第32話「言葉と、扉」
翌週。
フリージアに戻るなり、俺はすぐに次の馬車に乗り込んだ。
目的地はもちろん、フレイミアの王都。クレムラン卿の屋敷だ。
そして馬車に揺られること、約半日。
ブランシュの手配してくれた軍用馬車のおかげで、日も沈まないうちにマリーのところに辿り着くことができた。
しかし相変わらず軍用馬車は乗り心地を度外視した造りになっているようで、速さと引き換えに俺の体にそこそこのダメージを与えていた。
俺はまだ痛む肩を庇いながら、目の前の大きな扉をノックする。
「誰?」
「マ……あー、えっと……クレムラン卿?
クロキアの顧問魔術師です、が」
「……入って」
少し遅れて招く声が返ってきたので、扉を開けさせてもらう。
「ふぅ……お邪魔しますよっと」
「いらっしゃい。
随分といきなりだね?」
仕事机に向かうマリーは、座ったままこちらに体を向けた。
「ああ、すまん。
アポを取ろうにも、さすがに一ヶ月は待てなかったもんでな」
「ふふっ……そういう意味じゃなくて」
「それとも、忙しかったか?
だとしたら申し訳ないが」
「んーん。
ぼちぼち、かな」
「そうか」
どうやらマリーは、相変わらずひとりで仕事をしていたようだ。
俺は返事もそこそこに、ローテーブル前のソファに座る。
「で……ホントに何の用?
取引の件? もしかして急ぎだったりする?」
「どうだろうな。
急ぎに見えちまったか?」
「質問に質問で返さないの。
トーヤくんは普段から表情読めないんだから、なおさら」
「そうか、次から気を付けるぜ」
「はぁ……。
トーヤくんのそういうトコ、嫌い」
「あんま好かれるタイプの人間じゃないことは自覚してるがな」
「なんでもストレートに話してくれるとこは好きなんだけどねー。
私が貴族だからって、おべっかも言わないし」
「ありがとよ。
じゃあ、ストレートついでに言わせてもらうとするか。
今日の用件は……ブランシュについてだ」
俺の言葉を聞き、マリーは頭を抱えた。
「……ホントに嫌いになりそう」
「冗談だ……と言いたいが、冗談じゃないつもりだ」
「私としては、前ので話し終わったつもりだったんだけど。
……ていうか、これ以上その件について考えたくない。
わかるでしょ?」
「茶化したのは悪かった。謝るよ。
でも……これについては真剣だ。
じゃないと、わざわざここまで来ない」
「……」
「頼む。
少しでいいから、話を聞いてくれないか。
あんときは何も言えなかったけど……今度はちゃんと、言葉を用意してきた」
「……はぁ。
またすかした態度を取ったら、今度こそ追い出すからね」
「俺を追い出して、マリーの仕事が進むならそれでいいぜ。
……その机を見る限り、そうは思えないが」
マリーの仕事机には、大量の書類が乱雑に積み重なっている。
しかし、処理されたと思われるものは一割も存在していないようだ。
あのようなことがあった後だ、やはり集中できてはいないのだろう。
整理されずに散らかったままの机上は、俺にはまるでマリーの心の中をそのまま表しているようにも見えた。
「はぁ……わかった。
負けだよ、負け。
お茶用意するから、ちょっと待ってね」
「感謝するよ、マリー」
「いい性格してるね、ホント」
俺はそれに敢えて返事をせず、マリーが向かいのソファに座るのをただ待つことにした。
「お待たせ。
自分で紅茶を淹れたのなんか、久しぶりだ」
「炎熱系の魔法が使えるのはいいな。
どこでも茶が沸かせる」
「味は保証しないけどねー」
勧められるままに、一口すする。
紅茶の味などわからないが、何やら高そうな茶葉を使っているのだろうということだけは理解できた。
「よいしょっと……。
それで?
