第37話「涙と、責任」
ある夜。
俺はブランシュに呼び出され、村の北に向かっていた。
「よう、お疲れ」
「トーヤ殿か。よく来てくれた」
「いや。
で……今日は、久しぶりの賊狩りか?」
「ああ、その通りだ。
察しが良いな」
「まぁ、この時間に『戦える恰好で』って言われてたら……大体はな」
「今日は少し遠いぞ。
歩けるか」
「ん……まぁ、大丈夫だ」
言い淀んだのは、俺が昼間にアデレニエたちの引っ越しを手伝っていたからだ。
週の頭にめでたく新居が完成したので、キトやコルヴィたちと一緒に、ナスレグ村長の別邸から家財を移していたのだ。
ちなみに、もう一軒の再建した家の方は俺の手を必要としていなかった。
というのも、そちらの夫婦はワインの仕入れのために荷馬車の運転を頼んでいる人たちだ。
その二人はどうやらここ数か月ですっかり荷馬車生活に慣れてしまったようで、すでに荷物が小さくまとまっていたのだ。
そんなこんなで、肉体的な疲労はわりとある。
……のだが、賊狩りと言われては断ることはできないだろう。
「まぁ、北の方角と言ってもかなり平坦な道だからな。
装備が確認でき次第、すぐに出発するぞ」
「了解だ」
────
──
道中、俺とブランシュが言葉を交わすことはほとんどなかった。
疲労のせいもあるが、何よりもマリーの件があるからだ。
今ここは、久しぶりにブランシュと二人で会話できる機会であり、俺からその件でアプローチをかけるには絶好のタイミングなのだが……声をかけるにも、うまい言葉が見当たらない。
マリーのことを直接的に訊くこともできなければ、かといって全く関係ない話題を振り続けるのも白々しく見えてしまう。
そして何より、ブランシュもいい加減俺たちの姿勢に気付いているだろうからだ。
俺たちが、マリーとブランシュの接点をどうにかして作ろうとしていることに。
だが、ブランシュの方からもそれについて言及はされることはなかった。
故に、あちらがそれをどう思っているのかを知る由は無い。
あくまで今は、任務での行軍中だから。
ただその事実だけが、俺たちの無言を肯定していた。
「着いたぞ」
「ん……もうか」
「灯りを消せるか」
「ああ、すまん」
朱光石をしまい、暗闇に目を凝らす。
「……あの民家だ。見えるか」
暗闇の中に見えたのは、木々の隙間を分けるようにして立つ、古い小屋。
登山道からもやや離れた場所にあるその小屋は、ひどく寂れ、劣化していた。
山小屋というにはやや大きいが、民家と呼ぶには少し小さすぎる。
長い間ひとの手が入っていないように見えるそれは、かつて何かの目的のために建てられ……そして、何かの拍子に使われなくなったのだろう。
しかし、細い蔦に包まれどこか蒼古とした家屋は、その理由すらも語ろうとはしない。
今はただ人を拒み、自らが朽ちてゆく運命を受け入れるかのようにそこに鎮座していた。
「今日の標的は、この中だ」
「……なるほど。
じゃ、前と同じ手順でいいか?」
「ああ、十分だろう。
今回は建物もひとつだ、一人も逃がさんことにだけ気を配れ」
「了解だ」
剣を鞘から抜き、俺とブランシュは散開した。
ブランシュの合図と共に、練ったマナを地面に向けて解放する。
周りの土が、草が、木々が。小屋を囲うようにして次々と凍ってゆく。
以前とは違い、魔法を行使しても音が発生することはない。
本来、時魔法とはこうあるべきなのだろう。
慣れてきた今なら、それがわかる。
初めの頃は、俺が魔法を行使する度に炸裂音が鳴っていた。
しかしそれは、行き場を失った余計なマナが弾けた音だったのだ。
マナの使い方さえわかってしまえば、よりスマートに魔法を行使できるのも当然の道理で。
日々の鍛錬を欠かさなければ、『鈍化』を自由自在に使える日も、遠い未来の話ではないのだろう。
───ドンッ!!
