第12話「剣と、心臓」
夢を見ていた。
奇妙な、夢だった。
俺の目の前には、透明な氷像が立っている。
精巧に人を模したそれは、俺の顎ぐらいまでの高さだろうか。
氷像は、向こう側が見えるほど透き通った氷で構成されていた。
しかしその顔と心臓の部分だけが、白く濁っている。
そのせいで、モデルとなった人物の性別もわからなかった。
透明かつ、不明瞭。
不気味だが、どこか親しみを感じる。
そんな矛盾を孕みながらも、その氷像を形作る要素全てが、見惚れるほどに美しかった。
故に、白い澱のせいで表情が伺えないことだけが、少し残念だった。
しかし、俺は確かにそれに魅入られていたのだと思う。
(……綺麗だ)
よく見ると、それは右腕を俺に向けて伸ばしていた。
眠気でぼやけた視界の中、俺はその腕の先を辿るようにして、顔を下に向ける。
辿る先にあったのは、俺の胸。
その氷像の手は。
突き刺さっていたのだ。
他でもない、俺の心臓に。
俺が戸惑いを覚える前に、それは深々と突き刺さった手を優雅な仕草で引き抜いた。
胸に広がる、冷たく暖かい感覚。
わずかな飛沫となって飛ぶ、俺の一部であった紅。
そして、紅に染まった手はそれの口元に寄せられる。
痛みはない。
そんなことよりも、俺はその一挙手一投足を見逃したくないと強く願った。
『彼女』は、笑った。
口元に塗られた紅が唇に見えたのか。
それとも、その熱で溶けた氷の下から彼女の本当の口が現れたのか。
ひどく煽情的にも見えたそれは、どちらにせよ確かに笑っていた。
俺は、自らの胸から零れていく命を気にも留めず。
その光景に、どこか充足感すら覚え───
「─────殿!
────で────す!」
突如。満ち足りたそれをかき乱す、ノイズ。
一体誰だ。
俺は今、とても満たされているというのに。
「トーヤ殿!
起きてください! 夜襲であります!」
───夜襲?
その言葉に、刹那にして意識が覚醒した。
脳に電流が走るような感覚。
それと共に、心臓が急速に跳ね始める。
ここはクロキアで。
夜襲があった。
つまり。
───村が、危険?
眠っていた脳がようやく事態を把握し、身体を起こさせる。
夢の記憶は、いつの間にか霞となって消えていた。
「どこからだ!?」
「東であります!
現在、見回りの者と団長が食い止めています!」
答えを聞きながら、ベッドから飛び降りる。
エルビンが開けたであろう扉の向こう。廊下の窓から見えたのは、赤い光。
夜の帳を焼き尽くすかのような赤が、どこからか上がっていた。
恐れていた、二回目の襲撃だ。
「わかった、お前は他の騎士たちを起こしてくれ!
俺はヴェルニグのところへ行く!」
「承知しました!」
靴を素早く履き、ローブを引っ掴んで走り出す。
開いた扉はそのままに、廊下を抜けた。
階段を降りるのももどかしく、一歩で踊り場に、二歩目で玄関まで跳ぶ。
そして村役場の扉を力任せに開けると、黒と赤の二色が俺を迎えてくれた。
心臓が、痛みを覚えるほど激しい鼓動を打つ。
正確な時刻はわからないが、今はきっと真夜中なのだろう。
火があがっているということは、攻めてきたのは十中八九『炎熱の民』。
まさか、警備初日に?
もう一日遅れていたらどうなっていた?
不要な想像を、思考の外へ追いやる。
冷静に判断するんだ。
目から入ってきた情報を、事実として受け入れろ。
火の勢いは、村を覆いつくすほどではない。
多分だが、北の畑の一区画が燃えているだけだろう。
東からは、複数の怒号。
そちらはきっと、ヴェルニグたちが戦ってくれている証。
「クソッ……ふざけんなよ!!」
無我夢中で走り出し、まずは北の畑へ向かう。
怒りが助けてくれているのか、寝起きにも関わらず俺の身体は思い通りに動いてくれた。
風を置き去りにするほどの速度で駆け抜けると、ものの一分もしないうちに火の元へ辿り着いた。
(ここか……!!)
予想通り、火はまだ大きくなってはいなかった。
しかし、放っておけば広い畑を焼き尽くしてしまうであろうことは容易に想像できた。
「これでなんとかするしかない、か……!」
俺は炎に向けて手をかざし、集中する。
マナの大きさは、畑を覆うほど。
対象は、燃える小麦畑。
凍らせる?
