第39話「手と、手」
その日は、飛びぬけて寒い日だった。
正面からの強い北風にローブは引っ張られ、さらに重さを増していく。
そもそも一年を通して涼しい気候が続くクロキアだが……今日は珍しく、大きめの寒波が来ているらしい。
そんな中の、山中行軍。
深夜の作戦行動にも少し慣れてきたとは言え、体力は確実に奪われていく。
「ふう……。
もういないか」
男の息の根が止まったのを確認し、俺は手を離す。
どさり、と。
まるで壊れた人形のように、男はおかしな姿勢で倒れ込んだ。
俺の魔法は、相手の熱を確実に奪い去ることができる。
だが、それはあくまで生命活動を停止させているだけだ。
奪った熱を、俺自身への熱として吸収できるなら便利なのだが……と、少し思う。
特に、こんな日は。
「終わったか、トーヤ殿」
「ああ。
しっかし……さすがに体力的に堪えてくるな」
「すまないな。
こんな天候の日、それも深夜に連れまわしてしまって」
「いや、いいんだ。
賊がいるなら、狩らないとだからな。
何かが起きてからじゃ遅いんだ」
「ああ、その通りだ」
今日の賊狩りは、フリージア北西の山林地帯。
二つほど怪しいポイントがあるとのことで、俺たちは調査に出た。
結果、どちらも少数ながら賊がいたので殲滅に至った。というわけだ。
「にしても……最近は報告が多いな。
先週の二回と合わせて、四つ目だろ?」
「そうなるな」
「俺はそのへんの感覚が無いからわからないんだが……どうなんだ?
王都に近い村の周辺としては、こんなモンなのか?」
「いや。
本来のクロキアであれば、これほど治安は悪くないだろう。
その証拠に、狩った連中は全て氷雪の民ではなかったからな。
身に着けている装備も、見る限りフレイミアで仕入れたものだ。
私が追っていた連中の残党と見て、間違いないだろう」
「そう、か。
わからないけど、たぶん良いことなんだろうな」
「同意しよう。
連中の拠点も、長らく使われていなかった建物や洞穴を利用したような、急ごしらえのものばかりだったからな。
元々山賊のような連中が多くいたのであれば、もう少し生活の形跡があるはずなのだ。
だが、私達の制圧してきた地点にそのような跡は一つも無かった。
つまりそれらは全て、クロキアが平和な証拠だと言える。
……そして同時に、私の追っている連中がクロキアに迷惑をかけている証左でもあるのだがな」
「ふーむ、なるほど。
ちなみにその、ブランシュの追ってる連中ってのはまだいそうなのか?」
「いや、こちらに来てからトーヤ殿と処分した分だけでほぼ全てだろう。
ちょうど今日の掃討で、逃げた連中との数がほとんど一致した」
「そうか。
最近はかなり頻繁に狩りに呼ばれるなと思ってたが……これでほぼ最後ってことか。
クロキアに平和が戻ったんなら、何よりだ」
「ああ。
何度も呼び出して申し訳ないとは思っていたが……何分、クロキアの騎士団が常駐する前に狩り切っておかねばならなかったからな」
「ま、そりゃそうか。
この件は、俺たち二人で処理するって決めたもんな」
予定では、フリージアに騎士団が来るのはひと月と少しあとだ。
フレイミアから流れてきた賊がウチの騎士団に発見されるのは、さすがに問題となるだろう。
「しかし、これまでは秘密裏に進めてきたが……全て終わってしまった今なら、公にしてもいいはずだ。
特にトーヤ殿には、かなり助けられたからな。
私から大オヤジ殿にも報告して、ある程度の報酬を出してもらえるようかけあっておこう。
急すぎる故に、心ばかりのものになるかもしれないが……」
「ああ、いいっていいって。
言っただろ、そのへんは助け合いだって」
「しかし、こちらの軍務に助力してもらったのは事実だからな」
「あー……。
じゃあ、こうしようぜ。
今度俺たちが困った時には、まずフレイミアに声をかける。
そしたらブランシュが駆けつけて、助けてくれる。
その約束だけで十分だよ。俺としては」
「ふむ……承知した。
では、それを国からの正式な書簡として纏めておくとしよう」
「いやまぁ、口約束だけで十分なんだが……。
今言ったのも、思い付きだしな」
「ふ、わかっているさ。
故に書面には、曖昧な文言を並べておくつもりだよ。
期限や範囲、規模なども明記しない。
ともすれば、読む人間によってどうとでも取れるような文章でな」
「なるほどね……。
そういうのもあるわけだ」
「厳密に言えば、あまりよろしくは無いのだがな。
だが、規律に従い過ぎても現場はうまく回らんさ」
いわゆる、グレーゾーンというやつか。
最前線に立ちながらも裁量のある、ブランシュならではのやり方だろう。
「さて。
ではフリージアに戻るとしよう」
「おう」
現場の調査も終えた俺たちは、いつも通り村に戻り始めた。
吹き荒ぶ風はまだ収まっていないが……帰り道では、追い風にもなるだろう。
────
──
風と暗闇に足を取られないよう進んでいると、すぐに見慣れた道に帰ってきた。
ここまでくれば、フリージアも目の前だ。
どうやら人間は、往路よりも復路の方が短いと感じるらしい。
原理はわからないが、長距離行軍と二回の戦闘を経て疲れた身体にはありがたかった。
「さて、トーヤ殿。
我々の賊狩りはこれで終わりになるのだが……」
「ああ。
なんてったって、アジトを全部狩り切ったんだもんな」
「そういうことだ」
「長かったような短かったような……。
不思議な気分だよ」
「さきほども言った通り、トーヤ殿には随分と助けられた。
一人では確実に手が回らなかっただろうからな。
その点は、重ね重ね礼を言う」
「いいんだって。
それで言うなら、こっちも色々教えられたからな。
戦い方については、特にだ。
白兵戦や魔法の使い方だけじゃない大事なことを、いくつも教えてもらったよ」
「トーヤ殿は、これからも間違いなく強くなるだろう。
『守る者』として、今後も私の教えたことが役に立つことを願おう」
「ああ、もちろんだ。
ブランシュから受け取ったモン、絶対に失くさないぜ」
「……そうか」
ブランシュは一息だけ微笑んだかと思うと、すぐにその顔を引き締めた。
そして。
「───では、私の役目はここまでだ。
私はそろそろ、正式に国に戻るとしよう。
……クレムラン卿との打ち合わせに参加するのも、次回が最後になるだろうな」
「……は?」
彼女の口から飛び出たのは、予想だにしない一言だった。
「今日でフリージア周りの賊を狩り切れたのは、幸いだった。
今後はここで何かが起きたとしても、トーヤ殿とクロキアの騎士団がこの村を守ってくれることだろう」
「いや……待てよ。
何言ってんだ、ブランシュ?」
「……どうした?」
動揺し問いかけるも、ブランシュから帰ってきたのは冷たい声。
「国に戻る、って……どういうことだよ?
ブランシュにはまだ、ここでやることがあるだろ?」
「……やること、か。
トーヤ殿たちが行っている、建築や拡張事業の管理か?」
「それも、そうなんだけどよ……っ」
「そちらなら心配ない。
私よりも相応しい代わりを見つけたのでな」
「代わりって……」
「フレイミア国内でも有名な、土地や不動産に詳しい知識人だ。
その方は、どうやら大オヤジ殿の知り合いでな。
少し歳はいっているが、信頼のできる人物だ。
私が去ったあと、この村に来るように言ってある」
「違うだろ、ブランシュ!
もっと、大事なことがあるんじゃないのか……!?
それに初めの頃は、しばらくこの村にいてくれるって……!」
「しばらくとは、いつまでだ?
少なくともこの半年ほどは、私にとって『しばらく』ではあった。
さすがにこれ以上、国に残してきた軍務も放置できん」
「……そんな……」
冗談だろう?
