第50話「砂と、白磁」
「うむ。
やっぱ、魔法ってのは便利だな」
適当な砂地にパラソルを刺し、宿から持ってきた藁の敷物を広げる。
敷物の端には砂を盛り、とりあえずの安定性を確保。
そして最後に魔法で自分の周囲を適度に冷やせば、砂浜でも涼しい拠点の完成だ。
「季節的には秋なんだろうが、直射日光があたるとまだ暑ぃしな……。
つくづく、自分が時魔法の使い手でよかったと思うぜ」
時魔法の便利さに感謝しつつ、あぐらをかいて潮の香りや海の景色を楽しむ。
普段はインドア派の自分も、ここまで快適であれば海に出るのも悪くないと思えたのだった。
「あら、もう準備をしてくれていたのね。
ありがとうトーヤ」
「ん、おう……」
横から届いたいつもの声に、反射的にそちらに首を向ける。
すると予想通り、そこにはサフィーアがいた。
───普段彼女が見せないような、大きく肌を露出した格好で。
「……なるほど」
ここは砂浜で、今日の俺たちは海水浴をしに来たのだ。
俺が水着であるならば、彼女も当然そうだろう。
「ふふ……どう?
水着は着慣れないのだけれど……変じゃないかしら?」
だがその姿に、俺の意識は不意打ちを食らっていた。
「いや、まぁ……。
……いいんじゃないか?」
「ふふふ……なあに、それ。
折角時間をかけて選んだのだから、もっとちゃんと見て頂戴な」
そう言って、サフィーアは着心地を確かめるようにその場でくるりと回る。
輝く銀の髪と、空を映したような青いパレオ。
そして肩にかかった透明なショールがふわりと揺れるたびに、俺の目を奪った。
───意外だったのだ。
彼女がこういった格好をすることが。
白磁のような肌と、細く小さい肢体。頭に被せられた大きめの麦わら帽子。
そしてそれらの可愛らしさに反して、女性らしさを強調した白いビキニに、大きく露出した肩や背中。
しかしそれを含めてもなお『美しい』と思わせるほどに、それら全てを彼女は上品に着こなしていた。
それは彼女の仕草や立ち姿からもたらされるものなのだろうが……俺の脳は少しの間、確実に思考を止められていた。
「……綺麗、だ」
そんな月並みな言葉が、俺の意思をすり抜けて零れ落ちる。
「まあ……ふふ」
しかし、サフィーアにとってはそれで十分だったらしい。
「よく言えました。
貴方にしては、上出来ね」
「……」
言った後に、自分の口をついた言葉に後悔する。
「……やっぱ、今のナシだ」
「あら、どうして?」
「どうしてもだ」
「ふふ……恥ずかしがらなくてもいいのに。
とっても嬉しかったわよ、私は」
そう言って、俺と同じ日陰にサフィーアは座った。
「……ったく」
「いいじゃない。
もうすぐあの子たちも来るから、同じようにちゃんと褒めてあげなさいね。
昨日は皆、とっても時間をかけて水着を選んでいたのだから」
「いや、なんで俺が……」
「女の子を褒めてあげるのも、男の子の役目だからよ。
ね?」
「……はぁ」
からかわれているのか、何なのか。
サフィーアのこういった女性の部分に、俺は幾度となく翻弄されている気がした。
「それにしても……良い場所ね。
海や空はとっても澄んでいて、砂浜はどこまでも続いているかのようだわ」
「まぁ……そうだな」
俺たちの目の前に広がるのは、曇りのない空と、透き通る海。
そして水平線にも負けないほど左右に広がった砂浜。
この浜はおよそ南北に、町全体と同じだけ広がっているのだろう。
昔の人々が砂浜を基準に町を作ったのか、それとも長い歴史の中で自然とそうなったのか。
ペルエットの歴史はわからないが……とにかくそのおかげで、今日の俺たちは人がまばらな状態の海を存分に楽しむことができそうだ。
「ま、暑さで倒れないように気を付けろよ。
サフィーア様は」
「ふふ……そうね。
ありがとう、トーヤ」
いつも通り、俺の毒はサフィーアにとって善意として飲み込まれたようだ。
「おまたせ、二人ともー!」
そして次に聞こえたのは、リエラの声。
「ん……おう」
そちらに目を向けると、同じく水着に身を包んだ三人の姿があった。
……なぜかブランシュは、リエラに背中を押されながらだったが。
「すみませんっ!