いや。思い切りやってしまえば、どちらにせよ穂が駄目になってしまうだろう。
ならば炎だけを消すために、燃焼に必要な熱のみを奪ってやる必要がある。
やや困難だが、やるしかない。
「頼む、うまくいってくれよ……!!」
力を込めるとともに、俺のマナが世界と同化する感覚。
それに呼応するように、一陣の冷たい風が吹く。
───炎は、あっけなく消え去った。
「よし……!」
思い通りの結果に安堵する。
これも、王城での練習の成果だろう。
「あとはあっちか……!」
空のほとんどが暗闇を取り戻したが、未だ断続的に光を灯す場所があった。
ヴェルニグたちのいる、村の東側入り口だ。
光源は、炎熱の民が放つ炎の魔法だろう。
ローブを翻し、現場へ向かう。
──
─
村の東には石積みの壁があり、その唯一の入り口を守るようにして小競り合いが起きていた。
「悪い、遅れた!」
「やっと来たか、これで攻めに転じられる……!」
ヴェルニグと小隊の騎士たちは、いつも着ている白い甲冑だけでなくフルフェイスの兜も被っていた。
「相手は……」
大盾を構えた騎士たちと、並んだ氷壁の向こう側。
そこに、炎熱の民と思しき人間がいた。
彼らは皆軽装で、服の合間から見える肌はやや浅黒い。
そしてその全員が、氷雪の民とは反対の筋張った身体をしていた。
「想像通り、炎熱の民だ。
人数の差があるせいで、防戦一方でな……!」
言いながら、ヴェルニグは飛んできた火球を盾で弾く。
人の身長ほどある火球は、彼の盾に当たった瞬間に音を立てて爆ぜた。
マナの感じからするに、ヴェルニグも受け止める瞬間に盾に何らかの魔法を行使したのだろう。
どうやら、魔法同士が逆方向から行使された場合、それらはマナの爆発となって散るらしい。
これが、魔法と魔法のぶつかり合い。
初めて見るそれに、俺は僅かばかりの恐怖を覚えた。
「やれるか? トリド」
「……ああ、やるしかねえだろ」
「わかった、では私が次の魔法を弾いた瞬間に……おい!」
ヴェルニグの言葉を聞かず、氷壁を蹴り登る。
そして脚力だけで壁を飛び越え、向こう側の地面に着地。
降り立った先では、一人の炎熱の民が挑戦的な目で俺を見下ろしていた。
「ハハッ、お前は今までのビビり騎士どもとは違うらしいな」
数歩離れたところからでも、彼の巨躯が圧を放っているのがわかる。
「……お前らか」
「あ?」
「前の襲撃も、お前らがやったのか」
「そうだ、っつったら?」
答えを聞き、安心すると同時に怒りが沸き上がってきた。
畑を燃やしたのも、家を焼いたのもこいつらで間違いない。
やっと、現れたのだ。
行き場を失ったままだった俺の怒りを、遠慮なくぶつけられる相手が。
「礼をくれてやるだけだ。
こうやって……な!」
少しかがみ、左足にありったけの力を込める。
音が聞こえるほどの力で地面を蹴り、前へ。
想像以上のスピードだったのか、男は反応できていない。
そのままの勢いで、拳をそいつの横っ面に叩きつけた。
「あがっ……!?」
うめき声をあげながら先頭の男がよろめき、ゆっくりと地に伏した。
よし。
俺の力は、炎熱の民相手でも通じるようだ。
狙ったのは、顎。
あれだけ綺麗に入れば、気絶したのは間違いないだろう。
「てめぇ……!!」
先頭が倒れたのを確認し、複数人がばらばらに俺に襲い掛かってくる。
(遅い……!)
まずはわかりやすく直進してきた一人目に、正面からの蹴りをくれてやる。
「ぐっ……!」
腹に踵を食らった男は、うずくまるような姿勢で吹っ飛んだ。
彼らの身体は、タイヤのように硬い。
こちらもそこそこ全力で蹴ったのだが……あの感触なら、内臓破裂などの心配もないだろう。
「こんの……!!」
そのまま横から現れた二人目の襟を掴み、頭から地面に叩きつける。
「がはっ!」
同時に三人目の拳が、一秒前まで俺の頭があった空間を切った。
その腕を、立ち上がるついでに掴み。
「なっ……!?」
そのまま、二人目の隣に背中から投げ落とす。
その身体はやはりタイヤのように硬ければ、同じくタイヤのように重かった。
力任せに叩きつけると、彼の肉体は音を立てて地面を揺らした。
残るは、一人。
数メートル先にいる、俺と同じぐらいの背丈の男だった。
「くっ……!!」
男が構えを取り、その右手が燃え始める。
なるほど、こいつが火球を使っていた魔術師か。
今までは味方を巻き込むことを恐れて、魔法を放てずにいたのだろう。
「だから、遅えって……!」
しかし今の俺にとって、数メートルは一歩にも満たない距離だ。
土埃をその場に残し、一瞬で距離を詰める。
「は……!?」
困惑する魔術師の右手を掴み、そのまま捻り上げる。
「ぐあぁっ!!」
その手に溜まっていたマナが霧散したのを確認し、さきほど伸した二人の上に投げ捨てる。
「これで全員、と」
最終的に、気絶した男が一人と、戦意を失った男三人の山が出来た。
一分と経たず戦闘は終わったが、身体はいまだ熱を持つばかりだった。
(……誰も、死んでねぇよな)
確認のため、味方の方を向く。
すると無力化された炎熱の民たちを前に、騎士の一人が声をあげた。
「嘘だろ……」
みな一様に、信じられないものを見たような顔で固まっている。
「……よもや、ここまでとはな」
ヴェルニグも兜のフェイスカバーを上げ、呆れたような様子を見せた。
「命令は無視しちまったが……文句はねえだろ?」
「ああ……構わんさ」
やれやれ、と肩を竦めるヴェルニグを横目に、騎士たちに水を向ける。
「おい、お前ら」
「は、はいっ!」
俺が声をかけると、先頭の騎士はビクリと体を震わせる。
「こいつら、適当に縛っといてくれ。
後で情報を聞き出す」
「しょ、承知しました!!」
「で。
ヴェルニグは、俺と一緒に来てくれるか」
「どうした?」
「北の畑が燃えてた。
まだ複数人いる可能性が高い」
「なに……?」
「詳しくは向かいながらだ。
また火を点けられないとも限らないだろ」
それだけ言って足早に通り過ぎようとした俺を、ヴェルニグが引き止める。
「少し待て、トリド」
「ん?」
「……これを、渡しておこう」
「なんだ?」
ヴェルニグが腰の後ろから何かを外し、俺に手渡した。
「お前の身体能力では、不要かもしれんがな……。
しかし、邪魔にもなるまい」
手渡されたのは、細長い物体。
(……剣?)