そう、問い詰めたかった。
だがなによりも、今のブランシュの表情がそれを否定していた。
悲しいとも、嬉しいとも言わないその表情は。
鬼教官、鉄面皮とも呼ばれる、一人の軍人としてのものだった。
(なんでだよ……)
俺は、思わず拳を握りしめる。
(うまく行ってたじゃないか、全部……!
村の拡張も、キトやコルヴィたちのことも、マリーとの計画も。
ブランシュだって、少しずつマリーに近付いてくれてたじゃないか!
もうちょっとで……もうちょっとで、本音で話し合えるところまで来てくれてたはずなのに……!)
しかし、俺の耳に届いたのは。
無慈悲にも遠ざかっていく、鉄靴の音だった。
(そう思ってたのは、俺だけだったってのかよ……!?)
「……トーヤ殿。
靴に付いた血は、早めに落としておけ。
そのまま放っておくと、匂いが染みついて取れなくなるぞ。
……自分でも気づかんうちに、な」
「……ああ、わかったよ……」
「では、解散だ。
良い夜を」
それだけ言って、ブランシュは今度こそ去っていってしまう。
俯いた俺の目に映ったのは、僅かな赤。
おそらくだが、ブランシュの作った血溜まりをどこかで踏んでしまったのだろう。
(……俺の、やってきたことは……!)
ブランシュと行動を共にした、最後の夜。
今はただ冷たい風だけが、ここにあるものの熱を等しく奪っていたのだった。
────
──
そして、二日後。
今日は、マリーが来る日だ。
今回からは、集荷が毎週となる───つまりこちらからしてみれば、出荷額が倍になるという記念すべき日のはずなのだが。
俺はまだ、迷っていた。
ブランシュが、フリージアを去ってしまうということに。
そして、マリーに何もしてやれなかったという事実に対して。
俺は、どうすべきなのか。
俺に、何ができるのか。
そんなことを考えているうちに、昨日のうちにマリーに出そうと思っていた手紙も、出し損ねてしまっていた。
(……いや。
そもそもこの事実を、マリーに伝えるべきなのかすらわからなかったんだ。俺は)
無論、今からマリーに連絡を取ろうにも、もう遅い。
彼女を驚かせてしまうことにはなるだろうが……今の俺にできるのは、ただ荷馬車が来るのを待つことだけだった。
マリーが、ここに到着して。
どう伝えてやれば、彼女を納得させてやれるのか。
その言葉を考えることすらも、ままならない。
全ては、俺の力不足が招いた結果なのだから。
(情けねえな。
ここまで用意してきて。
マリーに大口叩いて、その気にさせて。
……その結果が、これかよ)
フリージアを包む寒波は、まだ収まっていない。
俺は冷たい風に耐えながら、村の東口でただマリーを待つ。
隣には、いつもの甲冑を着込んだブランシュが石の塀にもたれかかっている。
重いものを背負っているはずの彼女は微動だにせず、その表情も読めないままだった。
「はぁっ……はぁっ……」
不意に遠くから聞こえた、荒い息。
そして、勢いよく土を蹴る音。
「とっ……トーヤさん、と……ウチの国の軍人さん、ですな!?」
「……?
ああ、そうだが……」
どうやら、前から人が走ってきたらしい。
考え込んでいたせいで、近づかれるまで気付かなかった。
(……誰だ?)
走ってきたのは髭面の、ややふくよかな男性。
大きく息を切らしているところを見る限り、結構な距離を走ってきたようだ。
声としては初めて聞く声なのだが……俺はこの男性の顔にどこか見覚えがあった。
(この特徴的な髭は……あぁ、思い出した。
マリーの荷馬車をいつも運転してくれてる、御者の人か。
たしか、この人もクレムラン商会の人だった気がするが……)
「はぁっ、く、クレッ……」
本当に大慌てで走ってきたようで、言葉も切れ切れだ。
「ん……クレ?」
「……クレムラン卿を、助けてくだされ!!
馬車が山賊に、襲われて……!
それで、クレムラン卿は、私を逃がすためにっ……!!」
「……は?
おい、今なんて……!?」
「……ッ!!」
俺が、彼から次の言葉を聞きだす前に。
ブランシュは既に、走り出していた。
「くっ……!
おいアンタ、それは本当なんだな!?
馬車は、マリーは今どこだ!?」
ブランシュの巻き上げた土埃に耐えながら、もう一度確認を取る。
「こ、この村の、すぐ近くです!
軍人さんなら、息が切れる前につくはずで……!」
「わかった!
アンタはこの村にいてくれ。
一応、村長に報告だけ頼む!
わからなかったら、そのへんの誰かに聞いてくれ!!」
「は、はいっ!
ありがとうございます……!」
彼の言葉を聞き終えないうちに俺も地面を蹴り、全力でブランシュを追いかけ始める。
(なんで、こんな時に……!)
賊は全て狩ったはずなのに、なぜ?
それも、こんな真昼間から?
───いや、そんなことはどうでもいい。
(頼む、間に合ってくれよ……!!)
────
───
──
─
馬が、嘶いた。
たぶん、突然熾された火に怯えてるんだろう。
でもあの子たちは、とびきり賢い二頭のはず。
だから、火に飛び込むような真似はしないと思う。
(……だけどそれも、時間の問題だ)
私の周りには、山賊みたいな男が三人。
徒党を組むことでしか強く出れない、有象無象たち。
「へっへ……。
貴族の嬢ちゃんよォ、いつまで続けるつもりだァ?」
「……寄らないでっ!」
ゴゥ、と前方に炎の壁を熾す。
「っと……危ねェ。
まだそんな元気があったか」
私が作った炎の壁は、すぐに消えてしまった。
牽制用で火力も低いから、当たり前なんだけど。
「しっかし、頑張るねぇ。
おツレのオッサンは逃げちまったのになァ?」
「……うるさいっ」
御者を逃がしてから、しばらく。
私は荷馬車を炎の壁で囲み、男たちと睨み合っていた。
「大人しく積み荷を渡してくれりゃ、お嬢ちゃんも逃がしてやるっつってんのに……。
わからねェガキだな、おい?」
私の炎熱魔法は、マナを火に変換すること。
対してこの男たちは、魔法も使えないような三下。
私が炎を放てる限りは、たとえ複数人でも寄ってこれない。
だから、さっきからずっと睨み合いが続いている。
「……アンタたちなんかに、積み荷は絶対に渡さない……!!」
彼らは積み荷の中身を知らないはずだ。
そう。
───積み荷の中身が『空』だと言うことを。
そうでないと、こんな空の荷馬車を襲う理由がない。
むしろ、積み荷に価値がないとわかれば、彼らはすぐにでも私を狙ってくるだろう。
だから私は、馬車を守るフリを続けないといけなかった。
私が意地になればなるほど、こいつらからは積み荷に価値があるように見えるはずだから。
「あァそうかい。
ま、そうやって強がってればいいさ。
俺らは待つぜ?
……お嬢ちゃんが諦めるまで、な」
「……っ!!」
その一言で、一番いやな想像をしてしまう。
(……最悪っ。
こいつら、わかってるんだ……!)
御者を逃がしてから、しばらく経つ。
そして。
その間に、私のマナが切れかかっているということを。
だからこいつらは、積極的に襲って来ることもなく。
私の逃げ道を塞ぐように包囲してるだけなんだ。
「さァ……根比べと行こうじゃねェか。
ホントに逃げてェなら、今のうちだぜ?
もしそのまま強情張って気絶なんてしちまったら……俺たちだって、嬢ちゃんのことをどうしちまうかはわかんねェからなァ。
ヒッヒッヒ……!」
「くっ……!!」
本当に、最悪だ。
いつもなら、時計の針が一周するまで火を灯し続けるなんて造作もないはずなのに。
今日は、もうマナが底を尽きそうだ。
こいつらの言う根比べなんて、できそうもない。
───ああ。
どうして、忘れていたんだろう。
ここが、クロキアなんだってことを。
この国のマナは、炎熱の民である私の身体に合うわけがないのに。
国を出ることに、慣れてないから?