トーヤくんは馬車ではるばる、私が聞きたくない話を聞かせに来た。と」
「そう言わないでくれよ。
この話をマリーにしようと思ったのには、ちゃんと理由がある」
「ま、そうだろうね。
トーヤくんは、そういう人だ」
マリーがソファにもたれかかり聞く姿勢を取ってくれたのを確認し、俺は慎重に言葉を取り出した。
「……あの日。
マリーは『自分とブランシュを、他人として扱ってくれ』って言ったよな」
「ん、そうだね」
「まず伝えたいのは、俺はそんなことをするつもりは無いってことだ」
「そう。
……たとえ私が、それを望んでないとしても?」
「ああ」
「じゃあトーヤくんの言う、理由っていうのを聞かせて。
それ次第じゃ、これ以上話を聞くつもりは無いよ」
「理由は単純だ。
ブランシュ自身が、それを望んでいないからだ」
「……はぁ。
なんでそう思ったのかはわからないけど……。
お人好しさんが考えそうな、都合のいい妄想だね」
「そう取ってもらってもいい。
それでも俺は、ブランシュはマリーのことを利用したわけじゃないと思ってる。
もちろん、見捨てたわけでもな」
「あぁそう。
あのねトーヤくん。
心を砕いてくれるのはありがたいけど、そこまでいくとお節介っていうんだよ?
それに、あの人は事実として私を拒絶した。
それが全部であり、答えなの。
少なくとも私にとってはね」
マリーの視線が、鋭くなる。
「だいたい、それで何が解決するわけ?
私たちはもう、お互いを忘れようとしてるの。
それをトーヤくんが無理やり引き合わせたところで、何にもならない」
「違う、ブランシュはマリーのことを忘れようだなんて思ってない。
あいつは、今でも───」
「やめて。
都合のいい妄想も、根拠のない慰めも、私は求めてない。
私は私の判断で、過去に区切りをつけた。
トーヤくんのお節介なんて、私は必要としてないの。
それ以上言うと、いくらトーヤくんでも怒るよ」
「マリー……!
ブランシュはマリーにとって、一番の家族だったんじゃないのか?
いつ帰ってくるのか、生きてるかどうかすらわからないのに。それでも何年も待ち続けられるぐらいの……大切な存在だったんじゃないのか?
たとえ俺が『はいそうですか』って、マリーの言う通りに二人を他人として扱ったとして。
たったそれだけで……そんな簡単に、他人になんてなれるもんかよ……!?」
「……っ!」
マリーの拳が、膝の上で強く握られる。
「……貴族の苦労も、私の気持ちも。
私がどれだけ悩んで、考え抜いて、あの人を忘れようと決めたのかも!
なんにも知らないくせに、わかった風な口を利かないでよ……!!」
「……いいや、わかってるさ」
「何を……!」
「今の。
大人になったブランシュのことをだよ。
少なくとも、マリーよりはな」
「……!
それは……」
「前にブランシュと話したとき、あいつはこう言ってた。
『私は、大切な人のために軍人をやっている』って。
……それはマリーのことなんだ。間違いなく、今でもな」
「それこそ、都合の良い想像じゃない……!
お姉ちゃんが、私以外に大切な人を見つけた可能性だって……!」
「だったら!
……それを確かめればいいだろ?
本当にそうなのか。もしそうだとしたら、そいつがどんなヤツなのかをさ」
「もうやめて!
どうしてわかってくれないの……!?
私が一番聞きたくないのは、そういう話!
……あの人が私を置き去りにして、どんな人生を送ってるのか。
誰と出会って、何をしてるのか!
私はそれを想像したくないから、あの日トーヤくんに全部話した!