そこそこの重量を感じるそれは、俺の肩幅ほどの刃渡りを持つ剣だった。
白い鞘に収まっているが、その形状を見るに、中身は両刃剣だろう。
いわゆる、ショートソードというものだろうか。
「私たちが主に使う剣や槍と違い、護身用の簡単な造りのものだ。
それならば訓練を受けていなくとも、武器に振り回されることはない」
「……なるほど、一応持っとくよ」
「ローブの下でいい。腰に下げておけ」
「ああ」
言われた通り、鞘ごと腰のあたりに簡単に括り付けた。
そして俺たちは、改めて東門から村に入る。
「燃えてたのはあのあたりだ、見えるか?」
「あそこは……たしか、村の北門のあたりか」
ヴェルニグも、俺に追従する形で早足に歩き始める。
「ああ、多分そうだ」
「そこから入ってきたというのか……?
だとすれば村役場にすでに辿り着いているのか、それとも……」
その瞬間、ちょうど視線の先で木が揺れた。
風など吹いていないにも関わらず、だ。
「……今の見たか?」
「む、何のことだ?」
「チッ……あとからついてきてくれ!」
「おい、トリド!」
ヴェルニグを置き去りに、またも全速力で駆け出す。
間違いない。
揺れた木の下に見えたそれは、人影だった。
(以前の襲撃にいた炎熱の民は、たしか十数人だったはずだ。
なら、さっきと同じ数は居ることになる……!)
体力もマナも、まだ十分にある。
むしろ先ほどの戦闘で身体が温まっており、寝起きの感覚からも抜け出せているようだった。
(ああ、これならやれる。
この村を、守るんだ……!!)
さらに足に力を入れ、畑を飛び越えるようにしながら北に向かった。
──
─
北の入り口に着き、周りを見回す。
案の定、揺れた木の下あたりで数人の炎熱の民が会話をしていた。
見たところ彼らはやや焦っているようで、口論にすらなりかけていた。
そんな中、一人の男がこちらに気付き、そいつの合図で全員がこちらを向いた。
「あいつだ、東側をやったのは!」
「へぇ。
てめェか、クロキアの騎士様よォ……!!」
予想通り、最初から喧嘩腰だ。
襲撃を仕掛けてきているのだから、当然と言えば当然なのだが……話し合いの余地が無いのは逆に都合がいい。
俺の怒りは、未だ収まっていないのだから。
「ああ。
お前らの言う通り、俺はクロキア王宮騎士団の魔術師様だ。
村の人たちの借りは返させてもらうぜ」
「被害者ヅラしやがって……。
てめェらが兵器なんて作らなけりゃ、俺らだって……!」
「……兵器?」
何の話だろうか。
「まァいい、やっちまえお前ら!」
どちらにせよ、会話をするつもりはないということか。
話に聞いていた通り、どうやら彼らは相当に短気な性格らしい。
(来る……!)