……それとも、ここが。
フリージアが、私の本当の居場所みたいに感じてたから?
いまはそんなこと、どうでもいいはずなのに。
(……まずい、意識が朦朧としてきた……)
足元が、覚束ない。
手に力も、入らない。
生きるために必要な何かが、急速に私の中から失われていくのを感じる。
……もう、荷馬車を火で囲めているのかも、わからない。
足元から、重力が無くなっていく感覚。
(……私。
ここで、死ぬのかな……)
ぐらりと、視界が回転した。
「チッ……ようやくか。
手間ァかけさせやがって、ガキが……」
近付いてくる、男の足音。
……誰か、助けて。
(ねぇ、助けてよ……)
「……お姉、ちゃん……!」
「マリーッ!!!」
────
──
「マリーッ!!!」
ブランシュの叫びが聞こえたところで、どうにか俺も追いつくことができた。
「あぁ?
お仲間か?」
男の言葉と共に、目の前にそびえていた炎の壁は徐々に小さくなり。
その中からは、荷馬車が現れた。
そして同時に、三人の男たちが目に入る。
「馬車を……マリーを襲ったのは、貴様らか……!!」
ブランシュの言葉に反応し、マリーに一番近かった盗賊が倒れそうになった彼女の襟を掴んだ。
マリーの様子を見る限り、どうやら大事には至っていないらしい。
(よかった……間に合ったか)
「っと。お前ら、この女が大事かァ?
なら───」
一瞬だった。
文字通り、あまりにも短い瞬きの間。
男が、その言葉を紡ぎ終えるまでに。
「───があぁあああああああああっ!!!!!!!!」
彼の片腕が、宙を舞っていた。
「ひっ……ひぃっ……!?」
混乱し、右腕のなくなった肩を押さえる男。
彼も、俺も。
この場にいた誰もが、ブランシュが男との距離をゼロにしたことに気付くまでに、数秒を要した。
「……ぁがっ!」
振り向きざまに弧を描いたブランシュの爪先が、錯乱した男の顔に命中する。
男は血を撒き散らしながら、凄まじい勢いで森の中へ蹴り飛ばされ。
ようやく彼の手から解放されたマリーは、ブランシュにふわりと抱き止められた。
そして。
もう片方の手で構え直された長剣の切っ先は、すでに残りの男たちに向けられていた。
「……消えろ。
私に顔を覚えられんうちにな……!!」
「あ……。
う、うわあああああ!!!」
鬼神の如き、殺気。
それを肌で感じてしまった男たちは、脱兎のごとく逃げ出し始める。
まるで、蜘蛛の子を散らすように。彼らの姿はすぐに見えなくなってしまった。
「……マリー、大丈夫か。
マリー!!!」
剣がカラリと落ちる音に、僅かにマリーの目が開く。
「……やっぱり、助けに来てくれたね。
お姉、ちゃん……」
それだけを言い残し、マリーの身体からは力が抜けてしまった。
「……おい、マリー。
しっかりしろ、マリー!!!」
ブランシュは兜を脱ぎ捨て、マリーの身体を腕の中で揺する。
「……落ち着けブランシュ、大丈夫だ。
ただのマナ切れだよ」
「……!
そう、か。
そうだな……。
……すまない、トーヤ殿」
「ああ」
落ち着きを取り戻したブランシュは、改めてマリーの身体を見回す。
マリーの頬には若干の血がついていたが……どうやらそれは、さきほどの男の返り血のようだった。
「……あぁ……よかった」
その血を手で拭いながら、ブランシュはようやく微笑んだ。
「俺も安心したよ。
ブランシュが、きちんと守ってやったおかげ。だな」
「……っ。
私は……」
俺の言葉を聞いたブランシュは、少しの逡巡のあとに顔を引き締める。
そして、マリーを抱えたままゆっくりと立ち上がった。
「……トーヤ殿。
クレムラン卿を、頼めるか」
背中越しに聞こえたその声色は、すでに軍人としてのものだった。
「え?
頼む、つったって……」
「荷台に乗せて、そのまま見守っていてくれればいい。
私が村まで馬車を運転しよう。
幸い、馬は逃げていないようなのでな」
「あぁ、そういうことか。
わかった、引き受けるよ」
「……ありがとう」
驚くほど優しくマリーを抱き上げたブランシュに従い、俺もゆっくりとマリーの身体を自分の腕に乗せる。
「よいしょっと。
さぁて……ちょいと寒いかもしれないが、我慢してくれな」
俺はマリーを抱えたまま馬車の裏に移動し、開いた荷台に飛び乗る。
どこかに寝かせてやろうと思ったが、これは交易用の荷馬車だ。
客席などという、気の利いたものはない。
しかし床にそのまま横たえるわけにはいかないので、そこらにあった布と俺のローブを使って簡単な寝場所を整える。
その上にマリーを寝かせてやると、彼女の呼吸は幾分か楽になったように見えた。
「よし。
いいぜ、ブランシュ!」
「感謝する。
出るぞ!」
────
───
──
─
「ブランシュ、そろそろ代わるぜ」
「……いや、結構だ」
「いつ目を覚ますのかわからないんだろ、マリーは?
ブランシュも晩飯ぐらい食ってきたらどうだ」
「気遣い感謝する。
だが、心配は無用だ」
「……ずっとマリーの傍にいてやるのは結構だけどよ、このままじゃいつまで経っても寝れないぜ?
そしたら、今度はブランシュが倒れちまうんじゃないか?」
「構わん。
徹夜での行軍など、何度したかわからんからな」
「はぁ……強情だな。
じゃあせめて、俺もここにいさせてくれよ」
「無用だと言っているだろう」
「考えてもみてくれブランシュ。
相手は、ウチの取引先の貴族様だ。
行路でなんかあったとなったら、ウチにも責任が問われるんだぜ。
そんときに俺がなんもしなかったってんなら、クロキアの面子が立たない。
だからせめて、こっちがなんかしたって事実だけでも作らせてくれよ。
……軍のお偉いさんなら、そういう話も理解できるだろ?」
「……まったく。
本当に舌が回るな、トーヤ殿は。
憎たらしいほどに……」
「おう、ありがとよ」
真夜中の部屋を、朱光石の僅かな光だけが照らす。
ブランシュの隣。マリーの眠るベッドのすぐ傍に、俺も腰かけた。
北風もようやく止み始めたようで、古くなった村役場の窓をカタカタと小さく揺らすだけだった。
「……妹さん、なんだってな」
「……」
幸か不幸か、ここには俺とブランシュしかいない。
彼女自身も、今は鎧を脱いでいる。
ずっと訊きたかったことを訊くのであれば、今この時しかなかった。
「……人の過去を詮索するのは、あまり感心せんな」
「悪い。
ただ……もう、人違いって言葉じゃ誤魔化せないとこまで来てるだろ。
お互いにさ」
「……。
では……私の生まれも、聞いたのか」
「ああ。
マリーから、ざっくりだけどな」
「そうか……」
その沈黙は、肯定。
やっとだ。
やっとブランシュが、自身がマリーの姉であるということを認めてくれた。
「マリーは、さ。頑張ってたんだぜ?
この十五年間。
自分が頑張ってれば、いつかブランシュが迎えに来てくれるんだって」
「……それは……」
「だからさ……ブランシュ。
よければ、ブランシュの口から話してくれないか?
