1-5
「よいしょっと……。
おつかれ」
「お疲れ様、トーヤ」
後ろ手に扉を閉め、ベッドに座った寝間着姿のサフィーアに目を向ける。
「ご機嫌はいかがでしょうか、王様」
「ふふ……上々よ。
貴方とミーチカの作ってくれた晩御飯が美味しかったから、ね」
「さいで」
適当に返事をしながら、手近なソファに腰かける。
少し楽な姿勢になり、予め持ってきた書籍を手元で広げると、サフィーアも同じようにして自身の手元に目を落とした。
「……」
どちらからともなく読書に集中し始めると、自然と口数は少なくなってくる。
冷たく乾いた部屋の空気に意識を移すと、雪の降る音まで聞こえてきそうなほどだった。
───晩飯の片づけを終えて、風呂に入り、サフィーアの部屋で手頃な本を読む。
それが、最近の俺の日課だった。
元はと言えば、退屈を紛らわすためにサフィーアに連日呼びつけられたのがきっかけだったのだが……互いに気を遣わなくてもいいこの空間が心地よく、今では何も言わずとも俺の方から訪れるようになっていた。
特段何をするというわけでもないのだが、互いに読書や雑談をする時間として認識しているのが現状だ。
そして、きっとサフィーア自身も悪く思ってはいないのだろう。どちらかが眠くなるまでは、俺を追い出すことはなかった。
(このページはトマト煮込みの作り方、か……。
これは、前に作ったのと変わらなそうだな)
最近はフリージアでの仕事も減り、俺も週の半分以上は城で過ごせるようになっている。
無論、こちらでしかできないことがあるというのも理由だが。
それでもやはり、今までよりもゆったりとした生活を送れているのは事実だ。
十分な睡眠を取り、ほどほどに仕事をこなし、いい飯を食って(作るのは俺とミラーヤだが)、夜にはサフィーアと言葉を交え。
そしてまた、良いベッドで寝るという日々。
今までは、休日を休日とも言えないような生活をしていたせいか。
ただそれだけで、この世界における贅沢の限りを尽くしているような感覚だった。
「……こんなんでいいのかな、俺」
読んでいたレシピ本を閉じ、ソファに背中を預ける。
「どうしたの? トーヤ」
「んー?
なんつーか……最近は、ゆっくりしすぎじゃないか。ってな」
「なるほどね。
そういうこと……」
そう言って、サフィーアも手元の革の装丁を閉じた。
「私はいいと思うわよ、トーヤ。
貴方はこの半年と少し、人一倍に頑張ってきたのだもの。
少しくらいゆっくりしても、罰は当たらないんじゃなあい?」
「そうか……?」
「ええ。
それに私も、トーヤがお城に居てくれた方が嬉しいわ。
本来なら貴方は、フリージアではなくてここにいるべき人間だもの」
そう言って、サフィーアは胸の前で手を合わせて微笑む。
「ふむ……。
だとしても、ちょっと働いて無さすぎな気がな……」
「ふふ……おかしな子。
もしかして、働いていないと落ち着かない性分なのかしら?」
「いや。
そういうわけじゃないと思……って、たんだが」
そこまで言って、考える。
俺は。
決して、ワーカホリックではないはずだ。
むしろ平和と睡眠をこよなく愛するような……どちらかと言えば、怠惰とも呼べる人間であったはずだ。
そのはず、なのだが……きっと今の俺の症状は、彼女の言うそれに他ならないのだろう。
(ワーカホリック、ねぇ……)
今までが働き詰めだった故に、その反動が来ているというのもたしかにあるだろう。
だが、やはり。
どこまで言語化を重ねても。
どれだけ自分の心を俯瞰してみても。
俺の中にあったのは───
「───不安、なのかもな」
「不安……?」
「ああ。
自分が、ここに於いて。
クロキアにとって、部外者なんだって。
だから、なんかしねぇと。なんか役に立たねぇと、って……。
ずっと、そう思ってたのかもしれない。
……いや、今もそう思ってるんだろうけどさ」
「そう……」
「なんて言えばいいのか……。
俺は、ホントにここにいてもいいのか。って。
そんな、焦りみたいな感情なのかもな」
「……『居場所』、かしらね。
貴方が探しているものは」
「……探してる。か」
サフィーアの言葉は、いつものように俺の感情をゆっくりと紐解いていく。
「安心なさい。
貴方は、十分役に立ってくれているわ。
このお城で働く子たちと比べても、人並み以上の働きをしてくれている。
もちろん、私も仕事に貴賤をつけるつもりはないけれど……それでも貴方は、貴方にしかできないことをやってくれているもの。
だからもう、貴方のことを部外者と呼ぶ子はいないはずよ。
少なくとも、このお城の中にはね」
「……そう、か?」
「ええ、きっと」
「ふむ……」
「ふふ……でも、私は貴方の気持ちもわかるわよ?
何かをしていないと、どこか不安になるような感覚。
だからこそ私だって、大臣たちから仕事を奪ってまで手を動かしているの。
もちろん、手慰みという意味もあるけれど……それでも、ね」
「……サフィーアでも、不安になるのか?
王様って立場でも……」
「立場があるからこそ、とも言えるかもしれないわね?
人の上に立つからこそ、自分が役に立っていることを証明し続けないといけない。
程度の大小はあれど、そんなことは誰だって思うんじゃないかしら」
「……」
「人は、きっと。
他人に必要とされないと、生きていけないのね。
そして、それこそが居場所という言葉。
言い方を変えれば、貴方が抱えている不安の正体……じゃないかしら」
「居場所、か……」
サフィーアの言葉を、心の中で反芻する。
この世界における、俺の居場所。
それは一体、どこになるのだろうか。
「それと……これは少し大仰な話になってしまうけれどね」
思考が地につかないまま、サフィーアは続ける。
「私にとってそれは、生きる意味とも呼べるのかもしれないわね。
前にも言ったでしょう?
私には、貴方やミラーヤという存在のような。
そんな『死ねない理由』がないと、今にも消えてしまいそうになる。そんな古びた人間だもの。
だからこそ、私は……貴方にも『それ』を与えているつもりよ」
「俺にも……。
……つまり、ここが。顧問魔術師って役割自体が。
俺の居場所、ってことか?」
「ええ。
この国の、このお城の。
私の傍が、ね」
「……」
人に、必要とされるということ。
ここに居てもいいと、認められること。
物理的な居場所はもちろんだが……それだけではない、精神的な拠り所。
それこそが、俺の抱えていた不安であり。
求めていた居場所だったのかもしれない。
「……サフィーアは───」
『俺に必要なものを、全部くれてたんだな』
と言いかけて、口を閉じる。
そんな歯の浮くようなセリフは、間違っても口にできないだろう。
「───いや。
なんでもない」
「ふふ……なあに?
気になるわ」
「……ちょっと頭がこんがらがってきたんでな。
今日はもう、寝ることにするよ」
サフィーアの返事も聞かず、俺は立ち上がる。
「ねえ、トーヤ」
「ん?」
「明日もきっと……私の傍に、いて頂戴ね?」
「……ああ。
どうやら、俺にはサフィーアが必要らしいんでな」
「ふふ……おやすみなさい、トーヤ」
「おやすみ」
この夜。
俺は、久しぶりに『自分のベッド』で眠れたような気がしたのだった。
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