第31話「炎と、孤独」
「っつーわけで、とりあえず一人は確保できた。
マリーの助言のおかげだ。本当に助かったよ」
「そ、よかったじゃない。
その調子でじゃんじゃん増やしちゃってよ、人も出荷量も。ね」
「そうしたいな。
まあ、実際に出荷量が増やせるのは倉庫の増設をしてからだから……まだ待ってもらうことになるが」
「ん。
ちなみに、その倉庫増設に関してはもう着工してるんだっけ?
たしか、大オヤジさんの手配した業者だったよね。
で、それはそれでよくて、私たちがこれから話さないといけないのは、寮と貯氷庫の方だけ……って認識でいいんだよね?」
「ああ、その認識で間違いないよ」
「んー、ちょっとややこしくなってきたねー」
「ま、そのへんは気にしなくていい。
建築の関係はブランシュが管理してくれてるから、俺たちはそれを引き継ぐだけになるだろう」
「そっか。
……赤い鎧の軍人さんが、ね」
ブランシュという言葉を出した途端、マリーの表情に翳りがさした。
(まぁ、そうなるか……)
今日はお互いに気を遣い、敢えて触れないようにしていた話題だが……仕事上、ブランシュの名前が出てくるのは避けられないことだった。
そして、意識するとどうしても俺は思い出してしまう。
ブランシュと出会い、ひどく動揺したマリーの姿。
そしてあの日、最後まで鎧を脱がなかったブランシュの冷たい声を。
(かと言って、なあなあで進めるってのは無理だよな……。
仕事上、この三人で話す機会は絶対にできちまう)
二人の間に、何があったのか。
俺にはそれを推し測ることすらできないが……避けて通ることはできない問題なのだろうとも思う。
だから俺は、意を決してマリーに直接訊くことにした。
「なぁマリー、不躾なのはわかってるんだが……」
「……前のコト、だよね?」
「ああ。
なんつーか、前のアレは……その、俺にとっても意外だったっていうか……」
「あはは。ありがと、気を遣ってくれて。
でも……大丈夫だよ。
それよりごめんね、あの日は急に飛び出したりなんかして。
売上金はあのあとアデレニエさんに渡したんだけど、受け取ってくれた?」
「ああ、その点については大丈夫なんだが……」
「そっかそっか。
それはよかった」
マリーはそう言って紅茶を一口含むと、ゆっくりと椅子に背中を預ける。
そして彼女が、ふぅと息をついた後。
少しの沈黙だけが流れた。
「そだよねー……。
どちらにせよ、トーヤくんには話しておかないとだよね……」
「いや……どうしても話しづらい話題だったら、別にいいんだぜ。
俺も、無理に聞き出そうとは思ってない」
「ううん、いいの。
嘘も誤魔化しもナシ、って話だったもんね。
それに……トーヤくんになら、話してもいいかなって」
「そうか。
……聞いていいんだな?」
「うん。
むしろ、私が聞いてほしいんだ。
でも、わかってると思うけど……面白い話じゃないよ、色々と。
それでもよければ」
「ああ、頼むよ」
「ん。
じゃあ───」
マリーは氷の入ったグラスを慣れた手つきでカラリと回してから、ぽつぽつと話し始めた。
「まず、あの赤い鎧の軍人さん……ブランシュはね。
私の───『お姉ちゃん』なんだ」
(……なんだと?)
「いや、『お姉ちゃんだった』。
のほうが正しいかな、今は」
ブランシュが、マリーの姉?
たしかに言われてみれば、二人の髪や目の色は近い。
なのだが……職業といい立場といい、彼女たちにはあまりにも接点が無さすぎる。
「悪い。
その『お姉ちゃん』ってのは……実の姉ってことで、いいんだよな?
血の繋がった……」
「そ。
私も実際に顔を見ないと確証はないけど……でも、たぶんホント。
この一週間で調べさせた限りではね」
『調べさせた』というのは、商会の情報網を使ったという意味で間違いないだろう。
そして、マリーは懐から一枚の紙を取り出した。
「えーっと?