なんでマリーを避けてるのか。
そんで昔、マリーと何があったのかをさ」
「……私の過去に、聞く価値など無い」
「軍人のブランシュ様としての過去なら、そうかもしれねえけどさ。
でも、俺が聞きたいのはそこじゃない。
……ブランシュっていう、一人の人間の過去なんだよ」
「……」
長い長い、沈黙の後。
ブランシュは、静かに口火を切った。
「トーヤ殿に……兄弟はいるか?」
「……いや。いないよ」
「そうか……。
なら、想像はしづらいかもしれないがな。
兄弟というのは……妹というのは、本当に良いものだよ」
ブランシュはそっと、眠るマリーの手を握る。
「この子が生まれた時。
私はまだ、5歳やそこらの子供だった。
しかし、その頃の私は……すでに貴族の長子として生きていた。
クレムラン卿の長子として恥ずかしくない大人になるため。
そのためだけに、ただひたすら勉学や稽古に励む日々だった。
当然、友人などは出来もしなかったが……その時の私は、それを気にすることもなかった。
ただ、父上の期待を裏切らぬように。
そのためだけに、生きていたのだ」
マリーの話と、同じだ。
当時のクレムラン卿───つまり二人の父親は、かなり厳しい人だったのだろう。
たった一代で商会を大きくし、爵位を取得するほどの人だ。
自他に等しく高いレベルを求めるような人物でも、不思議ではないだろう。
「そんな折だ。
しばらく前から病院にいた母上が、ある日突然帰ってきた。
この子を……白い布にくるんだマリーを、腕に抱えながら。
それが、この子と私の初めての出会いだった。
そして、この子の顔を見たその時。
私は直感的に思ったのだよ。
こんなにも愛らしく尊い存在は、この世には他に存在しないと。
私の指を一所懸命に握る、小さな手。
飽きることも無くこちらを見つめ続ける、紅い瞳。
こんな天使のような子が、私の妹として生まれてきてくれたのかと。
嬉しいような、怖いような。不思議な感情が湧き上がった。
そして同時に、思ったのだ。
この子は、私が守ってやらねばと。
これから先、この子に近付く全ての悲しいことを、私が追い払ってやりたいと。
私はきっと、そのために。この子の姉になるために、この世に生を受けたのだろうと。
……そう、思ったのだ。
それほどまでに、この子は特別で。
まるで、宝物のような。
……いや。
その時からこの子は、私にとっての生きる理由になっていたのだろう」
ブランシュはマリーの手の感触を確かめながら、静かに目を細める。
慈愛に満ちた微笑みを浮かべるその横顔は、軍人でも貴族でもなく。
ただ一人の、姉としての顔だった。
「それから少し経ち……私が、14の時だ。
まだ幼かったこの子に対して、縁談の話が来た」
「ああ……それも、なんとなく聞いたよ」
「相手は、フレイミアでもかなりの土地を持っている貴族。
……の、息子だな。
マリーと同じぐらいの歳で……無論、私たちも会ったことが無いような人物だった。
聞くところによると相手方は、大昔に土地や不動産で富を築きあげた貴族でな。
今が何代目かは忘れたが……現代でも、その力は健在らしい。
だからもし子供同士が結婚するとなれば、その方面の商売で手を組める上に、相手はマリーと同世代だ。
父上としては、色々と都合が良かったのだろうな」
「……本当に、そのためだけの縁談だったのか」
「ああ、そうだ。
相手方の家が、善人なのか悪人なのかもわからない。
ただ、都合が良かったから選ばれた。
たしかにそれは、互いの家にとっては良い提案だったのかもしれない。
あちらの家族も、順当にマリーを幸せにしてくれた可能性だってある。
だが私は、反対した。
何よりも、この子の意志を守るために」
「それでブランシュは家を出て……軍に入った。か」
「ああ。
私は今まで、様々なものを捨ててきたさ。
貴族であること、クレムラン家の人間であること、女であること。
だが……。
だが、この子の姉であることだけは、決して捨てたことが無い」
「じゃあ、ブランシュの大切なものってのはやっぱり……」
「無論、マリーだよ。
それ以上に大事なものなど……私には存在しないさ」
やはり、予想通りだ。
ブランシュは、今でもマリーのことを想っている。
彼女が剣を執る理由は、初めから今に至るまでずっと。
マリーただ一人だったのだ。
「じゃあ、どうして……」
「私がこの子を遠ざける理由、か?
単純だ。
私が傍にいることが、この子のためにならないからだ」
「……どういうことだよ。
マリーは、なによりもブランシュを……」
「これも、トーヤ殿が理解できずとも仕方のないことだと思うがな。
貴族崩れの人間というのは。
家を出た人間がいるというのは、それだけで貴族にとっては汚点になるのだよ。
特に、私は長子として生まれながら家を継ぐことを拒否し。
さらには、妹の縁談まで破談にした。
私一人の個人的な感情で、な」
「……なんか、違和感があるな。
ブランシュが家を出た理由は、俺もマリーから聞いた。
でもそれは、ブランシュ一人の感情でやったわけじゃないんだろ?
ただ、親と意見が合わなかっただけで。
……そんでなにより、マリーのためだったんじゃないのか?」
「トーヤ殿の言いたいことはわかる。
だが……世間や他の貴族は、そのように受け取ってはくれないということだよ。
ただ、とある貴族のバカ娘が、自分のやりたいことをやるためだけに家を出ようとした。
育ててもらった恩も知らず、軍人になるというくだらない夢のために。
さらに言えば、父親が一代で爵位を得るまで築いたその家名に、泥を塗る形でな。
だから、父上は自らその娘を勘当した。
あくまでそれは、私が家を出る前に。
父上の方から、貴族として不適格だからと、そういう烙印を押して。
……公には、そうなっている。
今では、そうせざるを得なかった父上や母上の苦労も、少なからずわかるがな」
「……そう、だったのか」
「だから私は、どうあってもこの子の下に戻るわけにはいかないのだ。
それに、いまさら私が家に戻ろうとしたところで。
私の居場所など、とうにないのだよ。
万が一、父上やこの子がそれを許したとしてもだ。
それは、他の貴族たちに付け入る隙を与えることになる。
もし、勘当された娘が家に戻ろうとして、あまつさえそれを受け入れたともなれば。
クレムラン卿は、社交界でこれ見よがしに罵倒され、その品位を問われるだろう。
その結果として、その立場から失脚することにもなりかねん。
……この子が今やっている商売にも、大きな陰を落とすことになるさ。必ずな」
「……そういうこと、か……」
これこそが、ブランシュがマリーの下に戻ってこれなかった理由。
(ブランシュの、居場所は……)
俺には貴族のしきたりも、社交界などという雲の上の世界もわからない。
だがきっと、ブランシュの言っていることは正しいのだろう。
そう思わせるだけの重さが、そして覚悟が。
彼女の言葉には乗っていた。
「しかし……私はトーヤ殿の計画を利用させてもらった身でもある。
それに関しては、謝罪しよう」
「利用……?」
「ああ。
トーヤ殿は何かと理由をつけて、私をここに留まらせようとしていただろう?
……この子と一緒に企てて。な」
「やっぱ、気付いてたんだな。
……その通りだよ」
「やはりか。
しかしな、トーヤ殿。
私は同時に、感謝もしているのだよ。
トーヤ殿のおかげで、この子の元気な姿を見られたということに。
そしてトーヤ殿が……この子に対し、一人の友人として接してくれていたことにな」
こちらの予想通り、ブランシュは俺たちの計画に気付いていたのだ。
……彼女の言葉を聞く限り、俺たちが考えるよりももう少し早く気付いていたのだろうが。
「あの日。
この村で、初めてこの子と出会ってしまったときから。
私は、すぐにでもこの村を去ろうと思っていたさ。
だが、トーヤ殿の提案は……私にとっても魅力的だったのだよ。
仕事であれば。軍人としてなら。
私はここに居ても許されるのではないか。
今はもう姉とは名乗れなくなってしまったが。
それでも、ただ一人の軍人としてなら。
もう少しだけ、この子の傍にいられるのではないかと……そう、思ってしまったのだ」
「じゃあ、マリーを遠ざけていたのも……」
「ああ。
私がこの子の姉だと認めてしまえば、私はここを離れなくてはならない。
故に私は、この子から距離を取ろうとした。
……もう少しだけ、この子の傍に居たかったから。
その、我儘のためだけに」
「そういう……ことかよ……」
ブランシュの大切な人が、今も変わらずマリーであること。
それと同時に、ブランシュがあの日にマリーを拒絶したこと。
その矛盾の答えは、そこにあった。
そう。
ブランシュは、決してマリーを拒絶したわけではなかったのだ。
ただ、一人の軍人としてならマリーの傍にいられるから。
今の二人が一緒にいられる方法が、それしか無かったから。
たとえその兜を外すことができなかったとしても。
たとえその名を呼ぶことが許されなかったとしても。
たった一人の妹の傍に、少しでも長くいたかったから。
それが、あの日ブランシュが放った言葉の、本当の理由。
「そして私は、二人から十分すぎるものをもらった。
本当にトーヤ殿には、感謝してもしきれないさ。
……だからこそ今私は、この子の前から去らねばならん」
「十分すぎるものって……待ってくれよ、ブランシュ。
せっかく、二人で山賊狩りもしたのに。
それも全部……って、そうだ。
数年前にブランシュがフレイミアで、大規模な山賊狩りをしたって話。
あれも、マリーのためだったんだろ?
