第45話「爪と、牙」
そして、適度に休みながら進むことさらに一日半。
大気に満ちるマナの感触も、すっかり水流魔法のものだけに変わってしまった頃───。
「……においます」
「ん?
どうした、ミラーヤ」
山岳を抜けたあたりの雑木林で、うちの嗅覚担当が鼻をピクピクと動かし始めた。
「なんだか、独特のかおりが……」
「……危険な類のものか?
ミラーヤ殿」
「あ、いえ。
そうではないんですが……なんでしょう。
嗅いだことがあるような、ないような……」
(……もしかして)
まさか、数日間風呂に入っていない俺たちの体臭のことだろうか……と一瞬思ったが、そうではないだろう。
そもそも昨日は道中の泉で沐浴をしているため、全員ある程度は清潔なはず───というのもあるのだが、俺が思い当たった理由はそこではない。
この匂いは、俺が何度も嗅いだことがあるものだったからだ。
むしろここにいる誰よりも、俺にこそ馴染み深いものだろうとさえ思えた。
「……ひとつ心当たりがある。
皆はここで待っててくれ」
「ちょっと、トーヤ?
どこに……」
おもむろに鞄を地面に置くと、全員の視線が俺に集まる。
が、それに構わず膝を曲げ、脚全体に思い切り力を込めて───。
跳躍。
その勢いに、足先はすぐに頭の高さを超えた。
身体が重力に引かれる前に、手近な枯れ木に足を乗せ、再び跳躍。
そのまま何本かの木を乗り継ぎながら蹴り上がっていくと、すぐに一番高い木のてっぺんに到着した。
「よし、っと」
最後に、少しばかり頑丈そうな枝の上に立ち、匂いのする方へ目を凝らすと。
───そこには、蒼に染まる水平線が広がっていた。
(おっ。
ついに、見えてきたな……!)
蒼と青、それらを分かつ光の境界線に、その上を揺蕩う入道雲。
俺は今回の旅の本懐であるその景色に期待を膨らませ、足早に木から飛び降りた。
「よっ、と」
「何か見えたの?」
「ああ、ばっちり見えたぜ。
でけぇ港町と……それよりもっとでけぇ、海がな」
「海、ですか……!
じゃあ、じゃあ……!」
「徒歩での旅も、ようやく終了だな。
ミラーヤが言った独特の匂いってのも、潮の匂いだったってことだ」
「わあ……!!
聞きましたか、フィーニャ!
海ですよ、町ですよ!!」
ミラーヤが尻尾を揺らしながら、ぴょんぴょんと飛び跳ねる。
「ふふ……そうね」
「距離はどれぐらいだ? トーヤ殿」
「今までの旅路に比べりゃ、もう目の前だぜ。
この雑木林を抜けたら、右側に街道が見えてくる。
その道を辿れば、あくびでもしてる間についちまいそうだ」
「そうか……。
であれば、今日は久しぶりに安全な場所で寝られそうだな」
「ええ。
やっと、暖かいお風呂にも入れるのね」
「俺も、まともなベッドがそろそろ恋しくなってきてたからな。
寝袋やテントとオサラバできるのは、嬉しい限りだぜ」
「じゃあじゃあ、さっそく向かいましょうっ!
あと一息です!」
「おう。
魚料理が、俺たちを待ってるぜ」
そして置いていた荷物を背負い、俺たちは足音高く歩き始める。
────
──
「ふむ……これが街道か」
「ああ。
道筋通りにこの丘を越えりゃ、街が見えてくるはずだ」
俺たちのいるこの場所は、小高い丘。
ここを超えれは緩やかな下り道が続いており、その先が港町となっているはずだ。
町はどうやら丘に囲まれている地形となっているらしく、高所からでないと存在に気付けなかったのも納得だ。
「薄っすらとだけれど、車輪の跡があるわ。
その町に人が住んでいるのは間違いなさそうね」
「そりゃそうだろ。
あんだけデカい町が、全部廃墟だったら怖ぇよ」
「可能性がゼロとは言えないでしょう?