先にちょっと置かせてもらいますね、トーヤさん!」
「ん? ああ……」
ミラーヤがなにやら両手で籠を抱えながら、こちらに向かってくる。
「……何が入ってんだ?」
「タオルと、本です!
本はフィーニャ用ですね……っとと!」
だから重そうだったのか、と思った矢先。
俺の眼前で、オレンジ色の何かが大きく揺れた。
「ふうっ……。
おもかったです……!」
その光景の正体は、籠を俺の目の前に置いたミラーヤの水着だったらしい。
(……いやいや)
重いものを手放した後に、さらに胸を張りながら腕を後ろに伸ばすミラーヤ。
なるほど。彼女の身に着けているものはサフィーアと違い、とてもシンプルらしい。
オレンジ色で、白い水玉模様が入ったセパレートの水着。ただそれだけ。
昨日買ったのであろう花の髪飾りと、尻尾の根元にくくりつけた大きなリボンが特徴的だったが……その姿自体は、とても健康的なビキニスタイルと言っていいだろう。
が。
彼女は、この場の誰よりも『女性らしい』身体の持ち主だ。……あらゆる意味で。
およそ健康的にすくすくと育ったのであろうそれと、眩しいほど健康的なビキニが合わさり。
(───逆に、不健全な光景になってねぇか……?)
そんな感想を抱くほどに、それらは彼女の特徴にマッチしすぎていた。
「どう、トーヤくん?
アタシたちの水着!」
次に俺の目に入ったのは、リエラの姿。
こちらはカラフルなトップスにホットパンツ姿と、海に慣れた人間のスタイルに見える。
水中でも地上でも動きやすそうな恰好は、彼女の活発な印象にピッタリだった。
手首につけたシュシュも合わさり、まさにイメージ通りと言ったところだろう。
「……あまり他人に見せびらかすものでもないのではないか。
こういった姿は」
「そんなことないよ!
ブランシュさんは特にスタイルいいんだから、もっと胸張ってこ!」
そう言って背中を押されたブランシュは、真紅の水着に身を包んでいた。
ミラーヤと同じビキニスタイルで、露出が多い……と思いきや、およそ開放的とは呼べない装いだった。
赤い水着の上に、黒いハーフジャケット。
腰回りにはベルトが二本と、それに下げられたいくつかの革のポーチ。
そして反対側には、いつものロングソードが鞘に納められた状態でぶら下がっていた。
ブランシュ自身が前で腕を組んでいるということもあり、最低限の肌しか露出していない。
その姿は、水着というよりも『水辺での警護装備』といった印象だ。
「俺たち、海水浴に来たんだよな……?」
「……トーヤ殿は息抜きだと言っていたが、いつ何が起こるかはわからんからな。
それに私がこの旅についてきた理由は、あくまで皆の警護だ。
最低限の装備くらいは、携帯すべきだろう」
「そう言って貴女は、昨日も何かにつけて身体を隠そうとしていたものね」
「ほんとにねー!
『見た目よりも機能性だ』とか言って、全然オシャレな水着選ぼうとしなかったし!」
「いや、私はただ……」
なるほど。
たしかにブランシュは、普段から鎧を着こんでいた人物だ。肌を露出するということ自体に慣れていないのも頷ける。
だからこそ、このように各種装備や剣を身に着けて身体を隠しているのだろう。
もちろんそれには、女性としての羞恥心もあるのだろうが……それだけではないように思える。
軍人として、無防備な状態でいることへの抵抗。
俺たちを護るという任務への、責任感。
そしていつか彼女も言っていた、傷跡の多い自身の身体への負い目。
それら全てが併さり、彼女は今のような格好を選択したのだろう。
だが同時に、俺はそれらの要素全てがブランシュという人間を正しく表しているようにも見えた。
「でもでも、ブランシュさん。
そんなにたくさん荷物を持ち運んでたら、海に入って遊べませんよ?」
「そーだそーだ!