マリーがクレムラン商会で馬車を出し始めたから。
二人で一緒に、フリージアの周りを掃除したのだって……!」
「ああ。
トーヤ殿の言う通りだ。
フレイミアでの掃討作戦は、私が進言して実現したものだ。
無論、私情のためだけに作戦を組んだのではない。
国として、無視できない被害が出ていたのは事実だ。
だが……私の私情が入っていたのも本当だ。
だからこそ、もう十分なのだ。
この周辺にまで散らばっていた残党を狩ることで、マリーの安全は確保した。
トーヤ殿のおかげで、最後にこの子との時間を作ることが出来た。
そして、この子からも思い出を……形に残るものを、もらえたからな」
安全と、時間と、思い出。
「……!
それって……」
俺とブランシュが行った、賊狩り。
マリーと共に画策した、ブランシュを引き留めるための小細工。
そして、マリーがブランシュに渡した耳飾り。
それらは全てブランシュにとって、マリーとの別れを決断するのに十分な材料となっていたのだ。
裏を返せば、ブランシュがフリージアを出るための準備を、俺たち自身が手伝っていたということになる。
(全部……逆効果だったってことかよ……!?)
「わかったか?
私がここに居た理由。
そして、ここを去らねばならん理由が」
「……ああ……」
「そうか。
……ふ。
私も、話したことで頭の中がどこかすっきりとした気がするよ。
やはり、他人に話すというのは大事なことだな。
……聞いてくれて感謝する、トーヤ殿」
ブランシュは、いつかマリーが言った言葉と同じことを。
彼女とそっくりの、寂しげな表情で放った。
(……やめてくれよ……)
「さて。
よくここまで、このようなバカな女の話を聞いてくれたな。
話している間に、私のマナを少しばかりこの子に分けてやることができたよ。
おかげで、この子の呼吸も落ち着いてきたようだ」
「……マリー」
マリーの顔を見ると、たしかに先ほどよりも顔色が良くなっている気がする。
今の彼女は決して、さきほどまでのような『昏睡状態』とは呼べず。
呼吸も深く、まるで眠るように穏やかな表情をしていた。
(よかった……)
「ふ……。
やはり、トーヤ殿は良い男だな」
安堵した俺の表情を見てか、ブランシュが続ける。
「トーヤ殿になら、この子を預けてもいいと思えるよ」
「それは、どういう……」
「トーヤ殿。
頼み事ばかりですまないのだが……このまま、この子を看続けてもらえるだろうか?
私は、明け方にはこの村を出る。
トーヤ殿がいるなら、トーヤ殿がこの子を守ってくれると思えたから。
だから私も、この子にマナを分けてやれたのだ」
(……!)
やはり、俺の存在は。
どこまでいっても、マリーからブランシュを遠ざける材料にしかならないらしい。
だとしても。
「待ってくれよ、ブランシュ!
やっぱり、急すぎるぜ……!
せめて……せめて、マリーと最後に顔を合わせてやってくれないか……!?」
「さきほども言った通りだ。
私がこの子の姉であることを認めてしまった以上、この子と共にいるわけにはいかない。
それに今日の賊たちは、見たところフレイミアから馬車を追ってきた者どもだったのでな。
ならばなおさら、次に私のいるべき場所はフレイミアであるべきなのだ。
だから、トーヤ殿。
マリーを頼んだぞ。
……さらばだ」
俺の制止も聞かず、ブランシュは席を立つ。
去り際にマリーの手を託された俺は、急に立ち上がったブランシュを止めることができなかった。
託されたその手を、放り出すわけにもいかず。
俺はただ、ブランシュを見送ることしかできないでいた。
───しかし。
そんな俺のかわりに動いたのは。
他でもない、マリー自身だった。
「どこに、いくの……」
「……!!
マリー……」
思わず、ブランシュも振り返る。
ベッドの上には、いまだ震える腕で自分の体を支えるマリーの姿があった。
「いったい、いつから起きて……」
「起きたのは……いま。
でも、お姉ちゃんの声は。
お姉ちゃんがトーヤくんに話してたことは……なんとなく覚えてるよ」
「……」
ありがとトーヤくん。と言って、マリーは俺の手を離す。
しかしブランシュは、その顔を隠すように俯いたままだった。
「……やっと会えたね。
お姉ちゃん」
「……マリー……」
ようやく。
ここに来て、初めて。
マリーは自分の姉と再会できたのだろう。
彼女はそれを噛みしめるように、ゆっくりとブランシュを見上げ。
静かに言葉を紡ぎ始めた。
「ねぇ、お姉ちゃん。
どうして、迎えにきてくれなかったの?
……15年だよ?
私もう、お姉ちゃんと過ごした時間より……クレムラン卿、って呼ばれてる時間の方が長くなっちゃった……」
「……聞こえていたのなら、わかるだろう。
私が、お前の傍にいない方がいいということを」
「それでも……私は待ってたんだよ……。
お姉ちゃんが帰ってくるのを。
私を、迎えに来てくれるのを……!」
「……私とて、戻りたかったさ。
戻れるものなら」
「じゃあ、今からでも……!」
「わかってくれマリー。
私は、お前の下に戻るわけにはいかないのだよ。
私が戻れば、必ずお前を不幸にしてしまう。
だから今の私は、ただの軍人で。お前は、爵位を継いだ貴族で……。
どこまでいっても、ただの他人だ。
他人でなければいけないのだ。
……それこそが、正しい姿なのだから」
「正しい、姿……?」
「ああそうだ。
本来、私とお前は再会すべきではなかったのだよ。
今回はたまたま、トーヤ殿を介して出会ってしまっただけで……」
「……じゃあ、お姉ちゃんは。
私がもうここに来なくていいって。
お姉ちゃんもフレイミアに戻って、貴族と軍人っていう、遠い関係に戻るのがいいって。
そう、言いたいってこと?」
「ああ……そうだ。
だから私はここを去る。
お前に迷惑がかからぬように。
最後に……お前からも、大切な思い出をもらえたのでな」
ブランシュの手の中で、何かが月明かりを反射した。
それは、あの日マリーがブランシュに贈った耳飾りだった。
「それ……あの時の……。
私は、私はそんなつもりで渡したんじゃ……!」
「私はな、マリー。
初めて私たちがここで出会った、あの日。
お前が真っ先に、私のことを姉と呼ぼうとしてくれた時。
私は……安心すら覚えたのだよ。
私はこの子にとって、まだ必要な存在なのだと。
これからも守ってやることができるのだと、そう思えた。
だから私も、安心してお前を遠ざけることができた。
あの時お前がそう言ってくれたから。私は、これからもお前と他人でいられる。
お前が、私を必要としてくれたからこそ……。
だからマリー、わかってくれ。
これはただ、元に戻るだけなんだ。
今回は本来交わることのない道が、偶然重なってしまっただけで。
私たちが出会ってしまったこと自体が、ただひとときの過ちだったのだ。
私たちは決して、このままであり続けるべきではない。
本来あるべき姿に戻るべきなのだ。
……今からでも……」
そう言って、ブランシュはまた俯いてしまう。
しかし。
「……お姉ちゃんの───」
マリーの言葉が、そこで止まり。
「お姉ちゃんの、バカッ!!!」
突然、悲痛な叫びが部屋にこだました。
「マリー……?」
「いつもそうやって、自分だけ納得して。
私を、置き去りにして……!!」
「何を……。
私は、お前を置き去りにしたことなど───」
「したじゃないっ!!
