第43話「王と、熱」
クロキア南東端の村で一泊してから、半日ほど。
俺たちは、なんの面白みもない野原を歩いていた。
「しかし……道がないとは言え、案外歩きやすい場所はあるもんだな」
「そうですね。
わたしも、もっと草木をかき分けて進むのかなあと思っていたんですが……そこまで大変な道じゃないですね?」
いま俺たちが歩いているのは、膝の高さほどの野草が生えた原っぱのド真ん中。
その中でも少し草がかき分けられた、茶色い土の露出している道を辿っている。
「ふむ。
今我々が歩いているのは、いわゆる『シシ道』というものだな」
「シシ道?」
「獣道のことね。
聞きなれた言葉で言うなら」
「獣道……。
なんかその言葉だけ聞くと、まさに険しい道ってイメージがあるんだが。
それこそ、歩きやすさとはかけ離れてるような……」
「そういう意味で使うことも多いのだけれど……。
本来は、野生動物たちが地面を踏み固めて作ったような、歩きやすい道のことを言うのよ。
「へぇ……。
野生動物っつーと、鹿とかイノシシなんかが、ってことか?」
「その通りだ。
野生の獣と言えど、彼らも毎日不規則に歩き回っているわけではないからな。
往々にして、水場や寝床などを行き来するための決まったルートがあるものだ」
「ほー」
「野山を住処にしているとは言え、毎日通るのであれば歩きやすい道を選ぶ。その点は人と同じだな。
そして、それが積み重なっていつの間にかシシ道が出来る……というわけだ」
「なるほど。
動物には動物の生活がある、ってことか。
考えてみりゃ、当たり前のことだが」
「ふふ……そういうことね」
「ではでは、わたしたちはあまり生活のお邪魔をしないようにしないとですね。
こちらはあくまで、道をお借りしている身なので……!」
「あちらから襲ってきた場合は、その限りではないがな」
「あう……。
そ、それは……そうかもですけど。
でも、それじゃなんだか悪いことをしてるみたいで……」
「まあ……言っちまえば、今はこっちが侵入者なわけだからな。
あっちからしてみりゃ、自分たちの生活圏───つまり縄張りに入ってきた相手を追い払ってるだけなんだろう。
身を守るためとはいえ、それで傷つけちまったらミラーヤの言う通り。どっちが悪者かわからねぇかもな」
「あちらに害意があれば斬る。
ただそれだけだ」
たしかに、それはヴェルニグも言っていたことだ。
守るためには、そうしなければならない。
そして、そのために迷ってはならないと。
ある種の業を背負うことになっても、自らがそれを行うという覚悟。
それはブランシュの中で最も鋭く、重い信念でもあるのだろう。
「うぅ……。
それでもやっぱり、かわいそうです……」
「……ミラーヤ殿の気持ちも、わからんではないがな」
「そうね……。
相手が獣であれ、人であれ。
話し合いで解決ができればいいのに……とは、思ってしまうわね」
「こればっかりは、どっちが悪でどっちが善で。
って話でもないもんな」
「ええ……。
ままならないものね」
もしも、この世のすべてが善悪の二元論で片付けられるなら。
生きるという行為も、少しは楽になるのだろうか。
(……いや。
それはそれでディストピアまっしぐらか……)
などと考えていると、ミラーヤがはっとしたように顔をあげた。
「……つまり、わたしが動物さんとお話しできるようになれば……?」
「お、また面白い案が」
「ミラーヤ殿、さすがにそれは……」
突拍子の無い話に、ブランシュが呆れ気味に言葉を漏らす。
「いえいえっ。
わたしは、獣人ですから!
もしかすると、ですよ……!」
しかしミラーヤは、そう言いながら自慢の大きな耳をぴこぴこと動かした。
「……非現実的な……」
「はは。
いいじゃねえか、やってみようぜ。
とりあえず最初は、意思疎通がしやすそうな犬あたりから試してみたらどうだ?」
「そうですね!
