第53話「波と、鍵」
「なるほどなぁ……。
本当に世話んなったな、兄ちゃんたち」
「いえ、今回は本当にたまたまです。
俺はリエラについていっただけなので」
「ううん、ぜんっぜん!
アタシはなんにもしてないよ!
ほんっとーに、トーヤくんたちのおかげだもん!」
海岸から少し歩いたところにある、木造のコテージ。
どうやら漁業協会の所有物らしいそこで、俺たちはスタッグさんにさきほどの出来事を説明していた。
「いや、本当に頭が上がらねぇ思いだ。
命を懸けてまで、ノルネスのおやっさんを助けてくれるたぁ……感謝してもし切れねぇ。
ありがとうな、二人とも」
「スタグおじさん……」
さきほどまでリエラが町を駆け回ってくれていたおかげで、件のノルネスさんは無事に帰宅し療養中。
同時にフローエン近海の実質的な責任者であるスタッグさんにも連絡し、俺たちは今ここで集まっているというわけだ。
「本当はお前さんらみたいな若ぇモンに危害が及ばねぇように、俺たちが先に海を調べとくつもりだったんだがな……。
今日俺が海に出てたのも、漁じゃなくて調査のためだったってのに。
だがまさか岸の近くにそんな大渦ができてやがるなんて思わねぇもんで、アテが外れちまったってなあ……情けねぇ限りだ」
「それで昨日は、用事があると……」
「ああそうだ。
最近、海の方で変な動きが多かったもんでよ。
ほんの少しずつだが魚の獲れる量も減ってきてっから、ちょいと色々調べて回るつもりだったんだが……それがこのザマだ」
言葉を吐き捨てるようにして悔しがったスタッグさんの様子からは、忸怩たる思いが見て取れる。
「正直、あの大渦は突然すぎたようなので仕方ないと思いますが……以前からすでに、変な動きがあったんですか?」
「おう。
これは若ぇモンには……特にお前さんらみたいな外の人間には、本来話すべきことじゃあねえんだが……」
そこまで言って、スタッグさんは頭を掻きながら言い淀んだ。
しかし、そこに言葉を繋げたのはリエラだった。
「……聞かせて、スタグおじさん。
だってあんな大渦、アタシも見たことないもん。
また船頭さんたちが危ない目に遭うかもしれないのに……今さら知らんぷりなんてしたくないよ」
「リエラちゃん……」
「俺も聞きたいです、スタッグさん。
もうすでに一枚噛んでしまってる、っていうのもありますが……。
なによりも、魚の獲れる量に関わるのなら俺も他人事じゃありませんから」
「……そうか、そうだったな」
スタッグさんはぐっと奥歯を噛みしめた後、ゆっくりと目を開く。
やがて低い声で語り始めた彼の眼は、昨日までの陽気なだけのそれではなかった。
「……とは言っても、俺もまだ何か情報を掴んでるわけじゃあねぇんだ。
ただ、潮の動きが去年までと違う……。
そんで、魚の動きもちぃとばかし妙だ。と思ったのが最初でな」
「ですけど、それを理由に大規模な調査に出ようと思う程ではなかった……ってことですよね?」
「ま、その通りだ。
うまくは言えねえんだが……長年の漁師の勘ってやつだな」
スタッグさんの言う勘というのはきっと、その道を極めた人にしか感じ得ない類のものだ。
こと自然に関しては、長年その環境に身を置いた者の勘こそが、どんな知識よりも信頼できるものになることも多い。
ただしその勘も、正確に何が起こるかまでは告げてくれない。
だからスタッグさんやノルネスさんも、違和感を覚えながらも海に出てみるしかなかったのだろう。
「だが今日、実際に被害が出ちまった。
幸いなことに、まだこの時期は遠くまで出ることはねぇ。だから半端な渦なら、次も救助が間に合うかもしれねぇ。
だが数か月後、沖合まで出るようになったらそれも望めねえだろう。
もし今の状況がそこまで続けば……最悪、漁自体を禁止にすることにだってなりかねん」
そう言ってスタッグさんは、テーブルに腕を置いてこちらを見据えた。
「フローエンにとって、漁業はなくちゃならねぇモンだ。もし漁が止まれば、フローエンの市場全体に影響が出る。兄ちゃんの言ってたような、魚をクロキアに寄越してやるってこともできねぇだろう。
……かといって、調査に出ていったヤツが被害に遭ってちゃあ世話はねぇ。
だから俺も、少しでも情報を集めるために兄ちゃんたちをここに呼びつけたってわけだ。
もちろん礼をしたかったってのもあるが……これは、明日からの漁にも関わってくることだからな。
すまねえが二人とも、もうちょっとばかし協力してくれるか?」
「もちろんですよ。
こちらも、少しでも情報提供ができればと思ってましたから」
「うん!