あの日、お姉ちゃんが私をおいて出て行った日……!!
あれから私が、どんな気持ちでいたかわかる!?
お姉ちゃんのいない毎日が、どれだけ寂しかったか。
その寂しさに耐えるために、私がどれだけ考えて。
どれだけ悩んで、お姉ちゃんとの約束を飲み込んだか。
……私がどれだけの間、その約束を頼りにして生きてきたか……!!
お姉ちゃんには、わからないでしょ!?」
「マリー……。
顔を出さなかったことについては、すまなかった。
だが先ほども言った通り、全てお前のためだったのだ。
だから私は───」
「やめて!
そんな卑怯な言葉、使わないでっ!!
『お前のため』なんて。そんな、ずるい言葉……!
……それじゃあ……あの時のお父様と同じじゃない……っ!!」
「……父上と、同じ……?」
「そうよっ!
今のお姉ちゃんは、私の縁談を決めたときの。
あの時のお父様と、同じだ……っ!
私のためなんて言いながら、ホントは私のことなんて見えてないっ!!!」
「……っ!!」
「……ねえ、どうして……?
私の幸せは、お姉ちゃんと一緒にいることだけなのに……。
お金や立場なんか、どうでもいい。
私はただ、昔の約束を守ってほしかっただけ。
私の手を取って、『ただいま』って。
そう言ってくれるだけで。
ただそれだけで、よかったのに……!!」
「……私は、お前に。
……父上と同じ、ことを……」
その言葉を最後に、二人は沈黙し。
少しの間、マリーが肩で息をする声だけが響いた。
「……お姉ちゃんが、帰ってこないなら」
そして再びその静寂を破ったのも、マリーだった。
「お姉ちゃんが帰ってこないなら。
私はもう、何もいらない……!」
「……マリー?」
「お金も、商会も、貴族なんて立場も……!
……私の望んでない幸せを押し付けてくるお姉ちゃんも!
全部全部、いらないっ!!!!」
身体を起こすのがやっとだったはずのマリーが、叫び声と共に起き上がり。
突如、裸足のまま駆けだした。
「……マリー!!」
しかし、その弱った身体が言うことを聞くはずもなく。
足が絡んだ拍子に、ブランシュに抱えられる形となった。
「離、して……よっ!」
マリーはその腕の中でもがいたが、ブランシュは決して離そうとしなかった。
「マリー。
……すまない」
「いまさら、謝らないでよ……!
わからずやのくせに……!
ホントは私のことなんて、見えてないくせに……!!」
「すまない。
すまない、マリー。
いまのお前の言葉で、わかったよ。
……私はお前のことを、本当の意味で考えられてはいなかったのだな。
私はお前のことを……そこまで追い詰めていたのだな」
「そうよっ!
今のお姉ちゃんは、お父様と同じで……!
お姉ちゃんなんて、お姉ちゃんなんて……。
……大ッ嫌い……!!!」
そう叫んだマリーの瞳には。
大粒の涙が蓄えられていた。
「……ああ、マリー。
お前の、言う通りだ……。
全て、私のせいだ。
お前を悲しませたのも。
お前をここまで追い詰めたのも、全て……。
……なんて、バカなんだろうな。私は……」
マリーが泣き出すと同時に。
ブランシュの声も、震え始めていた。
「長かったろう、寂しかったろう。
15年もの時間を、お前は一人で……。
私を、恨んでくれて構わない。
今までの孤独を、悲しみを、全て私にぶつけてくれて構わない。
……だから、頼む」
そう言って、ブランシュはマリーを強く抱き寄せる。
「頼むから、嫌いだなんて言わないでくれ……。
私のことをいらないだなんて、言わないでくれ……!!」
「お姉、ちゃん……?」
「私は……ああ、そうだ。
私はきっと、怖かったのだ。
何よりも、お前に拒絶されることが……!」
「……え……?」
震えた声のまま、ブランシュは滔々と語り始める。
「許してくれ、マリー……。
私はあの日……お前を守るために家を出た。
理不尽な縁談から、お前を守るため。
なによりもお前自身の意志を、守るために。
そう誓い、剣を手にし、鎧を纏った。
……そのはずだったのだ。
なのに私は、いつしか剣を振るうことに愉しみを感じていた。
何にも束縛されず、存分にこの身体を動かすことに。
力のみが評価されるその世界に、居心地の良ささえ感じていた。
そして私は自らの素質を証明するかのように、この手で様々な命を奪ってきた。
……そして、ある時気付いたのだ。
自分が、変わってしまったことに。
いつの間にか、この手は血に染まり。
私の身には、消えない傷がいくつも刻まれていた。
そして、思ったのだ。
……こんな姿で、お前に会えるだろうか。と。
血に汚れた手で、お前を抱きしめることができるだろうか。
傷だらけの顔で、お前に笑いかけてやることができるだろうかと。
それどころか、こんな変わり果てた姿では。
お前の下に帰ったところで、拒絶されるのではないかと考えてしまった……!」
「お姉、ちゃん……」
「だから私は、お前を遠ざけた。
これはお前のためだと、自分に嘘をついて。
今の今まで、お前に手紙のひとつも寄越すこともなく。
同じ国にいながら、決して出会わないようにしてきた。
それがお前のためになるのだと、必死に自分を納得させて。
……それでも。
それでも私は、軍にいながら常にクレムラン商会の動向を追っていた。
お前が商会を何倍にも成長させたことも、知っていた。
マリーが商会の会長になり、爵位を継いだことを聞いたときは……どれほど嬉しかっただろうか。
本当に立派になってくれたのだと、一人で喜んださ。
……だというのに……!」
マリーを抱き止めていたブランシュが、その膝をついた。
「私はただ、怯えていたのだ……!
お前に拒絶されるのが、何よりも怖かったから。
……ああ。
『お前のため』なんて言葉は、全て嘘だ。
私はただ、自分が傷つきたくなかっただけで。
お前に会う勇気が無かっただけで……。
そして、その弱さのせいで。
あまつさえ自分が恐れていたことを。
『拒絶』を、お前に与えてしまった……!
……大馬鹿者だよ、私は。
私は、少しも強くなどはない。
たったひとつ、あの日のお前との約束すら守れないまま。
ずっと、逃げ続けていただけで。
軍人という殻に、ひとり閉じこもっていただけなのだ……!」
崩れ落ちるブランシュを、マリーが抱き止める。
二人の姿勢はいつの間にか、初めとは逆の形になっていた。
「お姉ちゃん……。
そっか。
そうだったんだ。
ずっと、守ってくれてたんだね。遠くから……」
「ああ……」
「私のこと、忘れてなかったんだ」
「私はお前のことを忘れたことなど、一日たりとも……!」
「……そっか」
マリーにすがるようにして俯いてしまったブランシュの頬を、マリーが両手で包み込む。
「……ねえ。
私を見て、お姉ちゃん」
「マリー……?」
顔をあげたブランシュの目は赤く、朱く。
それでもマリーの紅い目を、捉えて離さなかった。
「この耳飾りの花……覚えてる?」
「……あ、ああ。
昔、二人で育てた花と同じ……」
「うん。
毎日代わりばんこで水をあげて、育てたよね。
その時の私を、思い出して。
……今の私は、変わっちゃったかな?