お仲間だと思ってもらえれば、きっと……!」
「よし、じゃあ今のうちに練習しとこうぜ。
犬相手なら……そうだな。
まず初めに、相手と目線を合わせるんだ。
そんで、姿勢を低くして、敵意がないことを示してだな……」
「ふむふむ!」
「自分と同じレベルの相手だと思われるだけになりそうだが……」
「次に、相手の目を見ながらゆっくりまばたきして……」
「ふふ……そこまでにしておきなさい、トーヤ。
ほらミーチカも、服が汚れるから屈まないの」
「わふ……」
サフィーアに注意され、膝を曲げて歩いていたミラーヤが姿勢を正す。
「残念。
犬語の習得はまた今度だな」
「はいっ!
いつかきっと、お話しできるようになってみせます!」
「できたらできたで不気味だから、やめて頂戴ね……」
────
──
「よっと」
目の前に出来た炎の列を、俺の魔法で『止めて』みせる。
すると、茨だらけの林に一本の道ができた。
「ふむ、これで通れるだろう」
「ああ。
山火事の心配もナシだ」
ブランシュが炎で道を拓き、ちょうどいいところで俺が消火する。
さきほどから何度か行っているが、これで歩きにくい場所にも道を作りながら進むことができている。
「悪いわね、本当に。
二人も疲れてきているでしょうに……」
「なに、直線で進むにはこれしかないのでな。
それに草の焼けてできた道は、引き返す時の目印にもなるだろう」
「ま、その長い袖とか髪なんかを茨に引っかけられても面倒だしな」
「ふふ……そうね。
ありがとうトーヤ、気を付けるわね」
相変わらず、うちの王様に皮肉は効かないようだ。
「ちなみに、だ。
一個気になることがあるんだが」
「どうした? トーヤ殿」
「俺たち……きちんと目的地に近づけてんのか?」
「目的地、というと……。
東の国境のことですよね?」
「ああそうだ。
村を出発してから、真っすぐ進んでるつもりではあるんだが……いまいち自信がねぇんだよな」
「……方角のことなら、心配無用だ」
言いながら、ブランシュが空を見上げる。
「わかるのか、ブランシュ?」
「ああ。
現在我々は、東に向かって真っすぐと進んでいる。
距離まではわからんが……東に国境があるとすれば、じきだろう」
「真っすぐって……そんな正確にわかるもんなのか?」
「自然の中で方角を知る方法など、いくらでもあるさ。
雲や風の動き、太陽の向き……。
木に生えているコケの付き方なども何度か見ているが、およそ間違いないだろう」
「うぉ……そんなことでわかるのかよ」
「それらを総合的に見て、判断しているに過ぎないさ。
複数の材料があれば、ほぼ正確に割り出せるが」
「もしかして、それで国境までの距離もわかるのか……?」
「ふ……まさか。
ただ、さきほどから徐々にクロキアのマナが薄くなってきているのでな。
距離に関しては、それでおおよその予測を付けているだけさ」
その一言に、ミラーヤが大きく耳を立てた。
「わ!
たしかに、違ったマナが混ざり始めてますね。
ほんのすこーし、ですけど……!」
「ああ。
わからんが、これがきっと水流魔法のマナなのだろうな」
空気に意識を移すと、僅かだが確かにマナの変質を感じる。
時魔法の───クロキアのマナではない何かが、少しずつ顔を見せ始めていた。
「マジだ、気付かなかったぜ……。
歩きながらだってのに、さすがだなブランシュ」
「なに、私もついさっき気付いたところだ。
私がフレイミアの人間であることと……体力に余裕がある故に、というのも大きいだろうが」
「むむむ……。
でも、マナのことならわたしが一番先に気付くべきでした……。
ちょっぴり、くやしいです」
「ふむ……そうか。
そういえば、獣人はマナと特別な繋がりがあるのだったか」
「えっと。
そのはず……です!」
「そうか……。
我々の感覚と、どう違うのだろうな。
軍にも獣人はいなかった故、少し興味はあるが」
「えっとえっと。
それは、んーとですね……」
説明が苦手なミラーヤは、ふんふんと意気込みながら大きな耳を内側に擦り合わせている。
が、的確な言葉はなかなか見つからないようだった。
「コウモリにとって、コウモリであるとはどういうことか……だったか。
自分の中だけの感覚を言葉にして伝えるのって、難しいんだよな」
「そ、そうかもです……!」
「ふふ……じゃあミーチカ。
その混ざり始めたマナというのは、どんな印象かしら?
