第27話「村娘と、夕餉」
「よし……やっと……ゴールだ……」
悲鳴をあげる身体を引きずり俺がノックをしたのは、サフィーアの執務室だった。
「誰かしら?
開いているわよ」
「俺だ、トーヤだ。
入るぜ……」
ドアを開けると、いつものデスクにサフィーアの顔を見つけた。
「まあ、トーヤ……!」
見慣れたその顔は、驚きとともに綻んだ。
「おかえりなさい。
まさか、こんなに早く帰ってくるとは思わなかったわ……!」
「ああ……ちっと、体力的に限界でな。
ほとんど、あっちの仕事から逃げてきたようなもんだぜ……」
まずは用意してきた書類の束を、サフィーアのデスクに乗せ。
そのままの勢いで近くのソファに倒れ込む。
「ふぅ……やっと終わった……」
さすが王城だ。
ただの執務室のソファだというのに、すでに村のベッドよりも寝心地が良い。
やろうと思えば、今すぐにでも夢の世界に飛び込んでしまえそうだ。
「あらあら、お疲れなのね……?」
「ああ。
最近は一日中、製氷や交易の管理に、フレイミアとの調整。
ここに来るまでの馬車でも、今出した書類と格闘して、だ……。
あー……ちょっとは休めると思ったんだがな……」
「そうだったのね……。
ご苦労様」
サフィーアは俺が出した書類を手に取り、こちらに近付いてくる。
そしてそのまま、俺の寝ているソファに腰かけた。
俺の頭を、膝の上に乗せる形で。
「お、なんだ……?
前に言ってた、子守歌でも歌ってくれるのか?」
「そのつもりだったのだけれど……残念。
貴方の顔を見たら、何を言うつもりだったのか忘れちゃったわ」
「はっ、そうかい」
サフィーアは俺の顔の上で、持ってきた書類に目を通し始める。
彼女の膝はほどよく冷たく、疲れた体を預けるには最高の枕だった。
「うん……。
この書類もよくできてるわ。
最初の頃とは大違いね」
「さすがに、サフィーアやヴェルニグに何度もダメ出しされてりゃな……。
書き方ぐらい、覚えもするさ」
「ふふ……偉いわ」
そう言って、書類から目を離さずに俺の頭をくしゃりと撫でる。
いつもなら嫌味のひとつでも言ってその手を払い除けるところだが……今はそんな気力もなかった。
「あら。
貴方……この傷、どうしたの?」
書類を読み終わったのか、サフィーアが俺の顔に視線を落とす。
「ん……顔についてるか?」
「顔もそうだけれど……手も、よ。
……もしかして、また危険なことをしているの?」
「あー……なんつーか、また山賊が出てな。
前に、二人で追いかけられたことがあっただろ?
ああいう連中を村の近くで見たから、ちょっとおしおきをな」
彼らがフレイミアから来たという話は、敢えて伏せておく。
ブランシュと二人で解決すると決めた手前、サフィーアに余計な心配をかけるべきではないだろう。
「本当?