複数人が、俺に対し走り出した。
視界に入ったのは、ちょうど六人。
全てを同時に相手するのは、やや骨が折れるだろうか。
「なら、これで……!」
俺は掌を地面につけ、マナを練る。
王城の中庭でミラーヤに見せたときと、同じ。
地面の中にあるマナを、瞬時に掴んだ。
「凍れよ……っ!」
俺が呟くと共に、耳をつんざくような炸裂音が響く。
「なっ……!?」
男たちの動きが、一斉に止まる。
それもそのはずだ。
地面と、彼らの靴を凍らせたのだから。
「クッ……ソ!」
炎熱の民は足を動かそうとするが、彼らの靴は地面と一体化したかのように固まっている。
「靴を脱ぐのはやめとけよ。
この凍った地面の上は、裸足じゃまともに歩けねぇぞ」
「……チッ!」
「あと一つ言っておくが……俺がもう少し強めに魔法を使えば、お前らの足を凍らせることもできる。
凍傷で足が使い物にならなくなるのが嫌なら、それ以上動くなよ」
「てめェ……!」
今の発言には、少しの嘘が混ざっている。
俺の魔法は、たしかに熱を奪うことができるものだ。
が、生き物や有機物に行使しようと思うと、直接触れる必要があるらしかった。
故に、彼らの足をここから直接凍らせることはできないのだ。
それは、日々の実験の中で判明していた。
しかし、例えば彼らの靴を零下数十度まで冷やせばどうだろうか?
極限まで冷やした金属の靴に人間の足が触れればどうなるかなど、想像に難くない。
足を凍らせるという言葉自体はハッタリだったが……比喩抜きで、俺の胸三寸で彼らの足をどうにでもできる状態であることには変わらない。
「観念しろよ。
殺すつもりまではない」
ここにいる全員に対し、勝利宣言を放つ。
「……へっ」
「ん?」
不意に、一人の炎熱の民が笑う。
「言ってくれるじゃねェか、ザコがよ……!」
その一言と同時に。
轟、と音を鳴らし、彼の身体が燃え上がった。
「……へえ」
彼だけは冷静だったのか、それとも炎の魔法を上手く操れるからだろうか。
纏った炎により、凍結した靴は融け。
彼の周囲の地面にある草さえ、一瞬で灰に変えてみせた。
「これが炎の魔法、ってことか……」
「はっ、ビビったか?
クロキアみてぇなザコどもの魔法なんて、効かねェんだよ」
どうやら、彼はそれなりに魔法が使えるらしい。
この中では身体も一番大きく、多分だがリーダー格の男だろう。
「正直、驚いてるよ。
もし俺の凍結魔法が効かないとしたら、あとは殴り合い。ってことだろ?
さすがにその体格相手に、取っ組み合いをしたくはねぇな」
「わかってんじゃねェか。
じゃあどうすんだ? 大人しく降参か?
一発お前を殴ってからなら、考えてやってもいいぜ」
「いいや、その選択肢は無いな。
なんでかっつーと……」
「───今から両手を挙げることになるのは、貴様の方だからだ」
突如として彼の背後から、その首に白い槍が乗せられる。
「……チッ」
「武器を捨て、手を頭の後ろで組め。
大人しく従うなら、お前もその部下も悪いようにはせん」
暗闇から現れたのは、ヴェルニグだった。
「クソがよ……!!!」
悪態をつきながらも、彼は手を組み降参の意思を示した。
「助かったよヴェルニグ。
最高のタイミングだ」
「遅れてすまぬな。
この甲冑では、さすがに貴様と同じ速度は出せんのでな」
「遅刻はお互い様だ、気にすんな」
「ふっ。
そうだったな」
暗闇で表情はわからなかったが……ヴェルニグもきっと、俺と同じように笑っていたのだろう。
「全員、そのまま座れ」
「……」
俺が地面の凍結を解くと、男たちは指示に従い座り込んだ。
「さてと……んじゃ、質問に答えてもらおうか」
「……わーったよ」
彼らはようやく諦めたのか、手を組んだまま力を抜いたようだった。
「東に四人、こっちに六人。
これで全員か?」
「……俺たち炎熱の民はこれで全員だ」
「炎熱の民『は』?
どういう意味だ、他にもいるのか?」
「……」
「答えろ。
貴殿の仲間がどうなっても知らんぞ」
沈黙を決めようとした彼に、すかさずヴェルニグが言葉を重ねる。
「……卑怯な奴らめ」
「答えるのか、答えないのか?」
「……チッ。
あと三人だよ。
今回も前回も同じメンツだ。俺らとその三人で全員。
嘘じゃねえ」
「なら、その三人は今どこにいる」
「知らねーよ。
だいたい俺らの後ろで指示を出してるだけだからな。
今もどっかで見てんじゃねえか」
「何をデタラメなことを……」
憤るヴェルニグを横目に、俺は周囲を見回す。
すると、暗い道の先にぼんやりとした人影があった。
「あれか……!!」
目視も困難なほどの距離があったが、俺はその人物と確かに目が合った。
こちらにきてから、夜目が効くようになったおかげだ。
そいつは俺に捉えられたのが意外だったのか、驚いたように後ずさりしているようだった。
「逃がすかよ……!!」
「待て、トリド!」
「悪いヴェルニグ、こいつらのこと頼んだ!」
またも俺は、ヴェルニグを置き去りに駆け出した。
────
──
人影は、合計で三つ。
さきほど聞いた通りだ。
俺が走り出したのを見て、どうやらあちらも逃走を開始したらしい。
彼らはそれぞれに黒いローブを羽織っているようで、闇の中では姿形が判然としなかった。
それでもなんとか視界に捉え続け、着実に距離を詰めていく。
俺の速さが想像以上だったのか、ほどなくして彼らは道脇の森に逃げ込んだ。
「逃がさねえって……!!」
こちらも同じ地点から森に入り、追跡を続行。
地図は頭に叩き込んでいる。地の利はこちらにあるはずだ。
しかし木々の中では、どうしても互いに速度が落ちる。
それでも彼らが草木をかき分ける音を頼りに、木々の中を追尾した。
すると間もなく、少し開けた場所に辿り着く。
(……焚火の跡がある。
キャンプ地か何かか……?)