トーヤのいた世界と違って、フォルジア大陸では国家間の交流が無いんだもの」
「うーむ……。
じゃあ極論だが、知らない内に隣の国が滅んでても気付かないかもしれない。ってことか?」
「そういうことでもあるわね。
言い方は物騒だけれど」
「それはまた、ドライっつーかなんつーか……」
「そんなものよ。
特にクロキアは、寿命や体質から特異な国のはずだから。
外からの情報に鈍感という点はあるでしょうね」
サフィーアにとっては当たり前だが、俺のいた世界とは明確に違う感覚。
やはり毎度忘れかけた頃に、ここが俺の元いた場所とは異なる世界であることを認識させられる。
「しかし、現実的にわかるのは……我々が町を一つ飛ばして来てしまったということだな」
「……っつーと?」
「気付かないか?
この街道は、西に伸びているのだよ。
そして道があり車輪の跡があるということは、この先に人が住む町があるということだ。
しかし……我々は、その町を経由していない」
「たしかに、ペルエットに入ってからはここまでずっと野宿だったが……もしかして」
「ああ。
我々が直線距離を突っ切ってきたせいで、わざわざ徒歩で陸の果てまで来てしてしまった。という話だな。
あくまで、可能性の話ではあるが」
「マジかよ……。
じゃあなんだったんだよ、俺たちの苦労は……」
「繰り返すが、可能性の話だ。
この道がすぐ南へ曲がっていて、西側には町が無かったということもあり得るだろう。
……薄い線であることには違いないが」
「……地図がねぇから、仕方無いことではある。か……」
「でもでも、わたしは楽しかったですよ!
みんなでのんびり歩いて、テントでお泊まりをして!」
「まぁ、その非日常的な部分が楽しくなかったと言えば嘘になるが……それでも、なぁ」
「ええ……。
もう少し楽をしたかったというのも、事実ね」
喜ぶミラーヤに反して、俺とサフィーアは悲喜交々といった感想だった。
────
──
「っと、見えてきたな。
あれがペルエットの港町か」
丘を越えたところ、予想通り目下に港町を見つけることができた。
が、その右手前に連なっている背の高い林のせいで、その全貌を見渡すことはできない。
港や砂浜といったものも、木々の向こうに隠れているのだろうか。
「わぁ……!
高いところから見ると、いい景色ですね!」
「そうね。
潮風も気持ちいいし……ゆっくり下っていきましょうか」
「はいっ!」
なんにせよサフィーアの言う通り、あとはこの草原の長い坂を下るだけだ。
浜や魚なども、町に近づけば拝むことができることだろう。
……などと考えていた矢先。
「……ん?
なんだありゃ」
「何か見つけたのか、トーヤ殿?」
向かって右手の、木々の中。
ちょうど俺たちの真右のあたりから、人影のようなものが姿を現したのだ。
「人……か?」
「わ、ほんとですね……。
おひとり、でしょうか?」
目の利く俺でようやく発見できるような距離だったが、その人影が大きくなるにつれてすぐにブランシュも視界に捉えたようだった。
「……ふむ。
こちらに向かってきている、か?」
「待て、人だけじゃねぇぞ。
ありゃ……」
時おり飛び跳ねるかのようにジグザグに走るその影は、どうやら何かを引き連れているようだった。
「後ろにいんのは、犬か……?
散歩にちゃ、やけに速い気がするが。
「……っ!
いや、あれは───」
俺の言葉を聞いたブランシュが、続けて大声を上げた。
「魔獣だ!!
皆、すぐにあの者に加勢するぞ!!」
「……は!?」
その一言に、思考を奪われる。
「走れ!!
あれはハウンド種だ、普通の人間が振りきれる相手ではない!!」
「ちょっ……!!」
俺が言い終わる前に、ブランシュは駆け出していた。
「い、行きましょうトーヤさんっ!」
「あ、ああ……!」
ブランシュの上げた土埃を被りながら、俺たちは走り出す。
俺たちの目にしたあれは、決して犬の散歩などではなかったのだ。
それはまさに、人が狼型の魔獣に追われている最中の光景だったのだろう。
(魔獣って……!
なんだって、こんな時に……!?)
『なぜ』という思考は捨て、全力で加速しブランシュの後を追う。
こちらが真っすぐに人影の元へ走っていると、どうやらあちらもそれに気づいたらしい。
彼は助けを求めるように手を挙げながら、こちらに進路を修正した。
俺は改めて、その背後に並ぶ魔獣に焦点を定める。
「やっていいんだな、ブランシュ!?」
「ああ、相手は魔獣だ!