アタシも、できることならなんでもするよ」
「ありがてぇ。
何から何まで、すまねぇな」
俺たちの二つ返事に感謝を告げたノルネスさんは、『上に立つ者』が持つ、未来を見据えた眼をしていた。
やはり彼は、漁業協会の会長なのだ。
昨日までの陽気な姿と同時に、今の彼もまた彼本来の姿なのだろう。
「じゃあ先に、俺からいいですか?
情報提供っていうより、半分は俺が知りたいことでもあるんですけど」
「ああ、いいぜ」
「なら、一番話したかったことから。
初っ端から物騒な話ではあるんですけど……俺は今回の件を、魔獣の仕業だと思ってます。
そうでなくとも、それに近いモノが原因なんだろうな。と」
「ほう……。
そりゃまた、どうしてだ」
「渦を抜け出した後に襲ってきた、大型の魚。
その魚が、ノルネスさんも知らない種類のものだったんです」
「おやっさんも知らねぇ魚……?
兄ちゃん、そいつぁどんな見た目だ」
「えっと……魚の知識がないんで、何が特徴って言われると難しいんですが。
まず全長で言うと、俺の身長と同じぐらいの大きさで、目立つ鋭い牙が複数ありました。
体も全体的に青くて……体中のヒレが、棘だらけでしたね」
「青くて、棘だらけか……」
「あとは……なんでしょう。
浜につく頃にはいつの間にか消えてたんで、俺もそこまで詳細に覚えてないんですが……」
「消える前にアタシも見たけど、たしかにちょっと変な感じがしたね。
なんていうか……棘が前に向いてて、バランスが悪いっていうか。あんまり見たことない形だったよ」
「ああ、たしかにだリエラ。一番の違和感はそこかもしれん。
ヒレとか口とか、全身の棘が前に向いてたんだよアイツら。
泳ぐためっていうより、まるで掘削するための形っつーか……歪だったんだ、生き物として」
「……わかった、十分だ。
そんな特徴を持った魚なんて、存在しねぇ」
「やっぱりそう、ですか」
「ああ。
兄ちゃんの言う通り……そいつは水棲の魔獣だな。
もしくは、俺ですら見たことねぇ珍しい魚って可能性もあるが……どちらにせよ俺たちにとって邪魔んなるんなら、まとめて魔獣って呼んじまっていいだろうよ。
船の上にあった死体が消えたってえのもおかしな話だ、間違いねえ」
水棲の、魔獣。
姿が見えずとも伝わってきた嫌な気配から、そうではないかと思っていたのだが……やはり海にも魔獣というものが存在するということに、俺は静かに戦慄を覚えた。
「……それと繋がる話で、渦についてもなんですが」
「おう」
「今回の大渦、あれもソイツらが起こしたものだと思ってます。
理由はいくつかあるんですけど」
「なんでもいい、言ってくれ」
「一つ目は、渦を抜け出した瞬間に襲い掛かってきたことです。
これは、渦自体がアイツらにとっての『狩り』のような行為だったと考えれば辻褄が合います。脱出されて、焦って追いかけてきたんだろうなと。
二つ目に関しては、俺たちが離れたあとすぐに渦が消えたことです。
こちらも同じく、船や人を狙って意図的に発生させていたと考えれば筋が通ります。
それで、三つ目なんですが……」
「どうした?」
「……何か、すごく。嫌な感じがしたからです。
これは本当に直感的なものなんですが……うちの中でも特にマナに敏感なミラーヤも、同じものを感じ取ってましたから。
だよな?」
「えっあっ、はいっ!