貴女の感じたこと、そのままでいいから言葉にしてみて頂戴」
「あ、はいっ!
えーと……」
そう言うとミラーヤは足を止め、目を瞑りながら手を前に伸ばす。
「なんだか、ふわふわしてて……。
どこか優しくて、しっとりしてる感じ……でしょうか?」
「ふわふわしてんのか……?」
「はい……。
それで……手を繋いであげれば、どこにでも連れて行ってくれそうで……」
ミラーヤはしばらくそのままだったが、やがて手を下ろした。
「やっぱり、みなさんは感じませんか?」
「ああ。
不思議としか言いようがないな」
「同じくだ。
少なくとも、我々にはない感覚なのだろうな」
「面白いでしょう?
魔法やマナのことになると、この子にしかわからないことも多いのよ。
だからこそ頼りにしているのだけれど」
「えへへ……」
ご主人様に褒められたミラーヤは、その肩にきゅっと抱きついた。
「第六感……いや。
全員が持ってるマナへの感覚を第六感だとすれば、ミラーヤの力は第七感ってことになるのか……?」
「ふむ。
その第六感が我々よりも鋭敏で、多くのことを感知できるだけ……という考え方もできそうだが」
「もしくは、共感覚に近いのかもしれないわね」
「共感覚っつーと……音とか色とか、そういう別々の感覚が一緒に感じられることだっけか?」
「ええ。
一つの感覚から得られる刺激が、他の感覚も一緒に引き起こしてしまうことね。
文字に色を見出したり、音を聞いて匂いを思い起こしたりなんかが良い例かしら。
ある種の才能とも言われているのだけれど……」
「共感覚、か」
「でも、それ以前に。
マナについては獣人にしかない感覚である以上、まだそれに当てはまる言葉が定義されていないだけ、という可能性も十分にあるわ。
ねぇ、ミーチカ?」
「え、えっと……?
なんだか、むずかしいです……」
「ふふ……ごめんなさい。
気にしなくて大丈夫よ、ただの言葉遊びだから」
「そうですか……?」
「ま。
なんにせよ、ブランシュとミラーヤがこう言ってんだ。
国境が近づいてるのは確実ってことだよな」
「ああ。
そして……そろそろ日が沈みかける頃だ。
今日は、このあたりで野営地を探すとしよう」
「うぃ、了解だ」
━━━━
━━
「よし、テントは張り終わったぜ」
「ふむ、ペグも確かに固定されているな。
良い手際だ」
「前も教えてもらったことだからな、役に立ったなら何よりだ。
なぁミラーヤ?」
「はい!
力仕事なら、おまかせください!」
「良い返事だ。
では、次は飯の準備といくか」
「あ。
だったらわたしは、先にフィーニャと荷物の整理をしてきますね!」
「承知した。
なら我々で調理場を作るとしようか、トーヤ殿」
「おう。
俺も、さっきから腹が鳴りっぱなしだぜ」
そうして、ブランシュと二人で平たい場所に荷物を持ってきたのだが。
「調理器具は……その鞄の中か」
「ああそうだ。
食器も含めて、粗方ここに詰め込んであるのでな」
「うっし、じゃあ使えるモンで組み立てていくとするか」
初めに俺は、特に大きい鞄の紐を解いていく。
すると徐々に、使い古された鈍色の物体が顔を出し始めた。
どうやら鞄の大きさのほとんどを作っていたらしい、その物体の正体は───。
「鍋……か?
やたらとデカいが……」
「ああ、大隊用のモノだ。
この鍋があれば、どんな料理でもそれなりの量を作れるだろう?」
「……ほぉ」
「なんだ、トーヤ殿?」
「いや、別に……」
「決して、私がミラーヤ殿の料理を楽しみにしていたからなどでは……」
「……いや、別になんも言ってねぇけどよ……」
「……」
「……」
長い沈黙が。
掘られた墓穴を照らし出してしまった。
「よし、捨てるか。
このようなもの、重いだけで何の役にも立たん」
「待て待てブランシュ……っておい、ぶん投げようとするな!
