第9話「怒りと、灰」
やがて馬車は止まり、俺たちは一軒の家の前に降り立った。
「ここが村長殿の家だ」
「おー」
景色は、辺り一面の小麦畑。
どうやらまだ収穫には早いのか、緑色の穂が畑を埋め尽くしている。
それら新鮮な緑が覆う小さな村の、小高い丘。
その上に、村長の家とやらはあった。
……ちなみに、隣の家までは畑を挟んで百メートルほどだろうか。
風光明媚と言えば聞こえはいいが、ストレートに言えばド田舎だ。
「牧歌的というかなんというか。
……ワインとか作ってそうだな」
「言いたいことはわからんでもないが、ワインの産地は別にある。
王城から見て、こことは正反対。西の地区に、ほとんどの有名どころが集まっているな」
「へぇ」
ヴェルニグから、思いもよらないうんちくが飛び出す。
見た目によらず、ワインが好きなのだろうか。
「無駄口はここまでだ。
では、入るぞ」
民家と呼ぶにはやや大きめの建物の扉を叩くと、間もなく男性が現れる。
挨拶もそこそこに、俺とヴェルニグはある一室に案内された。
どうやら、ここは応接間のようなところらしい。
ソファにかけてすぐ、ヴェルニグが口を開く。
「お久しぶりです、村長殿。
ご健勝のようで何より」
「はは、ありがとう。
ヴェルニグさんも、出世したね
すっかり騎士団長殿の風格が出来ているよ」
「私などまだまだ。
前団長殿に比べれば遠く及びませんよ」
「前団長……ザクセンさんね」
「ええ。
彼が退任したのも、もう三十年以上前になりますが」
「懐かしいね。
でもたしかに、ザクセンさんはもう少し身体が大きかったかもしれない」
「彼は、騎士団で一番大柄でしたからな」
「ふむ。
ヴェルニグさんも、好き嫌いせずなんでも食べたら良いのではないかな?
例えば、うちの村名物の干しブドウのパンとかね」
「はは……。
まったく耳の痛いお言葉ですが、今さら食事次第で大きくなれるなら苦労はしませんよ」
どうやら、村長とヴェルニグは旧知の仲らしい。
「で、隣の方は?」
「ああ……こちら、新しい顧問魔術師の」
「鳥兎 凍矢です」
「トーヤ君、というのか。
よろしくね。僕はこの村で村長をやっている、ナスレグと言う」
上品なあご髭を蓄えている、落ち着いた雰囲気のご老人。
どうやら、彼が村長ということらしい。
「どうも」
差し出された手を、軽く握る。
ヴェルニグよりずっと細いその手は、俺のものよりも冷たかった。
二人の話から察するに、ナスレグ村長はそれなりの高齢なのだろう。
寿命の長い氷雪の民の中で、村長をやっているということは……少なくとも俺の抱いた印象よりさらに歳がいっていそうだ。
だが、そんなことを感じさせないほど明朗に喋る人でもあった。
「村長殿。
まずは先日の襲撃、騎士団の力で守り切れなかったことを謝罪させていただきたい。
本当に、申し訳なかった」
「いやいや、いいんだよ。
たまたま巡回の方が来ていて、助かったぐらいだ。
過去にも同じことがなかったわけじゃないしね。
むしろ、彼らはよくやってくれたと思うよ」
「寛大な心に感謝します。
……して、今回はそちらの被害調査に。
可能であれば原因究明をと」
「なるほど……そういうことかい。
国からのお達しだね?」
「仰る通りです」
「……うん、そうだね。
じゃあ、好きなだけ見ていくといいよ。
見る物なんてなにもない、こんな村でよければ。ね」
「またそのようなことを」
「はは」
「……ゴホン。
では、村長殿。
ひとまず、被害に遭った土地をお見せいただきたいのですが」
「そうだね。
日が暮れる前に、案内だけしておこうか。
ちなみに、お二人はどれぐらいこっちに滞在するんだい?」
「一週間ほどでしょうか」
「わかった。
ではまず、宿の用意をさせよう。
急ごしらえになってしまうが……村役場に、使っていない部屋がいくつかあったはずだ。
屋根と壁、そして古いベッドがあるだけの、最低限のものになってしまうけどね」
「ご用意いただけるだけで十分ありがたいですよ。
野営に比べれば天国です」
「そうかい。
では、準備ができたら出発しよう」
村長は家人と思しき人にいくつかの指示を出した後、俺たちを外へ連れ出した。
────
──
「トーヤ君、と言ったかね」
「はい」
村長を先頭に、畦道を三人で歩く。
「かなりお若く見えるが……魔術師として騎士団に入るとは、君の魔法の才は相当なものなのだろう」
「いえ……自分でもわかりませんが」
「はは、そう謙遜しなくてもいい。
顧問魔術師に選ばれるということは、国からその実力を認められているということなんだから」
「そう、なんですかね」
わからないというのは、謙遜ではなく事実だ。
実際に俺は、自分の実力というものをまだ測りかねているのだから。
この世界では、どれほど魔法が使えるのが一般的なのか。
そして魔術師というのは、どれほどの実力が要求されるのか。
