第55話「網と、道楽」
「お邪魔します」
「おう、兄ちゃんか!
入れ入れ」
昨日と同じ建物に入ると、奥からスタッグさんの声が聞こえた。
うなぎの寝床のような廊下を渡ると、すぐに広間にたどり着く。
「ご苦労さん。
どうだ、海岸の方は?」
「変わりなし、ですね。
今は二人が見てくれてます」
「そうかい。
そいつぁ何よりだ」
そう言ったスタッグさんの手元からは、テーブルの半分を覆ってなお床に積み重なるほどの網が広がっていた。
「スタッグさんのそれは……網ですか?
昨日仰っていた」
「おうよ。
見たことねぇか?」
「はい。
漁業に関しては、今まで触れる機会もなかったので……」
「そうか。
こいつぁ刺し網つってな。
朝方に放り投げて使うもんなんだが……ま、座ってくれや」
「失礼します」
「おう。
……そんでまあ要するに、小せぇ魚なんかを捕る時に使う網だな。
朝方に投げて、帰ってくるときに引き上げんだ」
「じゃあ、わりと目の小さい網ってことですか?」
「そういうこったな。
だから手入れとか修繕も、細い糸を使わなきゃならねぇ。
つっても俺ぁ、あんまこういう細けぇ作業は得意じゃねぇんだがよ」
「へぇ……」
そう言いながらも、スタッグさんはするすると手元の糸を網に絡ませていく。
時折糸を回しては強く引き、流れるような動作で次の結び目を手前に寄せる。
次々に、そして驚くほど正確な間隔で網目が作られていくその動きに、俺はつい見入ってしまっていた。
「……よし、と。こんなもんだろ。
そいじゃ、話すとすっか」
やがて野太い指が最後の結び目を通し終わると、パチンと言って糸が切断される。
掴んでいた網の端を床に放り投げ、スタッグさんはこちらに向き直した。
「そんで?
たしか、フローエンから魚を買い取りてぇって話だったか」
「ええ、その通りです。
馬車と人はこちらで用意しますので、できれば定期的に……と考えています」
「なるほどなぁ……。
なら、なんだ。兄ちゃんは商人なのかい?
とてもそうは見えねぇけどよ」
「……見えませんか?
商いに関しては、多少慣れてきたつもりなんですけど」
「たりめぇだ。
どう見ても変な事情があんだろ。
兄ちゃんの格好と……ツレの姉ちゃんたちを見りゃわかる」
「それは……たしかにそうですね」
この世界では珍しいという獣人に、数人分の荷物を軽々と持ち上げる女性。
そして、立ち居振る舞いがあまりにも見た目と乖離した『老獪』。
改めて思い返すと、俺たちという集団はとてもではないが一般人には見えないだろう。
少なくとも、行商のキャラバンなどとはかけ離れた存在であることに間違いはない。
「それに、リエラちゃんからも聞いたぜ。
大渦を止めちまっただけじゃねえ、魔獣の群れまで相手にできちまう、とんでもない実力者だと。
兄ちゃん自身もそんな力を持ってて、ただの商人をやってるワケがねぇだろうよ」
「それに関しては、たまたま噛み合っただけです。本当に。
たとえそうだとしても……俺自身、この力を利用してどうこうというのは、全く考えていませんから」
「そうやってすぐに謙遜する、底の知れねぇ男だ。ってこともな」
「……」
そう言ってこちらに鋭い視線を投げかけたスタッグさんは、やがて口角を上げた。
「ガッハッハ!