捨てるのはさすがにもったいねぇって!!」
「くっ……。
止めてくれるなトーヤ殿……!
私は、私は皆を守らねばならん立場だというのに、こんなモノを……!!」
「だからって捨てるほどじゃねぇだろ……って、やっぱ力強えなっ……!!」
「わわ。
どうされました、おふたりとも!?」
俺たちの騒ぎを聞きつけ、サフィーアとミラーヤがこちらに駆け付けたようだ。
「おいミラーヤ! お前も止めてくれ!
ブランシュが鍋をだな……!」
「え、えっと……!?
……ブランシュさん!
わたし、そのお鍋できっとおいしいご飯を作りますよ!?」
「うおおおい! 追い打ちかけんなァ!!!」
「こんなっ……!!
こんなものっ……!!!」
「え、えぇ!?」
「ふふ……可笑しい」
その後、全力で鍋を捨てようとするブランシュを、ミラーヤと二人でどうにか止めることに成功し。
今日はその鍋で特製スープを作ることになったのだった。
─────
──
「ふわぁ……あったまりましたねぇ」
「さすがにクロキアの果てとは言え、夜はまだ冷えるからな。
スープは大正解だったと思うぜ」
「うむ。
相変わらずミラーヤ殿の料理は絶品であった」
「ご馳走様、ミーチカ」
「おそまつさま、です!」
腹ごなしに雑談をしながら、皆で食器を片付ける。
そして、調理場の撤収と火の準備ができた頃には、すでに太陽は沈み切っていた。
「さて……では、そろそろ寝床を整えるとするか」
「ん、そうか。
って言っても……今回もテントは二つなんだな」
「そうだな。
もう少し大型のものも、軍の装備にあるにはあるが……。
一晩で解体するのであれば、どうしても二人用のサイズになってしまうな」
「なるほど、な。
そうなるとまた、誰をどっちに振り分けるか。か……。
とりあえず、いっぺん荷物出しちまうか?」
「ふむ。
振り分けについては、以前と同じで良いと思うが……」
「ん、それもそうか。
じゃあ俺とブランシュが一緒で───」
「……いいえ」
俺が納得しかけたところに、言葉を挟んだのはサフィーアだった。
「私は、トーヤと一緒のテントで寝ることにするわ。
問題ないわよね、トーヤ?」
「え?
ああ、まぁ……。
俺は別に、なんでもいいんだが」
「そう。
なら決まりね」
満足そうに微笑むサフィーアに、今度はブランシュが差し込んだ。
「……どういう心変わりだ、サフィーア殿?
以前は、男女を同じテントに入れるのは避けたいと言っていたはずだが」
「ええ、そうね。
それについては、今も変わらないわ」
「であれば、わざわざ組み合わせを変える必要もないのではないか?」
「あら……不服かしらブランシュ?
私は、改めて貴女を女性として扱いたいと言っているのだけれど」
「何を……」
「変わったのよ。貴女自身も、貴女を取り囲む状況もね。
特に貴女に関しては、前と違って鎧も着ていないし……今回は軍人さんとして着いてきた訳ではないはずだもの。
今の貴女を、ひとりの女性として見ない方が不自然な話よ。
そうでしょう、『ブランシュお姉ちゃん』?」
「……っ。
からかうのも程々にしていただきたい、サフィーア殿」
「ふふ……それにね、ブランシュ。
以前の話を持ち出すなら、貴女こそ私と同じテントがいいと言っていなかったかしら?」
「それは……」
「貴女がその意見を持ち出さないのであれば……私には、貴女がトーヤと進んで同じテントに入ろうとしているようにも見えてしまうわね?」
「……そのような意図はないと、断っておこう」
「あらそう。
私の勘違いだったのなら、ごめんなさいね」
どうやら、今日のサフィーアはどうしても俺を手中に収めたいらしい。
ブランシュの対立意見も、弁の立つ彼女の前では簡単に説き伏せられているようだ。
「だとしても、よ。
もし私がブランシュと一緒になったとしたら、今度はミーチカがトーヤと一緒になってしまうんだもの。
ミーチカだって、それは避けたいでしょう?」
思い返せば、以前の野営の際は、俺という存在は押し付け合いの対象だったはずだ。
その時の状態に比べれば、どうやら俺の立場も少しは向上しているようだが……別の方面での面倒ごとが増えるのも違う気がした。
が。
「わ、わたしは、トーヤさんと一緒でもだいじょうぶですよっ!」
ミラーヤの一言で、また少し風向きが変わったようだった。
「……あらミーチカ。
貴女も、以前とは意見を変えたのね?」
「え、えっと。
トーヤさんとは、まえに一緒のベッドで寝たので……。
もう、へいきです……」
(ちょっ、ミラーヤ……!)