顧問魔術師という名をつけられた身だが、俺はそんなことすらも知らないのだ。
「実は僕も、魔法には少しばかりの覚えがあってね。
昔、ザクセンさんに魔術師にならないかと勧誘されたこともあるんだよ。
今の君と同じような、ね」
「それで、さっきは前団長のことを」
「そうだね。
でも、僕には戦いは向いていないんだ。
それは、自分自身が一番わかっている。
だから僕は、僕の好きなこの村で、土をいじることにしたんだよ」
「なるほど……」
騎士団の団長に直接スカウトされるということは、村長も相応の魔法の使い手だったのだろう。
なら、少なくともこの辺境の地で畑をやるより、王城務めの方が稼ぎも待遇も良かったはずだ。
にも関わらず、彼はその道には進まなかった。
その理由は、争いを好まないため。
これも、クロキアの人間の気質故なのだろうか。
「だからこそ聞きたいんだけどね、トーヤ君。
きみは、どうして騎士団に入ろうと思ったんだい」
「俺は……」
俺は、騎士団に入りたいと思ってサフィーアに話を持ち掛けたわけでも、自ら顧問魔術師に志願したわけでもない。
───ただ。
「ただ、この国のために、何か出来たらって。
自分の魔法が、役に立つなら。って。
本当にただ、それだけです」
「それが時に、血を流すことになってもかい?」
「そう、ですね。
血を流す痛さなら、知ってるつもりです。
だからこそ、クロキアの人にそれを味わってほしくない。っていうか。
なんか、言葉にすると大袈裟になりますけど……そんな感じです」
「……そうかい」
村長は俺の言葉を聞き、また少しあごひげを撫でた。
「トーヤ君。
きみは、きっといい騎士になるのだろうね」
「そう、なんでしょうか。
……鎧を着るつもりは、あんまりないんですけど」
「はは、そうかい。
だが少なくとも、僕の作った畑はきちんと君に守ってもらえそうだ」
「……努力します」
淡々と話す村長の言葉には、重みがあった。
その重さは、時を重ねた人間特有のもの。
しかし同時に、どの発言にも彼自身の感情があまり乗っていないようにも聞こえた。
自分自身について話しているのに、どこか他人事のような。
それは、彼が氷雪の民だからか。
それともサフィーアの言った通り、人間にしては時が経ちすぎたせいなのだろうか。
「さて……ここだよ」
やがて俺たちは、ひとつの農地にたどり着いた。
「この通り、畑や家が少しばかりやられてしまってね」
そこは、ひとつの民家を中心とした大きな農地。
その広い土地を、村長が手で示す。
しかし。
俺の目に映ったのは、村長の言うような『畑』などではなかった。
「なんだよ、これ……」
目の前に広がったのは、灰色の景色。
戦場、だった。
素人の俺が見てもわかる、戦いの跡。
踏み荒らされた畑には灰が積もり、その周囲に散らばった布の切れ端や金属片。
それらは今なお血の匂いが漂ってきそうなほど、生々しい痕跡だった。
さきほどまでの緑豊かな小麦畑など、どこにも存在しない。
俺の目に映るのは、辺り一面のモノクロームだけだった。
そして極めつけに視界に入ったのは、焼けた二つの民家。
───いや。
それは民家と言うよりも、『瓦礫の山』と表現した方が正しいのだろう。
石で出来た土台の上に、崩れ落ちた屋根がわずかに原型を留め、存在しているだけのもの。
その屋根が無ければ、そこに家があったという事実すら理解できなかったに違いない。
あまりの光景に、俺は息を飲む。
「なあ……村長さん」
「なんだい?」
「やられたのは、畑だけって話じゃなかったのか……?」
「ああ……君たちには、そう伝わっていたのかい。
たしかに、被害を受けた村民は巡回の方に畑の話しかしていなかった気がするね」
「……その人は?」
「今は、僕の別邸で生活をしてもらっている。
もう一つの家の人間も、ちゃんと避難できているよ。
人死には出ていない」
「そう、か。
それは、よかった……のかな」
「ああ、被害は最低限で済んでいる。
騎士団のおかげでね」
横目でヴェルニグを見ると、彼も眉をひそめていた。
当たり前だろう。
俺たちの目の前に広がった光景は、事前に聞いていた被害よりも遥かに大きいものだったのだから。
村長は『騎士団のおかげ』と言った。
だがこの結果は、とてもじゃないが胸を張れるようなものではない。
もちろん、彼が抱いた感情はそれだけではないのだろうが。
「しかし、困ったのはこの瓦礫だね。
ただ片付けるにしても、大仕事だ。
家を再建するにも、専門の方を呼ばないといけない。
なにせこの村に新しく家を建てるなんて、ここ十年以上なかったからね。
村の人間だけでは、到底無理な話だよ」
村長は、淡々と被害を語る。
しかし、俺の脳には彼の言葉の半分も届いていなかったと思う。
俺の頭を埋め尽くしていたのは、様々な疑問。
どうして村長は、こんなにも平然としていられるのか?