アタシたちは遊びにきたんだからね!」
「しかし……」
「ブランシュさんっ。
一緒に海に入るときは、外してくださいね?」
「……わかった、考えておこう」
ブランシュの答えを聞き、ミラーヤとリエラは手を組んで小さな歓声をあげた。
これだけの重装備も、女の子二人の前では意味をなさないらしい。
「それで、どう?
トーヤくん」
「ん?」
「アタシたちの格好。
男の子として、なんか言うことあるんじゃないのー?」
そう言って、リエラは少し腰を曲げてポーズを取る。
「いや、まぁ……。
可愛いと思う、ぜ。
みんな似合ってる、っつーか……」
「いえーい! トーヤくんから褒められたー!
昨日たくさん悩んだ甲斐があったね、ミラーヤさん!」
「えへへ……そうですね。
ほんとは、ちょっぴり恥ずかしいですけど……」
はにかむミラーヤと、片手をあげて喜ぶリエラ。
よくわからないが、男の感想というのは彼女たちにとってそれなりに重要なものらしかった。
「そんなことないよっ。
ここはペルエットなんだから、みんなが水着でいるのはフツーのこと!
周りの人たちも、恥ずかしがってる人なんていないでしょ?」
「そ、そうでしょうか……?」
リエラに言われ、俺も改めて周りを見回す。
たしかに彼女の言う通り、この周囲の人々はごく自然に海を楽しんでいるようだった。
海に入っている人たちはもちろんだが、海沿いの通りを往く人たちも、普段着と水着の中間のような恰好で歩いていることが多い。
いつでも海に入れるように……というわけではないのだろうが、その解放感のある装いは、この町の人々にとっては普遍的なものなのだろう。
「たしかに、海水浴が初めての皆からしてみれば、ちょっと慣れないかもしれないけどさ。
でも、いつまでも恥ずかしがってたら遊べないのも事実だし。ね?」
「そ、それもそうですね……」
「よーし。
じゃあまずは、浅瀬で遊ぼうっ!
なんにしろ最初は水に慣れないとだからね!」
「はいっ、わかりました!」
「そうと決まれば、いくよみんなー!」
勢いよく拳を掲げたリエラだったが、帰ってきた返事は二つ。
「ふむ……。
では私はここで、皆の帰りを待つとしよう」
「私も、もう少しここからの汀景を楽しむことにするわ」
「えぇー、ここでじっとしてるってこと?
せっかく遊びに来たのに、もったいないなぁ……。
じゃあじゃあ、トーヤくんは来るよね?」
「え?
ああ……じゃあ、行くか」
「よっし、決まり!」
「俺も、あんまり泳いだりとかするつもりはなかったんだけどな……」
「あはは。
一回水浸しになったら、そんなのどうでもよくなっちゃうんだから!
それじゃ、れっつごーだ!」
「はいっ!」
後ろを振り向くと、サフィーアとブランシュがこちらに軽く手を振っていた。
(砂浜でのんびりとは……大人な楽しみ方なこって)
それだけを目で伝え、俺は二人を追いかけることにしたのだった。
────
──
「それーっ!」
「きゃあっ!
あはは、冷たいですよう。リエラさんっ!」
「トーヤくんも、それっ!」
「おう」
今度はこちらに水が飛んできたので、反射的に横に回避する。
「あ、ずるーい!」
「悪ぃな。
俺は、ミラーヤみたいに簡単に当たるつもりはねぇぜ」
ブランシュと鍛えた白兵戦の勘のおかげか、飛来する水飛沫を無意識に避けるくらいは造作もなかった。
「むむむ……たしかにトーヤくんは戦いでも強かったけど。
でもこうも簡単に避けられると、なんか腹が立っちゃうね!」
「ふははは。
なら、当てれるモンなら当ててみな」
少し距離を取って、わざとらしく挑発してやる。
「むうー!