確実に距離は縮めていたはずだが、逃げる音はもう聞こえない。
この森の中、音を立てずに移動するのは不可能に近いはずだ。
だとすると、このあたりで待ち伏せされている可能性が高くなってくる。
(誘い出された……?)
森には月明りも届かず、景色は黒一色。
今の俺でなければ、自分の場所すらも見失っているだろう。
その闇の中でもかろうじて見える、並んだ木々。
奴らは、その中のどれかに隠れているはずだ。
そこから、俺を襲うタイミングを図っているのだろう。
「そうかよ……」
それならば、と俺は近くの一本の木に手を当てる。
そして、軽くマナを流し込む。
パァン!!!!
拳銃を発砲したような破裂音が、森を駆け巡る。
魔法を行使した際のような、マナの炸裂ではない。
それよりも遥かに大きく、物理的なものだ。
音源は、俺の触れている木。
そして続けざまに、周囲の木々からも破裂音が湧き出す。
パァン!パァン!!!
『凍裂』。
それは、特定の針葉樹に見られる現象だ。
通常は、極寒の地で木々が凍ることにより起こるもの。
正確には凍るのは木ではなく、その中の水。
樹木の中に蓄えられた水分が凍り、固体となり体積を増したそれが、木を内側から圧迫する。
その結果、膨張に耐えられなくなった木が、強烈な炸裂音と共に裂けるというわけだ。
木が傷むということ以外は、特に害もない現象だが……今はそれだけで十分だった。
続けざまに数十の炸裂音が鳴り響き、俺の周りに存在したほとんどの樹木が凍裂により震える。
原理をわかっていない手合いなら、何かされたと思い木の陰から出てくるだろう。
(こんな風に、な……)
案の定、木の影から黒いローブの男がゆらりと現れた。
俺の左右から、同じぐらいの巨漢が一人ずつ。
そして正面には、やや小柄な人物。
(ぴったり三人、だな)
間髪入れず、左右から挟撃を仕掛けてくる男たち。
彼らの巨体からは想像できないような速度の踏み込みだ。
(問答無用、だな……!)
後ろに跳躍し、ひとまず回避。
しかし、俺が着地すると同時に伸びてくる追撃の手。
二の手もすんでのところで避けると、風を切る音が耳に届く。
速い。
まともに食らえば、無事ではすまないだろう。
どうやら彼らはさきほどの炎熱の民と同じか、それ以上の身体能力を持っているようだった。
(ちょっと、全力でやらないとまずいか……!)
躱した先でさらに繰り出される、二人目の拳。
それを受け流すついでに、顎を狙ってクロスカウンターを繰り出す。
(顎が外れても、恨むなよ!)
クリーンヒット。
男は身体ごと一回転し、地面に伏した。
それに目もくれず、もう片方が右からタックルを仕掛けてくる。
あまりに直線的な動きだ。
右足を下げ、身体を反らして躱す。
そしてそのまま、力任せに彼の背中に蹴りを入れた。
突撃してきた巨躯は、俺の倍以上の体重があるように見える。
しかし彼自身のタックルの勢いも乗ったおかげか、その身体はサッカーボールのように吹き飛んだ。
バキィ! と大きな音を立て、細い樹に衝突するまで。その身体は地面に着かなかった。
彼の身体が樹でバウンドすると同時に、その樹は腹から折れてしまった。
(やべぇ……死んだか?)
今繰り出したのは、そこそこ全力の蹴りだ。
およそ100kgを超えるであろう巨体を蹴り飛ばすにはこのぐらいの力がいると思い、あまり加減をしなかったのだ。
が、俺の足に伝わったのは、当たりどころが悪ければ骨か内臓がいくつか逝ってしまってもおかしくないほどの衝撃だった。
俺はまだ、人殺しになるつもりはない。
生きていてくれよ、と思いながら最後の一人に目を向ける。
「さて、最後はお前だ。
どうする?」
やや小柄な男は、微動だにしない。
逃げても追いつかれることは、自明。
そして今の戦闘を見て、自ら白兵戦を仕掛けてくるほど愚かでもない……と、いうことだろうか。
だからといって、彼がマナを練っている気配も感じない。
目の前の黒いローブの男は、ただ不敵に立ち尽くすだけだった。
───何かが、妙だ。
そう思った瞬間。
「うおっ!!」
後ろからの気配を感じた俺は、横に転がるようにして回避行動を取る。
同時に少しだけ、肩を引っ張られるような感覚。
横転した先で顔をあげると同時に、俺が立っていた場所にさきほどの大男がいたのを認識する。
そして、彼の手元が僅かな月光を反射していた。
(……おいおい、マジかよ……!!)