14歳で軍に入り、男だらけの中を腕っぷし一つでのし上がっていった人物。
過去に例のない速さで昇格を果たし、周りから化け物だなんだと言われてる間に大オヤジさんの目にも留まって……十数年で実質的な軍のトップに。ね。
すごいよね。実際、軍の模擬戦では負け無しらしいよ?」
「ああ、俺も一緒に戦ったことがあるからわかるぜ。
ブランシュの戦いぶりは、凄まじいもんだった。
だけど……マリーの姉ってことは、元々貴族だったってことなんだよな?
しかも姉ってことは、長子で……」
「うん。
……本当は商会だって、私じゃなくてお姉ちゃんが継ぐ予定だったんだ」
「そうなる、よな……普通は。
だったらどうして、ブランシュは今……」
「軍人さんに、ね。
そのへんが、今回の『おもしろくないお話』ってわけ。
それじゃあ……ここからはちょっと昔話をしよっか。
マリーお姉さんの半生物語、始まり始まりだ」
マリーは目を伏せたまま、おどけてそう言った。
「知っての通り、私は貴族の生まれ。
私のお父様がクレムラン商会を立ち上げた張本人だったから、家はそれなりに裕福だった。
ただ、爵位こそ持ってるけど……所詮は成り上がり貴族ってやつでね。
周りの由緒ある貴族たちからの風当りは、決して弱くはなかった。
それは、今でもそう」
「だからマリーは、商会を大きくしようとしてるってことか?」
マリーは頷きだけで俺に返事をした。
「そんなもんだから、小さい頃は私と仲良くしてくれるような同年代の子なんて、一人もいなかった。
普通の子たちは貴族だからって近寄ってくれないし……貴族の子たちは、その逆の理由で」
なるほど。
貴族と言えば聞こえはいいが……平民と本物の貴族の間のような存在であるマリーの家には、その立場特有の悩みもあったのだろう。
「だから私と遊んでくれるのは、お姉ちゃんだけだった。
お姉ちゃんは私の五つ上で、貴族であり商家の長子。
……ちなみに、この意味はわかるよね?」
「まぁ、それなりには」
「ん。
だから小さい頃の私は、ずっとお姉ちゃんと遊んでたんだ。
……お姉ちゃんはいつでも私に優しかった。
お人形遊びだって、おままごとだって。
歳が一回りも離れてる私の幼稚な遊びにも、嫌な顔ひとつせず付き合ってくれたんだ。
外に遊びに行った時だってそう。
自分はいくら怪我をしても平気だって言い張るのに、私が擦り傷ひとつ作っただけで、泣きながら『大丈夫かマリー』って。
『私はつよい炎熱の民で、立派なクレムラン卿の娘だから。これぐらい平気だよ』って言っても、お姉ちゃんは『すまないマリー、守ってやれなくて……』って泣きじゃくった。
私は、そんなお姉ちゃんが……大好きだった」
子供の頃の二人は、ずっと一緒だったということか。
たまに垣間見えるブランシュの面倒見の良さも、歳の離れた妹を持つが故だったのだろう。
「お姉ちゃんは、なんでもできた。
勉強も、運動も、魔法だって。
商人や貴族としての習い事なんかもあったけど、どれも涼しい顔でこなしてた。
しかも、私が何かうまく出来なかった時は、お姉ちゃんはいくらでも付き合って教えてくれた」
「仲が、良かったんだな」
「うん。
本当に……私にとっては、憧れの存在だったんだ」
ならば、なおのこと『何故』という疑問が浮かぶ。
今の二人の関係は、話に聞く仲の良い姉妹とはかけ離れたものだろう。
「じゃあどうして、って顔だね」
「ああ」
「きっかけは、私が9歳のときかな。
私に縁談の話が来たんだ」
「縁談?
そんな子供の時期にか?」
「ん。
貴族の世界じゃ、珍しくもなんともないよ。
……もちろん、実際にその歳で結婚するわけじゃないけどね。
いわゆる許嫁ってやつだ」
「でも、9歳って……。
そんな歳で、自分の未来なんか自分で決められるわけがないだろ」
「そだよ。
トーヤくんの言う通り、自分で決められる歳なんかじゃない。
───だから、親が決める」
「親が決めるって、そんな……」
「何か変?