背も伸びて、髪も短くしちゃったけど。
お姉ちゃんにとって私はもう、遠い遠い貴族の人間で。
昔とは……違うひとに、なっちゃったかな……?」
「……何を言う。
お前は、ずっと。
私にとってただ一人の妹で……」
「ふふ……そう。
じゃあ、私にとってのお姉ちゃんも一緒だよ。
たしかに、見た目はちょっぴり怖くなっちゃったかもしれないけど。
でも……大丈夫。
お姉ちゃんは、変わってない。
昔と同じ、私を守ってくれる。
私の知ってる、ブランシュお姉ちゃんのままなんだよ。
だからね。
……おかえり、お姉ちゃん」
「マリー……!!
ああ、ああ。
……ただいま……!」
マリーは微笑み、ブランシュの嗚咽を受け止めるようにその身体を抱き寄せる。
そしてブランシュは。
失った二人の時間を取り戻すように、その腕の中で慟哭をあげたのだった。
その姿を見て、俺はそっと部屋を出た。
この様子ならば、もう心配はいらないだろう。
(……よかったな)
あの日。
ブランシュに拒絶されたマリーは、それを受け入れた。
それが姉のためになるのならと、自分を納得させて。
いつからか。
マリーに拒絶されるのではないかと思ったブランシュは、自ら身を引いた。
それが何よりも妹のためなのだと、そう思うことで。
ただお互いのためを想って、身を引いた二人は。
きっと、どこかですれ違ってしまっただけで。
きっと、どこまで行っても姉妹だったのだろう。
そして。
ようやく家族の絆を取り戻した二人に、俺ができることは。
やっと本音をぶつけ合うことができた彼女たちが、今日のように。
軍人でも、貴族でもなく。
ありのままの家族でいられたこの場所を、明日からも用意してやることなのだろうと思ったのだった。
────
───
──
─
翌日。
「おっはよー、トーヤくん!」
「あぁ、おはよう。
……っていうには遅い時間だけどな。
ブランシュも」
「ああ……すまない。
トーヤ殿には、本当に迷惑をかけたな」
すっかり元気になったマリーが、俺に声をかけてくる。
そして、その隣にはブランシュが。
鎧を纏っていない、ただ一人の女性の姿があった。
「迷惑だなんて、思うもんかよ。
ただ、二人がちゃんと仲直りできたんなら。俺はそれで十分だぜ」
「あはは、ありがと」
「仲直りなどと……そんな子供のような言葉で済むことではないのだがな」
「あれあれー?
15年もずっと、子供みたいな感情で私を避け続けてたのは誰だったかなー?」
「ま、マリー……!」
「ふふ、冗談冗談。
でも……大丈夫だよ、トーヤくん。
あれから、二人でたくさん話したんだ。
今までのこととか、これからのこととか。
……ね、お姉ちゃん?」
「……ああ、そうだな」
冗談を飛ばし合う二人の姿は、誰が見ても一組の姉妹であり。
からかわれたブランシュも、今までのような鬼気迫る雰囲気はどこへやら、憑き物がとれたような表情をしていたのだった。
「そうか。
全部、解決できそうなのか?」
「んー……今すぐにめでたしめでたし、とはいかないかな。
でも、たくさん話したから大丈夫。
私たち二人で、きっとなんとかできるよ」
「なら、よかった。
じゃあブランシュも、これからはマリーの傍にいてやれるんだな」
「ああ……そのことなのだがな、トーヤ殿───」
────
───
──
─
「フゥー……。
なるほどな……。お前ェら、姉妹だったのか……」
白い煙を吐き、デファンスが上を向く。
どうやらこちらの王城のソファはかなり頑丈なようで、彼が体重をかけても軋む声すらあげなかった。
「たしかに、クレムラン卿んトコの長子はどこにいったのか。とは思ってたが……。
ブランシュ、まさかお前がそうだったとはな」
「隠していたようで、申し訳ありません」
「いや……今聞いたら、たしかに納得できる話だ。
むしろ、俺ァなンで見抜けなかったんだってぐらいだぜ」
「無理もないでしょう。
私という存在が大オヤジ殿の目に留まるころには、クレムラン卿の騒動も落ち着いていました。
それに私自身も、貴族の令嬢をやっていた頃に比べて、顔も身体も変わってしまったでしょうから。
……あの頃からは、想像できないほどに」
「ま、ウチの軍の訓練を耐え抜くほどだ。
それぐらいしねェと無理だろうよ。
だが……。
考えれば考えるほど、全ての辻褄が合いやがるな……」
デファンスはそれを見抜けなかったのが悔しかったのか、ひとつ舌打ちをしてから葉巻の火を消した。
「で、なンだ。
軍を辞めてェって話だったか?」
「ええ。
本当に、身勝手なことだとは思っています。
ですが私は、これからはこの子の傍にいると決め───」
「駄目だ」
ブランシュの声に、デファンスが割って入る。
「軍を辞めるのは、絶対に許さねェ。
お前だって、自分の立場ァわかってンだろ?」
「……理解は、しているつもりです。
ですが、それでも私は……」
「それにな、ブランシュ。
俺にゃわかるンだ。
ブランシュてめェは……生まれながらの戦士だ。
炎を纏い、剣を振るう。
そうやって、自分の力を戦に使うために。そのため生まれてきた人間なンだ。
……とてもじゃねェが、貴族の令嬢や商人ってェ立場に収まるようなタマじゃねえだろうが」
「それは……」
一瞬、眉をひそめたマリーが言葉を発しようとしたが、ブランシュがそれを制止した。
ブランシュ自身、デファンスの言葉が正しいことを誰よりもわかっているからだろう。
「なぁブランシュ。
俺ァ、お前のやりてェことを否定してるわけじゃあねェんだぜ。
お前自身が新しい生き方を始めンのを、止めてえわけじゃねェ。
だが……そのために、今までの自分を否定する必要まではねェんじゃねえかってことを言いてえンだ」
「今までの、自分を……?」
「あァ。
お前はその半生を、軍人として生きてきただろうが。
そりゃ、誰にも変えられねェ事実なんだ。
軍の仲間、お前の部下。
お前の鎧や、魔術兵装を作ってる職人ども。
そンで……クロキアでお前が見つけた、新しいダチ。
お前自身の強さだけじゃねェ。
お前が今まで関わってきた奴らとの繋がりが、今のお前を作ってンだ。
それを捨てるってなァ……お前がガキの頃にやったのと、同じコトになンじゃねェか?」
「あの時と、同じ轍を……」
「あァそうだ。
だからお前は、軍人を続けろ。
……ただし!
近いうちに、今の立場からは退いてもらう。
『鬼』でなくなったブランシュに、今までと同じ仕事は任せられねェからな」
「……そのような。
では私は、これから軍でどうすれば……」
「知らねェよ。
ンなこた、てめェで考えろ」
「……大オヤジ殿……」
そこまで言ってデファンスは、新しい葉巻に火をつける。
「……フゥ。
そンで、話は変わるがな……ブランシュ。
前にクレムラン卿と決めた、フリージアに駐在する野郎の話があっただろ。
実はあれの選定が、まだ済んでねェンだ」
「……!」
(駐在っていうと……フリージアに建てる予定の、大使館の話か)
「王として、命じるぜ。
……クロキアの事情に詳しくて、フード付きのボウズと対等に話ができて。
あっちで何するかわからねェ、ウチのバカ共を止める力があって。
それから……クレムラン卿にも、キッチリ意見が通る人間。
そいつを、とっとと探せ。
それが今の立場での、お前の最後の仕事だ」
「……大オヤジ殿……!!」
それは、あまりにも露骨な命令で。
そんな人間は、誰が考えても一人しかいないのだった。
「家族を、守ってやるンだろ?
自信持って、行ってこいや。
……それが次の、お前の生き方だ」
白い煙を吐き出したあと、デファンスはニカリと笑った。
「ありがとう、ございます……!