何を思って被害者の村民は、過少報告などをしたのだろうか?
そしてなぜ、この村の人たちは。
もっと国を頼ってくれないのだろうか?
家を、財産を、そして寝床を失ったというのに。
同時に俺は、今までの自分の行いを恥じた。
同じ国の中で家を失った人がいるというのに、王城のベッドでのうのうと過ごしていたことを。
そしてここに来るまで、自分の寝床の心配しかしていなかったことを。
「奥にもう一軒、焼け落ちた家があるのが見えるかい。
あちらの方が畑は小さかったが───」
そして、今になってサフィーアの言っていたことが痛いほど理解できた。
これが、クロキアの人間の気質。
行き過ぎたほどの、事なかれ主義。
襲撃をかけてきた相手も、焼き払われた家や畑も。
それらを本気で『時間が解決する』と思っているのだ。
普通は、ここまでされたら怒りを覚えるはずだというのに。
『炎熱の民に、報復を』
ともすれば、騎士団に対しそういった嘆願が来てもおかしくない事態だろう。
しかし、彼らはそれをしなかった。
自分たちの村に、被害が出た。
ただ、それだけ。
表立って主張をしない奥ゆかしさは、美徳と言えるのかもしれない。
しかし、ここまでされて怒りを覚えないのは話が違ってくる。
正直言って俺には、人間として何か大切なものが欠落してしまっているようにさえ感じた。
サフィーアが言っていた、『長すぎる時の中で感覚が鈍る』とは、こういうことなのだろうか?
この日、この村で目にした、全てが。
俺の想像を、超えていた。
「───と言ったところかな」
村長が当時の状況を語り終えた頃、すでに日は沈みかけていた。
予想よりもずっと早い、日没。
「ありがとうございます、村長殿。
今日はこのあたりにして、明日に備えるとしましょう」
「そうだね。
じゃあ、役場まで案内しようか」
「魔術師、お前もそれで良いな」
「……お願いします」
俺は、掠れた声を絞り出すのがやっとだった。
────
──
役場は、村の中心にあった。
踏むたびに軋む階段を上り、二階へ。
いくつか部屋があったが、俺たちが使うのは端の部屋らしい。
ベッドが二つ、そして机が一つあるのみの質素な部屋に、俺たちは荷物を置いた。
俺が片方のベッドに腰かけると、ヴェルニグが甲冑を脱ぎながら口を開いた。
「まさか、ここまでとはな」
「なんか、わからなくなってきた。
……いや、俺が勝手にわかったつもりになってただけったのかもしれないけど」
「何がだ」
「クロキアの人の考え方とか、物の感じ方が……かな」
「ふむ……たしかに、なぜ過少報告などしたのだろうな。
私もそこだけは気になった」
「……そこだけ、か?」
「……どういうことだ?」
「怒り、っつーか……憎しみっていうか。とにかく、そういう黒い感情だよ。
湧いてこないのか? 炎熱の民のことが許せないとか、仕返しをしたいとかさ。
そういう感情が出てこないのって……なんか、おかしいぜ」
俺が整理できていないままの気持ちをぶつけると、ヴェルニグも自らのベッドにゆっくりと腰かけた。
「……私には、この地の民を守れなかったということに忸怩たるものがある。
だが、それだけだ」
「それは、アンタが騎士団長だからか?