貴族としては、それが当然なんだよ。
次女である私は、他の貴族とのパイプを作るために他の家に嫁ぐことが決まる。
そしてそれは、長女であるお姉ちゃんが家を継げるだけの能力があると判断されたってこと。
それは、喜ばしい事なんだ。
そうすれば、みんなが幸せになれるんだから」
「つったって……それじゃ、マリーが」
「うん、私が?」
マリーの声は、平坦なものだった。
「いや、なんつーか……マリーの意志が、尊重されてないんじゃないかって」
「……本当にそう思う?
私が嫁ぐことは、みんなが幸せになれる道なんだよ。
私も含めてね」
「それでもだ。
一人だけが。しかも、家の中で一番小さい子が我慢するなんて……なんか、違うぜ」
「……ふふ、そっか。
トーヤくんは、優しいんだね」
「いや……」
「いいんだよ。私の言い方もちょっと意地悪だったよね。
トーヤくんの言いたいこともわかるよ……今の私なら。
けど、その時は皆がその通りに進むと思ってたんだ。
もちろん、当時の私も納得の上だった。
……でも、一人だけそれに声をあげた人がいた」
「反対の声を、か?」
「そう、今のトーヤくんみたいにね。
それは誰でもない……私のお姉ちゃんだった」
「ブランシュが……」
「貴族が嫁ぐということは、元いた家を捨てて婚家の人間になるっていうこと。
つまり私は、お父様やお母様、そしてお姉ちゃんとも他人になっちゃうってこと。
お姉ちゃんは、それに反対したんだ。
この子はどんなことがあっても、私の妹だ。
それを変えさせはしない。だから、マリーを嫁になんて出さない。ってね。
めちゃくちゃだよね?
お姉ちゃんだって、長子って言ってもまだ何の力も持ってないただの箱入り娘だったんだよ。
なのに、貴族の親同士が決めたことに逆らうなんて。
反抗期だからなんて言い訳じゃ、済まないことだ」
たしかに、マリーの未来だけでなく二つの家の未来に関わることなのだ。
それに逆らうなど、甚だ無謀な行為だろう。
「でも、お姉ちゃんがそんなことをした理由は、誰でもない私にあったんだ。
その頃の私は、貴族の娘として嫁ぐということが。許嫁をつけられるということがどういうことか、よくわかってなかった。
9歳の女の子に、そんなこと想像できるわけがなかった。
でも、一つだけわかったことがあった。
それは、自分がお姉ちゃんと離れ離れになっちゃうんだってこと。
だから私は、泣いた。
お姉ちゃんとわかれるなんて、絶対に嫌だ。って。
納得してたなんて、嘘。
私は親に言いくるめられて、ただ『納得させられた』だけ。
もちろん、私が泣いたところでお父様が考えを変えることなんてなかった。
お前も大人になればわかる。
これはお前のためなんだ。
ただ、優しくそう言い聞かせられるだけ。
……今考えれば、お父様も悪気があったわけじゃないってわかるよ。
本気で私の未来を考えてくれた末の道なんだって、わかる。
でも、私が泣き止むことはなかった。
その頃の私にとっては、お姉ちゃんだけがこの世界の全てだったから。
お姉ちゃんが私の傍からいなくなるなんて、想像すらできなかった。
そして、その涙を受け止めてくれたのも……お姉ちゃんだった。
『大丈夫だ、マリー。私がなんとかしてみせる』って。
その頃の私はバカだったから、その言葉の本当の意味もわからなかった。
ただ本当にお姉ちゃんがなんとかしてくれるんだ、って。
そう信じ込んで……お姉ちゃんになにもかも押し付けちゃったんだ。
だからお姉ちゃんは、人生で初めてお父様に逆らった。
……私のために」
今まで温室で育ってきた箱入りのお嬢様が親に逆らったらどうなるかなど、想像に難くないものだ。
しかし幼かったマリーは、それにすがるしかなかったのだろう。
「そこからはもう大げんかだよ。
お姉ちゃんは『絶対にマリーを行かせない』。
お父様は『何もわかっていない子供が口を出すな』ってね。
普段ならお母様が諭したら大人しくなるのに、その日は二人とも聞かないの。
もう殴る蹴るなんて当たり前。……まぁ、先に手を出したのはお姉ちゃんだから、そうなって当然なんだけど。
でも結局その日は決着がつかなくて、二人とも一歩も譲らないまま部屋に戻った。
生まれて初めての親子喧嘩でお姉ちゃんはボロボロになって、私はその姿を見てまた泣いた。
