?」
情けなく言葉を探す俺の姿を見て、リエラは呆れたように笑い出したのだった。
「ふふふっ……。
もう、なにそれ。
何がいいたいのか、全然わかんないよ。トーヤくん」
「うぐ……」
当然の指摘を受けて、答えに窮す俺。
だがリエラの方は、その様子を目にしたことでむしろ俺の本意を理解してくれたようだった
「……そっか。
アタシのこと、心配して来てくれたんだね」
「ああ……そのつもり、だ」
「変なの。
トーヤくんって、もっとズバっと物を言うイメージだったのに。
嘘とか誤魔化したりするのは、下手なのかな」
「……一応、嘘はつかないってのを売りにやってるんでな。
仕事も含めて」
「ふふふ……おかしい。
トーヤくん、普段からあんまり表情変わらないからさ。
嘘ついたりするの、得意だと思ってた」
「あー……スタッグさんにも言われたぜ、それ。
俺って、そんな信用できない顔してるか……?」
「こんなところまで追っかけてきて、後ろからいきなり声をかけてくる人を、怪しむなっていう方が難しいと思うけど?」
「ぐ……」
再び痛いところを突かれ苦しむ俺を見て、リエラはまた少し笑った。
「でも……そっか。
あの足跡、トーヤくんだったんだ」
「……気付かれてたのか。前の……」
少し下を向いたリエラの視線の先には、俺の靴と、土と石畳の混じる地面があった。
つまりは、そういうことなのだろう。
「ううん。
なんとなく、ね。
こんなとこ……アタシ以外、誰もこないからさ」
「まぁ、そう言われればそうか……」
また少しの間、お互いに言葉を止める。
だがそれは、先ほどよりも少しだけ優しい沈黙だった。
「ルミエさんから、聞いた。
昔、リエラに何があったか。
……多分、少しだけ」
「……そっか」
リエラは振り返り、足元の墓石を見つめるように俯く。
そして、風の音に乗せるように言葉を紡いだ。
「これね。
アタシの、パパとママ。
……よかったら、トーヤくんも少しだけ祈っていってくれる?」
「ああ。
もちろんだ」
「……ありがと」
墓に向かい、半歩だけ横に詰めてくれたリエラの隣に立つ。
俺はつい癖でしゃがもうとしたが……立ったまま拳を胸に当てるようにして祈ったリエラの姿を見て、俺もそのまま手を合わせることにした。
(……)
目を閉じ、月明かりの降り注ぐ音だけに耳を澄ませていると。
───やがて。
「……ふふ、なにそれ。
変なポーズ」
祈りは、リエラの柔らかな声で終わりを告げた。
「……そうか?
俺の国じゃ、手を合わせて拝むのが普通だったんだがな」
「そうなんだ?」
「ああ。
墓参り、つってな。
年に何度かは、決まって墓の前で手を合わせてたもんだ。
ちょうどこんな感じにな」
「へぇ……。
墓参り、かぁ……」
「俺の、元いた国の文化でな。
まぁ……墓の掃除もお参りも、正直面倒ではあるんだが。
それでも、ご先祖さんの冥福を祈ったり、感謝を捧げたり。
そういうのを通じて、故人を忘れないようにするってのは……大事なことなんだろうな」
「ふぅん……」
「だから、さ。
リエラは、本当に偉いと思うぜ。
こうやって何度も墓に訪れて、ちゃんと気にかけてやってってのは、中々できることじゃない。
ペルエットには無い文化かもしれねえけどさ。
俺は、そう思うよ」
「……」
俺の言葉を咀嚼するように、リエラは再び目を閉じた。
「トーヤくんは……優しいね」
「おっ……。
怪しいから優しいに、名誉挽回か」
「……もうっ。
どうして茶化すのかなぁ」
「はは。
すまんすまん」
口を尖らせたリエラを横目に、からりと笑ってみせる。
気恥ずかしさがあったというのも理由だが……ここは墓の前だ。
辛気臭いまま話をするより、笑っているところを見せてやった方が故人のためにもなるだろう。
「そんで……どうだ?
そろそろ教えてくれないか?
毎晩ここに来てた理由ってヤツを、さ」
「んー……」
リエラは悩みながら、自分の腕を抱き寄せた。
が、その表情は先ほどまでよりも柔らかくなっているように見えた。
「……おばーちゃんからは、どこまで聞いたの?」
「たぶん、一部だけだ。
リエラと両親に、何があったか。
その時の事故の話を……ただ、事実として教えてもらった。
それだけだ」
「そっか。
……じゃあ、ここにはおばーちゃんから頼まれて?」
「半分はな。
でも、もう半分は俺の意思だ」
「……もう。
そこは、嘘でも全部って言って欲しかったな」
「言ったろ?