ブランシュの起こした爆発で、意識が小屋に向く。
やや風通しの良くなった小屋は、メキメキという音を立てながら燃焼を始めた。
久しぶりの、赤い夜の始まりだ。
────
──
「これで最後だ」
「……く……ぁ……」
俺が首を掴んだ男は、微かな断末魔と共に生命活動を『停止』した。
「ふぅ。
取り逃しは無いよな」
仕留めたのは、ブランシュと合わせて10人弱。
今回も、こちらには擦り傷ひとつ無い。
俺は相変わらず血を見るのを避けたかったので、全員『停止』で仕留めている。
反対に、ブランシュの方には血の海が広がっていたのだが。
「ああ。
見事な手際だ、よくやった」
ブランシュからは賞賛の言葉が飛んできたものの、あまり褒められたことではないのだろうと思う。
俺がやっていることは、どこまでいっても『殺し』なのだ。
どんな理由をつけても、人の命を奪っていることには変わりはないのだから。
「……やっぱ、あんまこういうことには慣れたかねぇな」
「何がだ?」
以前と同じように戦場を探索しながら、呟く。
崩れた小屋をひっくり返してまで確認しているのは、『ダンナ』の手がかりがないかを確かめるためだ。
「戦闘が、だよ。
相手が野生動物とかならまだいいんだが、俺たちが剣を向けてるのはやっぱり人間なんだ。
……正直今でも、時魔法がなけりゃ冷静でいられる自信はないよ」
「全ては、守るため。
そう教えたはずだが」
「ああそうだ、それは頭では理解してるつもりだぜ。
頭では、な」
「……そうか」
ブランシュは俺の言葉の意味を理解したのか、それ以上続けなかった。
「……ブランシュは、感じた事は無かったのか?
人を殺すのが恐ろしい、って。
例えば……軍人になりたての頃とかさ」
「私は……そうだな。
返り血を初めて浴びたのは、害獣狩りの任だったろうか。
その後も軍務で何匹もの害獣を切断し、時には魔獣をも屠ってきた。
ただ目の前の敵を殲滅することだけに集中し……ひたすらに剣を振るい、どれだけ疾く、どれだけ正確に命を奪えるかの技を磨いていた。
そうしているうちに……」
標的が人になっても、抵抗は無くなっていた。ということだろうか。
「……私は、変わってしまったのだろうな。
いつの間にか、きっと……」
ブランシュの探索の手が、止まる。
迷っている、のだろうか。
彼女にしては、珍しいことだ。
「……すまん、変なこと聞いちまった。
俺が、早く慣れればいいだけの話なのにな」
「いや……」
小屋周辺を一通り見終えたので、探索を終了する。
残った盗賊たちの死体は、自然が処分してくれるだろう。
その最期を灰と血で染めてしまったこの小屋には、やや申し訳ないとは思うが。
「トーヤ殿の抱いた『恐ろしい』という感情は、きっと正しいのだろう。
それはきっと忘れるべきでも、感じぬようにもなるべきではない。
……戦士を目指さんのであれば、な。
さもなければ、大切なものを見失ってしまうこともあるだろう」
そしてブランシュから飛んできたのは、意外にも肯定の言葉だった。
しかし俺はそれに、どこか後悔の念のようなものを感じた。
今なら、聞けるかもしれない。
そう思い、以前聞けなかったことを口に出す。
「……なぁ。
前に言ってた、ブランシュの大切なものって───」
ガキン。
ブランシュが剣を鞘に納め、大きな金属音が森に響く。
その音は、俺の声を全てかき消してしまった。
「さぁ、フリージアに戻るとしよう。
このような時間まで付き合わせて悪かったな」
「……いや。
またアジトが見つかったら、呼んでくれ」
「ああ、必ず」
────
───
──
─
「おはよう、トーヤ」
「……ん……?」
微睡みの中。
聞き慣れた柔らかい声で、俺はわずかに意識を取り戻す。
「ねぇフィーニャ、もう少し寝かせておいてあげませんか……?