ミラーヤさん、こうなったら二人で協力するよ!」
「えっ、えっ?」
「あの澄ました男を、水浸しにしてやるんだ!
せめてポケットに突っ込んだ手ぐらいは出させてやらないと、気が済まないよ!」
「と、トーヤさんに水をかければいいんですね……!」
「そうっ!
じゃあ勝負だトーヤくん!
海で生まれ育った人間の実力を、見せてやるー!」
「いいぜ、いくらでもかかってこい。
いや……かけてこい、だな」
そう言って、再びばしゃばしゃとこちらに向かって水が飛んでくる。
「ほい、ほい。っと……」
無作為に飛んできた海水を、ステップを踏むように回避する。
「ミラーヤさんそっち!」
「あ、はいっ!」
二人は俺を囲むようにして、左右から水飛沫をあげる。
しかし、さすがに実戦に比べれば児戯のような攻撃。
そのため俺は、避けながら二人の動きを観察する余裕すらあった。
「あ、当たりません~……!」
「水の上なのに、なんでそんなに動けるのー!?」
「さあ、なんでだろうな……っと」
彼女たちは引き続き全身を使い、大きく掬い上げるような動きでこちらへ水を飛ばしている。
特にミラーヤに関しては、その動きでどうしても身体の一部が大きく揺れるため、その度にそれが俺の目を引いた。
……無論、それとは尻尾のことだが。
「うむ……健全極まりないな」
「ぐぬぬ……!
逃げてばっかりで卑怯だよ、トーヤくん!」
「ん、反撃していいのか?
そっちのが大人げなくなると思うぜ」
「それは……そうかもだけど……!」
そして暫く水で遊んでいると、ミラーヤが中腰になって足を止めた。
「ふぅ、ふぅ……。
水の上って、思ったより動きづらいですね……!」
「ありゃ。
ミラーヤさん、しんどくなってきた?」
「あ、だいじょうぶです!
ちょっと、まだなれないだけで……って、わわわ!?」
ばしゃん! と。
水の中で何かを踏んだらしく、ミラーヤが尻もちをついてしまった。
「大丈夫、ミラーヤさん?」
「えへへ、平気です。
ちょっところんじゃいました……」
「手、貸すぜ。
怪我がなけりゃいいんだが……」
「ありがとうございます、トーヤさんっ!
痛いところはないんですが……でも……」
俺の手を借りて立ち上がったミラーヤが、ちらりと後ろを振り向く。
「どしたの?」
「しっぽが……びしょびしょになっちゃいました」
「尻尾が……?」
「はい……。
こうなると、とっても重くってですね……」
「あぁー……」
「なるほどな。
獣人ならでは、ってことか」
「はい……。
わたしのしっぽは、毛が多いので……」
そう言って、ミラーヤはこちらに背中を向ける。
「ホントだね。
見事に水を吸っちゃってる……」
「うーむ。
無造作に絞るわけにもいかないしな……」
「でも、だいじょうぶですっ。
ちょっとはしたないですけど、こうすれば……!」
その声と共に、不意にミラーヤが全身を震わせる。
「ん?
……わっぶ!!」
胸の前で腕を抱え込んだまま、尻尾を大きく振り回すミラーヤ。
その拍子に、俺の顔が濡れた尻尾の先に見事に命中してしまったのだ。
「トーヤくん!」
「と、トーヤさんっ!?
すす、すみませんっ!!!」
「……ああ、大丈夫ではあるが……」
ぽたぽたと、俺の顔から雫が零れ落ちる。
「あ……でも」
「と、トーヤさんが水浸しに……?」
「……こりゃ、一本取られた。か」
俺の手はポケットから出ており、顔も水浸しになってしまった。
勝負は、俺の負け。ということだろう。
「あはは!
さすがだね、ミラーヤさん!」
「はぁ……。
まさか、ミラーヤにしてやられるとはな」
「え、えとえと!
わたし、そんなつもりじゃ……!」
「でも、勝ちは勝ちだよミラーヤさん!」
リエラは、ミラーヤの手を取って上に挙げる。
「いえーい!