嘘はつかないのでやってるって」
「……」
改めてリエラの方を向いて、笑ってみせる。
そこには、呆れたような安心したような、いつもの彼女の表情があった。
「……ここに、来てるのはね。
祈るためなんだ。
見たでしょ。さっき、アタシが話してたの」
「ああ、まぁ。
内容までは聞こえなかったが……」
「そっか。
……内容はね。
パパとママに、今日あったことを報告して。
やりたいこと、やれなかったこと、色々お話しして。
それから……ごめんなさい、って」
「ごめんなさい……?」
「うん、そう。
お祈りをして……同じだけ、ごめんなさいをして。
それが、アタシが毎日ここに来てる理由。
来るのを忘れちゃいけない、理由」
故人に対し、祈りを捧げるというのはわかるが……。
謝罪をするというのは、どういうことだろうか。
それでは、まるで───。
「パパとママはね。
アタシのために死んだんだ」
こちらの困惑を察したのか、リエラは静かに続ける。
「あの日。
アタシが、とっても小さかった時。
パパとママは、魔獣に食べられて死んじゃった。
……それは、聞いてるよね」
「ああ……。
ルミエさんから、少し」
「そう」
そこまで言って、リエラは再び墓に向かい目を閉じた。
「あの日アタシたちが行ったのは、町のすぐそばの丘だったんだ。
町から出て……ちょうど、トーヤくんたちと出会ったところらへんかな。
あのあたりに、もう少し見晴らしのいい場所があってね。
そこで、三人でご飯を食べたり、お花を摘んだりして遊んでたんだ。
普段なら、魔獣どころか野生の動物もでてこないぐらい平和で……。
仮に出てきたとしても、町にすぐ逃げ込めるぐらいの距離の場所。
そんな場所……だったはずなのに」
リエラの息が、ほんの少しだけ詰まる。
「狼が、四匹。
いきなり現れて、アタシたちを囲んだ。
黒くて、大きくて……言葉にならないくらい怖くて。
どれだけ目を閉じても、低い唸り声がずっと耳に響いてきた。
……魔獣っていうのを初めて見たアタシは、このまま世界が終わっちゃうのかと思った」
狼型の、魔獣。
もしそれが、俺たちがあの日遭遇したものと同じだったとしたら。
五歳の子供にとってはきっと、あまりにも大きい恐怖の象徴としか映らないだろう。
「それで……パパとママは、アタシを逃がすために囮になったんだ。
『行きなさい、リエラ』って。
アタシをかばいながら、そう言った。
何がなんだかわからないまま、アタシは怖さで頭がいっぱいになって。
……それでも、逃げなきゃって。
とにかくこの怖いものから離れたいって。
足だけが、動いたんだ。
……それからのことは、よく憶えてない。
気付いたら、アタシはお婆ちゃんに抱きしめられてて。
ごめんなさい、ごめんなさい。って。
何度も何度も謝ってたことだけ、憶えてるの」
───それでも、生きていてよかった。
そんな曖昧な言葉など、決してかけられるわけがなかった。
彼女が語ったのは、それほどまでに残酷で、痛々しい現実だったのだから。
大切な家族が、目の前で死んで。
それでも、自分だけが生き残って。
良いことだとか、悪いことだとか。
それどころか、その結果が正解かどうかもわからないというのに。
ただ、奪われたものは決して帰ってこないという事実に。
受け止めようもない現実に、彼女は取り残されてしまったのだろう。
だから。
「だから……謝ってるのか?
二人の、墓に向かって」
「うん。
二人が死んじゃったのは……アタシのせいだから」
「……そんなこと……」
「でもね。
それ以外の意味もあるんだよ。
……何にもなれなくて、ごめんなさい。って」
「え……?」
「二人が救ってくれた命なのに……アタシは、何も為せてない。
パパみたいな漁師さんにも、ママみたいなピアニストにも。
そんな立派な『誰か』になることもできずに、生きている。
……それが、情けなくて。
ごめんなさい、って」
「……そんなこと、ねえよ。
リエラは、十分立派じゃねえか。
この町のことならなんでも知ってて……色んな知識があって。
俺は本当に、案内してくれたのがリエラでよかったって思ってるぜ」
「ううん。
全然、すごくなんてないよ。
何をやっても、他の人に頼るしかできなくて。
それでも、迷惑をかけてばっかりで……」
「迷惑だなんて、きっと誰も思ってねえって。
今だって俺たちは、リエラに助けられっぱなしだしさ。
それに、町の皆もリエラのことを信頼してたじゃねえか。
宿の女将さんも、アレンのおばさんも……スタッグさんだってそうだ。
色んな人に顔が利いて、仕事を任されて。
それは、リエラだからできたことなんじゃないのか?