容赦はしなくていい、必ず首を落とせ!」
「了解っ!」
ようやく声が届くかといった距離まで近づいたところで、ブランシュが剣を抜き、低く構えた。
俺もそれに合わせて足を止め、並ぶようにして迎撃の態勢を取る。
(数は五匹。
ってか、マジでデカめの狼じゃねぇか……!)
接近して初めてわかる、魔獣の巨大な体躯。
四足歩行だというのに、高さは俺の腰ほどまであるだろうか。
もしあんなモノに組み付かれたら、人間が肉片に変わるまで十秒とかからないだろう。
改めて剣を握る手に力を込めていると、件の人が俺たちのところへとたどり着いた。
「はあっ……はあっ……!!」
「よく逃げ切った!
そのまま後ろの二人のところまで走れ!!」
「……っ!」
返事をする余裕もないようで、彼女は茶色い髪をなびかせながら俺たちの横を通り過ぎた。
(女の子……!?
狼の群れにあれだけに追われて、よく保ったもんだな……!)
彼女がサフィーアたちの所へ辿り着いたのを横目で確認し、俺とブランシュは向かってきた狼に剣を振るう。
「ふっ……!!」
ブランシュの剣が血しぶきを上げながら先頭の一匹を切り裂いたところで、狼の群れは足を止めた。
そしてそのまま、唸り声を上げながら俺たちを包囲。
どうやら、標的は無事俺たちに変更されたらしい。
「気を抜くな、トーヤ殿。
野生動物は余計なことを考えてこない分、動きが速い。
特に魔獣となれば猶更だ」
「ああ」
俺たちは、背中を合わせるようにして剣を構え直す。
「こちらから動けば、動いた人間が背後を狙われる。
飛びついてくるのを待って、必ず一撃で首を落とせ」
「……了解だ」
そのまま神経を尖らせていると、後方から氷雪魔法が行使される気配と、サフィーアたちの話す声がこちらに届いた。
「お疲れ様。
よく頑張ったわね」
「はあ……はあ……。
助かり、ました……」
どうやら、サフィーアが巨大な氷壁を作り出して彼女を保護してくれたらしい。
「はいっ。
お水を飲んで、息をととのえてください!」
「ありがとう、ございます……。
んっ……でも、早くあの人たちに加勢しないと……!」
「あ、だめですよ。
無理しないでくださいっ」
「でも……!」
「大丈夫だから、そこで見ていなさいな」
「え……?」
「だってあの子たち、とっても強いんだもの。
私を守れるぐらいに、ね」
(よく言ってくれるぜ……!)
───サフィーアたちの声を聞き届けた瞬間。
「来るぞ!!」
一匹の狼が、ブランシュめがけて飛びかかった。
それにつられるように、他の狼もブランシュの腕や足めがけて牙を剥く。
「チッ……!!」
この距離では鈍化の魔法も、ブランシュを巻き込んでしまうため使えない。
包囲をすり抜けるようにしながら剣戟を繰り出すブランシュの邪魔をしないよう、横から一匹の腹を蹴り上げる。
(重い……っ!)
蹴り上げた足に伝わる、想像を遥かに超える重量。
そのまま倒れ込んだ狼の首に、俺はすかさず剣を振り下ろした。
ギャ、ゴ。
血の混じった断末魔と共に、狼の動きが止まる。
形がわかるほどに浮き出た筋肉と、まるで金属の刃のような爪と牙。
およそ俺の知っている狼の姿とはかけ離れたそれの首に、さらに剣をめり込ませていく。
しかしその肉は固く、筋はあまりにも太かった。
剣を押し込むほどに、ブチブチと肉を断つ感触が手に伝わってくる。
それは決して、切断などという綺麗なものではなく。
厚い毛皮に刃を突き立て、千切り、落とす。力任せの行為だった。
「くっ……!」
引き抜いた剣から、生臭く暖かい返り血が頬に飛び散る。
反射的にいつかの流血を思い出したが───相手が人間でない分、俺は多少の冷静さを保てていた。
「トーヤ殿!