トーヤさんはきのう、夜遅くまでブランシュさんと訓練をされていたというお話ですし……」
「甘やかさないの、ミーチカ。
もうすぐデファンスが来ると言う話だったもの。
国同士の話し合いの場に、寝ぼけた顔で出られては困るわ」
「それは、そうですけど……」
「ほら、起きてトーヤ」
腕のあたりを、ぐいぐいと揺さぶられる。
その冷たく小さな手の感触は、我らが王様のもので間違いなかった。
「……サフィーア様、か。
今日は」
「正解。
貴方の同僚のサフィーアでも、村娘のフィーニャちゃんでもなくね」
以前のマリーたちとの話し合いから、一週間。
今日は両国から王を招いて、会議が開かれる予定の日だ。
サフィーアやミラーヤの服装も、いつかと同じ正装のようだった。
「ったく、どっから鍵を手に入れたんだか……っと」
「ふふ……王様だもの。
前に私の寝顔を見た、お返しよ」
身体を起こし、窓の外を確認する。
日の昇り具合から察するに、今は昼前ぐらいだろうか。
「さぁ、顔を洗って来なさいな。
早くしないと、フレイミアの子たちが来ちゃうわよ」
「わーってるよ。
……おはよう。サフィーア、ミラーヤ」
「ええ、おはよう」
「おはようございます、トーヤさん!」
────
──
「久しぶりだな、ボウズ。
元気そうで何よりだぜ」
「ああ、そっちこそ」
正午過ぎ。
いつもの談話室に集まったのは、ここでは普段見ない顔ぶれだった。
フレイミアからはデファンス、ブランシュ、マリー、そしてコルヴィ。
こちらからは俺とサフィーア、ミラーヤだ。
そこまでの大人数ではないにも関わらずどこか窮屈に感じるのは、デファンスのせいだろうか。
クロキアの建物は、彼のような大男が入るにはやや小さく思える。
「おう!
こっちァ、ボウズのおかげで大忙しでな。
毎度、ブランシュに面白ェことばかり持って来させやがって。
久しぶりに、仕事が楽しくてしょうがねェぜ」
「そりゃありがたいこって。
それに比べてウチの王様は、俺が仕事を増やしてるーつって嫌味ばっかりでな。
見習ってほしいもんだぜ」
「よく言うわ。
毎週、お城で書類作りを手伝ってあげてるというのに……」
「はっ、嬢ちゃんも久しぶりだな。
その様子だと、相変わらずボウズと仲良くやってるみてェじゃねェか」
「ごきげんよう。
この子のせいで、私はクロキアにも鉄拳制裁の文化を取り入れようか迷っているのだけれど」
「ガッハッハ!! そりゃいい。
もしそうなったら、怪我しねェ殴り方ぐらいは教えてやれるぜ」
「あら、それは助かるわね。
だったら、それも今日の議題に取り入れましょうか」
「……サフィーア殿、これで全員揃いました。
そろそろ本題に入っても良いのでは」
「そ、そうですよう!
喧嘩はいけませんからね、フィーニャっ」
「だそうよ、トーヤ」
「へいへい。
俺が悪うござんした……」
「くっく……」
互いに変わりがないことを確認し、一息。
しゃがれた声の持ち主が顔を引き締めて話し始めると、そこにはすでに二人の王の姿があった。
────
───
──
─
「なら、通行証あたりの整備はウチの貴族に任せよう。
馬車に持たせてるアレと似たようなモンを作れば、どうとでもなるだろ。
やれるな、クレムラン卿?」
「承りました」
「嬢ちゃんも、それでいいな」
「ええ。
異論は無いわ」
「ンじゃ、これで人の流入は管理できるか……。
他に残ってる議題はあるか、ブランシュ?」
「いえ、以上です。
クロキア側からは何か?」
「俺からは、別に」
「私も無いわ。
手早く終わって何よりよ」
「ふむ。
そりゃこっちも同じだな。
前もそうだったが……嬢ちゃんの頭がいいおかげで、話が早く進んで助かってるぜ。
俺んトコのバカ共との会議じゃ、こうはいかねェ」
「いいえ。
そちらがハッキリと決断をしてくれるおかげよ。
リスクにばかり目を向けて、いつまで経っても前に進まないうちの子たちとは大違いだもの」
「くっく……なるほどな」
デファンスは喉の奥で笑いながら、赤茶げたあご髭を撫でる。
会議は、これでほぼ終わり。
今日の話は、俺が前にブランシュに話した通り警備や居住の関係がほとんどだった。
その中で決まった内容は、いくつか。
まず、この村の警備は基本的にクロキアの騎士団が行うこと。
そしてフレイミアからの人の流入については、通行証や滞在証を発行するということだ。
