第40話「水と、魚」
「魚だ」
唐突な俺の一言に、蒼と黄の見慣れた双眸がそれぞれこちらを映した。
「おさかな……ですか?」
「急にどうしたの、トーヤ?」
二人はフォークを動かしていた手を止め、同じような仕草で首を傾げる。
「魚だよ、魚」
「それは、わかるのだけれど……」
「ふむ。
んじゃとりあえず、この世界に魚はいない……なんてことはないわけだ」
「……そういうことね。
それで言えば、トーヤの想像通り。
クロキアでお魚を見かけることは、あまりないわね?」
どうやらサフィーアは、すでに俺の意図を汲み取ったようだった。
「ああ、そういうことだ。
こっちに来てからというもの、俺は魚を一匹も食ってない。
それどころか、目にしてすらないんだよ」
「おさかな、ですか……。
たしかに城下町の市場でも、お魚は見かけませんね?」
ミラーヤも、思い出すように言葉をこぼす。
「そうだろ?
食材として魚が売ってないなんて、俺からしたら考えられないんだがな」
「考えられない、ですか?」
「ああ。
言ったかどうか忘れたが……そもそも俺は、島国の生まれだからな。
肉と言えば、牛と豚。そんで魚。
魚肉はその二つに決して劣らない食材として、同列に存在した。
食材の市場に行けば、魚を見かけないことなんてまずありえない。
それぐらい、魚は俺にとって身近なものだったんだ」
二人はどこか納得したように、ほんの少し頷く。
「そして今、その俺の魂が言っている。
『魚を食え』と」
頷いた二つの顔はそのまま、やや理解できないと言った風に目だけを逸らした。
「……要するに。
トーヤは今、お魚が食べたいのね?」
「ああ、そういうことだ。
理解が早くて助かるぜ」
「貴方が回りくどい言い方をしなければ、もっと早く伝わっていたと思うのだけれど……」
俺の魂の声まで理解してもらえなかったのは残念だが、ひとまずそれはいいとしよう。
「そもそも、だ。
なんでクロキアでは、どこにも魚が売ってないんだ?
それとも俺たちが毎日通ってるあの市場でも、探せば売ってたりすんのか?」
「いえ……どうでしょう。
わたしも城下町の市場を全部見まわったことがありますが、お魚は売られてなかったと思います。
でも、なんでと言われてみれば……なんでなんでしょうね、フィーニャ?」
俺たちは再びカトラリーを手に取りながら、会話を続ける。
「お魚が獲れないから。
……もしくは、獲っても売れないから。じゃないかしら」
「獲れないから……?
ふむ。魚ってのはどこで獲れるか知ってるか、ミラーヤ?」
「えっと……川や海、ですよね?」
「そう、だよな。
ってことは、城下町の近くに川とか海が無いってことか?」
「いいえ、無いことはないわ。
東の山に、一つ大きな川があるもの。
貴方もよく知っているでしょう?」
「デカい川ってーと……ああ、そうか。
最初の最初に、クロキアに来るために渡った……」
「ええ。
私たちが出会った日に、貴方が凍らせてしまったあの川ね」
「あそこじゃ、魚は獲れないのか?」
「さぁ、どうかしら。
獲ろうと思えば獲れるんじゃなあい?
……貴方が凍らせたことで全滅していなければ、だけれど」
……なるほど。
以前の俺のせいで、あの川の魚が絶滅した可能性がある、と。
たしかに、言われてみればその通りだった。
もしかすると、俺はとんでもない環境破壊をしてしまったのかもしれない……が、それをそのまま受け止めるのも少々癪である。
「……相変わらず、サフィーアの毒は夕飯のいいスパイスになるな」
「それは良かったわ。
おかわりならいつでもどうぞ」
「ま、まぁ、あそこで凍らせなかったら逆に俺たちが全滅してたわけだからな。
魚たちには悪いが、これも生存競争ってヤツだ」
なんとか毒を受け流したものの、ヒヤリとしたのも事実だ。
(……今度フリージアに行くついでに、魚がいるか見ておくことにするか……)
「でもでもトーヤさん。
お魚がとれたとして、どうやって食べるんです?」
「ん?