次はそちらだ!」
気づけばあちらも、距離を取って一匹を仕留めたらしい。
残りの二匹が、俺に向かってバラバラに突進を仕掛けてくる。
「はあっ……息をつく暇も無ぇ、な……っ!」
腕の疲労を押しのけ、鈍化の魔法を展開。
俺の眼前一寸先で大きく開いた喉に、今度は下から剣を刺し込む。
「ほら、よっ……!!」
そして側面から足を狙って来ていたらしいもう一匹を、ブランシュの方へ蹴り飛ばす。
「よし……っ!」
それを視認したブランシュは、一瞬にして二本の剣閃を光らせる。
姿勢を崩しながら飛んでいった狼は、地面につく前に十字に断裂した肉塊と化していた。
「相変わらず、とんでもねぇパワーなこって……」
これで、五匹。
戦いの終わりを感じた俺は、貫いた狼をその場に投げ捨て、息をついた。
「うし、と……」
「よくやった、トーヤ殿」
「おう。
お疲れ、ブランシュ」
こちらに戻ってきたブランシュに手を挙げながら、俺は剣を鞘に仕舞う。
───が、ブランシュのそれは未だ抜き身のままだった。
「ん……どうした、ブランシュ?
鞘でもなくしたか?」
「いや、いい機会だと思ってな」
「え?」
「あれが見えるか、トーヤ殿」
ブランシュが剣で指した先には、異様な光景が広がっていた。
「……は?」
そこには。
首の骨を剝き出しにしながら、おかしな方向に垂れ下がった頭で。
───仲間の死骸に首を突っ込んでいる、魔獣の姿があった。
「あれは……俺が喉を貫いたヤツ……?
何してんだよ、あれ……。
生きてんのか……!?」
「ああ。
よく見ておけ、あれが魔獣の生態だ」
よく見ると、その魔獣の喉は動いていた。
「仲間の血を、飲んでる……?」
ぐじゅり、ぐじゅ、ずる、と。
何かが欠損した狼は、おぞましい嚥下を繰り返す。
そして、その度に。
抉れた首の肉が、少しずつ再生していた。
(どういう、ことだよ……!?)
あまりに非現実的で、あまりに凄惨な、野性。
俺はその光景に、本能的な恐怖を覚えずにはいられなかった。
「───さあ、最後の晩餐はそこまでだ」
ドス、と。
惨憺たる現実を終わらせるには単純すぎる音を合図に、魔獣は動きを止めた。
「これが、私が『首を落とせ』と何度も言った理由だ」
ブランシュは剣に付いた血を振り払い、ようやくそれを鞘に仕舞った。
「今の、って……」
「奴らは、首を落とさん限り動き続ける。
……いや、正確には首を落としても。だな」
「は……!?
じゃあ、どうやったら死ぬんだよ……!?」
「奴らが生きるため必要なのは、血の流れではない。
マナの流れだ」
「……じゃあ、仲間の血を飲んでたのは……」
「マナの補給だな。
肉体の欠損も、血の不足も。
奴らは全て、マナさえあれば補える」
「嘘だろ……」
「もちろん元となる肉体、そしてマナを吸収するための器官が無くなれば死ぬのだがな。
だがそれでも、奴らの命の半分はマナで出来ている。
故に、マナさえあれば肉体の大部分はどうとでもなるのだよ。
だからこう言い慣らわされているのだ。
『魔獣』、とな」
「……そういう、ことかよ……」
どうやら俺は、ようやく理解したらしい。
魔獣というものが、どういうものか。
ブランシュが日々戦っていた相手が、どういった存在なのかを。
あれこそが、この世界に潜む危険であり普遍。
そしてきっと、人々が魔法が無ければ生きていけないと言われている理由でもあるのだろう。
「終わったかしら?」
血の海から目を背けるように、涼しい声の方へと視線を移す。
気付けば、彼女らを囲っていた氷壁もすでに消滅していた。
「ああ……悪いな。
そっちも、無事だったか」
「ええ」
服についた汚れを払いながらあちらに合流しようとすると、件の女性がハッとしたように俺たちと目を合わせた。
「あっ……。
あのっ!」
「ん」
「えっと、あ、ありがとうございました!
アタシ一人だったら、きっと、今頃……!!」
茶髪───というよりも淡い橙色の髪の持ち主は、目を輝かせながら。
そして胸の前で組んだ手をわずかに震わせながら、そう言った。
「無事ならば、それで良いさ」
「だな。
……ってか、怖かったろ?
