第3話「銀と、月」
追われること数分。
道を変え、森を突っ切り、獣道を踏み抜いても。男たちの追撃が止む気配はなかった。
少女の息もあがり始めており、体力の限界が近いことが伺える。
対して俺はというと、汗の一粒もかいていなかった。
なぜだか今日は、身体が軽い。
彼女のペースに合わせていたというのもあるが、背後の男たちとの距離を維持するのにさほど苦労はしなかった。
しかし、隣の少女は常に全力疾走状態だ。
そもそもの体格に差があるのだから、当然と言えば当然か。
(これじゃ、埒が明かねえな……)
このままでは、捕まるのも時間の問題だろう。
仕方がないので、俺はとある作戦を決行することにした。
(あまり気は進まないが……)
少しだけ、走るペースを落とす。
少女との並走をやめ、その背後に回り込んだ。
「おい、舌噛むなよ!」
「えっ?」
それだけ言って、後ろからの足払いで彼女を宙に浮かせる。
「きゃっ!?」
そしてそのまま、膝と背中に腕を回し、抱え込んだ。
いわゆるお姫様抱っこの姿勢になるが……自分より小柄な人間を運ぶなら、これに限るだろう。
「悪いな、これで行くぞ」
彼女は自分の身体が俺の腕に収まったのを、少し遅れて認識したようだった。
「……情熱的なのね」
そのまま俺の顔を一瞥、唇を尖らせて照れ隠しのように呟いた。
「はは、そりゃどうも」
人ひとりを抱えたが、ほぼ重さを感じない。
彼女が小柄だからというのもあるのだろうが、理由はそれだけではなかった。
「その長い髪、抱えとけ……よ!」
右足を強く踏み込むと、一気に数メートル進む。
風にふわりとなびく銀は、遅れて少女の腕の中にまとめられた。
「……ありがとう」
先ほどの態度に比べ、やけに殊勝だ。
彼女の表情はよく見えなかったが……ここまで走り続けたせいか、真っ白な肌に少しだけ赤みがさしていた気がする。
そして、背後の男たちとの距離も、わずか数歩で離れ始めていた。
しかし、俺には身体を鍛える趣味などは無い。
以前なら、人を抱えながらこんな速度は出なかったはずだ。
膂力も、脚力も、体力も。
こちらに来てから、明らかに身体能力が向上している。
やや不気味に思ったが……今は緊急事態だ。あまり深く考えず、利用させてもらうことにした。
そもそもここは、魔法が存在する世界で。
転移に始まり、蘇生まで経験しているのだ。
今さら理由など求めても、栓の無いことだろう。
「真っすぐでいいのか?」
腕の中の少女に問う。
「そうね……クロキアへは、次の分かれ道を右に進んだ方が早いのだけれど」
「んじゃ、右で」
「そうしたいのだけれど……どうしたものかしら」
「なんかあるのか?」
「気付いていて?
追手の数が減っているのよ」
「……確かに」
もう一度後ろを振り返ると、3人いたはずの追手は2人に減っていた。
「右へ曲がる道は、クロキアへの最短経路。
だけど、途中で細い崖道になっている部分があるの」
「ああ」
「そして、あちらもそれを知っている可能性が高いわ」
「……離脱した1人が先回りして、そこで待ち伏せてるってことか?」
「ご明察。
賢い子は好きよ。
……さらに悪い予想を加えるなら、その1人が応援を呼んで。となるけれど」
「なるほどね……。
今の俺たちは追われてるっつーより、誘導するように追い込まれてるってわけか。
……ちなみに、別の道はダメなのか?」
「左の道は、大きな河を超える回り道なのだけれど……昨日の雨で増水しているの。
とても通れたものじゃないわ」
「ほー……。
じゃ、そっちに行くか」
「……貴方、私の話を聞いていて?」
「右に行けば、挟み撃ちに合うんだろう?
こちとら失血死したばかりなんでね。しばらく血は見たくないんだ」
「呆れた。
……好きになさい、何か考えがあるのでしょう?」
「そういうこった」
────
───
──
─
分かれ道を左に進み、しばらくすると河が見えてきた。
どうやらこの河は、山の谷間でも一番低い部分らしい。
木々の間を縫うように、上流からの水が左の下流に向けて囂々と流れている。
河のラインに沿って空が見えるが……赤茶けたそれは、俺たちを追い詰めるように暗さを増し続けていた。
「こりゃまた、ひどいな」
「言ったでしょう、とても通れる状態じゃないって」
河も増水も、予想以上の規模だった。
対岸まで、軽く10メートル以上だろうか。
素人目に見ても、川幅は元の倍以上に膨れているのだろうと理解できる。
普段なら水が届かないであろう岩肌や地面すらも、今は飲み込まれているようだ。
河と言われて俺が勝手に近所の小川を予想していたのもあるが……山の河川がここまで気性の激しいものだとは思わなかった。
「……ちなみに。
さっきみたいに氷を出してもらって、それを足場にして渡るとかっていうのは……」
「あら、この世界の地理を知りたいと言うこと?