私の知ってるお姉ちゃんはもういないんだって。待ち続けるのも、これで終わりなんだって。
……過去に、区切りをつけるために……!」
マリーの叫びは、徐々に悲痛なものへと変わっていく。
「……なのにトーヤくんは、まだ私を傷つける気なの……?」
たしかに、マリーの言う通りだ。
今の俺がしていることは、一度塞いだ傷を開く行為に他ならない。
だが、無理やり塞いでしまった傷は、いつまでも正しく治ることはないのだ。
その傷の持ち主はきっと『もう痛くないから』と言い訳をして、ただ目を逸らすことしかできない。
いつか傷があったことさえ忘れてしまう、その日まで。
そんな悲しい結末になるぐらいなら、俺は喜んでマリーを傷つける悪者になってやろう。
「じゃあ聞くぜ、マリー。
今のブランシュは、マリーのことを嫌いになっちまったと思うか?」
「……っ!」
「たしかに俺は、昔のブランシュのことを知らないさ。
ブランシュと接してきた時間だって、マリーに比べればずっと短いだろう。
でもな、今のブランシュは───俺の知ってるブランシュは、決してそんな薄情なヤツじゃない。
誰よりも強くて、冷徹で。……でも、世話焼きで。
そして、なによりも義を重んじるようなヤツだ。
そんなブランシュが、大切にしてた妹を裏切って利用するわけがない。
ましてや、マリーのことを忘れようとなんてしてるわけがないんだ。
それだけは、俺にだってわかる」
「……」
「マリーだって、そうなんじゃないのか?
自分が利用されたんだって結論付けても、ブランシュのことを忘れようって決めたとしても。
それでも、ブランシュのことを嫌いになんてなってない。
……いや、むしろ逆だ。
好きなままでいたいから、自分が犠牲になったことにして、過去に蓋をした。
変わってしまったかもしれないブランシュを、見たくないから。
違うか?」
「それは……」
「……なぁマリー、よく考えてみろよ。
マリーは今のブランシュと、まだ一言しか話してないだろ?
それも『私はあなたの探しているブランシュではない』って、一方的な一言だけだ。
本当に、それだけなんだ。
……十年以上も待ち続けてた家族との別れが、たったそれだけでいいのかよ……?」
俯いてしまったマリーに、俺はゆっくりと言葉を重ねる。
「ブランシュは、いつまでもあの村にいるわけじゃない。
本来なら、アデレニエたちの家が完成した時点でフレイミアに戻る予定なんだ。
今のままだと、その日が来るのはきっとそう遠くない。
それにマリーだって、フリージアに視察にくるのは初めだけって話だったはずだろ?
このまま二人が国に戻っちまったら……それこそ本当に、今生の別れになっちまうぜ。
ただの軍人と、貴族の一人娘。
その関係のままでな」
「それは……だって、お姉ちゃんがそれを望んでるから……!」
「違うだろ、マリー!
どんな理由をつけたって、ブランシュはマリーにとって、そんな簡単に諦められるような存在じゃないはずだろ!
もっと大きな……マリーの『生きる意味』みたいなもんだったんじゃないのか?
……だから今だって、マリーは迷ってんだろ?
ブランシュが本当に自分を拒絶したのか、なんであんなことを言ったのか知りたい。って。
でも、それを知るのが怖いから。
弱気になって、諦めて。
そんなんで『立派な大人になった』って、子供の頃の約束を果たせたって、言えんのかよ……!?」
「……トーヤくん……」
「マリー、俺を信じてくれ。
ブランシュは絶対に、マリーを裏切ったりなんてしていない。
たった一人の妹以上に大切な人間なんて、存在するわけがないんだ。
だから、マリーを拒絶した理由はきっと他にあるんだ。
今はまだマリーの元に戻ってこれない、ただそれだけの理由が。
だから一緒に、それを突き止めよう。
ブランシュをしばらくあの村に繋ぎとめておくことぐらいなら、俺にもできるからさ。
……もし、俺のことを信じられないってんなら、それでもいい。
でもせめて、もう一度くらい信じてやってくれよ。
自分自身と……自分が大好きだった、ブランシュのことぐらいはさ」
マリーは俯いたまま、何度か口を開きかけては、閉じる。
「……ずるい」
そして出てきたのは、か細く、震えた声。
「ずるいよ、トーヤくん。
そんなこと言われたら私、また迷っちゃうよ。
お姉ちゃんのこと、諦めたくない。って……」
「それでいいんだ。
俺なんかの言葉で迷うってことは、マリーの中で気持ちの整理がついてないんだ。きっと。
そんな気持ちのままで、前に進んでいいのか?