トーヤくんに一泡吹かせてやったー!」
「な、なんだか複雑なきぶんです……」
「ふぅ……。
じゃあ、こっちもそろそろ仕返しといくか」
「お、今度はトーヤくんがやる気だ?」
「ああ。
こちとら、不意打ちを食らったんだ。
容赦なく行くから、覚悟しとけよ……!」
わざとらしく歯を見せながら、準備運動をするように何度か膝を曲げる。
「わー、トーヤくんが本気になった!
ミラーヤさん、早く逃げよう!」
「え、えっと、はいっ!」
「はっ。
逃がすかよ……っ!」
水音を立てて逃げる二人を、俺は蹴り上げた水の一閃で追撃する。
もちろん今の俺が全力でやってしまえば本当に水の刃になりかねないので、ほどほどの力でだ。
「きゃーっ!
ホントに容赦ないーっ!」
「えへへ……。
なんだか楽しいです!」
「へっ。
そう言って余裕ぶってられるのも、今の内だけだぜ!」
「ミラーヤさん、今度は転ばないように手繋ぐよっ!」
「はいっ!」
────
──
「ふふ……。
楽しそうね、あの子たち」
「ああ。
彼女たちのあのような姿を見ると、こちらも本当に観光気分になってくるな」
「観光なのよ、本当に。
貴女も肩の力を抜いて、楽しんできたらどう?」
「ふっ、何を。
それを言うなら、サフィーア殿が先に行くべきではないか?
警護のこともある上に……そもそも私は彼女たちよりも一回り年上なのでな。
このような見た目の女が彼らに混じってはしゃいでいたら、それこそ異様だろう」
「そんなことはないと思うわ。
私から見たら、貴女も十分子供だもの。
年齢の話をするなら尚更、ね」
「なるほど……。
いつもサフィーア殿に子供扱いをされているトーヤ殿の気分は、こういうものだったか」
「ふふふ……。
不快に感じたのなら、ごめんなさいね」
「いや……そういうわけではないのだがな。
ただ、サフィーア殿の見た目でそう言われると、どうにも違和感が拭えんものだ」
「トーヤも、同じことを言っていたわね」
「サフィーア殿の見た目は……それこそ、私が家を出たころのマリーと同じような背丈だろう。
未だに、あなたが何百年と生きているという事実には慣れないよ」
「だからこそ、かしらね。
私だって少しは海を楽しみたいと思っているのだけれど……大人の私があの子たちに混ざるのは、やっぱり。ね?」
「……ふ。
なんだ、サフィーア殿も遠慮していたのではないか。
それも私と同じ理由で」
「ええ、どうやらお互い様だったみたい。
……なんだか可笑しいわね」
「ああ、そうだな。
彼女たちはあれだけ熱心に遊びに誘ってくれたというのに」
「そうね。
リエラの言った通り……勿体ないことをしたかしら」
「ふ……そうかもしれんな。
では、彼女たちが再び海に誘ってくれた時は。
我々も『折れる』ことにしようか」
「ふふ……そうしましょうか。
『仕方なく』、ね」
「ふっ……」
「……ねぇブランシュ。
笑ったら喉が乾いてきちゃったわ」
「ああ、私もだ。
飲み物を買ってこようか」
「ありがとう。
そろそろあの子たちも海からあがってきそうだから……人数分、頼めるかしら?」
「無論だ」
━━━━
━━
「らっしゃい!
注文なら聞くぜ」
砂浜から街側に、石段を数歩上がった場所。
未だ砂が混じる石畳の道沿いに、その屋台はあった。
「飲み物はあるだろうか?
5人分だ」
「おう、もちろんよ。
水に紅茶に、この場で果物だって絞れるぜ。
もちろん酒もな、ホップでもグルートでも」
「ふむ。
屋台にしては、品揃えが多いのだな……」
「ハハ、ありがとよ。
うちは色んな果物を取り揃えてるんでね。
味だって、どれも一級品だぜ」
私一人が飲むのであれば、水で十分……なのだが。
今は海を楽しんでいる皆のために買いに来ているのだ、少しばかり気の利いたものを選ぶべきだろうか。
「もし迷ってんなら、ココモヤがおすすめだぜ。
誰にでも飲みやすいだろうよ」
「ココモヤ……?