……大丈夫だったの?」
「ああ。
ブランシュと二人で対処したからな。取り逃がしもないよ。
ただ、それで最近体を動かしてなかったのに気づいちまってな。
それでおとといから、ブランシュに稽古をつけてもらってるんだ。
せっかくだし、実戦形式で打ち合いなんかもしてるんだが……。
この傷も、戦いじゃなくてそんときのだよ」
「そう。
それで、こんなに疲れて帰ってきたのね」
「まぁ、そんなとこだ」
「……頑張ってるのね、本当に」
サフィーアが俺の右手を包むように持ち上げたので、こちらも握り返す。
その手は冷たく、力を入れれば折れてしまいそうなほどに細かった。
「『守るべきもの、守りたいもののために戦え』ってブランシュに言われてな。
そんで、もうちょっとだけ強くなりたいと思ってよ」
「そう……。
その『守るべきもの』というのは、私のことかしら?」
「ああそうだよ。
顧問魔術師ってのは、そういう仕事だからな」
「ふふ……よろしい。
じゃあ、もうしばらく頑張ることね」
「……『守りたいもの』も、だよ」
「……っ!」
俺の視界が、突然暗くなった。
紙とインクの匂いが、鼻腔をくすぐる。
「……貴方って子は、たまに突然そんなことを言うんだもの……」
「おい、勘弁してくれ。
書類がダメになったらどうするんだ……。
さすがに、これをもう一回書き直す気力はないぞ」
俺の顔を塞いでいた紙束が、ゆっくりとどけられる。
眼前にあるサフィーアの顔は、ほんの少しだけ赤らんでいた。
「……ご飯にしましょうか。
少し前にミラーヤが支度をすると言っていたから、もうすぐできるはずよ」
「お、そりゃ楽しみだ。
久しぶりにいい飯にありつけるぜ」
「ええ。
さ、起きなさい。
貴方の冗談のせいか、なんだか熱くなってきたわ」
サフィーアに促され、自分の力で立ち上がる。
目指すは、いつもの食堂だ。
「冗談で言ったつもりはないんだけどな」
「……わかってるわよ」
「そうかい」
─────
──
翌日。
途中で何度か目を開けた記憶はあるものの、結局俺は昼過ぎまで寝てしまっていた。
こんなに寝たのは、いつ振りだろうか。
未だ軋む体を起こすと、見慣れた白銀の束が俺の視界の端に映った。
「ん……?」
「あら、ようやくお目覚め?」
「……おう」
「おはよう、トーヤ」
「ああ……おはよう」
どうやら、俺のベッドの傍でサフィーアが本を読んでいるらしかった。
見慣れない椅子に座っているが、自分の部屋から持ってきたのだろうか。
「……」
しばらくそのまま微睡んでいたが、俺の意識が完全に覚醒するまでサフィーアが口を開くことはなかった。
空腹を感じたあたりで、ようやく頭と体が動き始める。
「ふっ……っと。
……昼飯には、ちょっと遅いか」
「ええ、そうね」
「んー……とりあえず、顔でも洗ってくるかな」
「いってらっしゃい」
洗面所で顔を洗い終え、昨日の記憶を引っ張り出す。
───うむ。
俺は間違いなく、寝る前に部屋の鍵をかけたはずだ。
(……今さら、些末なことか)
部屋に戻ると、さきほどの椅子は片付けられていた。
どうやら、次の玉座は俺のベッドに決まったらしい。
「私のお昼の残りがあるけれど、食べる?」
「もらうよ」
サフィーアが籠から取り出した小さめのパンを受け取り、玉座に相席させてもらうことにする。
立派な昼飯とは言えないが、起き抜けの体に熱を与えるには十分だった。
「ふぅ……」
さらり、さらり。と、サフィーアが頁をめくる音が響く。
(……)
心地よい音と、澄んだ空気の中。
時間だけがゆっくりと流れている。
俺もサフィーアも、言葉を発することはない。
……もし今ここで、俺が手を伸ばして時魔法を行使すれば。
この空間ごと、永遠の中に閉じ込めてしまえるのではないか、とさえ思えた。
「……そろそろ、外にでも出る?」
そんな下らない思惟を破ったのは、サフィーアだった。
彼女の膝の上で、革の装丁がぱたりと口を閉じる。
「今日は、予定は無いのか?」
「ええ。
お仕事も一区切りついたから」
「そうか。
なら……出るとするか。
あんまりじっとしてると、体に苔が生えちまう」
立ち上がり、椅子にかけた普段着に手を伸ばす。
「じゃあ、お城の外で待ち合わせにしましょうか」
「ああ。
先に行っとくぜ」
────
──
城門の外には、見知った顔が二つあった。
「よう」
「あ、トーヤさん!」
「ご苦労様です!」
俺がこちらに来た時から世話になっている、いつもの門番ズだ。
「またどこかへ行かれるのですか?」
「いいや、今日は休みだよ。
城下町をぶらつこうと思ってな」
「そうでしたか。
最近は、任務でフレイミアにも行かれていると聞きましたが……」
「まぁな。
ただ、ほとんどは東の村にいるぜ」
「小麦畑の村ですね。
今は、『フリージア』と呼ばれるようになったのでしたか?」
「あー、まぁ。
あんまりその名前で呼んでる人間はいないがな」
「そうなのですか?