だから───っ」
俺の言葉に熱が入り始めたあたりで、リエラはこちらを向いた。
困ったように、笑いながら。
(……また、あの表情だ)
ありがとうとごめんねを、足して割ったような笑顔。
それは、彼女が今までに何度か見せてくれたものと同じだった。
「ねぇ……トーヤくん。
見せたいものがあるんだ。
……ついてきてくれる?」
冷たい月明かりを、涙のように携えながら。
「……ああ」
今にも消えそうに呟いた彼女に、俺はそう返事をするしかなかった。
────
──
気付けば、俺たちは一言も交わすことなく目的地についていた。
町の中心からやや南。海に向かって伸びる、大きな坂の途中。
夜でも目立つオレンジ色の屋根と外壁を持つそれは……すでに何度か訪れたことのある、リエラの自宅だった。
「こっちだよ」
リエラの後ろ姿を追うように、俺は家の側面に回りこむ。
坂の下から覗き込む形になると、目の前には大きな両開きの扉があった。
「扉……?
……そうか、坂を利用した……」
斜面の途中とはいえ、それぞれの家が立っているのはせり出した平面の土台の上だ。
そしてその土台となる部分に空間を設ければ、玄関がある地上階の下にも部屋が作れるということ。
俺の目の前にあるのは、その地下室に外から入るための扉なのだろう。
「そ。
今開けるから、待ってて」
リエラは懐から大きめの鍵を取り出し、扉に差し込む。
それを軽く回した後、彼女は軋む音を立てる木製の扉を片方だけ押し開けた。
「入って」
扉が大きいためか、開けたのは最低限人が通れるだけの隙間。
リエラは、その内側から俺を手招いていた。
「……ああ」
時間が時間だけに、中は完全な暗闇だ。
部屋の大きさもわからないまま俺が数歩踏み出したところで、リエラは扉を閉めた。
「灯り、つけるね」
コツコツという足音の後に、マナが練られる気配。
そのまま立ち尽くしていると、やがてぼんやりとした朱色の光が屋内を照らし出した。
「……ここは……」
初めに目に飛び込んできたのは、鼠色の壁と、天井。
こちらに確かな圧迫感を与えるそれは、ここが小さなガレージのような場所だということを示していた。
「いらっしゃい。
アタシの……秘密基地に」
───秘密基地。
たしかにこの場所は、そう呼ばれるだけの条件が整っているのだろう。
窓や階段はなく、鍵を持っている者のみが外から入ることのできる造りで。
天井は髪が触れてしまいそうなほどに近く、壁から壁には十歩足らずで辿り着いてしまうほどの、小さな空間。
だが。
ここには、致命的な何かが欠けていた。
それはきっと、冒険心や子供心をくすぐるような『何か』だ。
見渡す限り、壁や天井は一面灰色で、床に置かれた様々な物体は全て埃を被ってしまっている。
それらは無機質で、無秩序で、無感情で。
一般的な子供であれば、喜んで遊び場に変えてしまうであろうこの空間は。
きっと、秘密を共有するためでも、自らの想像力を形にするためでもなく。
俺にはまるで、暗い想いを閉じ込めるための場所にすら思えたのだった。
「やっぱここは埃まみれ、だね……」
リエラはそう零しながら、部屋の端にある古びた椅子に腰かける。
「俺に見せたかったモンってのは……この場所のこと、なのか?」
「そ。
この場所、と……ここに散らかってる、道具たち。
見える? 床に広がってるの」
視線をリエラから床に移し、もう一度目を凝らす。
そこには先ほどと変わらず、埃を被った大小様々なモノが置かれていた。
散乱しているとも整頓されているとも言えないまま、ただそこに存在するだけの物体たちは。
不思議と、どこかで見た覚えがあるように感じた。
「……これは……?」
「何だと思う?」
まるで何かの問いの答えを求めるように、リエラは促した。
静かな視線を受け、俺はもう一度足元の道具たちに目を向ける。
(陶器に……鉄の筒。
それから……楽器と、網……?)