それとも、クロキアの人間は皆そうなのか?」
「どうだろうな。
どちらも、と言うのが答えかもしれん。
少なくとも、お前のように激しい感情は抱いていない」
「本当に、心からそう思うか?」
「ああ」
「……そうかよ」
「争いや報復は、何も生まない。
クロキアの人間は、それを知っている」
……いや、お前の言う通りなら、それを知りすぎているのかもしれんな」
ヴェルニグは、俺の言葉に理解を示してくれてはいる。
だが、それだけだった。
やはり根本的な部分は、村長と同じ。
これが、氷雪の民の物事の捉え方なのだろう。
村長も、ヴェルニグも。
ここまで冷静でいられると、まるで俺の感性の方が間違っているのかとさえ思ってしまう。
「……クソッ」
思わず、ベッドに拳をぶつける。
焼かれた土地を見て、村長の話を聞いて。
何度も抱いた、『なぜ』という疑問。
それらの疑問はいま、俺の中で二つの感情になっていた。
怒りと、悲しみだ。
炎熱の民とは、どこまで粗暴な連中なのか。
そして、自らの寝床を失うということは、どれだけ辛いことなのか。
しかし同時に、その感情は行き場を失っていた。
実際に被害に遭った人間が、同じものを感じていなかったのだから。
むしろ、言ってくれた方が楽だったのだ。
『炎熱の民を許すな』と。
そうすれば、俺は持てる力の全てを暴力に換え、それを振るっただろう。
だが、現実はそう単純ではなかった。
「……すまないが、私はお前の気持ちの全てに共感できるとは言えん」
戸惑う俺を前に、ヴェルニグが再び口火を切る。
「だが……お前のその強い感情が、クロキアのためを思って生じたものだということは理解したつもりだ。
共感も想像もできないが……それはきっと、我が国にとって良いものなのだろう。
少なくとも、私はそう感じた」
「……ヴェルニグ……」
ヴェルニグの言葉に、俺は少しばかりの平静さを取り戻す。
(クロキアのため……か)
そして、改めて考える。
『俺は、何をしにここに来たのか?』
ああ。
そうだ。
今の俺は、国の代表としてこの村を訪れているのだ。
大事なのは、民が何を望んでいるのか。
今はそれを汲み、できることをする。
俺は、そのために来たはずだ。
ならば俺のやることは、少なくとも自分の感情を優先させることではない。
それを、ヴェルニグの言葉で気付かされた。
「……ありがとう。
やっと落ち着いた、気がする」
「そうか。
お前のその感情が、この村のために振るわれることを願おう」
ヴェルニグの言う通りだ。
俺のこの怒りは、然るべき時のために取っておこう。
そして、今起こっていることに目を向けるんだ。
クロキアの民がどこかズレた存在だったとしても。
今はまず、彼らのために俺ができることを探すんだ。
そう思った時、部屋の扉がノックされる。
「……村長殿ですか?
開いていますよ」
「し、失礼します……!」
か細い声と共に部屋に入ってきたのは、どこか儚げな雰囲気を纏う女性だった。
「……あなたは?」
「わ、私、アデレニエと申します。
今日は、王城から騎士様が来られたと聞きまして。
その、わずかばかりの、差し入れをと……」
女性は緊張しているのか、持ってきたトレーをぎこちない動作で机の上に置いた。
彼女が持ってきたトレーの上からは、なにやら湯気が立っている。
……スープか何か、だろうか。
「そんな、とんでもない……」
「すみません、ありがとうございます」
俺とヴェルニグは立ち上がり、揃って礼を述べる。
「い、いえ。
私にできることは、これぐらいしかありませんので。
わ、私なんかの、畑なんかのために、わざわざ王城から来ていただいたのですから……」
「……私の、といいますと。
まさか……」
「あ……ご、ご覧になりましたか?
焼かれた畑の、その、持ち主でございます」
「っていうことは……あの家も?」
「え、ええ。
家屋も、私のものでございましたが……」
俺とヴェルニグは目を合わせ、互いに言葉に詰まる。
「……本当に、あなた方を守れず申し訳ない」
「え?
……あっ、あの。ち、違うんです!」
慌てて、女性は取り繕う。
「き、騎士様が、私なんかに頭を下げられることはありません!
むしろ、騎士団の方々には本当に感謝をしているのです。
巡回の方がいらっしゃらなければ、私は逃げ遅れていたかもしれないのですから……!