それでもお姉ちゃんは、私の前では笑ってた。
『泣くなマリー、私は大丈夫だから』って。
私はお姉ちゃんが傷つくのも、家族が喧嘩をするのも、これ以上見たくなかった。
そんなことが続くぐらいなら、私は嫁いでもなんでもいいって。
私はその時初めて、覚悟ができたんだと思う。
でも、いつまで経ってもそんな日はこなかった」
「……っていうと」
「次の日の朝だ。
まだ朝日が昇りきってもいない時間に、お姉ちゃんは私を優しく起こしてくれた。
背中には、大きい荷物を背負ってた気がする。
まだ眠かったから、よく覚えてないんだけど……お姉ちゃんはこんなことを言ってたと思う。
『私はこの家を出て、貴族をやめる。
そしたらマリー、お前が家を継ぐんだ。
私はしばらくいなくなるけど、お前が家を継げば、少なくとも縁談の話は無くなる。
そしてお互いが立派な大人になって、自分の人生を自分で決められるようになったら。
その時また、再会しよう。
そうすれば私たちはまた、二人で一緒にいられるから。
約束だ、マリー』……って。
お姉ちゃんがいなくなる。
でも、お姉ちゃんと一緒にいられる。
わけがわからないまま、私は頷いた。
だって、お姉ちゃんは私との約束を破ったことは一度もなかったから。
そのあと、安心してもう一度眠りについた私が目を覚ました頃には……お姉ちゃんの姿は、どこにもなかったんだ」
「……文字通り、家を出たのか」
「うん。
一応書き置きはあったみたいだけど……急にいなくなったもんだから、お父様やお母様は大騒ぎ。
それから、お姉ちゃんが行きそうな場所を全部当たって。それでも見つからなかったから……人まで雇って国中を探させたみたい。
でも結局、見つからなかったんだって」
おそらくブランシュは、家を出た後しばらく身を隠していたのだろう。
そして捜索の手が止んだ頃、身分を隠して軍に入隊した。ということだ。
「それからしばらくして、私の生活が変わった。
お姉ちゃんがいなくなっただけじゃない。
ただでさえ厳しかった習い事が、もっと厳しくなったんだ。
ブランシュがいなくなった今、マリーに家を継がせなければならない。
そんなお父様やお母様の焦りは、私にも伝わった。
お勉強も、お稽古も。
初めはお姉ちゃんがやってたのと同じ量だけでも、ついていくので精一杯だった。
そこで初めて、私は次女だったから。そしてお姉ちゃんが優秀だったから、今まで甘やかされてたんだってことに気付いた。
そして、お姉ちゃんはそれを片付けながら、私と遊ぶ時間まで作ってくれてたんだってことも。
でも私は、必死でそれをこなしてみせた。
私には、お姉ちゃんとの約束があったから。
たった独りで、どれだけ寂しくても。
私が立派な大人になれば、お姉ちゃんが迎えに来てくれる。
そう、約束したから。
だから私は、ただその約束だけを頼りに、がむしゃらに努力を重ねて。
そして……結果的に、私は家を継いだ。
幸い私には、数字をいじくる才能はあったみたいだからね。
色んなコトに手を出して、クレムラン商会はどんどん大きくなった。
そこからは……トーヤくんの知っての通りだね。
なんのかんのがあって、今のマリーさんがいるわけなんだけど」
「……つまり、そのゴタゴタがあったのはマリーが9歳の時ってことで……」
「そ。
……辻褄が、合っちゃうよね」
ブランシュが軍に入隊したのは、14歳の時。
そしてブランシュは、マリーの五つ上。
であれば、マリーの言う通り。
たとえ顔を見ずとも、赤い鎧の主がブランシュ本人であると断定するには十分だろう。
「それでも結局、お姉ちゃんは帰ってこなかった。
今の今まで、手紙の一つもないままに。ね。
だから私、諦めてたんだ。
お姉ちゃんはもう、この国にはいないんじゃないかって。
ううん。国を出ちゃっただけならマシだとも思ってた。
もしかしたら、どこかで事件か何かに巻き込まれて、もう……」
「……でも、実際にここで再会できた」
「……うん。
再会、しちゃったんだ」
「なら、それを喜ぶべきなはずなんだ。
なのに……」
「……」
「なのにブランシュは、マリーを避けているように見えた。
……いや、避けているっていうよりも、突き放した感じたったぜ、あれは。
どうしてだ?