せっかく名前が付いたのなら、そちらで呼んだ方が便利かと思いますが」
「ん-まぁ……そうだよな」
彼の言うことはもっともなのだろうが、俺個人としては未だにその名前で呼ぶことに気恥ずかしさを感じている。
「それよりトーヤさん、俺たち忘れてませんからね」
「ん? 何がだ」
「便所掃除の件ですよ!」
「あー……」
彼らがサボっていることを、俺がヴェルニグに吐いてしまった件か。
「そういえばそんなこともあったな」
「本当に、最悪だったんですから」
「悪い悪い。
てかそれ、先に謝っといただろ」
「あれじゃわかりませんって!」
「悪かったって。
じゃあ、今度ちょっといいワインでも持ってくるからよ。それで許してくれ」
「はぁ……ワインですか」
「うむ。
ボリソフカ、ってとこのなんだが……知ってるか?」
「いえ……どこのことでしょう?」
「西の、ヤクーツ区の街でしたか。
派兵師団の同僚から、聞いたことがあります」
「そうだ。
あそこのワインは絶品なんだ」
「へぇ、そうだったんですね」
「またこっちに戻ってくるときに渡すよ。
それで勘弁してくれ」
「わかりました、楽しみにしておきますよ」
それから二人と雑談を続けていると、城の外から見た顔が近付いてきた。
生地の軽そうなメイド服のようなものを身に纏った女性は……よく玉座の周りで待機している侍女だ。
彼女にも、こちらに来てから何度か世話になっている。
(名前はたしか……ステイナだったか)
やはり、たまに王城に戻るのは良い。
様々な人物に会えて、気分転換にもなるものだ。
「よう。
買い出しか?」
「これはトーヤ様。
左様でございます」
「大変だな、週末まで仕事とは」
「ふふ……お気遣いありがとうございます。
ですが、お休みが無いわけではありませんよ。
普段皆さまが働かれている間に、交代でお休みをいただいていますから」
なるほど、いわゆるシフト制というやつか。
使用人の仕事は年中無休なのだから、当然といえば当然か。
「そうか。ご苦労さんだ。
……ちなみに、一個変なこと聞いてもいいか?」
「ええ……いかがされましたか?」
「髪留め、とか。余ってないか?
なんでもいいんだが……できれば大きめで、地味なやつ」
「それは……大変、変な質問でございますね」
「いやまぁ……自分でもそうだとは思う。
ちなみに、使い古したりしてればなおいいんだが」
「……なるほど。
トーヤ様には、そういったご趣味があったのですね」
「……ん?
ああいや、違う違う!
俺が欲しがってるんじゃなくてだな……!」
「トーヤさん、さすがにそれは……」
門番の二人も、若干引いている。
「待て違うんだって!
俺がどうにかしたいってわけじゃなくて……!」
「ふふ……わかっておりますよ。
サフィーア様の、変装でございましょう?」
「そう、そうなんだ!
前もそうだったんだが、髪飾りだけが庶民らしくなくてさ……!」
「ええ。
私も、同じことを思っておりましたから」
「そうだろ?
……てか、わかってたんなら最初からそう言ってくれよ……」
「申し訳ございません。
少し、イタズラ心が働いてしまいまして」
「まったく……」
王城でのステイナは、クールな使用人というイメージだったのだが……こうして話してみると、案外茶目っ気があるようだ。
仕事中は自分を殺し、侍女としての役割に徹しているのだろう。
「さて。
もちろん、私も女でございますから。髪留めのひとつやふたつは余っておりますよ。
ですが……差し上げることはできませんね」
「そうか、そうだよな。
すまん、不躾なことを」
「ああいえ、差し上げること自体は別によろしいのです。
きちんと目的も仰っていただいていることですし。
……ですが、それではきっとサフィーア様が納得されませんから」
「……っていうと?」
「これは、私が申し上げて良いのかわかりませんが……サフィーア様は、トーヤ様が帰ってこられるのをずっと心待ちにされていたのですよ。
私ども侍女にも、それが伝わってくる程度には。
ですので、もし髪飾りを所望されるのであればトーヤ様自身が……」
そこまで言って、ステイナが言葉を切る。
城門から、サフィーア本人がその姿を現したからだ。
服装はもちろん、以前と同じ質素なもの。
「……申し訳ございませんが、私は仕事に戻らせていただきますね」
「ああ、引き留めてすまなかったな」
「いえ……それでは」
俺に背中を向けるまでの間に、ステイナの表情はいつもの侍女のものに戻っていた。
門番の二人も、本来の定位置に戻り姿勢を正している。
さすがに、国王を前に談笑しているわけにはいかないのだろう。
こういった場面を見ると、改めてサフィーアが一国の王であることを思い知らされる。
「ごめんなさい、待たせたかしら」
「いいや」
「そう、ありがとう」
こちらに辿り着いたサフィーアは微笑んだあと、改めて城下町へと足を向けた。
ふわりと揺れる銀の髪を追いかけるように、俺も歩き出す。
今日はこれといった目的もないので、以前よりもゆったりとした歩調だ。
「……それはそうと貴方、ステイナと仲が良かったかしら?」
「ん?