そういうものがあるのか」
「なんだお姉さん、ココモヤを知らないのかい?」
「ああ。
我々は、最近他国から来たものでな。
……ペルエット特有の果物か?」
「へぇ、そうかい。
ま、他の国に無いってんならそうなんだろう。
とにかくココモヤの絞り汁ってのは、甘くてスッキリしてんのが特徴でな。
今日みたいな日に海水浴をするってんなら、ピッタリだぜ」
「ほう……。
ではそれをいただけるか」
「あいよ。
5人分でいいのかい?」
「ああ、頼む」
「器は」
「ん?
ああ……そういえば、持ってくるのを忘れていたな。
そちらで用意できるだろうか? 買い取らせてもらうよ」
「構わねぇが……木製のタンカードになるぜ。
持ち手がついた、ビール用のヤツだ。
値段も、そこいらで買うのと同じになっちまうが」
「構わない。
これで賄えるならな」
私が台の上に置いた金貨を見て、店主は驚いたように笑う。
「ハッハッハ! 羽振りがいいね、お姉さん。
気に入った、タンカードは新品にしといてやるよ」
「ありがたい」
そう言って彼は清潔なタンカードを取り出し、続けざまにナイフを手に取った。
彼の手の中で、茶色く硬い殻に覆われた果実が次々と切り開かれ、中の白い汁が器に注がれていく。
独特の爽やかな匂いを発したそれこそが、ココモヤと言われる果実なのだろう。
「あいよ、お待ち!」
「いい香りだ。
いただこう」
「おう。
気に入ったら、帰りにでもまた寄ってくんな。
ウチは夕方までやってるからよ!」
「考えておくよ」
威勢のいい店主に返事をし、5人分の器を両手に持つ。
木製のタンカードに入ったそれは、こう見ると確かに酒に見えなくもないが……持ちづらいグラスに注いでもらうよりはマシだったのだろう。
───そんなことを考えながら海の方へ戻ろうとしたところ、ひとつの声が耳に入った。
「ちょっと……やめて下さい……っ」
「はは。
なんだお姉さん、嫌がってる姿も可愛いじゃん?」
「ホントに、私たちはそういうのじゃ……」
「へへへ。
いいじゃねえか、ちょっとだけだからよ。
俺らとイイコトして遊ぼうぜ、な?」
「そうそう、悪いようにはしないからさ。
一緒に遊んでたら、ゼッタイ楽しくなってくるって!
だから俺たちと、ひと夏の思い出作っちゃおうぜ?」
「い、や……っ」
どうやら、男二人が水着姿の女性二人組を無理に誘っているらしい。
彼女たちの腕を強引に引っ張るその姿は、一歩間違えれば暴漢そのものだった。
(……どこにでも、下衆な輩はいるものだな)
彼らの醜態に呆れながらも、私の足は自然とそちらに向かっていた。
「───そのあたりにしておけ」
「おん……?
なんだ、テメェは」
「私が誰だろうと、関係あるまい。
その手を離せと言っている」
「あぁん?
俺たちに指図するなんて……って」
そこまで言って、男たちは私の姿を改めて観察した。
「はは。
なんだと思ったら、お姉さんも結構イケてんじゃん」
「へへへ……そうだな。
姉ちゃんも、俺たちと遊びたいのか? なら初めからそう言ってくれよォ。
それとも、手に持ってるソレは俺たちのために……ぅぐッ!?」
ふらふらとこちらに近付いてきた屑の鳩尾に膝をくれてやると、男は簡単に崩れ落ちた。
「ぁ、が……っ」
「他人に手を出すのであれば、やられる覚悟くらいはしておけ」
「てめえ……っ!