ちょうどトーヤさんたちが帰ってきたあとに、あの気配もきえてしまったので……渦やお魚が放っていたもので、間違いないとおもいます」
「ふぅむ……なるほど」
例の赤い視線のことを言いかけたが、そちらは伏せることにした。
今言った嫌な気配の話とほぼ同じ情報だということもあるが、あれに関してはそもそも俺の見間違いだった可能性すらあるからだ。
少なくとも今、いたずらに不安を煽るだけの情報は伝えない方がマシだろう。
「そんぐらいか?」
「ええ、はい」
「リエラちゃんからは、なんかあるか」
「ん-と……大丈夫だと思う。
今トーヤくんが言ったことで、全部かな」
「そうか……ありがとよ。
んじゃあとは、ノルネスのおやっさん次第ってとこか」
「そだね……。
もちろん海もだけど、おじさんのことも心配だよね。
浜に帰るころには、かなりマナを消耗しちゃってたみたいだから」
「ま、おやっさんは俺より年上だが、まだまだマナ切れ程度で死ぬようなタマじゃねえ。
何日か休ませてりゃ、どうとでもなるだろうよ」
「またメチャクチャなこと言って……。
なーんか、漁師さんたちっていっつもそうだよね。全然人の心配をしてあげないんだから。
ほんとにマナが尽きちゃったら、死なない人なんていないのに」
「ガッハッハ。
俺たちにゃ、俺たちのやり方があんのさ。
それに世の中、根性でどうにかならねぇことの方が少ねぇもんよ。
それよりも、見えねぇことの心配ばっかりして気が小さくなっちまう方が体に悪ぃってもんでな。
ま、リエラちゃんにも、そのうちわかるだろうさ」
「はぁ……。
ぜんぜんわかんない」
それを聞いて、スタッグさんはもう一度笑った。
「……よし。
ならひとまず明日からは、『たとえ沿岸の漁でも、絶対に他の船が目視できる位置で行うように』ってえルールを敷くとしよう。
多少の渦なら、もし巻き込まれても漁船同士で救助しあえるはずだ。
そいで、今からその渦のことも含めて漁師ども全員に知らせにゃならん。その周知については……リエラちゃんも手伝ってくれるか?」
「うん、まかせて!
このあとすぐでいいんだよね?」
「ああ、いつもすまねえな。
面倒なことばっかり頼んじまうが、こういうのはリエラちゃんが一番上手くやってくれっからよ」
「ううん、全然。
アタシには、こんなことしかできないから……」
「あの、スタッグさん。
俺にも何か手伝えることはありませんか? 情報提供だけじゃなくて、他にも」
「兄ちゃんもか?
しかし……兄ちゃんには、別の用事があんじゃねえのか。
それこそ、国を跨いできただけの理由ってやつがよ」
「いえ……前にもお伝えした通り、俺たちの目的は魚の輸入ですから。
本当にそれだけなもので、昨日今日みたいに観光をする余裕があったくらいです。
だから、協力できることがあったらさせてほしいんです。
それこそ……俺からすれば、一番困るのは魚が獲れなくなることなんで」
「そうか……」
「はい。
なんなら、海の調査を任せてもらっても構いません。
船に乗せてもらうだけになるかもしれませんが……」
「……ふむ」
顎に手を当てて、スタッグさんは少しだけ考え込む。
「……いや。
気持ちはありがてえが、それは断らせてもらうぜ。
フローエンの海のことは、フローエンの漁師である俺たちが一番よく知ってっからな」
「そう、ですか」
「すまねえが、悪く思わねえでくれ。
決して兄ちゃんたちのことを邪険にしてるわけじゃあねえんだ。
ただ、俺たち漁師にも矜持ってもんがあるんでな。他人に頼ってばかりじゃあ、面目が立たねぇこともある」
「……そうですね、失礼しました」
「しかしだ。
兄ちゃんたちの実力が確かなことも、さっきの話で理解してるぜ。
本当に俺たちだけじゃどうしようもねぇと判断したら……また力を借りるかもしれねぇ。
そんときゃ、協力してくれるか?」
「もちろんです、いつでも仰ってください」
「おう、ありがとよ」
そう言って、スタッグさんは満足げにニカリと笑った。
「ただまぁ……頼めることが何も無いってわけでもねえな。
兄ちゃんたちさえよけりゃ、手伝ってほしいことがある。
物騒なこと以外でな」
「と、いうと……?」
体の力を抜いたスタッグさんは、再び椅子にもたれかかる。
「簡単に言や、海岸の警備だ。
もしかすっと、また今日みてえな渦ができちまうかもしれねえだろ?