話すのは、震えが落ち着いてからでいいぜ。
あんなのに群れで追われちゃ、そうなんのも当然だ」
「あ、こ、これは……怖いのもあるんですけど。
でもそれ以上に、みなさんが信じられないぐらい強くって、驚いちゃって……!」
「え?」
「えっと。
もしかするとみなさん、旅の方───他の国から来た方、ですよね?」
「ああ、まぁ……そうだな」
「やっぱり……!
でも、すごい……。
アタシとそんなに歳も変わらないのに……」
言われて俺は、改めて彼女の容貌を認識した。
たしかに、見た目には俺やミラーヤとそう変わらないぐらいの年齢だろうか。
垢抜けたようで、まだどこかあどけなさの残る顔立ち。
そして、見るからに戦いとは無縁そうな服装をした───『普通の女の子』。
しかし彼女は、目の前で起こった事への恐怖と、確かな期待を持って俺たちを見つめていた。
「え、っと……。
じゃあキミは、ペルエットの国の人……ってことでいいんだよな?
多分、あっちに見えてる港町の……」
「そうっ!
古い言い方だと、水沫≪みなわ≫の民……なんて呼ばれてるけど。
フローエン生まれフローエン育ちの、リエラって言います!」
「へぇ、フローエンって名前の町なのか……。
俺はトーヤだ、烏兎 凍矢。
よろしくな」
「うんっ!
よろしくね!」
俺が手を差し出すと、リエラと名乗った女性は何の抵抗もなく握り返してくる。
「……って。
命の恩人さんに向かって、こんな言葉遣いはよくないよね」
「ああ、いいって。
俺たちも堅苦しいのは嫌いだからさ、そのままの方が助かる。
皆もそうだろ?」
俺が視線を横に向けると、皆一様に頷いた。
「……そっか。
そっか……えへへ」
すると彼女は嬉しそうにはにかんだまま、続けた。
「改めて、本当にありがとね!
えっとー……」
「ブランシュだ」
「ミラーヤです!」
「サフィーアよ」
「ブランシュさんに、ミラーヤさんと、サフィーアちゃん!
ホントのホントに……助かっちゃった。
……アタシ……」
そこまで言うと、彼女は急に力が抜けたように尻もちをついた。
「っと……大丈夫か?」
「あはは……大丈夫。
なんか、自分で思ってたよりも……疲れちゃってた、のかも」
へたり込んだ彼女の膝が震えていることを確認した俺たちは、再び目を合わせ。
一度荷物を置き、ここで一休みすることを決めたのだった。
────
──
「んで、リエラはなんでこんな所にいたんだ?
魔獣が出るような場所に……」
徐々に沈み始めた太陽の光を浴びながら、俺たちは草原で車座になる。
「あー……えっと。
色々理由はあるけどー……普段は、魔獣なんてまず出ないんだよね。このへんって」
「……言われてみれば、そりゃそうか。
出るとわかってたら、一人で来るわけないもんな」
「うん。
アタシも、魔獣を見たのは……人生で二回目、かな」
「そっか、そうだよな。
魔獣はそもそも数が少ないって話だったし……そりゃペルエットでも同じってことか」
魔獣の種類や出没する頻度などに関しては、俺も知識がない。
最も遭遇経験のあるブランシュに訊こうかとも思ったが、彼女は現在少し離れたところで哨戒をしてくれているので、聞けずじまいだった。
「でもホントに、みんなビックリするぐらい強かったよね。
もしかして、他の国の人たちって皆そうなの?」
「まさか。
サフィーアはクロキアでも魔法が得意な方で、俺はちょっとしたズルをしてるだけだよ。
ブランシュはフレイミアの人間だからってのもあるが……まぁ、あれはたしかに規格外の強さではあるか」
「クロキアと、フレイミア……!?
そっか、みんな別々の国から来てるんだね……!」
「はいっ。
わたしも、クロキアの人間ですよ。いちおう」
「そうなんだ……。
でもじゃあ、なんでそんな外国の人たちがペルエットなんかに?」
「お、よく聞いてくれたな。
それには深ーいワケがあるんだが……」
少し大仰に話し始めた俺を見て、サフィーアたちは眉を下げて静かに笑った。
俺はそんな視線を傍目に、この旅の目的をリエラにかいつまんで伝えたのだった。
────
──
「へぇ~……。
お魚と、貿易かぁ」
「ああ、そうだ。
氷ってのは、きっとペルエットにとっても役に立つはずだ。
そんで同じだけ、美味い魚も獲れてるはずだと思ってな」
「うん……そだね。
トーヤくんの言う通り、お魚は沢山あるよ!