突如、敢えて伏せていた事実が暴露された。
……が、ここで取り乱してしまってはサフィーアに揶揄うスキを与えるだけだろう。
故に、今俺が取るべき態度は『平静』だ。
「……トーヤ。
少し説明をもらえるかしら?」
やはり、サフィーアは俺が考えるよりも先にこちらへ視線を投げていた。
「……別に、変なことはねぇよ。
前にミールノエの宿に泊まった時に、一晩だけ一緒のベッドになっちまった。
それだけだ」
「ふぅん……」
彼女の視線は、未だ冷たいものを纏っていた。
だがそもそも、あの時に何も無かったというのは事実なのだ。
故に、俺がここで怯む必要は無い。
「はぁ……なんだよ、その目は。
つーか、その件も元はと言えばサフィーアのせいでもあるんだぜ?
どうしても必要だってんなら、詳しいことも話すが……」
「……いいえ、よくってよ。
今は、関係ないことだものね?」
「ああ、そうしてくれ」
どうやら、俺に向けられた矛の先はひとまず下ろされたらしい。
「では、どうするのだサフィーア殿?
話は振り出しに戻ったようだが」
「そうね。
だとしても、私の意見は変わらないわ」
「しかし、サフィーア殿もトーヤ殿と同じ寝床になることを避けていたはずだ。
それを変える理由が、今回はあると?」
「ええ。
それについては……二つ。
まず一つは、今回の場所がクロキアとペルエットの国境付近だからよ。
つまり、全く知らない土地での野営なの。
何が起こるかわからない場所なら、私も信頼できる護衛が欲しいわ」
「その理屈で言うなら、傍に付くのは私でも良いと思うが」
「もちろん貴女の強さも十分頼りにしているわ、ブランシュ。
でも何かあったときに、私が一番信頼できるのはトーヤなの。
だって、この子の使う時魔法の影響を受けないのは私だけなんだもの。
それが二つ目の理由ね」
「……ふむ。
合理的ではある、か」
「でしょう?
それに、トーヤ。
貴方だって、私と一緒がいいわよね?」
「……そう、ですね」
「ふふ……よろしい」
言葉の裏に潜んだ圧力に、俺は同意せざるを得なかった。
「はぁ。
相変わらず、王様って立場を利用するのが上手いもんで……」
「あら、そう?
いつも私の立場を利用しているのは、貴方の方じゃないかしら」
「……どういう意味だよ」
「さぁ、どういう意味かしら」
眠気でぼやけた頭では、サフィーアの言葉遊びに付き合う気力も湧いてこなかった。
「やれやれ……では、そうするか。
ミラーヤ殿、どうやら私たちは右側のテントのようだ」
「はい!
……あ、えっとえっと!」
「……どうした、ミラーヤ殿?」
「えっと、その……。
よ、よろしくお願いしますっ!」
「……?」
突然頭を下げるミラーヤに、ブランシュは疑問符を浮かべる。
「ふふ……。
ミーチカの尻尾は、とっても触り心地がいいから。
寝てる間に顔を埋めるのも、ほどほどにして下さいね。って」
「いや、私はそのようなことは……」
「や、やさしくしてくださいね……!」
「待てミラーヤ殿。私は……」
そして俺とサフィーアが、片側のテントに荷物を移している間。
あちらの二人はモフるかモフらないかの応酬をずっと続けていた。
「よっと……。
俺にはいまいち獣人の感覚がわからないんだが。
尻尾を触られるってのは、それなりに恥ずかしいモンなのか……?」
「さぁ、どうかしら。
あの子自身も、大きな尻尾を自慢にはしているようだけれど……」
「まぁ、見てて触りたくなる毛並みではあるな」
「ふふ……。
毛並みについては、昔から私が気を遣ってあげていたのもあるわね。
あの子が大きくなるにつれて、尻尾もふわふわになっていくのが楽しくって……。
ちょっと良い洗髪剤や香油を使ってあげたりしていたら、気付いた時にはあんなにもふもふになっちゃってたわ」
「ほーん……。
てか、それで言えばもう一つ気になってたんだが」
「なあに?」
「ミラーヤって、何の獣人なんだ?