そそ、それに。
家と言っても、ずいぶんと前に祖父から譲り受けたもので、ぼろぼろだったのです。
そもそも、私一人しか住んでいませんでしたし、特に未練もありませんし、えっと、その……」
恨みごとのひとつでも言われるかと思ったのだが、逆に彼女はヴェルニグと俺に謝意を示した。
「え、えっと……。
だから、少しでも私にできることがあれば、なんて……!」
自分の言葉にさらに焦っていく彼女をなだめ、俺は改めて声をかける。
「本当に、ありがとうございます。
それじゃあ、よければなんですが……俺からいくつか質問してもいいですか?」
「あっ、はい!
な、なんでも、お聞きください。
あの日のこと……でしょうか?」
「それもあるんですけど、俺が気になっているのは別のことで」
「別のこと……ですか?」
「はい。
かなり率直に聞いてしまうんですが……アデレニエさんは、炎熱の民を恨んでいませんか?
怒りや、怨恨。そういった感情を抱いていませんか。
今回の襲撃に関して、素直な意見が聞きたいんです」
俺は、目の前の氷雪の民を真っすぐに見据えて訊いた。
「……いえ」
しかし彼女は、少し悩んだあとハッキリとそう答えた。
「そういった気持ちは、ありません。
先ほども申し上げた通り、私の家はほんのちっぽけなものです。
とくに大事にしている家財なんかも、ございませんでした。
祖父との思い出の場所が無くなったと考えれば、ほんの少しだけ悲しい気持ちもありますが……。
ですが、形あるものはいつか無くなるものです。
それでも……思い出は消えませんから。
それに、相手は炎熱の民の方々です。
彼らの寿命は、100年もありません。私たち氷雪の民とは、違うんです。
だから、彼らに感情をぶつけても仕方がないのです。
ただ、私たちが少し我慢をすれば、全て平和に収まることですから。
……村の者たちもみな、そう思っております」
(……やっぱり、そういうことか……)
「……騎士様はとてもお若く見えますから、もしかすると、あまり共感いただけないかもしれませんが……」
と、彼女は最後に付け足す。
「……そうですか、わかりました。
ありがとうございます」
「い、いえ。はい。
そ、それだけですか……?」
「はい、俺が聞きたいのは……それだけです」
「そ、そうですか……。
では、私はそろそろ村長様の別邸に戻りますね。
お食事、暖かいうちにお召し上がりくださいね」
「いただきます」
「本当に、かたじけない」
最後にまた頭を下げたあと、彼女はすごすごと扉の先へ消えていった。
「彼女の言葉は、真実なのだろうな」
「……ああ」
「故に、胸が痛む。
今からでも、私ができることをせねば。と思わされるな」
「俺も、多少決心がついたよ」
村長の言動や、村の現状。
サフィーアの言っていたこと。
そして今日、この目で見た惨状。
それらから、さきほどまでの俺は『氷雪の民には感情というものが無いのではないか』とまで思いそうになっていた。
だが、違った。
アデレニエと名乗った女性の言葉には、確かな想いが乗っていた。
悲哀、諦観、そして他人を思いやる優しさ。
彼女のそれらの感情は、たしかに俺に伝わってきた。
ああ、そうだ。
氷雪の民はきっと、重度のお人好しなのだ。
まるで世界は性善説で回っているかとでも言うように。
人を思いやり、誰も傷つかない方法を探しているのだろう。
それは、永い時間の中でそうなったのか。
それともミラーヤの言う通り、サフィーアの統治のおかげなのか。それはわからない。
どちらにせよ、少し安心した。
氷雪の民は決して、ズレた存在などではなかったのだ。
そして俺自身、気持ちの整理がついた気がする。
この日、俺は小さな誓いを立てた。
冷たい氷の中に暖かなものを秘めた、この国の人々を。
俺の持ち得る限りの力で守ってやる、と。
「なあ、ヴェルニグ」
「なんだ?」
「改めて、教えてくれよ。
この村周辺の地理とか、報告書の書き方とかさ」
「……朱光石の光が切れるまででよければ、な」
「言ったな?
こちとら、マナの量には自信があるんだ。
寝不足になっても、文句言うんじゃねえぞ」
「ふ……ようやく威勢を取り戻したか。
やはりお前は、生意気なぐらいがちょうどいい」
「はっ、うるせぇよ」
俺は改めてヴェルニグの好意に感謝を告げ、羊皮紙と地図を広げた。
隙間風が差し込む部屋の中、朱い光を頼りに机に向かう。
そんなことをしているうちに、アデレニエが持ってきてくれたスープと燻製肉は、いつの間にか冷めてしまっていた。
だがそれらは、俺の心を確かに暖かくしてくれたのだった。
毎日昼12時に、一話ずつ投稿予定です