滞在する場合は期限を決めて、それをこちらが承認。その後、フレイミア側で管理する。
外交という枠で言えば、本当に初歩的で原始的な仕組みだが……この世界では前例がないのだから、こうもなるだろう。
むしろ今回が最初の一歩であること、そして動く人間の規模を考えれば十分すぎるとも言える。
そして予想外だったのは、その管理のためにフリージアに大使館のようなものを作ってしまおうという話になったことだ。
これもまた、マリー───もといクレムラン卿の協力のもと、管理・建築されるらしい。
制度も建物も、形になるにはまだまだ時間がかかるそうだが。
「ンじゃあ、いっぺん解散しちまうか。
腹も減ってきたしな」
「そうね。
私も、騎士団のことで少し話をしないといけないから。
続きはお昼が終わってからかしら」
そう言って、サフィーアがこちらに目配せをする。
どうやら、その話には俺も必要らしい。
「おいコルヴィ!!」
「ンだよ、大オヤジ」
「そういえばてめェ、こっちで飯屋をやるらしいじゃねェか」
「そうだけど、それがなンだよ」
「いい機会だ。
試しになんか作って、俺に食わせてみろ。
他所様で出すのに恥ずかしくねェもんが作れるか、見てやるよ」
「へっ……そういうことか。
いいぜ、望むところだ。
俺の寮に来てくれよ、大オヤジのバカ舌でもうめェってわかるモンを出してやる」
「ふむ。
それならば、私の分も用意してもらおうか」
「げっ……」
「なに、私も舌が肥えているわけではないのでな。
貴様が万人受けするモノを作れるのであれば、特に何も言わんさ」
「や……やってやらァ!
ウマすぎて度肝抜かれんじゃねェぞ!」
あちらの三人が、がやがやと言いながら役場を退出する。
フレイミア側で残ったのは、マリーだけだ。
「マリーはよかったのか?
クレムラン商会が出資した店舗の、一号店の味を見ておく機会だぜ?」
「んー……お姉ちゃんがいると、どうしてもね。
大オヤジさんにも、まだこの件は話してないし」
「そう、か」
「ん。
それはそうと……そっちの侍女さんは初めましてかな?」
「あ、はいっ!
ミラーヤと申します、よろしくお願いしますっ!」
「マリー・クレムランだよ。
一応貴族なんだけど、こっちではただの商人ってことにしといてね」
「はい、わかりました!」
「ちなみに……この子は侍女じゃなくて、顧問魔術師ね。
お料理は得意だけれど、この子もトーヤと同じ立場よ」
「ありゃ、そうだったんだ。
ごめんね、ミラーヤさん」
「いえいえ!
わたしは、めったに魔法を使うことはありませんから。
毎日フィーニャのごはんを作っているのも本当なので、ほとんど侍女みたいなものですよ!」
「じゃあミーチカ、さっそくお昼の用意を頼めるかしら?
五人分ね」
「はい!
トーヤさん。お台所と食材、お借りしますねっ」
「ああ。
こうなると思って、食材はそこそこ用意してたはずだからな。
好きに使ってくれ」
「わぁ、ありがとうございます!」
そう言って、ミラーヤは尻尾をふさふさと揺らして厨房に向かう。
「ちなみにサフィーア、五人分ってのは?」
「お昼ついでに、騎士団の駐在の話をしておこうと思ってね。
ナスレグを呼んであるわ」
「───ええ、呼ばれましたとも」
ちょうどいいタイミングで、入り口から村長の顔が現れる。
「久しぶり、かな。
ミラーヤ君とマリー君は」
「お邪魔しています」
「わ、村長さん。
厨房、お借りしてますー!」
「はは、ご馳走になるのはこちらのようだからね。
楽しみにしているよ」
「えへへ。
じゃあ、できあがるまでちょっとお待ちくださいね!」
────
──
改めて、村長を交えて話が始まる。
ミラーヤの立てる包丁の音は心地よく、こちらの話し合いもスムーズに進んだ。
「───じゃあ、ふた月先を目処にしましょうか。
駐在する場所ができるまでには、派兵師団から人を送れるように言っておくわ」
「たしか、前にヴェルニグがここにいた時に来てくれたのは、エルビンの隊だったかな。
できるなら、その隊で頼むぜ」
「あぁ……そういえば、そうだったわね。
勝手がわかっているほうがいいものね、考慮に入れておきましょう」
「ああ、頼むよ」
「そういえば、前にヴェルニグさんが来てくれたのは何か月前だったかな……。
時間が経つのは、早いものだね」
「そうね……。
私も、すっかり忘れかけていたわ」
「俺がこっちにくるようになってからで言えば、半年ぐらいってとこか?