悪ぃ悪ぃ。歳を取ると、どうも疑り深くなっちまってな。
別に、兄ちゃんを怪しんでるってわけじゃあねえんだ。許してくれ」
「怪しまれて当然の集団であることはわかった上で、ペルエットには来ましたが……」
「っくっく……ま、そうだな。自覚があんのはいいことだ。
だが、今の反応でわかったぜ。
兄ちゃんはまだまだケツが青くて……根っからの善いヤツだ、ってことがな」
言い終わると同時にまた静かに笑ったスタッグさんを見ながら、俺は肩の力を抜く。
年の功には叶わないということは、この世界に来てから何度も痛感しているからだ。
「……では、改めて自己紹介からさせてもらいましょうか。
底が見えるような形の」
「そりゃいい。
面白れぇのをたのむぜ」
────
──
それから小一時間ほどかけて、フリージアのことや、俺が二国間を駆け回ってきたことなどを説明した。
「なんほどねぇ……。
その一環で、最近ウチに来たと」
「はい。
ご説明した通り、こちらには溶けづらい氷がありますので。
今まで出来なかった、生魚の長距離輸送が可能です」
「ふぅむ……。
魚を出荷することに関しては、こっちも問題ねぇ。
馬車を寄こしてくれる日が決まってれば、朝からちょいと多めに獲ってやろう」
「ありがとうございます」
「あとは、さっき言ってた氷にも興味があんな。
フローエンじゃ、冬の山奥ぐらいでしか見ねぇが……兄ちゃんたちにとっちゃ、簡単に作れるもんなのか?」
「ええ、そうですね。
現に今も、毎週フレイミアに出荷し続けています。
人工氷が一般的になるのは、まだまだこれからといった段階ですが」
「そうか。
まあ値段にもよるが……話を聞いた限りじゃあ、きっとウチでも役に立つんだろうよ。漁船とか、市場とかでな。
できればどんなモンか見せてもらいてぇが……」
「でしたら、近日中に一つ作って持って来ましょうか」
「なんだ、こっちでも作れんのか?」
「ええ。
純度の高いものをお見せしたいので、どうしても日数はかかりますが」
「ほう……なら頼むぜ。
どんぐらい保存がきくモンなのか、気になるからよ。
それによっちゃ、金を出して買いてえってヤツがウチからも出てくるかもしれねえ」
「なら、ぜひ試してみてください。
出来上がったら、またご連絡しますので」
「おう。
だったら、あとは取引全体の流れとか必要なモンから順番に話していきたいんだが……その前に、だ」
「はい」
「一つだけ、まだ聞けてねぇことがある。
それも、一番大事な部分がな」
「大事な部分……ですか?」
「おう。
そいつぁ、兄ちゃんがなんで魚を買い取りてぇのか。
そんで……ゆくゆくはそれをどうしてぇのかってコトだな」
スタッグさんの瞳が、再び鋭いものを宿した。
「ここまでの話で、だいたい兄ちゃんの事情は理解したぜ。
だが……きっかけが見えてこねぇ。
こんな陸の果てまで来ようと思った、そのきっかけだ。
金儲けのためなのか、誰かに頼まれたのか、それとも別の事情があんのか。
……加えて言うなら、四人で来たってえのに今ここに兄ちゃんしかいねぇ理由も。だな」
あくまで冷静に、そして俺を試すような口調で彼は続ける。
「繰り返すが、兄ちゃんのことは信頼してるぜ。
その力で俺やノルネスのおやっさんを助けてくれたことも、海岸の警備を引き受けてくれたことも。俺ぁ、本気でありがてえと思ってる。
だが……それとこれとは別の話だ。
俺ぁまだ、兄ちゃんのことをよく知らねぇからよ。
特に金のやり取りをするってんなら、腹の内が見えてねぇと首を縦に振るこたできねぇ。
わかるか?」
「……ええ」
「なら、教えてくれねえか。
兄ちゃんが、わざわざここまで来た理由ってやつをよ」
スタッグさんの言葉は、もっともだ。
様々な都合が噛み合って、俺たちと彼は今、互いに協力関係にある。
だが今この場にいるのは、あくまで一人の漁師と、外国からやってきた交易商。
俺たちがこれまでやってきたことや事情は抜きにして、今一度彼を納得させる必要があるのだろう。
(……でも、ま。
答えは一つなんだよな)
何度目かのあの反応が返ってくるのだろう、と予想しつつ。
一呼吸おいてから、俺は口火を切る。
「魚が、食いたいからです」
「……ほう?」
「そもそも、です。
クロキアやフレイミアの人間は、ほとんど魚を食ったことがない。
それは、生活圏が海から遠いからというのと、漁船や漁の技術も発達していないからです。
だから市場にも魚は売られていないし、調理方法すら普及していない。
そんな中で……俺だけが、過去に魚を食ったことがあったんです」
「ああ」
「スタッグさんも、ありませんか?