だから、海水浴に来た人間が沖まで行っちまわないように監視する仕事だな。
今日の件がどう転ぶかはわからんが、コトが落ち着くまではしばらく浜にも見張りが必要だろう。
本当はリエラちゃんに頼もうと思ってたんだが……人数は多いに越したこたねえ」
「警備、ですか」
「ああ。
もちろんリエラちゃんがいいなら、その付き添いって形でだが……どうだ?」
「うん、アタシはいけるよ。
トーヤくんたちさえよければ、だけど」
「ん?
……ああ、そういうことか」
その返答が不意にこちらに転がってきたため、逡巡する。
リエラが気にしているのは、俺たちにフローエンを案内してくれるという約束のことだろう……と遅れて気付く。
「まぁ……頼んでおいてなんだが、状況が状況だからな。
いったん町案内については保留でいいんじゃないか。
それに、リエラと一緒に仕事ができんなら、今までとさほど変わらねえ気もするし」
「そっか、ありがとね。
……だってさ、スタグおじさん」
「よし。
じゃあ受けてくれるってんなら、さらに一つ。
今度は……さっき言ってた、礼の話だ」
「礼、ですか?」
「ああ。
もちろん銭の形で報酬も出すが……もう一つ追加だ」
「と、いうと……」
「実はだ。
俺たちを手伝ってくれてる間、兄ちゃんたちにはここを使ってもらおうと思ってな」
「わ、それいいかも!」
「だろ?」
「うんっ!
名案だよ、スタグおじさん!」
俺が理解できないという顔をしていると、二人が続ける。
「兄ちゃんたち、今は町の宿に泊まってんだろ?
だったらフローエンにいる間は、代わりにここを使ってくれや。
実はここは、ちょいとばかしイイ場所でな」
「ちょいとなんてものじゃないよっ!
泊まろうと思って泊まれるとこじゃないんだよ、ここ!」
「そう、なのか?」
「ま、そこそこな。
普段は閉め切ってるが……手入れは行き届いてるぜ。
例えば王都の方からお偉いさんが来た時なんかに、ここを貸し出すためなんかにな」
「そうそう!
アタシも、ここは偉い人しか泊まれないって印象だもん。
たしか、二階のお布団もふっかふかなんだよね~」
「んな大層なモンでもねぇが、そう思われてても仕方ねえだろうな。
建物自体は一応うちの協会のモンだが、商店街の連中や町長からもたまに使わせてくれって話が入ることがあるくれぇだからよ。
国を挙げての催しもんとか、要人が来た時のための施設としてな」
「へぇ……そうなんですね」
「部屋の数も十分あるし、水も通ってる。
虫や潮風も、窓を開けねぇ限り入ってこない構造だ。
宿と違って飯はついてねぇが……ま、それ以外ならそのへんの宿より快適だと思うぜ」
たしかに二人の言う通り、このコテージは外から見てもかなり大型のものだった。
今いる談話室から見える範囲だけでも、廊下を挟んだところにある広いリビングに、隣接したキッチン、さらに奥には風呂場らしき一角が存在しているように見える。
そして一階でこの広さということは、二階にも大きめの部屋がいくつも存在しているであろうことが伺える。
一言でいえば、大型のシェアハウスやロッジといったような構造だった。
「一か月も宿に泊まり続けるってのも、落ち着かねぇだろ?