耳とか尻尾の形、毛の色は狐っぽくも見えるが……言動は犬そのものなんだよな」
「うーん……何の、と言われると困るわね。
獣人の生態自体、本当によくわかっていないんだもの」
「犬とか猫とか、何が基になってるかもわからない。ってことか?」
「そもそも、基になる動物がいる、という前提が間違っている可能性すらあるわね。
私ですら、数えるほどしか獣人の子を見たことがないから……」
「へぇ……。
獣人は数が少ないって聞いてたが、そんなに珍しいモンなのか」
「ええ。
あの子以外で前に見たのは……200年ほど前かしら?」
「マジかよ……」
「もしかすると、もっと前だったかもしれないのだけれど……忘れてしまったわ」
「うへぇ……。
……ってか、やっぱ100年以上も経つと覚えてないもんか?」
「そうね……。
人の記憶というのは、気付かないうちに薄れていくものだから。
悲しいけれど、ね」
たしかに、20年やそこらしか生きていない俺でも、幼い頃の記憶は曖昧なのだ。
その十倍以上の時が経っているのであれば、記憶が擦り切れてしまっていても不思議ではないだろう。
「ふーむ……。
とにかく、ミラーヤは犬でも狐でもない。と……」
「そういうことね。
従順なところは犬らしくあるけれど……あんな風に素直でいい子なのは、あの子自身の気質なのでしょうね」
「もしくは、サフィーア様の調教のおかげ。か?」
「あらあら。
それなら、貴方にも同じ教育をしてあげる必要があるかしらね?」
「はっ、やってみるか?」
「ふふ……やめましょ。
素直になったトーヤなんて、想像しただけで気持ちが悪いわ」
「なんで調教できる前提なんだよ……」
などとやり取りをしている間に、寝床の準備は終わっていた。
とは言っても、荷物をまとめ、平らな地面に布を敷き、最後にテントの入口をしっかりと閉じるだけなのだが。
「んじゃ、灯りしまうぞ」
「ええ。
ありがとう」
朱光石を鞄に入れると、夜の帳が俺たちを包んだ。
手の感覚だけで寝床を探り、身体を投げ出す。
すると、サフィーアの呼吸する音だけが聞こえ始める。
仮にも女性と同じテントとはいえ、お互いに適当な寝袋に包まっている状態なのだ。
それに今さらサフィーア相手に気を遣う必要もないだろうと思い、俺も体の力を抜く。
むしろ俺は、サフィーアよりも向かいのテントから時折聞こえる奇妙な声の方が気になってしまっていた。
(多分、ミラーヤの声なんだろうが……元気なもんだな)
「ふふ……賑やかね」
「なんだ。
今からでも、あっちに混ぜてもらうか?」
寝返りついでに、仰向けになりながら答える。
「そうしたい気持ちもあるけれど……今は遠慮しておくわ。
一人にすると、トーヤが寂しがっちゃうものね」
「はぁ。
自分でこの割り振りにしておいて、よく言うぜ……」
俺が溜息と共に言葉を漏らすと、サフィーアはまたころころと笑った。
「にしても……サフィーア。
ひとつ、気になったことを聞いていいか」
「なあに?」
「今回は、なんでまたついてきたんだ?
国としての仕事ってわけでもねぇのにさ」
「あら、いけなかった?」
「ダメだとは言ってねえよ。
ただ、今回サフィーアがついてくることになった発端 は、言ってみりゃミラーヤのわがままだろ?