本当に早いもんだな」
「お城にいると、毎日が代わり映えしないから……。
どうにも時間の感覚が無くなって嫌ね」
「はは。
サフィーア様も、作物など育ててはいかがですかな?
嫌でも季節の変遷がわかりますよ、たとえ小さなものであってもね」
「そうね……昔はそんなこともしていた気がするけれど。
どうしてやめてしまったのだったかしら」
「みなさーん、もうすぐお昼ができますよ!」
「あら、ありがとう。
……それで言えばミーチカ、貴女に夏毛と冬毛があればよかったのにね」
「わぁ、それは素敵ですね!
わたしの尻尾の毛で、フィーニャにマフラーを作ってあげられるかもしれません!」
「いいのかミラーヤ?
年に二回、決まってハゲるんだぜ?」
「わふ!?
は、生え変わりは、尻尾だけでお願いできませんか……!?」
「ふふ。
ミーチカのふわふわマフラーはとても魅力的だけれど……それはそれで、お掃除が大変になりそうだわ。
お料理、いただくわね」
「あ、はい。
みなさんも、どうぞ召し上がってください!」
などとバカな応酬をしつつ、俺たちはいつの間にかミラーヤが並べてくれていた料理に手をつけ始めたのだった。
────
──
昼が終わり、会議は第二部に突入した。
デファンスたちと一緒に帰ってきたコルヴィが燃え尽きた顔をしていたが、何があったかは聞くまい。
およそ作った料理について、あの二人に色々と言われたのだろう。
「さて。
手前が思ったより早く進んじまったからな。
もう話すことなんてほとんどねェんだが……一つだけ」
「『ダンナ』のことね?」
「ああそうだ。
悪いが、こっちに進展はねェ。
引き続き調査に当たらせてはいるが……そっちはどうだ」
「こちらも同じようなものね。
ただ……少し耳に入れておきたい情報があるわ」
「ほう……?」
「正直に言うとこの情報は、こちらでもまだ裏が取れているわけではないのだけれど。
でも……万が一、これと同じ言葉を聞いたら教えて頂戴」
「ああ。
どんな言葉だ」
「……黝喰み」
「ゆうばみ……?
なンだ、そりゃ」
「杞憂ならそれでいいの。
でも、もし同じ言葉がどこかで出たら……その時は詳しく話すわ」
「ふゥむ……。
ま、頭に入れとくぜ」
「ええ、お願いね」
『黝喰み』。
それは、俺も聞いたことのない言葉だった。
しかしサフィーアが今この場で初めて口にするということは、それなりの理由があるのだろう。
話しぶりから察するに、不吉なものであることは間違いないのだろうが……。
「さァて。
なら、今日はこんなモンか。
通行証やらなんやらは、国に帰ってから決めるとするぜ」
「ええ。
また連絡を取りましょう。
次は、宿や駐屯地ができるまでに。かしらね」
「あァ、そうだな。
引き続きよろしく頼むぜ。
フード付きのボウズもな」
「ああ……つっても、普段からこっちが助けられてばかりだからな。
礼もできなくて申し訳ないんだが」
「ガッハッハ! 構いやしねェよ。
朝も言った通り、ボウズには十分楽しませてもらってっからな。
このまま、行けるところまで突っ走ってみろや」
「恩に着るよ、本当に」
「おうよ。
ンじゃあ、俺たちは帰るとするか」
デファンスの合図と共に、マリーが立ち上がる。
多分だが、同じ馬車で帰るということだろう。
「はい、大オヤジ様。
帰ったら早速、通行証などの件をお話ししませんとね。
これも立派な、公共事業ですから」
「あァ、そうだな。
……今回は、あんまぼったくるンじゃねぇぞ?」
「まぁまぁ何を仰いますか。
信用の証明には、相応の費用が必要ですのよ。
特にそれが、他国と関わることならなおさら……」
「あー、わーったわーった。
金の話は帰ってからでいい。
……ったく、胃が痛ェぜ」
相変わらずの商魂の逞しさを見せたマリーは、ちらりとこちらに手を振ってから去っていった。
「さぁ、僕も帰るとしようかな」
「私も戻るとしよう」
「俺もだ。
じゃあなフード付き」
「あぁ、二人もありがとな。
ナスレグ村長も」
「ふむ……。
今度また、同じような会議があるようであれば。
その時は、昼は私も役場に残ることにしよう。
ミラーヤ殿の作る料理は、これの作ったものとは比べ物にならないのでな」
「全部平らげておいて、よく言うぜ……」
「何か言ったか?」
「あ、あはは……。
それでしたら、今日のお夕飯もご一緒しませんか?