彼の手に握られていたのは、大きめのナイフ。
どうやら回避の瞬間、それが俺のローブをわずかに引き裂いたらしい。
完全に伸したはずの男が起き上がったということ。
そして、その手に刃物が握られていたことに対して、俺は驚きを隠せなかった。
(ってことは、まさか……)
もう片方。
蹴り飛ばした方の男を見ると、そいつはまさに今身体を起こしたところだった。
ゆらりと起き上がった身体は見るからに体幹が歪んでおり、上半身が不自然に曲がってる。
しかし彼も確かにこちらを向き、同じく懐からナイフを取り出した。
(嘘だろ、おい……!!)
男たちは、再び俺に狙いを定めた。
そしてさきほどと同じく、直線的な。
だが、今までよりも速い動きでナイフを突き立てる。
「おいお前ら、やめとけって!
それ以上動いたら、本当に死んじまうぞ!?」
起き上がった二人の動きは、異常なものだった。
俺の急所をめがけて、ただ直線的にナイフを振るだけの動き。
それはまるで、『俺の命を奪うという目的を達成するための最短経路』で身体を動かしているだけにも見えた。
特に、さっき蹴り飛ばした方の男は明らかに常軌を逸している。
身体がおかしな方向に曲がったまま、バランスも取れず、倒れ込むように俺に斬りかかってくる。
「そっちがその気なら、俺も手加減できねえぞ!?」
肉弾戦を挑んでくるなら、いくらでもやりようはあった。
だが、刃物を振り回されては話が変わってくる。
万が一のこともあるので、こちらも手段を選べなくなってしまうからだ。
にも拘らず、俺の声は彼らに届いていないようだった。
(仕方ない……か!)
ナイフの刺突を受けないよう細心の注意を払いながら、それぞれの横っ面にもう一度ずつ蹴りを入れる。
再び吹っ飛ぶ、男たち。
しかしその直後には、身体についた土を拭うこともせず立ち上がろうとしていた。
そして、それぞれもう一度ナイフを構えなおし、俺の首や心臓に狙いを定めた。
(さっきよりも、さらに速い……!?)
さすがにこれ以上の接近戦に付き合えば、互いに死の危険性がある。
俺の打撃が致命傷になるのが先か。
それとも、体力が尽きた俺に凶刃が届くのが先か。
(本気で死ぬつもりかよ、こいつら……!)
俺と刺し違えてでも、という強固な意志があるのだろうか。
もしくは彼らに対し、常軌を逸した何らかの力が働いているのだろう。
そうでもなければ、自死覚悟で特攻をしかけてこられるわけがない。
───なら、どうする?
打撃はリスクが高く、回避を繰り返しても解決にはならない。
むしろ、俺の体力がなくなっていく一方だ。
かと言って、逃げるわけにも逃がすわけにもいかない。
(なんとかして、この状況を終わらせる方法は……!)
そう考えた瞬間。
手の甲に冷たいものが当たった。
(これは……)
感触の元は、ローブの内側。
腰の後ろに下げた、鉄の塊。
───それは。
ヴェルニグから手渡された、白い剣だった。
(おい……本気かよ)
思わず、ぞくりとした。
背筋に走る悪寒と、確かな恐怖。
それは、他でもない。
直感的に『これを使えば終わらせられる』と思ってしまった、自分に対してだった。
打撃がダメなら、斬撃。
単純かつ、最も合理的な答えだ。
斬撃により齎される、『終わり』。
それはつまり、彼らの命を奪うことに他ならなかった。
───人を、殺す。
(……俺が?)
とめどなく流れ出る血液と、自分の身体が冷たくなっていく感覚。
俺はそれを、この世界の誰よりもよく知っていた。
(うっ……)
あの時の感覚がフラッシュバックし、強烈な吐き気が襲ってくる。
(やるのか? 今、俺が?
……本気か?)
しかし、やらなければやられるのも事実。
(命を奪うなんて、そんなこと……)
相手はこちらを殺すつもりで来ているじゃないか。覚悟の上だ。
(……俺には、人を殺す覚悟なんて)
なぜできていない?
この任務を提案した時から、こうなる可能性を考えてなかったわけじゃないだろう。
(でも、俺は剣を扱ったことが)
なくても使える。ヴェルニグもそう言っていた。
それに、今の俺の身体能力でできないわけがない。
それは俺自身が一番よく理解しているだろう?
───俺の感情に反して、脳はどこまでも冷静だ。
そしてそいつは、すでに解決策はこれしかないと判断を下していた。
(……クソッ!)
迷っている暇は無い。
手早くショートソードを抜き、男二人に向き直る。
再び、彼らの直線的な動きを回避し。
───剣の腹で、その顔面を思い切り殴打した。
それでも立ち上がる、男たち。
やはり、効いていない。
(やるしか、ないのかよ……!)