ああ……いや、ちょっと話をしてただけだが」
「そう。
なら、別にいいのだけれど……」
サフィーアの言い方は、どこか引っかかる。
「なんだよ。
言いたいことがあるなら、言ってくれ」
「……だって貴方、昨日はあんなことを言ってたじゃない?
私だって、久しぶりに城下町に出るんだから……今日の貴方はちゃんと、私のことだけを見ていないとダメよ」
「……へいへい。
しっかりお守りしますよ」
「よろしい。
じゃあ、行きましょうか」
サフィーアは髪を纏め上げると、肩をこちらに寄せてくる。
俺は『村娘のフィーニャちゃん』のために、いつも以上に意識して歩幅を合わせてやることにした。
────
──
「お、靴屋か」
「見ていく?」
「ああ。
ちょうど今の靴もダメになりかけてるからな」
「そういえば貴方、戦いでも野営でも……ずっとその靴なのよね」
「ああ。
ちょうどいいのがあればいいが」
「一足しか持っていないと、不便だものね。
入ってみましょう」
店内に入ると、新鮮な革の匂いが俺たちを迎えてくれた。
「いらっしゃい。ゆっくり見てってくんな」
「どうも」
たまに店主と会話を交えながら、目的に合った靴を選定していく。
「これはちょっとでかいな……。
任務に出るなら、少しきついぐらいがいい」
「普段使いなら、少し緩いぐらいのものでいいんじゃない?」
「それもそうか。
んじゃ、何足かまとめて買ってくか」
「そうしましょうか」
用途に合わせて使えそうな靴を、順番に見繕っていく。
「戦いに備えるなら、やっぱ熱とか水に強い方がいいのか?」
「靴ひとつにそれら全てを求めるのは酷ね。
だから騎士団の子たちは皆、グリーヴやブーツを履き分けているのよ」
「そうか……そういうことか」
靴ひとつ取っても、俺の居た世界とは違うのだ。
合成皮や化学繊維などがあるわけもない。
それ故、少しばかりの不便は我慢をするしかないのだろう。
「なんだ、兄ちゃんは騎士団の人なのかい?」
「……あー、いや……」
「違うのかい。
だったら、普段は何をしてるんだい?」
「……庶民です」
「うん?
庶民って……」
「だよな、フィーニャ?」
「ええ。
私たちは庶民よ。それ以外の何者でもないわ」
「そ、そうかい……」
────
──
結局、五足ほどまとめ買いすることにした。
まとめて村の方に置いておけば、不意にダメになったとしても任務に支障は出ないことだろう。
「……職業を聞かれて、庶民って答えるヤツがいるか?」
「貴方ぐらいでしょうね、きっと」
「さすがに無茶が過ぎたか。
でもまぁ……あれでまさか王様だとは思われないだろ」
「たしかに、私はそれだけ誤魔化せるのならなんでもいいのだけれど……」
「なら、次からもこれでいくか」
「ふふ……やめましょ。
いつか笑っちゃうわ」
「は、間違いねえな」
思いの外膨らんだ鞄を揺らし、再び城下町を歩く。
「……庶民と言えばだが」
「なあに?」
「髪留めでも買いに行こうぜ」
「どうして?