ブランシュさんさえよければ、ですけど……」
「良いのか?」
「はい!
今日はもともと夕方までいる予定でしたから、お作りすることはできるはずです。
ですよね、フィーニャ?」
「そうね。
あんまり暗くなると、今日中に帰れなくなっちゃうから……ほどほどにね」
「だそうです!
ぜひいっしょに食べましょう、ブランシュさんっ」
「そうか。
では、喜んでご馳走にあずかろう」
「えへへ。
コルヴィさんも、どうですか?」
「お、いいのか?
尻尾の姉ちゃん」
「はい!
ごはんは、みんなで食べたほうがきっとおいしいですから」
「いい機会だ。
お前も、ミラーヤ殿の料理から少し学ぶといい。
彼女の作る味が再現できるとは思わないが……少しでも近づくことができれば、それだけで違うだろう」
「ああ、ミラーヤの料理は絶品だからな。
それは、俺も保証する」
「ほォ……そりゃ楽しみだな。
じゃあ、せっかくだし作るトコから見させてくれ。
夕方前には、ここに来るからよ」
「ぜひぜひ~」
────
──
そうして、村役場には俺とサフィーア、ミラーヤだけが残った。
「で、夕方まで何すんだ?」
「そうね。
こんなに早く終わるとは思っていなかったから……どうしようかしら。
トーヤのお仕事場でも見に行きましょうか?」
「ん……そうか。
それなら、ついでに紹介したい人間がいるんだが」
「トーヤが言ってた、新しい子のことかしら?」
「ああそうだ。
……おいキト! いるのばれてんぞ」
「ぎくぅ!」
俺が宙に向かって声をかけると、露骨な声が返ってくる。
音がしたほうの窓を開けると、下から黒髪の持ち主がぬるりと顔を出した。
「い、いつから気付いてたッスか……」
「しばらく前からだ。
いつまで盗み聞きするつもりなんだろうな、と思ってたよ」
「むむむ……バレちゃしょうがないッス」
「あぁ、出てこい」
小さめの窓に、キトは慣れた様子で手をかける。
そして猫のような身のこなしで、音も無く跳躍。
気付けば、キトの全身が部屋の中に入ってきていた。
「お邪魔しますッス」
「あらあら……器用な子ね。
こんにちは」
「自分、キトと申しますッス。
よろしくお願いしまス……女王様?」
「ふふ……女王様、ね」
「あれ、違ったッスか?」
「いいえ、合っているわ。
あまり私を、その名前で呼ぶ子はいないけれど……」
「なんにせよ、そっちから来てくれたなら都合がいい。
紹介するから、適当に座ってくれよ。キト」
「あ、はいッス……」
キトは、どこかぎこちない様子で席につく。
場所でいうと、俺を挟んでサフィーアとは反対側の位置だ。
「にしても……よく気付いたわね、トーヤ。
もしかして貴方、人の気配でも読めるの?」
「そ、そッスよボス。
自分、結構うまく隠れてた気がするんスけど……」
「わたしは、ぜんぜん気が付きませんでした……。
人の気配が読めるなんて、なんだかかっこいいですねトーヤさん……!」
「ん……まぁ、それとなくな」
嘘である。
常識的に考えて、気配なんて読めるわけがない。
ただ、経験がモノを言っただけだ。
実を言うとキトがいた窓の外───つまりこの役場の庭にあたる場所には、一か所だけくぼんだ地面がある。
そこを踏むと、わずかにだが建物の基盤である束石がカタカタと鳴るのだ。
本当に微かな音ではあるが……今の俺の聴覚と、この建物にしばらく住んでいるが故の経験から、会議中にその音が耳に入ってきた。
怪しい人間ならまずいかと思い、気付かれないように視線を窓に移したところ、そこに見慣れた黒髪があった。というわけだ。
ただ、ミラーヤの言う通り気配が読めるというのはなんとなく格好いいので、今回は黙っておくことにする。
「ま、俺のことはいいんだ。
とりあえず紹介するよ。
こっちがキト。であっちがサフィーア、隣がミラーヤだ」
「はい。
よろしくお願いしますっ」
「どもッス……」
「……どうした?