少なくとも、俺の知ってる『クレムラン卿』はそんな中途半端なヤツじゃないはずだぜ?」
「……うん」
「だからマリー、俺の手を取ってくれ。
俺はブランシュほど、マリーに近い存在じゃない。
マリーの方から手を伸ばしてくれないと、俺はその手を引っ張ってやれないんだ」
「……信じて、いいんだね?」
「ああ、失望はさせない。
約束する」
俺が伸ばした手に、マリーの掌が重なる。
その細い手は、以前よりもどこか小さく見えた。
「……あったかい」
俺の手の感触を確かめながら、もう片方の手でマリーは涙を拭う。
「ふふ。
トーヤくん、なんだかあの頃のお姉ちゃんみたい。
……おかしいね、私の方が年上のはずなのに」
「ブランシュほど頼りにはならないかもしれないけどな。
それでも……人ひとり前を向かせてやれないほど、情けなくもないつもりだ」
「そっか。
お姉ちゃんは……今のお姉ちゃんは、この手よりも、ずっと頼りになるんだ」
「ああ。
俺の何倍も、な」
涙も乾いてしまったのか、マリーはその手を離す。
「……あはは。
なんか、恥ずかしいね」
それでも赤くなったその目は、真っすぐに俺を見据えたままだった。
「言うなよ。
こっちまで恥ずかしくなってくるぜ」
「ごめんごめん。
……でも、ありがとね。トーヤくんの言う通りだ。
私、気付けたよ。
この気持ち、あやふやなままで終わらせちゃいけないんだなって。
お姉ちゃんが、誰かがそう言ったから。
そうやって言い訳をして、いつまでも自分じゃ決断できなくて。
そんなんじゃ、立派な大人になったって胸を張れないね。
……こんな私じゃきっと、お姉ちゃんも安心して戻ってこれないよね」
「マリーは十分、立派だと思うぜ。
ただ、ブランシュにも理由があるんだ。
すぐには帰ってこれないってだけの理由が、きっと」
「ん、ありがと。
私も、そう思うことにする。
トーヤくんのこと、信じてみる。
お姉ちゃんのことも……諦めない。追いかけてみるよ」
「……よかった」
マリーの決意を聞き、気が抜けた俺はソファに全ての体重を預けた。
「ようやく、ちょっとは前を向いてくれたな?」
「……まだ、わかんないよ。
でも、前がどっちかは、わかった気がする。
トーヤくんのおかげで」
「そうか。
じゃあ……それで十分だ」
僅かにはにかんだマリーを確認し、安堵する。
(本当に、よかった……)
緊張でからからに乾いた喉に紅茶を流し込むと、優しい香りが鼻に抜けた。
「それで……具体的には、どうするつもりなの?」
「ああ……そうだな。
まずはさっきも言った通り、ブランシュと話をしてみようぜ。
少しずつ。それこそ、初めは仕事の話をするだけでもいい。
そのための機会は、俺が用意する。
ブランシュの声を聞いて、それに言葉を重ねて。
そんだけでも、何か変わるはずだ。
お互いに、な」
「……お互いに」
「ああ。
マリーは、今のブランシュのことを知らないだろ?