用途がわかるものから、暗さで輪郭すらわからないものまで。
合わせて十か二十ほどの数になるそれらは、全くと言っていいほど統一感のない物体の群れだった。
敢えて共通点を挙げるとするならば、どれも埃に身を包んでいることと、麻のような敷物の上に置かれているということだけ。
その様子は、見ようによっては古物を扱う露店商のようにも見えた。
(ガラクタ……? じゃ、ないな。
そう呼ぶには、どうにも使い古した感じがしない……。
どれも明確な用途があるのに、まるでちょっと使ってすぐに捨てられちまったみたいな感じだ……。
……だとすれば……)
と考えたところで、一番手前にあった鉄の筒が再び目に入る。
そこで俺はようやく、それがこの町ですでに見たものであったことに気が付いた。
(これは……もしかして、吹きガラスの……?)
それを想起した瞬間。
脳に電流が走るような感覚と共に、様々な情報が一気に繋がり始めた。
「……これ。
もしかして全部、仕事道具ってことか……?」
そしてそのまま、思い浮かんだ言葉を口に出していた。
「そ、正解。
さすがはトーヤくん、だね」
リエラの言葉を受け、俺の頭は答え合わせをするように情報を言語化していく。
どこかで見覚えがあると感じたこの鉄の筒は、町のガラス工房で見たものだ。
ガラスに息を吹き込むための、吹き竿と呼ばれる道具で間違いない。
白い小さめの陶器は、香料のため。
その隣のミルは、スパイス関連のものだろうか。
さらに、奥に積み重なった本は学術書で。
足元の網は、スタッグさんの持っていたものにそっくりだった。
そして弦の切れてしまっている楽器はきっと、ルミエさんの言っていたものだろう。
つまり、それらは───。
「全部、リエラが今まで関わってきたもの……?」
「……ん。
そういうこと、だね」
それらは、この街に来てからリエラが俺たちに教えてくれたこと。
そしてリエラが持っていた様々な知識に関するモノたちばかりだった。
「だから、あんなに色々知ってたってことか……。
だったら、なおさらすげえことじゃねえか。
ここにあるもの全部、リエラが努力してきた証ってことだろ?
今まで勉強してきたこととか、人との繋がり。
リエラの作ってきた思い出とか過去が、そのまま───」
「違う」
冷たい響きが、唐突に俺の声を遮断する。
「……それが、トーヤくんの一番の勘違い。かな」
「え……?」
そう言ったリエラは、どこか無感情な目で道具を見つめていた。
「……ここに並んでるのはね。
思い出や繋がりなんてキレイなものじゃ、ないの。
これはただ……アタシが役に立たなかったことの、証明。
誰にもなれなかった人間の、空っぽな過去」
「……どういう……」
「見てわからない?
この道具たち……みんな、キレイすぎるでしょ?
埃は被ってるけど、どれも傷一つないの。
……まるで、新品みたいに」
「それは……たしかに、思ったが」
「じゃあ、それが答えかな」
ひとつ自嘲気味に笑った後、椅子の上で膝を抱えながらリエラは続けた。
「アタシね。
これまで、色んなお仕事に手を出してきて……。
すぐに、やめてきたの。
何をやってもうまくいかなくて、失敗ばっかりで。
ただ、迷惑をかけるだけだったから……それが、辛くて。
……もちろん、町の人たちはアタシに良くしてくれたんだよ。
どんなことでも、アタシがやりたいって言ったら、受け入れてくれた。
たくさん教えてくれたし、とっても親切にしてくれた。
やめる時も『また挑戦したくなったら、これを持っておいで。いつでも待ってるからね』って言って。
ここにある道具を渡してくれたんだ。
みんな、そうだった。温かかったんだ。
……でもアタシは、何をやってもダメだった。
迷惑をかけるばかりで、いつまで経っても役に立てなくて……」
滔々と流れ出る鋭い言葉はきっと、誰でもないリエラ自身に向けられていた。
「アタシには、才能が無かったんだ。
『特別な誰か』になるだけの才能も……その資格も」
一度だけ顔を隠すように俯いたあと、リエラは再びこちらに視線を移す。
「だからね。
アタシがやけに色々知ってたり、知り合いが多かったのは、全部それが理由。
トーヤくんに色んなことを教えてあげられたのも……本当に、たまたま。
偶然、かじっただけの知識がトーヤくんの知りたかったものだっただけ。