自分の人生を自分で決められるようになったら帰ってくる、って約束だったんだろ?
子供だった頃と比べたら、マリーもブランシュも、もう十分に大人になったんじゃないか?
なのに手紙の一つも寄越さないまま、どうして今まで……」
俯いてしまったマリーを見ていられなくなり、俺の言葉に熱がこもる。
「……帰って、これないんじゃないかな」
「帰ってこれない……?」
「トーヤくんも見たでしょ?
お姉ちゃんが立派に軍人さんをやってるところを。
しかも、とっても偉い立場にまでなって」
「……ああ」
「あれだけ立派になってたら……帰ってこれないよ。
貴族崩れの人間だなんて、いまさら周りに知られたくないんだと思う。
っていうより、知られるわけにはいかないよね。
人間関係とか、地位とかさ。色々しがらみもあるだろうし。
……トーヤくんも、それは理解できるでしょ?」
「それは、そうかもしれないが……。
でもそれじゃ、あんな冷たい態度を取る理由にはならないだろ?
しかも、『私はあなたの知るブランシュではない』なんて……」
「思うよね、どうしてって。
私も考えたよ、この二週間。ずっと、ね。
それで……その理由がわかった」
「そう、なのか?」
「うん。
帰ってこれないだけじゃない。
お姉ちゃんは───」
そこまで言って、マリーは一度言葉を飲みこみ。
そしてまた、ゆっくりと口を開いた。
「お姉ちゃんは、本当は……『帰りたくない』んだ。って」
「……どういうことだよ……」
困惑する俺に対し、マリーは静かに続けた。
「お姉ちゃんはね、昔から外で遊ぶのが大好きだったんだ。
お勉強もお稽古もできたけど、一番好きなのは身体を動かすことだった。
だからお姉ちゃんは……元から家を継ぐんじゃなくて、軍人さんになりたかったんだと思う。
でも、貴族として家にいるだけじゃその夢は叶わない。
それで、ずっと家を出たがってたんじゃないかな。
……だから私は、そのために……」
利用された、ということだろうか。
自らが貴族をやめ、家を出る。その口実作りのために?
「そんな───」
「でも私は、それでもいいと思ってるんだ」
マリーが、遮るように言葉を重ねる。
「だって、ここでお姉ちゃんに会うまでは本当に諦めてたんだよ?
きっともう、二度と会えないんだろうなって。
でも、違った。
お姉ちゃんは、ホントはすぐ近くにいた。
それどころか、ちゃんと自分の力で生きて、自分の居場所をみつけて……自分の好きなことで、食べていけてる。
それはきっと、お姉ちゃんの望んだ通りの人生で。
お姉ちゃんにとっては、きっと……いまが一番、幸せなんだ」
マリーの放った言葉は、間違いなく彼女自身を傷つけていた。
だが、マリーは言葉を紡ぐことをやめなかった。
「お姉ちゃんが今、幸せなら……私はそれで十分。
……たとえ私が、利用されただけだったとしても。ね」
『それは違う』
それだけ優しかった姉が、自らのために妹を利用するわけがないだろう。
───そう、言いたかった。
しかし、俺の喉から声は出なかった。
『じゃあ、お姉ちゃんはどうして私を拒絶したの?』
俺が口先で否定したところで、マリーからはおそらくこの言葉が返ってくる。
そしてその問いは、この二週間でマリーが幾度となく自分に投げかけたものだろう。
だから彼女は、自らが利用されたと結論付けた。
それでもいいと、それが姉のためになるのだと。
そうやって、自分を納得させるために。
今の俺は、それを否定する立場になければ、それができるだけの証拠もない。
俺が何か言ったところでそれは部外者からの徒言であり、気休めにもならない。
何よりマリーは、そんな気休めの慰めなど求めてはいないだろうからだ。
「……っ」
こんな時に気の利いた一言も出せない自分が、恨めしい。
「ね。
面白い話じゃなかったでしょ?」
それでもマリーは、平気な顔を装った。
これはもう、終わった話だから。
そう、自分に言い聞かせるように。