無気力に体を起こし、感情の無い動きで突進を繰り返す男たちを前に、覚悟を決める。
(……恨まないでくれよ)
そう思い、意識を一点に集中させる。
(せめて、一撃で……!!)
極度の集中。
それに応じるように、視界が急速にクリアになる。
全てが、見えた。
黒が支配するはずの世界が、突如として彩られ。
その極彩色は、俺と世界を繋いだ。
あらゆる物体の解像度が上がり、その境界は明澄となる。
マナを介して、自分を含む全てのモノの質量が一目で理解できるかのようだった。
再び、男が動く。
が。
───遅い。
走り出した男は、まるで重力が半分になったかのような動きをしていた。
あまりにも、遅い。
その児戯のような動作に俺は、こちらから近付いて無防備な背中に肘鉄を撃ち下ろすことさえ出来た。
背中からの衝撃を受けた男は、ゆっくりと姿勢を崩し。
ボゴ、ォ。と。
おかしな音を立てて、倒れこんだ。
音が止み、やっとそれに気付いた二人目が、俺に敵意を向ける。
彼もまた、緩慢すぎる動作でナイフを振りかざし───
その動きが終わるまでに、後頭部に蹴りをくれてやる。
ぐらりと傾いた巨体は、倒れるようにしてちょうど一人目の上に重なった。
世界の全てが、遅く感じる。
もしくは、俺が速くなったのだろう。
まるで、世界がまだ微睡んでいるかのようで。
ただ一人俺だけが、その物理法則を超えて動いていた。
これが、俺の発見したもう一つの魔法の使い方。
『時間を凍らせる』、とでも言うのだろうか。
それはきっと正しい表現ではないのだろうが、とにかく俺にはそれが出来た。
あの日、死ぬ間際に感じた『ゾーン』のような現象。
それを自らの魔法で、引き起こすことが出来るのだ。
しかし今は、思考だけが加速したあの日とは違う。
この肉体ごと、世界を置き去りにして動くことができる。
「はぁっ……はあっ……!」
しかし、この魔法にも欠点があった。
それは、マナの消費が激しすぎること。
今の俺では、長時間の行使はできないだろう。
俺自身、魔法の使い方にまだ慣れていないせいだろうか。
マナを垂れ流して、無理矢理に実行しているという感覚があった。
だが、強力な魔法であることに変わりはない。
(マナが尽きる前に、やってやる……!!)
目の前には、重なるようにして倒れた男たち。
俺はその背中を踏みつけ、動きを封じる。
(ここしか、ない……!)
剣を逆手に持ち、切っ先を下に向ける。
その先にあるのは、男たちの心臓。
あとは、これを振り下ろすだけ。
それだけのはず、なのだが。
俺の手は、震えていた。
(……クソッ!!)
このまま続けても、彼らはきっと自壊するまで闘い続けるだろう。
だとすれば、彼らも死ぬことは覚悟の上のはず。
そして何より、俺は守ると決めたから。
だからこれは、俺がやらないといけないんだ。
それは、覚悟なんて大層なものじゃなかったのかもしれない。
諦めと、言い訳と、責任の押しつけ。
それらが今、剣の一振りとなり。
(──────ッ!!!)
彼らの心臓を、貫いた。
ぐじゅり、という鈍い感覚。
剣は二人の背中を突き破り、地面にまで到達した。
俺の全体重をかけた剣からはもう、何の振動も伝わってこない。
そのまま、数秒の硬直。
すると不意に、男たちの身体が痙攣した。
(……っ!!)
剣を伝う不気味な感触に、思わず手を離してしまう。
「クソッ……クソッ!!」
滴り落ちる汗を、拭う。
その傷口は、暗闇のせいでよく見えない。
しかし、男たちの動きは確かに止まっていた。
命が、終わったということだろうか。
過熱した脳が、思考を巡らせる。
本当にやらなきゃいけなかったのか?
よりにもよって、俺が?
どうして?
もしここにいたのが、俺じゃなかったら。
誰がやった? 誰がやれた?
ヴェルニグなら、もっとスマートに解決していた?
だが、俺以外が勝てる相手だったか?