トーヤも髪を伸ばすの?」
「違ぇよ。
自分のつけてる髪留め見てみろよ、フィーニャ。
それで、ただの村娘だって言えるか?」
「……あら、ホントね。
気付かなかったわ」
「やれやれ……。
俺は前から気になってたんだが」
「もう。
それなら、もっと早く言って頂戴よ」
「自分で気付いてくれ」
「だって、私も癖で選んでしまっていたんだもの……」
変装用の服を選んだ時点で満足してしまい、髪留めまで気が回らなかったということか。
サフィーアは王様にしては一般人と近い感覚を持っているとは思うが……こういった根の部分は、やはり育ちの良い人間のそれなのだ。
「んじゃ次の目的地は……」
そこまで言って、言葉に詰まる。
「どうしたの?」
「……髪留めって、どこで売ってんだ?」
「女物の、小物屋さんかしらね」
「なるほど、そういうところがあるのか」
「ふふ……可笑しい。
貴方って、ものを知っているのか知らないのか……時々わからなくなるわ」
「そりゃそうだろ。
この世界に来て、まだ半年と経ってないんだぜ?」
「そういうことにしておきましょうか」
────
──
「さて、庶民らしく髪留めも買えたが……次はどうする?」
気付けば、城下町をだいぶ下ってきてしまった。
日も傾きかけており、人の往来もまばらになっている。
「そろそろお城……『お家』に、帰りましょうか」
「了解だ。
腹も減ってきたしな」
「ふふ……そうね」
────
──
「トーヤ、お夕飯よ。
行きましょう?」
「お、待ってたぜ」
そして夕方。
風呂と着替えを済ませた俺は、部屋で待機させられていた。
サフィーアに呼ばれいつもの食堂に向かうと、そこには二人分の料理がすでに配膳されていた。
が、そこには予想していた人物の姿がなかった。
「ん……ミラーヤはどうした?」
「あの子なら、今日は夜まで帰ってこないわ。
朝から、少し長めのお仕事が入っちゃってね」
「そうなのか」
「ええ。
さ、いただきましょう」
席に着き、手を合わせてから料理に手を付ける。
しかし、食べ慣れた味のそれを口に運ぶたびに、俺の中の違和感は大きくなっていた。
「……なあ、サフィーア。
これ、誰が作ったんだ?」
「あら、お口に合わなかったかしら?」
「いや、逆だ。
めちゃくちゃに美味いし、この城でよく食べた味なんだ。
……でも、ミラーヤが作ったわけじゃないんだよな?」
「ええ。
前も言ったけれど、私の食べるものを他の使用人の子たちが作ることはないわ」
「じゃあ誰が……」
「さぁ、誰かしらね」
そう言って、サフィーアは満足そうに食事を続ける。
「……もしかして、サフィーアか?」
「ふふ……正解。
察しのいい子は好きよ」
「いやまぁ、消去法なんだが……。
だとしても、よくこれだけミラーヤの味を真似できるな。
レシピがわかってても、俺には無理だぜ」
「残念だけれど、それは逆ね」
「逆?」
「ええ。
私があの子の味に近づけているのではなくて、あの子が私の味を真似ているの」
「ミラーヤが、サフィーアの料理を……?」
「だって……あの子に料理を教えたのは、この私なんだもの」
「……ほー」
たしかに、ミラーヤはサフィーアが拾ってきた子だと言っていた。
だとすれば、別に不自然なことでもないだろう。
「なるほど。
そういうことだったのか……」
「意外だったかしら?」
「王様が自分で料理をするってこと自体、意外ではあるんだが……。
でも、そうだな。
まさか、ミラーヤの料理の源流がサフィーアにあったとは思わなかったぜ」
「ふふ……でも、今ではあの子の方がお料理は上手になってしまったのだけれどね」
「は。
たしかに、ミラーヤの食い物に対する情熱は、光るものがあるからな」
「ええ、本当に」
雑談を交えながら食事をしていると、料理はすぐに腹の中に収まってしまった。
どこか懐かしい味のそれに満足していると、サフィーアが立ち上がった。
「デザートも用意しているのだけれど、食べる?」
「いいのか?