「さ、この件はもうおしまい。
今の私たちはもう、赤の他人なんだ。
だからトーヤくんも、そういう風に扱ってくれると嬉しいな。
……お姉ちゃんも、それを望んでるはずだから」
「……すまん、マリー」
「あはは、なにそれ。
どうしてトーヤくんが謝るの?」
マリーの漠然とした不安を、言葉にさせてしまった。
俺がマリーの口からそれを引き出したことで、彼女の『もしかしたら』は現実のものとして彼女自身の目の前に立ちはだかった。
だから俺は、この話を聞くべきではなかったのかもしれない。
いまさらになって、そう思う。
「私は、話せてすっきりしたよ。
やっぱり、他人に話すのって大事だね。
だから……聞いてくれてありがとう、だよ」
その言葉とは裏腹に、マリーは悲痛な面持ちをしていた。
当たり前だ。
マリーはずっと、ブランシュが帰ってくるのを待っていたはずなのだ。
いつ帰ってくるのか───それどころか、生きているのかもわからない姉のことを、たった一人で。
だがその姉が、自分のいない場所で、自分の知らない時間を過ごし、自分とは別の人生を歩んでいたことを知ってしまった。
誰でもない自分を、置き去りにしたままに。
『私は、あなたの探しているブランシュではない』
大好きだった姉から拒絶の言葉をぶつけられたマリーの心中は、どれほどのものだったのだろうか。
そして何より。
二人を巡り合わせ、マリーにそれを突き付けてしまったのは。
(……他でもない、俺だ)
「……そんな悲しい顔をしないで。
私ね、トーヤくんには感謝してるんだよ?
だって、お姉ちゃんが生きてるってわかったんだから。
それだけで……私にとっては十分なんだよ」
明らかな空元気であるそれに、俺は返事ができなかった。
「さて。
じゃあ、そろそろマリーさんは帰ることにするよ。
あっちじゃみんなが私を待ってるからね。
クレムラン卿の一人娘である、私のことを。
……じゃ、またね。トーヤくん」
「……ああ」
マリーへの罪悪感と、どうしようもない無力感。
後悔と自責の念が俺自身を責め立てたが……今の俺にできることは、たった一つだけ。
彼女との話の中で芽生えた『ある違和感』を、手繰り寄せることだけだった。
──────
─────
────
───
「そう。
あの子が、ブランシュの妹だったなんてね……」
「ああ。
意外だが……なぜか納得はできるな」
週末。
俺はいつも通り王城に帰ってきていた。
「それはきっと……あの子たちの眼が似てるから、かしらね」
「眼?」
「ええ。
紅い紅い、綺麗な瞳。
自分の生きる目的を、決して見失わない。そんな決意の火を灯したような……強い眼よ」
「目的、か……」
「そう。
永く生きすぎて、生きる目的も見失っちゃったような人間とは大違いよ。
ただ『死んでいないだけ』の、私みたいな老人とは……ね」
そう言って、サフィーアは自嘲気味に笑ってみせた。
「……サフィーアには、生きる目的はないのか?」
「そうね……。
あったはずなのだけれど、いつの間にか忘れてしまったのでしょう。
それを果たしたのかどうかも、覚えていない。
今はただ、死ねない理由があるから生きているだけ。
例えば……この子なんかのためにね」
「えへへ」
食器を片付け終えたミラーヤがサフィーアの隣に座り、その肩に抱きつく。
理由はもちろん、撫でてもらうためだ。
「でも……悲しいお話ですね。
せっかくご家族が出会えたのに、また離れ離れなんて」
ひとしきりサフィーアの手の感触を楽しんだあと、ミラーヤの大きな耳が垂れ下がる。
「どうにか、してあげられないでしょうか……」
「そうだな……。
マリーのことを、どうにかしてやりたい。
それについては、俺も同じ気持ちなんだ。
ずっと待っていた姉とようやく再会できたと思ったら、それは本当の別れを告げるためのものだった……なんて。
そんな現実は、残酷すぎる」
「そう思うのは、あの子に対しての罪悪感から。かしら?