なんか、今日は歯切れが悪いな」
「いやー……えっと」
「あー……たしかにサフィーアは王様だが、別に怖くはねえからな?
ただ、ちょっとばかし毒を吐くことはあるが」
「もう、貴方がそれを言えて……?」
「ん-と……そうなんスけど、そうじゃないというか……」
「だったらなんだ、もしかしてサフィーアの服装が───」
「トーヤ」
サフィーアの声で、制止される。
俺が黙ったのを見て、俯いたキトがゆっくりと口を開く。
「えっと……ほら。自分、盗人やってたじゃないッスか。
……だから」
「……あぁ」
なるほど。
そういえばキトには、負い目とも言える過去があったのだった。
そして今、目の前にいるのは自国の王。
ある意味で法や権力の頂点とも言えるその人物の威光は、キトの暗い過去を嫌でも照らし出してしまうのだろう。
俺はもうキトという人間に慣れてしまっていたので、何も思わなかったのだが……本人はそうもいかないようだ。
特に、嘘をつかないと誓いを立てているキトなら、なおさらなのだろう。
キトはサフィーアの顔を見ることもできず、俯いたまま続けた。
「……女王様。
自分は今まで、泥棒をして生きてきたッス。
人のモノを……みんなが頑張って得たものを、盗んできて。
それって、許されることじゃないッスよね……」
そしてキトの口をついて出たのは、懺悔にも似た独白。
後悔と、自責。
それらの感情は、見ている俺たちにも痛いほどに伝わった。
「だから、なんていうか……」
「……顔をあげなさい、キト」
「……」
「貴女のやってきたことは、トーヤから聞いているわ。
貴女がどうやって、この村に来たのかも」
「……そう、だったんスね」
「えぇ。
貴女が行ってきたことは、決して許されることではない。
本来なら、正しく罰されるべき事実だわ」
「……はいッス。
ボスの……トーヤさんのおかげで、ここに居られてるっていうのは、わかってるッス」
「違うわキト。
私は、トーヤが許したから貴女を許したんじゃない。
私情や特例で免罪符を与えるような、甘い王様じゃないわ」
「じゃあ、どうして……」
「ただ、私はね。
貴女が盗みを働いたということと同じだけ……貴女が『そうせざるを得なかった』のも、本当だと思ったの」
「それは……」
「子供がたった独りで生きていくには、盗みに手を染めるしかなかったのでしょう?
もちろん私も、それを『しょうがなかった』という言葉だけで片付けるつもりはないわ。
……でもね。
貴女の話を聞いて、考えたの。
そういう人を作ってしまった国にも、責任があるんじゃないか。
そんな国にしてしまった、私にも責任があるんじゃないか……ってね」
「そんな、王様が悪いわけじゃ……」
「だからね、キト。
私はトーヤと同じで、貴女をいまさら捕まえようとも罰しようとも、思わない。
ただ、ひとつだけ約束して欲しいの」
「約束……ッスか?」
「ええ。
今まで貴女が、周りの大人たちから『借りた』もの。
……それを、この村で必ず返すの。いい?」
「借りた、もの……。
……そんな、自分は───」
「キト。
……約束できる?」
「……。
はい、ッス」
「そう。
じゃあ……王様からの言葉は、それだけ」
「……王様……」
戸惑うように、キトが息を飲む。
そして。
「約束、するッスよ。
……やく、そく……っ」
そう呟くと同時に、キトの瞳からは大粒の涙が流れ出したのだった。
「自分……自分……ホントは、なんにもできなくて……!