そりゃまぁ、塩焼きにしたり刺身にしたり……色々だな」
「さしみ、ですか?」
「ああ、刺身だ。
知らないのか?」
「んーと……わたしは、きいたことないですね……」
「そうなのか……サフィーアは?」
「私も、無いわね」
「そう、か……」
刺身が存在しないとは、驚きだ。
が。そもそも元の世界でも、刺身は俺の国特有の文化だった。
その事実を考えれば、環境や歴史の違うクロキアには存在しない料理であるのも当然と言えるか。
(……そういえば。
最近読んだレシピ本にも、魚料理は載ってなかった。か……?)
以前俺が読んでいたのは、大抵の食材が扱われているような厚めのレシピ本だ。
だというのに、記憶を掘り返しても魚料理が載っていた覚えがない。
───つまりそれは、刺身だけがどうという話ではなく。
「もしかして。
クロキアには、魚を食べる文化自体が無い。ってことか……」
ミラーヤが魚をどうやって食べるか訊いてきたのも、それ故だろう。
「そういうことね」
「魚を食う文化が、無い。
食う文化が無けりゃ、調理方法も普及していない。
だから、獲ったとしても売れない。
それどころか獲る人間や、獲る道具すらもクロキアには……。
……市場に出回っていないのも、そういうことか」
これこそが、さっきサフィーアが言っていたことの真意だろう。
「たしかに……お魚を獲って生活している方のお話は、聞いたことがないですねぇ」
「うーむ……んじゃ、あそこの川で獲るのも難しい、か。
だとすれば、この王都以外はどうなんだ?
クロキアにも、あるんじゃないのか。港町ってのは」
「海が近い町という条件なら、南西の方にいくつか存在するわね。
でも、どれも海岸が段丘になっている地域ばかりよ。
砂浜というものは、ほぼ無いといっていいわ」
「段丘……っつーと、崖みたいになってるってことか」
「ええ」
「……浜が無ければ、船もない。か」
「そして、船が無いなら港というものも。ね」
つまり、クロキアに魚が手に入る町というのは存在しない。ということだろうか。
たしかに地図を思い返しても、クロキアはフォルジア大陸の南西端に位置する国だったはずだ。
そのクロキアの海沿いに浜が無いのであれば、この国には本当に魚を食べるという文化が無いのだろう。
(うーむ……手詰まりか……?)
どうやら魚を食うために越えなければいけない壁は、思いのほか高いらしい。
「かといって、俺の舌はもう完全に魚になってんだよな……」
「たべたいものがたべたい気持ち、とってもわかります……」
そう言って、ミラーヤはしゅんと耳を下げてしまう。
「……いや、待てよ。
大陸の端っこがどこも崖だらけ、ってことはないはずだろ……?」
「まぁ、そうでしょうね」
「残りのクロキアの海沿いは……北がたしか山で塞がってるから、行けるとしたら南か東側か。
南東の方角って言えばたしか、ミラーヤ」
「はい。
ペルエットという国がありますね」
「前に、そう教えてくれたよな。
水流魔法の国だったか?」
大陸南西端のクロキアから見て、東側がフレイミア。
そして南東には、ペルエットがあったはずだ。
「そうですね。
水沫の民と呼ばれる方々がいらっしゃる国です。
王都が港町というのが特徴……でしたでしょうか」
「ええ、そうね。
水流魔法が生活に根付いているから、海沿いの町がほとんどと言われているわ。
国土だけで言えば、クロキアよりも小さいのだけれど」
「港町があるっつーことは……魚もあるんじゃねえか?」
ここにきて、ようやく俺の前に光明が差し始めた。
「どうかしら。
他国の食文化までは文献に残っていなかったから、私も判らないけれど……」
「いや……あるはずだ。
絶対ある、あるに違いない。
港があって、魚を食わないはずがないんだ。人間って生き物は」
「す、すごい自信ですね……」
「その自信は、一体どこから湧いてくるのかしら……」
「はっ。
二人がなんと言おうと、一度火が付いた俺の情熱は、魚を焼くまで消えないぜ」
俺がキメ顔でそう言うと、二人は眉の端を下げて笑った。
「そう……。
じゃあトーヤ。
貴方は、どうしたいのかしら?」
「決まってんだろ」
最後の一切れになったパンを口に放り込み、俺は高らかに宣言する。
「水沫の国、ペルエット。
そこで、美味い魚を見つけてみせる」
こうして俺の、魚を探す旅が始まったのだった。
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