貴方がそれに気付かせてしまったから。あの二人を、出会わせてしまったから」
「……ああ、そうだ」
「でも、貴方は迷っている。
あの子に手を差し伸べていいのか。
『自分が姉に利用された、だなんて結論付けるのはまだ早い。
あのブランシュが、大切にしていた妹にそんなことをするわけがないだろう』。
そう言ってあげたいけれど、いまの貴方にはそう言えるだけの確証がない。
それに、もしブランシュに真意を問えたところで、あの子が本当に利用されただけなのだとしら……またあの子を傷つけてしまうことになる。
……そんなところかしら」
「情けないが、その通りだよ。
何より、マリーは自分を傷付けてまで、俺にそのことを話してくれたってのに。
……俺はマリーに、何も声をかけてやれなかった」
俺の意図を簡単に言葉にしてみせたサフィーアとは反対に、ミラーヤは未だ理解できないという顔をしている。
「マリーさんに寄り添ってあげるのは、いけないことなんですか……?」
「いけない、というわけではないわ。
ただ……これは、あの子の家の事情だから。
他人が深入りすべきではないことも、あるんじゃないかしら。
そうでしょう? トーヤ」
「ああ……。
ブランシュがマリーの姉だってことは間違いないんだろう。
だがそのブランシュ自身が、この件にはこれ以上関わるなって態度だったからな……」
「そう、ですか……。
じゃあマリーさんは、大好きだったお姉ちゃんとずっと離れ離れってことですか?
私たちは、それを見てることしかできなくて。
そんな、寂しいことって……」
「……それでもマリーは、どうにか自分を納得させたんだ。
そしてこの件について、これ以上何も知るつもりは無いらしい。
マリー本人が、それでいいって言ってるんだ。
だからこの話は、これで終わり。
……には、したくねえよな……」
俺は、思わず拳を握りしめる。
「難しい問題ね。
外の国の私たちが、あの子に何をしてあげられるのかしら。
それも、貴族であるあの子の家の問題に。ね……」
マリーは、根拠のない慰めなど望んではいないだろう。
かと言って、俺がブランシュから直接意図を聞き出すようなこともできない。
そもそもこの件について嗅ぎまわること自体、ブランシュにはいい印象を与えないだろう。
手を出したいのに、出すことができない。
そんなもどかしさが、俺たちを襲っていた。
「マリーはずっと、独りで頑張ってきたんだ。
それはたぶん、ブランシュとの約束があったからだろう。
でもそれが突然消えちまったら、マリーはどうなる?
自分が今までやってきたことを全てを、否定されるようなもんだ。
そんなの……それこそ、『生きる目的』を失っちまうようなもんだぜ」
マリーが貴族として振舞っているのも、商会を大きくしてみせたことも。
全てはブランシュとの約束のためだったはずだ。
だがそれが無くなってしまった今、マリーは今のままで───『クレムラン卿』のままでいられるのだろうか?
あの日の痛ましいまでの彼女の様子を見る限り、俺にはそうは思えない。
心の支えを失った人間というのはきっと、ひどく脆いものなのだから。
(なにか、俺にできることはないのか?
ブランシュの本当の意図を確かめる方法……とまではいかなくとも。
少しでも、マリーに前を向かせてやれるだけの何かが……)
「……ねえトーヤ。
そもそも、どうしてブランシュはマリーのことを避けているのかしら」
「どうして、って……」
「私には疑問だわ。
本当に軍人として身を立てたかっただけなら、そこまでして実家やマリーのことを避ける必要はないんじゃない?」
「っていうと……?」
「ブランシュは自分のやりたいことで身を立てることが出来た。
だったら、元貴族の人間だということを公にはできなくても、どこかのタイミングでお別れを言うことぐらいはできたはずよ。
たとえご両親には伝えられなくても……せめて、マリーぐらいにはね」
「それは、そうだな……」
「そしてなにより……妹を利用して、それで自分の求めていた立場を得て。
本当にあの子は、そんな後ろめたい気持ちを抱えながら剣を振るえるような性格かしら?」
「……たしかに、ブランシュは───」
ブランシュは、そこまでして軍人になりたかったのだろうか?