宿代だって、バカにならねぇだろうしな。
それにこっちとしても、誰かが使ってくれてた方が手入れの手間も無くなって助かるってもんだ。
どうだ?」
「そう、ですね。
そこまで良い環境を用意していただけるのなら、こちらに断る理由はありません。
というか活動拠点としては十分すぎるぐらいで、本当にありがたいです」
「ガッハッハ、そいつぁよかった。
じゃあ、後でこっちに荷物を移してくるといい。
鍵も渡しとくぜ」
「ありがとうございます。
……とはいっても、肝心の仕事内容がまだわからないんですが」
「ああ、そいつぁリエラちゃんに聞けばいい。
うまいことやってくれるさ」
「はーい!
海岸の警備っていうと……前にやったのと同じ感じでいいんだよね?
ほら、去年の時化のときみたいな」
「ま、そうだな。
大まかな中身はそれで構わんだろう。
あとは、渦にだけ注意してくれりゃいい」
「じゃあ大丈夫、だいたい覚えてるから!」
「おう、頼むぜ」
「……具体的には、何をすればいいんだ? リエラ」
「心配しなくても大丈夫。
基本的には、海岸を見張るだけだよ。
スタグおじさんの言った通り、泳いでる人が沖に出過ぎないように注意してあげたりとかね。
今回は渦ができてないか注意するって意味もあると思うけど……手に負えないことがあったら、スタッグさんか誰かに連絡すればいいかな」
なるほど。
以前リエラが言っていた『手伝い』というのは、こういったことだったのだろう。
「まぁなにも、常に全員で見ててくれってわけでもねえからな。
リエラちゃんか、いざって時に泳げる人間が一人か二人見張ってればいいだろう」
「となると、候補は俺とブランシュと……」
ミラーヤの方を向くと、彼女は尻尾を抱きかかえながら困り顔で首を振った。
どうやら、彼女の耳と尻尾は泳ぎには不向きということらしい。
「……ま、この二人になるか。
いけるよな? ブランシュ」
「ああ、問題ない」
ブランシュは腕を組みながら、手の先だけを挙げて返事をする。
しかし言ってから、ブランシュがどの程度泳げるのかについて俺は知らないということを思い出した。
今日も一日海岸にいたが、彼女が泳いでいるところは見ていない。
……のだが、ブランシュのことだ。
水着ならもちろん、たとえ鎧をつけながらでも涼しい顔で泳いでくれるのだろうという安心感がある。
「じゃあ、三人かな?
トーヤくんも、大丈夫そう?」
「まぁ……そうだな。
毎日全員でってわけじゃないなら、俺も交易の方の仕事に時間を割けるだろ。
問題ないと思うよ」
「そっか、よかった!」
「なら、決まりだな。
明日から、日中だけでいい。
リエラちゃんと一緒に海岸の警備、頼むぜ」
「まかせて!」
「何かあったら、すぐにお知らせします」
「まあ、そう固くならんでもいい。
結局は何も起こらんのが一番だからな。
そもそも、船が通るような沖まで泳いじまうようなヤツなんて滅多にいねえもんだ。
いざって時のために、海岸が見えるところで待機してるだけになるだろうよ」
こうしてあらかたの仕事内容と、これからの指針が決まった頃。
窓からは、すでに夕日が差し込み始めていた。
「っと、こんな時間か。
俺ぁそろそろ、帰ることにするぜ。
今日は世話になったな、兄ちゃんら」
「いえ、こちらこそです」
「アタシもそろそろ家に帰ろうかな。
お風呂にも入りたいし!」
「ああ。
俺たちも風呂に入りたいが……まずは荷物を移してこないとか。
スタッグさん、改めてありがとうございます。
しばらく借りますね、この場所」
「礼を言うのはこっちの方だぜ。
んじゃ鍵はここに置いとくからよ、なくさんようにな」
「はい、確かに」
────
──
「ただいま、っと……。
これで最後だぜ」
「おかえりなさい、トーヤ。
ご苦労様」
「おかえりなさいです、トーヤさん!」
俺が最後の荷物をコテージに運び込むと、そこには暖炉の前に並んだ三人の姿があった。
「……何してんだ?」
「髪を乾かしてるんです!