何をやっても中途半端で、すぐに挫折して、迷惑をかけてばっかりの人間で……。
だから、アタシは全然すごくなんてない。
トーヤくんは、たくさんアタシのことを褒めてくれたけど。
アタシは最初から、トーヤくんが思ってるような人間じゃなかったんだ。
ここにあるものは全部、アタシの後悔の塊で。
誰にもなれなかったアタシを、戒めるための……アタシの過去、そのものなんだ」
そう言って。
今にも泣き出しそうな顔をしながら、リエラは微笑んだ。
「だからアタシは、トーヤくんの誉め言葉を受け取る資格なんてない人間なの。
いま話したことが、ここにあるもの全部が……アタシの、本当の姿だから。
今日ここに来てもらったのも、それをトーヤくんに見せたかったから。
アタシの大嫌いな、アタシ自身の姿を……ね」
そうして、リエラの言葉は閉じられた。
まるで、過去の自分の首をそっと絞めるかのように。
「……そうか」
リエラが話してくれた、過去。
それこそが、彼女が毎晩あの墓園に通っていた理由であり。
何度も見せていた、悲しい笑顔の理由だったのだろう。
「それが、リエラの本音か」
誰にもなれず、何も成せず。
ただただ自分を否定し、責め続けるしかなかった過去。
「うん……そう。
なんの取り柄もなくて、『特別な誰か』になんてなれやしなかった。
そんな、どこにでもいて、どこにもいない女の子。
それがアタシなんだ」
そんな過去が、リエラという人物を作っているのならば。
「じゃあ……俺も言うぜ。
隠してたこと」
───俺は。
「俺はさ。
リエラに、交易の仕事を手伝ってほしいと思ってんだ。
今までみたいに、俺の手助けをしてもらう形じゃなくて。
フリージアの一員として。そんで、ペルエットの代表として」
「……え……?」
真っすぐに言い放つと、リエラはどこか呆けたような目をしながら顔をあげた。
「話したろ?
フリージアって町のこと。
あと、俺の仕事のことも」
「……それは、聞いたけど……」
「ならよかった。
もちろん、馬車はこっちで用意するからさ。
だからリエラには、ペルエットとの交易を担ってほしいんだ。
ペルエットとクロキアを行き来して……必要なら、いつでもいくらでもフリージアに滞在したっていい。
魚の輸入もそうだし、それ以外の商品もあればあるだけいい。
今のフリージアに必要なもの、フローエンの良さを伝えられるもの。
そんなものを探して、色んな人に伝えてほしいんだ」
突然の申し出に、リエラは困惑の表情を浮かべる。
当然だ。
今まで彼女には、この計画のことを全く伝えていなかったのだから。
「フリージアって町はさ、まだ未完成なんだ。
最近ようやく、クロキアやフレイミアから人が集まり始めたところでな。
だからこれから、色んな人から色んなものが欲しいって意見が出るはずだ。
俺は、魚料理がその一部を満たせれば……って思ってたんだが。
ここでリエラに会ってから、その意見が変わったんだ。
フリージアにはきっと、ペルエットの文化も取り入れられる。
料理とか香辛料とか、工芸品とか香水だっていい。
そんな小さい部分から、色んな人に色んな文化を知ってほしいんだ。
本来フリージアは、色んな国の文化が集まって。それを、それぞれが体験できる場所にしたいって願いで出来たもんだからさ。
そのための役割を、ペルエットとクロキアを繋ぐ役割を、リエラに担って欲しいって思ってんだ。
リエラの知識と、すぐに人の懐に入っちまうその力があれば、きっとできる。
……いや、リエラにしかできないんだ。きっと。
フリージアに、ここの文化を持ち込んで、町を活気づけるって役割は。
だから、頼めないか?」
「……え、えっと……」
「まぁ、もし受けてくれるなら、生活が変わることにもなるわけだからさ。
すぐに返事すんのは難しいだろうけど……どうだ。
引き受けてくれたら、嬉しいんだが」
「……ちょ、ちょっと待って。
何がなんだか、わかんない……」
リエラは逃げ場を探すように目線を逸らしながら、自分の体を抱くように腕を回した。
その反応も、当然だろう。
俺の切り出した話は、あまりにも唐突すぎたのだから。
だが俺は、ある確信を持ってリエラに訴えかけていた。
「……そもそも、だよ、トーヤくん。
なんでいきなり、そんな話……」
「わからないか?