俺には、そうは思えない。
(いや、待てよ……?)
そもそもブランシュは、なぜ軍人になったのだろうか?
───マリーをクレムラン家の人間でいさせつづけるため。
そのためにブランシュは家を出て、軍人になった。
マリーが言っていたのは、そういう話のはずだ。
しかし、どこか引っかかる。
(家を出て職を見つけるだけなら、わざわざ軍に入る必要はあるのか……?)
職業軍人というのは、肉体を酷使する仕事の最たるものと言っていい。
特にフレイミアの軍隊と言えば、あのコルヴィですら音を上げるほど過酷な場所だと聞く。
それを、ただ向いていそうだからという理由だけで、志願するだろうか?
それもよりによって、昨日まで貴族の令嬢をやっていたような一人の女の子が、だ。
(だとすれば、ブランシュが軍人を選んだのには何か理由がある……?)
マリーの言う通り、体を動かすのが好きだったから?
身分を隠すのに、ちょうど良かったから?
───違う。
『自分には、かけがえのないものがある。
私はそのために軍人をやっている』
(たしか、ブランシュはそう言ってたはずだ……)
それに気づいた瞬間。
漠然と感じていた違和感が、形になり始めた。
(そうだよ、そこだ。
なんかおかしいと思ってたのは……!)
ブランシュにとっての、かけがえのないもの。
それは当時の彼女にとって、マリー以外存在しなかったはずだ。
ならブランシュが軍に入ったのは、『マリーを守るため』。
そう考えると、どうだろうか?
ブランシュは昔から、マリーのことを懸命に守ってやっていた。
マリーが擦り傷をひとつ作っただけで、泣いてしまうほどに。
しかしある日突然、自分が家を出ることになる。
マリーの傍にいられなくなった彼女は、考えたはずだ。
自らの素性を隠しながら、マリーを守ってやれる方法を。
それが彼女にとって、軍人になるという道だったのではないだろうか。
そして今でも、彼女は軍人を続けている。
たとえそれが、どれだけ遠回しでも。
たとえ自分の名が、マリーの元に届かなくとも。
(たった一人の妹がいる王都を。フレイミアという国を、守るために……!)
これが、俺が抱いていた違和感の正体。
とはいえ、確証はない。
俺にとって都合のいい妄想だと言ってしまえば、それまでだ。
だが本当にそうなのであれば、ブランシュのその想いは今も変わっていないはずだ。
でないと、彼女が今も剣を執り続けている理由が存在しないのだから。
(だとすれば、ブランシュはマリーのことを忘れても、見捨ててもいない……)
しかしあの日ブランシュが、たしかにマリーを拒絶したのも事実だ。
そこにある、矛盾。
その矛盾の裏にはきっと、何かが存在しているのだろう。
そして、それこそが。
ブランシュがマリーの元に帰ってこない理由に他ならないはずだ。
「それを、突き止められれば……!」
思わず零れた言葉に、サフィーアが反応を示す。
「何か、わかったの?」
「ああ。
……俺のやるべきことが、少しだけ」
「そう」
「マリーさんを、助けてあげられますか?」
「それは……わからない。
でも、マリーの手を取る理由は見つかった」
「じゃあ……!」
「ありがとうな、二人とも。
明日は早めに出ることにするよ」
冷たくなった紅茶を飲み干し、席を立つ。
「おやすみ、トーヤ」
「がんばってくださいね、トーヤさん!」
「おう。
ごっそさん」
廊下を歩きながら、考える。
製氷や建築の方も気がかりだが、まずはマリーのことだ。
氷雪の民も、炎熱の民も。貴族も軍人も関係ない。
誰もが手を取り合えるあの村で、マリーだけが孤独に苦しむ必要は無いはずだ。
俺は、知っている。
マリーの決意の火も、ブランシュの剣の重さも。
そしてそのどちらも、決して消させはしない。
そう、心に誓ったのだった。
7/31まで、昼12時と夕18時の、1日2話ずつ投稿予定です。