先にお風呂をいただいちゃいましたので」
「ええ。
潮風や海水を浴びてしまったから、今日は特に念入りにお手入れをしないとね」
そう言った三人は一列に座っており、一番後ろにはミラーヤが。そしてその前にサフィーア、先頭はブランシュという順だ。
どうやらお互いに前の人の髪を梳いているようで、最後尾のミラーヤは尻尾で器用に自分の髪をなびかせていた。
「なるほど……髪が長いと大変だな」
「トーヤも他人事じゃないのよ。
長くなくても、お手入れは必要だもの」
「俺は遠慮しとくよ、ガラじゃねえ」
それで言えばブランシュはどうなのだろうかと思い、俺は再び列の先頭に目を向ける。
すると、そこには無心で剣の手入れをしているブランシュの姿があった。
(……ああ、断り切れなかったのか……)
普段は魔獣すら容易に断ち切るブランシュにも、斬れないものはあるらしい。
妙な皮肉を感じつつ、俺は風呂場に向かうのであった。
────
──
「お、うまそうな匂い」
風呂から上がると、ちょうど料理が食卓に並び始めている頃だった。
「さきほど、来られたリエラさんからたくさん食材をいただいちゃいまして!
スタッグさんと、漁師のおじさまからだそうです!」
「なるほど、ノルネスさんたちからか。
ありがたい限りだな……っと、隣もらうぜ」
「ええ。
これも全部、トーヤとブランシュのおかげね。
ありがたくいただきましょう」
「ま、せっかくもらったモンだしな。
食材たちも、ミラーヤに料理してもらえるんなら本望だろうよ。
……そんで、リエラ本人は帰っちまったのか?」
「ああ、戻っていったよ。
今日はまだ忙しいらしいのでな」
「そっか、漁師のみんなに連絡をーっつってたもんな」
「そのようだ。
私が頼まれていた稽古も、明日からということでな」
「まぁそうなるか。
そんで、俺たちは明日からどうする?
いただきます」
「はいっ、召し上がれ~」
「感謝する、いただくよ。
……ひとまず、明日は私が海の警備に出るつもりだ。
トーヤ殿は、交易の仕事で街に用があるのだろう?」
「んー……そうだな。
平日のどっかでスタッグさんのところに行くって約束だから、明日か明後日かってとこだが」
「ふむ……。
であれば、明日は三人で警備に出るとするか?
スタッグ殿の方も、明日すぐというのは都合がありそうだ。
それにトーヤ殿も、交易の話が動き出してしまえば連日海岸に出れなくなることもあるだろうからな。
今のうちに、警備の勝手を知っておいた方が良いかもしれん」
「たしかに、それはそうだな。
スタッグさんも協会の会長さんってことだし、後半もブランシュの言う通りになりそうだ。
んじゃ、明日は一緒に警備の仕事を学ぶ一日にするとして……二人はどうする?」
サフィーアたちの方に目を向けると、両頬をいっぱいにしていたミラーヤが口に手を当てながらピンと耳を立てた。
「……ごくん。
えっと、わたしはひとまずおそうじでしょうか?
しばらくここをお借りするなら、一度すみずみまできれいにしておきたいです。
あとはみなさんのごはんを作ったりもそうですけど、今日のぶんのお洗濯もありますので……」
「ああ、そうか。
ミラーヤは家のことをしてくれる役割になるよな。
あんまりここを空けるわけにもいかねぇし」
「はいっ!