俺は人を守ると決めていながら、同時に人の命を奪ったんだ。
そこに存在する、どうしようもない矛盾。
相手が誰ならいいとか。
決して、そういう問題ではない。
俺は確かに今日、他人の命を奪ったのだ。
逃れようのないその事実は、どこまでも重く俺にのしかかる。
「……え?」
そして視界に入る、『異常』。
ぐずり、ぐずり。と。
男たちの死体が、音を立てて溶け始めていたのだ。
動かなくなった肉塊は黒い泥になり、ぐずぐずと溶解していく。
それは誰がどう見ても、人の遺体が迎える最期ではなかった。
血と肉の境界を曖昧にしながら、徐々に人の形を失ってゆくそれらは。
やがてフードとナイフ、そして黒い染みだけを地面に残し消えてしまった。
(なんだよ……これ……)
彼らの亡骸のあった場所。
そこには、俺の突き立てた剣だけが屹立していた。
(人じゃなかった、ってのかよ……)
人ではなかったという安堵と、もし本当に人だったらという懺悔。
そして、安堵してしまった自分への罪悪感。
整理できないままの感情が溢れそうになり、俺は尻もちをついてへたり込む。
「なんなんだよ……本当に……」
最後の一人の気配も、いつの間にか消えてしまっていた。
(……あっちは逃がした、か……)
闘いが、終わった。
両手から伝わる冷たい地面の感触が、徐々に俺を現実に引き戻してくれる。
周りを見回すと、そこには普段通りの草木があり。
色は極彩色ではなく、葉が揺れる速度も元通りだった。
しかしそれらを揺らしたのは、どうやら風ではないようで。
「無事か、トリド!」
草をかき分けて現れたのは、ヴェルニグだった。
「ああ……ヴェルニグか。
終わったよ」
「敵はどうした?
逃げられたのか?」
「一人は、いつの間にか逃げてた。
残り二人は……俺がやった」
「やった……?」
俺は剣の刺さっている場所を顎で示す。
「そこの、黒い泥。
それが奴らの死体らしい……」
「これは……」
「デタラメな相手だったよ。
たぶん、魔法でできた泥人形……か何かだったんだと思う。
ナイフで斬りかかってきたから、応戦した。
けど、普通の人間じゃ動けなくなるぐらい叩きのめしても、骨を何本砕いても、動いてたんだ。
だから最終的に、剣でぶち抜いたら……溶けて無くなった」
俺は自らの思考を整理するように言葉を紡ぐ。
「なるほど……」
ヴェルニグはその場にしゃがみ、黒く染まった地面に触れた。
「ふむ……これは」
しばらく戦場を調査するヴェルニグを眺めていると、いつの間にか息も整っていた。
そして俺は、改めてその背中に問う。
「……なあ。
ヴェルニグは、人を殺したこと、あるか?」
「ああ……。
両の手で数えられる程度だがな」
「そう、か……」
掌を開き、彼らを貫いた感触を思い出す。
「……私の場合は。
どれも、どの国にも所属していないような山賊や夜盗だった」
「ん……」
「自国の民でないなら良い、という訳ではないがな。
しかし、相手に害意があるとわかれば、躊躇わぬようにしている。
それが騎士である私の務めである故に。な」
「……」
俺の迷いを察したのか、ヴェルニグが言葉を選ぶ。
「やらねば、やられる。
今回、お前がやったことは正しい。
たとえそれが本物の人間だったとしても、私はお前に同じ言葉を投げるだろう」
「……ああ」
「その手の感触を忘れろとも、覚えておけとも言わん。
ただ、必要であった。仕事であった。
そして……自分が、殺した。
その事実を誤魔化さず、事実として認めておけ。
さもなくば、その迷いはいつかお前自身を殺しかねん」
「わかんねぇけど、多分……ヴェルニグの言う通りなんだろうな」
「……私はこの槍に誓って、嘘は言わぬ」
背中越しでも、ヴェルニグが身体に力を入れたのがわかった。
「……それよりも、我らにはまだやるべきことがあるだろう?
いつまでもここに座っていたら、本当にこいつらを殺すことが目的で終わってしまうぞ?」
ヴェルニグは立ち上がりながら、そう言ってこちらに目を向ける。
「……はっ、そうだな」
わかりやすいヴェルニグの発破は、今の俺にとってちょうど良いものだった。
「ありがとよ。
少しだけ、気持ちが楽になった」
「人殺しに躊躇いのない者など、そうはおらん。
……いたとして、そのような異常者は騎士にはなれぬ。
その点では、お前には騎士の適正があるという見方もできよう」
「へっ、そうかい」
ヴェルニグなりの、不器用な気の遣い方なのだろう。
今はそれを、素直に受け取ることにした。
「よっ、と」
俺が起き上がると同時に、ヴェルニグは落ちていたナイフとローブを拾い上げる。
「うわ。
それ、持って帰んのかよ」
「どう転ぶかわからんが……逃げた者たちに対しての、貴重な証拠となる」
「黒い泥だらけだぜ、それ」
「それも含めて、証拠だ」
「まぁ、そうかもしれんが……。
ていうか、あいつらは誰だったんだ。
炎熱の民ってのは、ああいう泥人形を操る魔法も使えるのか?」
「それを判断するのは我らではない。
これに残ったマナの残滓を、王やミラーヤ殿に鑑定してもらうべきだろう。
そして可能であれば、炎熱の民にも見せるべきだ」
どんな状況でも、ヴェルニグの型にはまった仕事ぶりは変わらないようだ。
「そうかい。
じゃあさっき捕まえた奴らのとこに戻るか」
「ああ」
ほんの少しだけ軽くなった足取りで、俺たちは村に戻る。
だが。
この日、自らの手で人を貫いた、あの感触。
俺はそれを、しばらく忘れられそうになかった。
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