色んな種類のお魚が、食べきれないぐらいいっぱい!」
「やっぱりか。
よっし……俄然やる気湧いてきたぜ」
今回の旅の本懐。
それを無事果たせそうだとわかり、胸の底から熱いものが湧き上がってくる。
「そだねー……。
フローエンで美味しい魚料理が食べたいなら、まずはフェーネおばちゃんの食堂に行くのが一番かな!
珍しい種類の魚がいいなら、裏通りのお店を探してもいいかもだけど」
「おっ。
もしかして、いい場所知ってる感じか?」
「うん!
お酒と一緒に食べたいなら、ヘルゲンさんの酒場でもいいね。
あとあと、氷や貿易のことはよくわからないけど……漁に関することなら、漁師のスタグおじさんに聞けば早いかも。
あ、今の時期ならアルタさんが戻ってきてるから、もし会えたら町長さんに話を通せるかもだ……?」
「……へぇ」
リエラの口から次々とその道の人の名前が出てきたことに、俺たちは少し驚く。
「もしかして、リエラって結構顔が広い方なのか?」
「え?
んーっと……そう、なのかな?
昔から色んな人にお世話になってたから、困ったときに頼れる人なら、たくさん知ってるかも。
……って、あんまり威張れることじゃないけどね、あはは」
「いや、立派なことだと思うぜ。
少なくとも、誰にでもできることじゃないさ」
「そ、そんなことないよ。
アタシは、町の人に迷惑ばっかりかけて生きてきただけで……」
リエラの言葉尻は下がり始めていたが……彼女の話から、俺はあることを確信していた。
「……なぁリエラ。
急で申し訳ないんだが、俺からひとつ頼みがあるんだ。
聞いてくれるか?」
「えっ? うん」
「よければ、俺たちがペルエットに滞在してる間、町を案内してくれないか?」
「案内……?」
「ああそうだ。
魚とか、貿易とか……ただそれだけじゃなくて。
ペルエットの歴史とか、文化とか。俺は、そういうことも色々知りたいと思ってるんだ。
だから、頼めないか?」
「え、っと……うん。
それは、もちろんいいんだけど……」
彼女ならきっと、ペルエットの良い部分を余すことなく俺たちに伝えてくれるだろう。
そしてそれは、今まさに俺たちが求めている情報そのものだ。
「その、なんていうか……。
アタシなんかで、ホントにいいの?
他の国から来たんだったら、もっと大きな商会とか、役人さんを頼るとか……そっちの方がいいかも、って思うけど……」
「いや。
俺たちはその国で生活をしてる人たちの、生の声を聞きたいんだ。
何を食って、どこで仕事をして、どうやって生きてるか。
クロキアがフレイミアと交流を始めた時、それがどれだけ大事なことなのかってのを、俺は理解したつもりだ。
そんで、リエラならきっと、それを俺たちに教えてくれる。
そう思ったんだ」
「……」
「だからさ。
ここで会ったのもなんかの縁なんじゃないか、ってな。
俺たちがリエラを助けた礼に……って言ったらちょっとずりぃかも知れねぇけど。
よければ協力してくれないか? 俺たちに」
「助けてもらった、お礼……」
唐突な俺の頼みに、戸惑う様子を見せるリエラ。
しばらく不安げに目線を泳がせていた彼女だが……やがてその顔を上げ、一言。
「……うんっ、わかった」
そう言って真っ直ぐにこちらを見据えた彼女の瞳には、さきほどと同じ輝きが宿っていた。
「引き受けてくれるか?」
「うん。
やらせて、アタシに。
……きっと、役に立ってみせるから!」
そうして、彼女は掛け声と共に立ち上がる。
その足にはもう、震えは残っていなかった。
「うん……うんっ。
よーし。そうと決まれば、行こっ!
きっと、素敵なもの……たっくさん見せてあげる!」
「助かるよ。
じゃあ、これからよろしく頼むぜ。リエラ」
「うん、こちらこそ!」
こうして俺たちは、ペルエットでの強力な助っ人を得て。
また新たな国へと、その足を踏み入れたのだった。
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