なんだか、いつもお城でやっていることと変わりませんね。
えへへ」
「いや、ある意味一番大事な役割だからな。感謝しかないよ。
サフィーアはどうだ?」
「私は……急ぎの用はないかしらね。
少し気になったことがあるから、そのうち街に出ようとは思っているのだけれど」
「んじゃまぁ、それはそのうち付き合うとするか。
我らが王様に、一人で外を歩かせるわけにはいかねえからな」
「ふふ、ありがとう。エスコートに期待しているわ。
ひとまず私のことは後回しでいいから、あまり気にしないで頂戴ね。
ここに慣れるまでは、ミーチカと一緒にゆっくりしているわ」
「ああ。
手が空いたら声をかけるよ」
「トーヤさん。
スープのおかわり、いりますか?」
「ん、頼むよ。ありがとな。
……じゃあひとまずこれで、全員分の動きは決まった感じか?」
「そうね。
忙しいわけではないけれど、気は抜けないみたい」
「なに、我々にはそのぐらいが丁度いいのだろう。
あまり旅行気分でいすぎても、身体が鈍ってしまうのでな」
「たしかに海のことも気になるし……それ次第で、交易もどう転ぶかわからねえしな。
いつ何が起こるかわからねえが、しばらくは目の前のことをこなしていくしかないか。
せっかくいい住処も用意してもらったことだしよ」
「ふふ……。
それでいえば貴方、ここの提案には二つ返事だったものね。
リエラの言っていたふわふわのベッドが、よほど魅力的だったのかしら?」
「うるせえ。
どちらにせよ、俺たちにとって活動拠点は必要なモンだったろ?
それに、色々と好条件だったのは事実だ」
「トーヤ殿の言う通りだ。
護衛の面から考えても、一国の王をただの宿に泊まらせ続けるわけにもいかんからな。
きっとトーヤ殿も、それを考えた上で返事を……」
俺が苦い顔をしていると、それに気付いたブランシュが言葉を止める。
「……すまない。
野暮だったか」
俺があえて伏せていた言葉を言ってしまったことに、ブランシュも気付いたらしい。
サフィーアのことを心配して……などと俺が言ってしまうと、また彼女に揶揄われるのは自明だからだ。
そしてもちろん、サフィーアもそれをわかった上で俺から言葉を引き出そうとしていた節があるのだろう。
「ふふ……いいのよ、ブランシュ。
トーヤの優しい気持ちは、ちゃんと伝わっているわ」
「はぁ……。
王様のお食事は、どうやら俺よりもずっと美味しいようで」
「わふ……?
わたしは、フィーニャにもトーヤさんにも、おんなじお料理をお出ししてますよ……?」
おかわりを持ってきたミラーヤの言葉を聞いて、サフィーアはまたころころと笑ったのだった。
────
──
「それじゃあ、おやすみなさい」
「おやすみ」
「ああ」
「おやすみなさい、みなさん!」
明日の準備を整えた俺たちは、二階の部屋の前で解散した。
俺とブランシュはそれぞれ一人部屋に。
ミラーヤとサフィーアには、いつも通り大きい部屋を一緒に使ってもらうことにした。
「さて……明日の準備でもして、寝るとしますかね」
思えば、今日一日で色んなことがあった。
というか、ペルエットにきてからドタバタしっぱなしとも言える。
(リエラに出会って、観光して、海で遊んだかと思えば、命の危機に巻き込まれて……最後は魚が獲れなくなるかもときたもんだ。
仕事も海も心配だが……リエラのことも、だな)
我ながら考えすぎなのかもしれないとは思うが、気がかりであることは事実だ。
何もかもすべてが上手くいくとは限らないものだが、やはり今はやれることをやるしかないのだろう。
(おっ。
この枕、俺が買ったのとはまたちょっと違うな……)
しかしどれだけ異国の地といっても、変わらないものはある。
それは、俺が一番よく知っていることだ。
(……ま、皆がついてんだ。なんとかなるだろ……)
適度な疲労にどこか心地良さを覚えつつ。
俺は、昨日よりも近い波の音に意識を流していくのだった。