しばらく口にしていなかった食べ物が、無性に食べたくなる経験。
それも、唐突に」
「……そりゃまあ、あるな」
「ならよかった。
俺にとってのそれが、まさに今だったんです」
俺はここで、口を閉じる。
すると数秒の沈黙の後、スタッグさんは少し目を丸くしながら声を漏らした。
「……そんで? 続きは」
「いえ、ありませんよ。
俺はここに来た理由は、それだけです」
「そんだけ、だと?
……するってーと……なんだ」
「ええ」
「つまり、兄ちゃんは。自分が魚を食いてえから。
ただそれだけのために、馬車や人まで用意して、取引を進めようとしてる……ってことかい?」
「仰る通りですね。
それ以上に大きい理由というのは、ありません。
もちろん、クロキアの人たちにも魚料理を食べてみてほしいというのはありますが……」
また、少しの静寂が場を包んだ後。
スタッグさんは、喉の奥から笑い始めた。
「くっ……くっくっく……。
はぁーっはっはっは!」
いつも通りの、大口を開けて笑う彼の仕草。
それはこちらまでつられて笑ってしまいそうになるほど、気持ちのいい大笑いだった。
「そうか! そういうことかい!
つまり兄ちゃんは、ただ自分の舌のために……ほとんど道楽のためだけに、ここまで来たってことかい!」
「まぁ、平たく言えばそうなりますかね」
「く、くっく……なるほど。
なるほどなぁ……!
こいつぁ、面白ぇ……!」
笑い続けたスタッグさんは姿勢を崩し、腿の上に肘を乗せて屈んでしまっている。
「ああ……あと一応、もう一つの方の理由ですが」
下を向いて笑い続けているスタッグさんに構わず、俺は続ける。
「一緒にいた彼女たちは、それぞれの我侭で俺についてきただけですよ。
魚料理を知りたいとか、妹に押し切られたとか、そういう単純な理由で。
最初は俺一人で来るつもりだったんですけど、そのせいでいつの間にか大所帯になってしまったってだけなんです。
だから彼女たちはみんな、俺の道楽に付き合ってくれる変な人間たち……ってところですかね」
「だぁから今日は一人だった、ってえことかい……」
「そうですね。
でも俺は、そんな変な人間たちに。
……いや、そんな人間たちと一緒に、美味い魚料理を食いたいんです。
さっき言った、フリージアっていう町で」
「くくく……なるほどな。
なら、それを率いてる兄ちゃんが一番変なヤツなのも、道理ってえことか」
「そうかもしれません。
フリージアという場所も、きっと外から見れば変な奴らの集まりなんだと思います」
「はっ……そうかい。
そういうことだったとはなぁ……くっく」
そこまで言って、スタッグさんはテーブルに拳を置きながら座りなおす。
その姿に、さきほどまでの鋭さはもはや感じられなかった。
「ったくよお……。
兄ちゃんと話してると、毒気が抜かれるぜ。
……兄ちゃん自身は、見るからに毒を吐きそうな見た目をしてるってのになあ」
「そうですか?
個人的には、結構平和主義なつもりなんですけど」
「バカ言え。
見るからに頑固そうな顔と、いちいち計算してから言葉を取り出すような喋り方。
少なくとも、先達に可愛がられる方じゃねえだろうよ。兄ちゃんは」
「それは……耳が痛いですね。
身に覚えしかありません」
「だがその分、嘘はつかねぇ主義だ。
そうだろ?」
「ええ。
これまでの話でも、誓って嘘はついていません」
「くっく……。
いい答えだ」
「それに……面倒なことは、苦手なので」
「ったく。
そのツラで、よく言うぜ。
でもまぁ……そういうことにしておくか」
そう言うと、スタッグさんはどこか納得したように続けた。
「よし、よーくわかったぜ。
兄ちゃんが思ったより利口で、思ったよりバカだってことがな」
「よかったです。
底は見えましたか?」
「ああ。
言うなれば……兄ちゃんは、ただの『生け簀』だな。
だったら最初っから、底が見えねえなんてこたぁなかったワケだ」
「……なるほど。
ならこちらは、氷を張って待っていることにします」
「おう、そうしとけ。
これから、活きのいい魚をたらふくぶちこんでやらぁ」
こうして。
俺は、ペルエットに来た大きな目標の一つ。
魚の輸入の約束を、無事に取り付けることができたのだった。
毎日昼12時に、一話ずつ投稿予定です