誰に手ェ出したと思って……!」
「ふっ……!!」
逆上して殴りかかってきたもう一人の側頭部に、すかさず蹴りを見舞う。
「あ……ぐ」
軽薄そうな男は衝撃に目を剥き、そのまま無防備に倒れてしまった。
「その程度の実力で、よく他人に拳を上げようと思ったものだな。
……尤も、もう聞こえていないのだろうが」
下衆二人が気絶したのを確認し、構えていた足を地に下ろす。
「やれやれ……。
弱い者ほどよく吠えるというが……さすがに呆気が無さすぎたな」
「……あ、あのっ!」
「ん……?」
振り返ると、さきほど襲われていた女性が二人。
「あ、ありがとうございました!」
「私たち、本当に困ってて……助かりました!」
とうに逃げたものだと思っていたが……どうやら、彼女たちはそこで見ていたらしい。
「……気にするな。
私が勝手にやったことだ」
「で、でも。お姉さんの脚、すごく綺麗で……じゃなくて。
とっても強くって、感動しました!」
「はい、何かお礼をさせてください!」
「不要だ。
あちらが弱すぎた故に、飲み物も零れていない」
「で、でも……!」
更なる面倒ごとに巻き込まれない内に、海岸の方へと踵を返す。
「……女性だけで出歩くのであれば、次からは気を付けることだ。
もしくは、もっと大きな声で助けを求めるといい」
「……は、はいっ!」
「ありがとうございました!!」
━━
━━━━
「戻ったぜ、サフィーア」
「おかえりなさい」
「ただいまです、フィーニャッ!」
「ただいま、サフィーアちゃん!」
「ふふ……とっても楽しそうだったわね」
「あはは。
結局みんな水浸しになっちゃったからねー!」
「えへへ……はいっ」
「俺なんか、最後は二人から一方的に水をかけられ続けたんだぜ……。
って、ブランシュはどうした?」
「ちょうど飲み物を買いにいってくれているわ。
私たちみんなの分のね」
「そっか、そりゃ申し訳ないな」
「もうすぐ帰ってくるはずなのだけれど……」
「あっ、あちらじゃないでしょうか?
ブランシュさーん!」
ミラーヤがブンブンと手を振る方へ目を向けると、こちらに歩いてくるブランシュの姿が。
「お、マジだ……って。
なんか、後ろの方に誰かついてきてないか……?」
「ありゃ、ホントだね……。
距離もあるし、追っかけられてるってわけじゃないっぽいけど……」
その赤い姿の後方には、人影がふたつ。
俺たちがそれを凝視していると、間もなくブランシュがこちらへ辿り着いた。
「待たせたな」
「おかえりなさい、ですっ。
その真っ白なのが、お飲み物ですか?」
「ああ。
ココモヤというものらしいが……皆の口に合うだろうか」
「わ、ココモヤ!?
ありがとうブランシュさんっ!
これを嫌いな人なんていないから、大丈夫だよ!
アタシも大好きだもん!」
「わぁ……そうなんですね。
ブランシュさん、ありがとうございます!」
「助かるよ、ブランシュ。
……ってか、後ろの方で隠れてこっちを見てるあの二人組は、何なんだ……?」
「あれは……。
そうか、まだついてきていたのか」
そう言って、ブランシュはもう一度さりげなく後ろを一瞥する。
「ブランシュさん、もしかして追いかけられてるんです……?」
「いや、あれは……恐らく、先ほど関わった二人だな。
暴漢に襲われていたところを、私が代わりに蹴り伏せてやっただけだが」
「助けたってことか……?
飲み物を買ってくるついでに」
「成り行きで、な。
しかしその後、『ぜひ礼を』とせがまれてな。
無論、私は断ったのだが……大方まだそれを諦めていないのだろう。
律儀な者たちだ」
「あらあら、人気者ね……?」
ブランシュはそう言っているが……少し先から目を向ける彼女たちの視線は、間違いなく黄色い類のものだった。
純粋に礼をしたい、という想いとはやや毛色が違っても見える。
「……まぁ、ブランシュの見た目なら、女性に人気が出るのも当然か」
「あはは……ちょっとわかるかも。
ブランシュさん、かっこいいもんね」
「えへへ……とってもわかります!」
そうして俺たちは、ブランシュにまた煙たがられないよう、彼女の聞こえないところでそっとその活躍を称えるのであった。
毎日昼12時に、一話ずつ投稿予定です