大オヤジ殿……!」
───実は、俺たちがこの城に来る前。
マリーやブランシュと三人で、ずっと相談していたのだ。
ブランシュが今後どうするかという点について。
────
──
『じゃあ。
ブランシュは、やっぱりマリーの家に戻れないのか?』
『残念だけど、今のお屋敷にお姉ちゃんの居場所は無いからね。
ウチだってまだ、他の貴族からの風当たりが強いのは事実だから。
お姉ちゃんが言ってた通り……まだ、戻ってくるわけにはいかないかな』
『でも、それだとマリーの傍にいてやれないんじゃないか……?』
『ああ。
だからトーヤ殿、私は軍を辞めようと思っているのだよ』
『軍を……?
辞めちまって、それで……どうするんだよブランシュは』
『ふっ。
どうするのだろうな、一体』
『おいおい……』
『まぁ、目先の心配ならいらんさ。
私はこれまで、生きるのに最低限の金しか使ってこなかったからな。
軍人として稼いだ給金は、貯まる一方だったのだよ。
それに……もし何も見つからなかったら。
いっそのこと、御者などを始めてみてもいいかもしれんな。
マリーを乗せて、王都とこの村を往復する馬車を運転するのだ。
それならば、この子のことを守ってやれるだろう?』
『ふふ、それもいいかもね。
私が、他の貴族たちに何も言われなくなるぐらい商会を大きくするまで。
今度は私が、お姉ちゃんを迎えにいってあげられる……そのときまで。
お姉ちゃんには頑張ってもらわないとね』
『ああ。
そうと決まれば、大オヤジ殿に報告だ。
軍を辞めることと、私の過去のことを含めて。
そして……拳の数発ぐらいは、覚悟しておかねばな』
──
────
「───ってことだ。
基本的にあっちでやるコトは、お前自身で決めろ。
なんかあったら、すぐ俺に連絡を寄越す。
それも含めて、新しい仕事だ。
まァ……軍の演習とか、デケェ作戦の時なんかは帰ってきてもらうがな」
「承知しました。
……本当に、ありがとうございます。
大オヤジ殿」
「俺ァいいンだよ。
それよりお前ら、フード付きのボウズに感謝しとけよ?
あのままじゃ、本当に他人同士になっちまうところだったんだろ」
「そうですね……。
本当に、その通りです」
「ん。
改めて、ありがとね。
トーヤくん」
「俺は何もしてないよ。
情けないことに、ブランシュにしてたコトもどうやら逆効果だったみたいだしな。
……それよりデファンス、そっちの方が大丈夫なのか?
一時的にとはいえ、ブランシュみたいな偉い人間をクロキアによこしてもらって」
「ガッハッハ!
今更だろうがよ。
半年以上もウチの最強をこき使っておきながら、何を言いやがンだ」
「いやまぁ、それはそうなんだが……」
「まァ……この半年で、こいつがいなくても軍が回るようにはしといたからな。
どっかの国と全面戦争でも起きねェ限り、心配はいらねェよ」
「そうなのか?」
「おう。
現王であるこのデファンス様を、なめンじゃねェ」
「そうか。
じゃあ……遠慮なく借りることにするぜ」
「そうしとけ。
そンで改めて、あっちに迷惑かけンじゃねェぞブランシュ。
キッチリ仕事して……ボウズとクロキアに、恩を返すンだぜ」
「ええ、必ず……!」
────
──
それから、数週間。
軍務の整理やマリーとの兼ね合いで、ブランシュはしばらくフリージアを去っていたのだが……。
「よ、久しぶり」
「待たせたな、トーヤ殿」
「私は毎週会ってたから、久しぶりってわけじゃないけどね。
……こんばんは、トーヤくん」
フリージアにはまた、ブランシュやマリーが集まっていた。
「おゥ、俺もいるぜ」
「ようデファンス。
……で、皆。ちゃんと腹空かせてきたか?」
「うん、ばっちり!」
「俺ァちゃんと食えるもんが出てくるか、心配でな……。
ちィとばかし多めに昼飯を食ってきたぜ」
「前にあのバカの料理が出てきた時は、全て食べきっていたではありませんか。
大オヤジ殿」
「バカ言え、ブランシュ。
出されたモンは、たとえどんなモンであれ全部食うのが人としての礼儀だろうが。
つゥか、それ言ったらお前も文句いいながら全部平らげてただろうがよ」
「それは……」
「あはは」
今日は、コルヴィがやると言っていた食堂……だったか、バーだったか。
ともかく、それが開店する日なのだ。
クロキアとフレイミア。
氷雪の民と、炎熱の民。
そして、ブランシュを始めとしたフリージアの皆が手を取り合ったからこそ完成した店。
その記念すべき開店記念日に、この三人を呼んだというわけだ。
「そういえばブランシュ。
今日は、鎧は着てないんだな」
今日のブランシュは、いつもと違う格好をしていた。
重厚な甲冑とも、軽すぎるスポーツウェアとも違う。
白と赤を基調とした、動きやすくもどこか高潔さを感じさせる、新しい装いとなっていた。
「ああ。
あれは……実家に置いてきたのでな」
「実家に……?」
「そ。
うちのお屋敷にね。
今は、中庭に飾られてるよ」
中庭というと、あの古びたジョウロがあったテラスのことか。
(……なるほど)
いつの日か。
たった一人の妹を守るために手にした、ブランシュの剣は。
彼女にとって、戦士としての道を切り開く刃となり。
誓いと共に纏った、あの鎧は。
いつの間にか彼女を『軍人』という立場に縛り付ける、呪いにもなっていたのだろう。
それを、あの場所に置いてくるということは。
(……過去に、できたってことか)
「おう、大オヤジたち!
ようやく来やがったか!」
俺たちが店の前で話していると、コルヴィが扉を開けて出てきた。
「おうコルヴィ、てめェ!!」
「あァ!?
ンだよいきなり!!」
「……酒は、たんまり用意してあるンだろうな?」
デファンスが歯を見せると、コルヴィも同じように口の端を上げた。
「……へっ。
任せとけよ。
大オヤジが気に入りそうな銘柄も、飲みきれねェぐらい揃えてあるぜ」
「よくやった。
……よォーし、てめェら!!!
今日は俺の奢りだ!! 朝まで飲むぞォ!!!!」
「ちなみに、吐いたら罰金だからな大オヤジ!
皿も机も床も、全部新品なンだからな!!」
「ガッハッハ!
俺ァ現王だぞ、いくらでも請求してみやがれ!!」
「吐くなっつってンだよ!!
お前からもなンとか言ってやれフード付き!」
「いや、俺は料理だけでいいからな。
できるだけ離れた席に座っとくよ」
「なァに言ってンだボウズ!
てめェも飲むンだよ!!!」
「うおっ!!」
デファンスに音が出るほどの勢いで背中を叩かれ、身体が跳ねる。
「あンだてめェ、酒弱ェのか?
こういうときゃな、男は黙って飲むンだよ!!」
「あーわかったわかった。
付き合うから、吐くのだけはやめてくれよ……?」
カラカラとドアベルが鳴り、俺はデファンスに連れられるようにして入店した。
「……ふふ。
私たちも行こっか、お姉ちゃん」
「ああ。
……それよりもマリー、ここは入り口が段差になっているようだからな。
足元に気を付けるのだぞ」
「もー、お姉ちゃん。
私はもう子供じゃないんだから……」
「そ、そうか……。
すまない」
「ふふ……。
でも。
右手、握っててくれる?」
「……ああ。
ほら」
「ありがと。
……もう、離さないでね。お姉ちゃん」
「もちろんだ。
何があっても離すものか。
……もう、二度と」
───その日。
夜が明けるまで、フリージアから喧騒と灯りが消えることはなかったのだった。
第一章『フレイミア編』
───終わり。
一章、終了です。
次回からは、幕間を挟んで二章へ移ります。