いただくよ」
「じゃあ、少し待って頂戴ね」
奥のドアを抜け、サフィーアが厨房に向かった。
俺たちがいつも使うこの食堂は、隣がミラーヤ専用の厨房になっている。
そしてその厨房は、俺たちの寝室が並ぶ廊下に直接繋がっている。
つまりこの食堂と厨房自体が、一種の抜け道のようになっているというわけだ。
もっとも、その扉の鍵を持っているのはサフィーアとミラーヤ。そして俺ぐらいのものだが。
「はい、お待ち遠様」
サフィーアが持ってきたのは、口の広い大きめのグラス。
俺がシャーベットを出した時とほぼ同じ器だったが、中身は液状の何かだった。
「これは……なんだ?」
「ザバイオーネ、と言ってね。
貴方が作ってくれたシャーベットというものとはちょっと違うけれど……冷たいお菓子よ」
「へぇ」
見た感じでは、少し固めのカスタードのような菓子だろうか。
サフィーアがそれにスプーンを挿すと、甘い匂いがふわりと広がった。
すくいあげたスプーンの裏側からは、ベージュのクリームがとろりと垂れ落ちている。
「はいトーヤ、あーん」
「……あー」
差し出されるまま口に入れると、強い甘味とわずかな酸味が俺の舌を刺激した。
味は見た目通り、ミルク系のもの。そしてその中に、少しだがアルコールの香りも混じっている。
およそだが……少量のワインを混ぜているのだろう。
そのため、ただ甘いだけではない上品な味わいが印象的だった。
「美味しい?」
「うむ、これはイケるな。
菓子に酒が混じってるのはちょっと不思議な感じがするが……それもまた」
「あら、そう?
お菓子にはよく、甘いワインを使ったりするものよ」
言いながら、サフィーアもそれを口にする。
「そうだったのか。
あと、冷やしてるってのもいいな。まさにクロキアって感じだ」
「ふふ……トーヤは今、氷を売ってるじゃない?
シャーベットだけじゃなくて、こういうのもいいんじゃないかしらと思って」
「一考の余地あり、だな」
「それは良かったわ。
じゃあ、もう一口どうぞ」
そう言ってサフィーアは、まるでミラーヤにするようにこちらにスプーンを差し出した。
「……ちなみに、二本目のスプーンを用意してもらうっていうのは」
「残念だけれど、ちょうどいいのが一本しか見つからなかったの。
あそこは普段、ミーチカ専用の厨房だから。勝手がわからなくって……ね?」
「……さいで」
あれだけ上等な料理を作っておきながら、スプーンだけが見つからないというのも変な話ではある。
が。今は大人しく、この甘味を楽しむことにしたのだった。
────
──
「むー、ずるいです」
膨らんだ頬にパンを詰め込みながら、ミラーヤが放った。
「どちらが、かしら?」
「おふたりとも、です!」
「あらあら。
ごめんなさいね」
「わたしだって、フィーニャとお買い物に行きたかったです!
トーヤさんとも!」
結局、ミラーヤに会ったのは翌日の昼になってからだった。
どうやら昨日は予想以上に仕事が長引いていたらしく、彼女が帰ってきたのは日付が変わる頃だったらしい。
「すまんすまん。
じゃあ、今度は三人で行こうぜ」
「ちがうんです!
三人でのおでかけと、フィーニャやトーヤさんと二人きりでおでかけするのは……ちがうんですぅ!」
「そ、そうか」
「……ずるいですー」
羨望を超えて怨嗟の眼差しになって来ている気がするが、尻尾を揺らしながらでは迫力がない。
揺れている理由はひとつ、サフィーアの手料理を食べているからだ。
ミラーヤも、彼女の作った料理を食べるのは久しぶりらしい。
「ほら、いい子だから機嫌を直して。
甘いデザートも用意しているから」
「……いただきますっ」
デザートよりも甘いであろうサフィーアの対応に、思わず苦笑する。
一国の王にこれだけ愛されている従者も、きっと他にいないだろう。
「ふふ。
本当に、現金な子なんだから」
「えへへ」
───やはり、王城に帰ってきて正解だった。
微笑む彼女たちの姿を見て、そう思う。
俺が戦う理由。俺の帰るべき場所。
それらは間違いなくここにあると、改めて確信できたのだから。
7/31まで、昼12時と夕18時の、1日2話ずつ投稿予定です。