そのまま下流まで流されてみたら叶うでしょうね。
生きていたら、だけれど」
「だよなあ」
「ちなみに、橋も無理だと思って頂戴。
この川幅を超えるような氷の橋を作るだなんて、普通の人間なら先にマナが枯れて死んでしまうわ」
それは、なんとなく理解していたつもりだ。
さきほど魔法を行使した際に『体内にあるマナとやらを全て使い果たしたら、間違いなくヤバいことになる』という感覚があったからだ。
「それで、貴方の考えは?」
「この勢いじゃ、うまくいくかわからんが……やってみるか」
囂々と流れる河に向かい、慎重に歩みを進める。
岩と土、そして草を踏みしめていくが、それらは足場としては不安定が過ぎる。
もしも苔むした岩などを踏んでしまった場合、間違いなく転んでしまうだろう。
そうなれば、良くて打撲。悪くて水葬だ。
「大丈夫ー!?」
水流の轟音に、少女も声を張る。
「おー、なんとかいけそうだ!」
「そのまま泳ぎ切るなんて言わないでしょうねー!?」
「ま、見てろって!」
ようやく河の水に触れられるところまで来た。
絶え間なく吹き付ける水しぶきが、より冷たく感じる。
(というか、冷たすぎるなこれは……)
山の水がどこから来るのかは知らないが……こんなものを浴びていたら、人間の体温など一瞬にして奪い尽くされてしまうだろう。
河に流された人間が助からないと言われる理由が、ひとつわかった気がする。
「さて、と……」
少しは信頼できそうな岩を左手で掴み、足場を確保。
右の袖をまくり上げ、右腕ごと河に浸した。
その状態で目を閉じ、集中する。
さっきは氷。
今度は、水だ。
さほど変わらないだろうと思ったが、流れる水はどうにもマナの感覚が掴みづらい。
行使する対象によって、魔法のやりやすさというのはこうも変わってくるのかと実感する。
しかし、もたついていると右手が冷えて感覚が無くなってしまう。
そうなる前に、決めなければならないだろう。
(……恐ろしいな)
マナの中心を探れば探るほどに、まるで水の一粒一粒に意思があるように感じられた。
その一粒が大量に集まり、河という一つの大きな流れを成している。
そしてその大きな河は、さらに広大な海と繋がっているのだろう。
自然という存在は、人体から見れば無限にも思える量のマナを含んでいた。
人は決して自然を操ることはできない。
その事実を、大きさを。身をもって思い知らされる。
だが。
奪うことなら───
(できる!!!)
炸裂。
今度は、弾けたのが音ではなくマナであるとはっきり理解できた。
「……ふう」
右手を河から抜き取り、立ち上がる。
そして、目を開けた俺の前には。
完全に凍結した河が広がっていた。
「はは……ちょっとやりすぎたかもしれねぇ」
不安になり、上流に目をやる。
少なくとも、目視できる範囲の水は全て凍り付いているようだった。
「……呆れた」
気付けば、背後に少女が立っていた。
「これだけの河を全部凍らせてしまうなんて、信じられないわ。
……でたらめな存在ね。貴方」
「いやー……人が通れる幅の道を作ろうと思っただけだったんだがな」
「やりすぎよ、どう見ても」
「あー、まぁなんだ。
渡れるなら一緒だ、一緒!
……つーか、あれだ。加減を知らなかったとはいえ、初めてでこの威力が出せるってことは、俺の氷魔法もそこそこいけてるんじゃないか?」
「それは……」
彼女は俺の言葉を受け、何か考えている様子だった。
ちなみに、これで体内のマナの半分ぐらいを使った気がする。
先ほどの彼女曰く、ここを渡り切れるほどの巨大な橋を氷で作るのには、人ひとりのマナじゃ足りないらしい。
が、河を凍結させる程度なら。魔法を初めて使うような俺でも可能なようだった。
(氷を作るのと水を凍結させるのなら、消費するマナの量も違うのかね……)
とにかく、道ができたのは事実だ。
今は深く考えず、先を急ぐことにした。
「そう、ね。
じゃあ、貴方のその魔法。
頼りにさせてもらおうかしら」
「おう、案内してもらう礼ぐらいはしなきゃな」
さきほどの曲がり角で追手は撒いたはずだが、まだ追撃が来ないとは限らない。
そう考え、速足で氷の河を渡り切る。
乾いた氷は、どうやら思ったよりグリップが効くようだった。
「どうした、来ないのか?」
「……サフィーア」
「ん?」
少女は俺の目を見据え、確かな足取りで氷の上を歩きながら言った。
「私の名前よ。
サフィーアと呼んで頂戴」
「ああ……そういえばアンタの名前、まだ聞いてなかったんだったか」
「ええ。
……フィーニャ、と呼んでもらっても構わないわよ?」
「あー……あだ名か?
それは、なんか抵抗あるな」
「ふふ……いいわ、サフィーアで」
「じゃあ、サフィーア。
改めて道案内よろしくな」
「ええ。
まだ周りが見えるうちに、帰るとしましょう」
「あいよ」
なぜこのタイミングで。とも思ったが……彼女は、自ら名前を教えてくれた。
どうしてだか、今はそれ自体がとても意味のあるものだと思えたのだった。
────
──
河を渡り切り、また平坦な山道に歩みを進める。
最初の道を曲がると、木々の間から月が顔を出した。
「あの月の足元が、クロキアよ」
「おー、そうか。
で、俺たちは月にたどり着くまで何年かかるんだ?」
「ふふ、月を目指して歩く旅……ね。
今はそんな旅も悪くないかもしれないって思えるわ、貴方と二人なら」
「俺は遠慮するぜ。
アンタといてあんな連中に狙われるようなら、そんな旅は御免だ」
「名前」
「え?」
「アンタ、じゃなくて」
「あー……すまん、サフィーア」
月明りで表情は見えなかったが、彼女はたしかに笑っていたのだと思う。
しかし俺は疲れからか、自ら放った言葉の違和感に気付くことはなかったのだった。