そのためだけに、王様って立場の人間がわざわざついてくるほどか……とは思ってな」
「それは……」
その言葉を最後に、しばらく。
星の瞬く音だけが、俺の耳を支配した。
だが、やがて。
「……おいていかれるのは、嫌だもの」
サフィーアの呟くような声が、思い出したように静寂を破った。
「おいて……?」
「……」
その言葉はきっと文字通りの意味ではないのだろうと感じ、俺は疑問を口に出す。
そして俺の返答に、サフィーアはまた少し考えてから放った。
「前にも、言ったでしょう?
貴方は本来、お城にいるべき人間なのよ。って」
「あぁ……それは、まぁ」
「トーヤがフリージアに行くようになってから。
私の部屋の前は、また静かになってしまったわ。
ミーチカと二人の食卓も、ね。
……もちろん、そんな人並みの寂しさもあるのだけれど。
でも、決してそれだけじゃなくて……」
「……」
「ふとしたときに、考えてしまうの。
トーヤが、いなくなってしまうんじゃないかって。
このままどこかへ、ふっと消えてしまうんじゃないかしら……って。
……私に告げることもなく。ね」
「そんなこと、あるわけ……」
「無いと、言える?
貴方は元いた世界で一度、事故で亡くなっているのでしょう?
誰にもそれを伝えることができず、誰にも見つからない場所で……貴方は独り、最期を迎えた。
その瞬間、貴方という存在はその世界から消えてしまったの。
……同じようなことが、また起きないと。本当に言えるの?」
「それは……」
「私はね、トーヤ。
そんな子たちを、沢山見てきたの。
王城で働いてくれていたけれど、何かのきっかけで外に出てしまって。
それで、城下町とは別の場所で暮らし始めて……それっきり。
いつか戻って来ます、また城下町に来たら顔を見せます。
そんな風に言って、何の連絡も無かった子たち。
そして……私が気付いた頃には。
その子たちは、もうこの世にはいなくなっていた」
彼女の抱える、数百年という時間。
その中に、数えきれないほどの出会いや別れがあったであろうことは、想像に難くない。
「その子たちにもきっと、その子たちの人生があったのでしょう。
だから決して、責める気持ちがあるとか、そういうわけではないのよ。
……ないのだけれど……」
「……でも、それで言えばだぜ。
置いて行かれたのは、その人たちの方なんじゃないのか……?
サフィーアは、変わらずずっと王城にいるけどさ。
次の時代を迎えることもできなかったその人たちは、たぶん。それぞれに自分の終わりを見つけたんだと思うぜ。
だから、どっちが置いていかれたかっつったら……」
「本当に、そうかしら……」
「え……?」
「その子たちも、私の周りにいる子たちもそう。
皆きちんと、ひとつひとつ歳を重ねて、様々なことを経験しながらそれぞれの人生をこなして。
そしていつか……天寿を全うするの。
たとえひとりひとり、道は違っても、ね。
きっとお城を出た子たちも、そうだったのだと願いたいわ。
……でも。
でも私は、いつまで経っても……」
国王という立場、王城という場所に囚われている彼女は。
それらをただ、玉座から見ていることしかできなかったのだろう。
時間という檻は、それほどまでに強烈にサフィーアを縛り付けていた。
───俺がフリージアに住み込むようになっていたのは、たった数か月という期間。
だがきっと。
俺とサフィーアのそれは、違う時間だったのだろう。
「ねえ。
トーヤは今……そこにいる?
私の、傍に」
「……ああ、いるよ」
「そう。
よかった……」
俺は、ここを。
サフィーアの傍を離れるつもりはない。
たとえその気持ちが本物だとしても。
『言葉』はきっと、それを伝えるにはあまりに孱弱だった。
「トーヤ」
「ん……」
「手を……。
少しだけ、手を貸してもらえるかしら」
「ああ……」
だから、俺ができることはたった一つ。
「大きくて、暖かい……」
「サフィーアの手は、冷てえな」
「ふふ……。
おやすみ、トーヤ」
「ああ、おやすみ」
一晩という、ほんの少しの時間だけでも。
この小さな手と、体温を分かち合って過ごすことだけだった。
毎日昼12時に、一話ずつ投稿予定です