でも……っ!!」
「ふふ……わかってるわ。
貴女の気持ちも、言いたいことも。
だからほら、泣かないの」
「……必ず、返すッスよ。
借りた、もの。必ずっ。
……だから……自分……!!」
キトのその先の言葉は、嗚咽にしかならなかった。
「あらあら、もう……。
ミーチカ、顔を拭いてあげて」
「あ、はいっ」
「うぶぅ……びらーやざん……!!」
「わわ。
キトさん、わたしのお洋服が汚れちゃいますから……!」
今度は、ミラーヤにすがりつくように抱き着くキト。
───そして、ひとしきり泣いた後。
彼女の顔は、晴れやかなものに変わっていた。
「えへへ……。
ご迷惑おかけしたッス」
「落ち着いた?」
「はいッス!
……でも、自分はもう帰ることにするッスよ」
「そうなんですか?
キトさんもお夕飯、ご一緒していただければ……」
「だって……なんか、恥ずかしいじゃないッスか。
大泣きしたところとか見られて……」
「それについてはいまさらじゃないか、キト」
「と、トーヤさんにはいまさらかもしれないッスけど!
……でも、アデレニエ先輩も待ってるッスから」
「ああ……そうか。
今、アデレニエん家に居候してんだっけか」
「そうッス!
今日の晩ご飯の当番は、自分ッスから」
「なら、引っ張ってきちゃ悪いな」
「そうッスそうッス。
あと……王様って、やっぱり自分とは違う世界に生きてるんだなーって思ったッスよ。
こんな立派な王様と一緒にご飯なんて、なんていうか、自分にはおそれおおいというか……」
「そのへんは、あんま気にしなくていいと思うんだがな」
「……トーヤさんも、ッスよ」
「え?」
「いや、なんでもないッス。
とにかく、自分はおいとまするッス!
……王様。自分、絶対約束守るッスから。
だから、見ててほしいッスよ」
「ええ。
また私がこっちに来たときは、顔を見せて頂戴ね」
「はいッス!」
「ちょっぴり残念ですけど……また、ですね。キトさん」
「ん、じゃあな」
「おつかれさまでしたッスー!」
そうして、キトは飛ぶように去っていった。
「いい子ね、彼女」
「ん……そうだな」
「どうしたのトーヤ?
難しい顔をして」
「いや。
ただ、サフィーアって本当に王様だったんだなーと。
久しぶりにな」
「えへへ。
かっこよかったです、フィーニャ!」
「ふふ……そう。
私はただ、あの子が赦されたがっていたのが判ったから。
ほんの少し、話を聞いてあげただけ」
「赦されたがっていた、か……」
たしかに今日のキトは、サフィーアの顔を見た時からいつもと少し違っていた。
本当に負い目があり、それを隠したいだけなのであれば。
キトは、俺が声をかける前にいなくなることもできたはずだ。
だが、それでもキトは俺たちの───サフィーアの前に姿を現した。
それはやはり、キトの中で葛藤があったからだろう。
過去の行いを、赦してほしい。
または。
誰かに、正しく裁いてほしい。そんな気持ちだったのではないだろうか。
そして、サフィーアはその両方をキトに与えた。
今思えば、俺は以前キトに『赦し』を与えたのではなく。
ただ『見逃した』だけだったのだろう。
だから、俺は。
今日キトが、気持ちを吐き出したかったことに気付けなかった。
だから、キトは───。
「トーヤ」
「ん……?」
「余計な事を考えないの。
貴方は貴方のできることをした。
ただ今回は、私にしかできないことがあった。
それでいいじゃない」
「そう……なのかな」
「ええ。
なんでもできる人なんていないわ、きっと」
自分が、サフィーアのような大人でないことはわかっている。
人の罪をどうこうできるほど、立派な人間ではないことも。
(……難しいもんだな)
そして、この日以降。
キトの俺への呼び名は『ボス』から『トーヤさん』に変わっていたのだった。
7/31まで、昼12時と夕18時の、1日2話ずつ投稿予定です。