でもそれは、あっちだって同じはずなんだ。
だったら会話の中で、今のマリーが昔とどれだけ変わったかわからせてやればいい。
なんなら、マリーが思ったより立派になったんだって気付かせてやれば、話は案外早いかもしれないぜ?」
「あはは……そっか。
わかった。
それじゃあ、私もしっかりしないとだね」
「ああ、頼むぜ」
「……うん、そだよね。
よし。
なんかちょっと、やる気出てきたかも」
「おっ、そうか。
だったら、本当に安心したよ。
……さっきまでのマリーは、今にも死んじまいそうな顔してたからな」
「あはは……。
実を言うと、昨日まではちょっとそんな気持ちだったかも」
眉の端を少し下げながら、マリーは続ける。
「まえにフリージアを出た時から、ずっとそうだったんだ。
仕事に取りかかろうとするたびに。この机に、座るたびに。
私、なんでこんなに頑張ってるのかな。って、そんなことばかり考えちゃって。
トーヤくんにも、言葉では『お姉ちゃんのことは諦めた』なんて言っちゃったけど。
やっぱり私は、どこかでお姉ちゃんのこと待ってたんだと思う。
あの日の約束を、心の支えにしてたんだと思う。
それがないとまっすぐ立てないってことにも、気付かないままに。
……かっこ悪いよね」
「んなことないと思うぜ。
人間、頼るもんがあってこそだろ。
『自分は自分の力だけで生きてるんだ』なんて言う人間に、ロクなやつなんていないぜ。きっと。
……って、俺なんかが言っても偉そうに聞こえるだけか」
「んーん。
わかるよ、その気持ち。
……ありがとね」
我ながらご高説を垂れたつもりだったが、そこまで真っすぐに礼を言われるとどうにも居心地が悪い。
そのくすぐったい感覚に改めて『自分はひねくれているな』と感じつつ、ソファから立ち上がる。
「んじゃま、今の俺の役割はここまでだ。
とりあえず、来週からもフリージアで待ってるぜ」
「ん。
絶対行くよ。
いつも通りの顔して、ね」
「ああ。
よろしく頼むよ」
窓の外では、すでに煙が止んでいた。
フレイミアにおいて、空が透明に見えるということは、この街全体が眠りにつき始めたことを意味する。
(せっかくだし、何か美味いモンでも食って帰るか)
そんなことを考えながら歩き出したところで、背後から声がかかった。
「ねぇ、トーヤくん」
「ん?」
背中越しに、視線だけを向ける。
ソファには、俯いたマリーの姿。
髪に隠れたその表情は、読めなかった。
「……もし。
もし本当に、お姉ちゃんが私以外に大切な人を見つけてたら、どうするつもり?
やっぱりお姉ちゃんは……あの日の約束は。
私にとっての、生きる意味みたいなものなんだ。
だからもし、それがホントに無くなっちゃったら。
もしお姉ちゃんが、本当に帰ってくるつもりがないって……わかっちゃったら。
私……また、独りに……」
「大丈夫だ。
そうはならないから、安心してくれ。
何度も言うけどさ、マリー。俺を信じてくれよ。
それに、もしそうなったら……俺がどうとでも責任を取ってやる」
その言葉に反応し、マリーはにわかに顔をあげる。
「……そっか。
責任、とってくれるんだ?
私を……独りにしないための」
「え?」
数秒して、意味が歪曲して伝わっていることに気付く。
「ああいや、違うって!
俺がちゃんと、その原因を突き止めてやるって意味でだな……!」
「……いいよ、私。
トーヤくんなら」
「ちょっ……おい、マリー……!
俺はそういうつもりで言ったんじゃ……!」
「……ふふっ。
だーめ。
だってトーヤくんと結婚できたら、今までトーヤくんに儲けさせたお金がぜーんぶ私のモノになるんだから。
だから……私は、いつでも大歓迎だよ?」
顔をあげたマリーは、いつものように笑っていた。
なるほど。
どうやら俺は、からかわれたらしい。
「あー……ったく。
そういうことかよ……」
「あはは、半分冗談。
じゃあほら、そろそろ出て行った。
私はいまから、溜まってたお仕事を片付けなきゃいけないんだから」
「へいへい。
それじゃあお暇させてもらいますよ、クレムラン卿」
「うむうむ、下がってよいぞー!
……なんてね」
マリーの力の抜けてしまうような一言に、俺たちは一息だけ笑いを漏らす。
「……んじゃ、ホントに行くぜ」
「うん、またね」
「おう」
いつもの調子に戻ったマリーに多少の安心感を覚え、俺は執務室の扉をくぐる。
「……その時は、本当にお姉ちゃんの代わりになってよね。
トーヤくん」
最後に、マリーが呟いた言葉。
それは扉の閉まる音に紛れて、俺の耳に届くことはなかったのだった。
7/31まで、昼12時と夕18時の、1日2話ずつ投稿予定です。