じゃあ、ハッキリ言うぜ。
俺には……フリージアには、リエラが必要だからだ。
『特別な誰か』じゃなくて、リエラだからできることを。
今ここにいるリエラにしかできないことを、して欲しいから」
「……」
「なあリエラ。
ペルエットに来てから、俺はリエラに色んなことを教えてもらったんだぜ。
美味いものも、綺麗な景色も、町で出会った明るい人たちも。
全部含めて、このフローエンって町がどれだけいい場所かを、教えてもらった。
だから、俺はこの町を好きになれた。
最初はただ、魚を輸入するための交易先って考えだったけど……今は違う。
海の傍で、色んな人が生きてて。そんで、リエラを育ててくれた、暖けえ町だ。
でもそれは、リエラの案内があったからこそだ。
手を引いてくれたのがリエラじゃなかったら、俺は今こんな気持ちを抱いてない。
それどころか、この話を思いついてすらないだろうって断言できるぜ。
そういうの全部含めて、俺は本当にリエラに感謝してるんだ」
「トーヤくん……」
「だから次は、俺が恩返しする番だ。
もしリエラが、自分の過去に価値がないって言うんなら。
俺がきっと、見つけてやる。
リエラが自分には何にもできないっていうなら、俺が用意する。
リエラにしかできないこと、リエラじゃないと成り立たないものを、いくらでも。
そんで……『特別な誰か』じゃない。
リエラがリエラのままでいられるような場所。
ここに並んでるもの全部が、自分自身の一部だって、今度こそ胸を張って言える場所。
それをリエラに用意してみせる。
フリージアって町を、そんな場所にしてみせる。
だから……どうだ。
これからのフリージアを作ってく、その一員に。
なってくれないか?」
「……そんな、こと。
いきなり言われても……」
リエラの視線は、未だ空中を彷徨っていた。
だが、その瞳には迷いではない何かが宿り始めていた。
「……まぁ、そうだよな。
国同士の交易なんて、歴史的にも前例がないことらしいからさ。
ましてや、三つの国が関わるなんて言ったらなおさらだ。
正しいやり方なんて、誰も知りやしない。
自信なんて、誰も持ってねぇんだ。
リエラと一緒で。
色んな人がいて、色んな価値観が混ざり合って。
そんな環境で、どうにかやっていかないといけない。
不安なんてなのは、感じないほうがおかしいんだろうな」
リエラの方へ一歩踏み出すと、足元にあった吹き竿がからりと揺れた。
「でも……だからこそ、リエラの経験が活きるんだ。
人と人を繋げて、それぞれの声に耳を傾けて。
色んな知恵を使って、誰かのために働く。
そんな、この町でリエラがやってきたことが……いや。
リエラの今までの人生全部が、それに対する答えになるんだ。
俺は、そう確信してる」
「……」
俺は足元にあったそれを拾い上げ、表面の埃を、指先でゆっくりと落としていく。
「……そんな、こと。
アタシに、できるのかな……」
「ああ。
リエラにしかできないことだ」
俺の指が伝った部分から順番に、鉄は確かな鈍色を取り戻してゆき。
「……特別な人じゃなくても。
トーヤくんの役に、立てるのかな」
「俺だけじゃないぜ。
何十人、何百人って人の役に立ってくんだ。
誰でもない、リエラって人間が」
やがてその表面は、暖かな光を反射した。
「アタシの過去に。
意味は、あったのかな……っ」
「リエラ自身が、そう信じるなら。
フリージアは、それを証明するための場所になる」
そうして取り戻した輝きは。
「……トーヤくん、アタシ……」
誰でもない、リエラの瞳に映し出されていたのだった。
「アタシ、自分を信じたい。
もう一回だけ……!」
「ああ」
「それから……それからっ」
紡がれかけた言葉は、嗚咽となりかき消える。
椅子に掛けたままのリエラは、その腕で両目を拭っていた。
「返事は、ゆっくりでいいぜ」
零れ落ちる涙の音が聞こえないよう、俺は拭き竿を床に戻し、踵を返す。
そして入口付近にあった朱光石に掌を乗せ、そっと光量を落とした。
「『ソイツら』のこと、もう少しだけ好きになれたら。
そん時、改めて返事をしてくれ。
俺たちは、もうしばらくこっちにいるつもりだからさ」
「……うん」
「よかった。
それじゃ……またな、リエラ」
大きな木製の扉を引き、隙間に身体を滑り込ませる。
「……ありがと」
ギィ、と後ろ手に音を立て。
さきほどよりも眩しい月明りを浴びながら、俺は帰路についたのだった。
毎日昼12時に、一話ずつ投稿予定です




