第9話 遠星
制服を着て、リュックを背負い、鏡を見てから靴を履く。
『行ってきま〜す!』
両親の笑顔を見てから真っ先に向かったのは、綺麗な庭のある隣の家。
時間を気にしながら立っているが、一向に来る気配がない。
遅刻したらどうするのよと思いながら、私はインターホンを押す。
ドタバタという音がしてからドアが開くと、洗濯物を持ったままのお母様が出てきた。
『晴香ちゃんごめんね。また部屋で寝ちゃってるかもしれないわ』
『いえいえ、大丈夫です!なんなら、起こしてきてもいいですか?』
朝からお邪魔させてもらい、慌ててローファーを脱ぐ。
ニヤニヤと笑いながら制服を整える陽太は、彼の弟だが碧斗より遥かにしっかりしている。むっとした表情で新聞を読むお父様は、私の姿を見た途端にため息を吐く。毎朝こんな感じだから、きっと碧斗に呆れて言葉も出ないのだろう。ため息の長さが日に日に増している気がする。
私は挨拶代わりにすみませんと言い、階段を駆け上がった。その先で1番最初に見えるドアが、私の会いたい人の部屋。
少し強めにノックする。が、全く反応はない。これもいつも通りだ。
『入るよ?』
ドアを開けると、ネクタイを握ったままベッドに座り、寝息を立てる男子高校生がいた。
『碧斗起きて!』
大声を出してもびくともしない。
仕方なく近寄って、少し冷たい両手で頬をむにぃと挟んでみる。すると、ようやく目を開けた。
『おはよう。学校行くよ』
碧斗は、寝ぼけ顔で目をぱちくりさせた。
『…晴香?』
そのまま数秒間見つめ合っていると、いきなり立ち上がった。同時に私の両手も離れる。
『俺やばっ!ごめん、寝不足で!』
数学の課題が云々と言いながら慌ててスクールバッグを持つが、肝心なネクタイを床に置いている。服装規定をちょっと破っただけでネチネチ言う学年主任がいるというのに。
『もう、ネクタイ忘れてるよ〜』
投げて渡すと、碧斗は首にかけながら部屋を出た。
『ナイス!ありがとう。っていうか早く行こう!遅刻しちゃうよ!』
『はぁ?誰のせいだと思ってんの!?』
早起きが苦手で、ちょっと抜けてて、不器用。
それが、私の思う石原碧斗だった。
けど、あれから7年。
今や世間では、PRISM CLOWNというアイドルグループの一員で、“歌・ダンス・演技を完璧にこなすキラキラアイドル”なんて言われている。
夢を叶えてステージに立つ碧斗は、煌びやかなスーツを身に纏い、学生時代からは想像できない輝きを放っていた。
その幼馴染が私、鳴海晴香。隣の家に碧斗が住んでいただけの一般人。
「みんな〜会いたかったよ〜!!」
碧斗は太陽のような笑顔で叫んだ。それだけで黄色い歓声が上がる。
「今日は俺たちが、最高の1日にするからね!!」
いつの間にか興奮の渦に飲まれ、私も全力でペンライトを振った。
その目が私の方を向くと、ほんの1秒、ニヤッと笑う。毎回、何でだよって思う。私の顔がそんなに面白いのかって。
MCが始まって椅子に座ると、早速今朝の対談の話題になった。
「っていうか、今日も来てくださってるんですよね?碧斗のお友達!」
会場全体に響いた途端、バカな碧斗は私の方を見てしまった。
呆れ気味に睨みつけると、すぐに視線を元の方向に戻す。でも、勘付いた一部の人々が後ろを向いて、明らかに探している。
雑音がうるさくて、心臓が痛くなるくらい鳴って、背中から変な汗が滲んでいく。
震えそうになる手を握りしめると、碧斗の声が聞こえた。
「はいはーい!じゃあ、俺の友達の人手上げてー!」
それに反応したファンがステージ側に顔を向けた。中にはペンライトを振っている人もいる。
「ははっ、微妙な数。想介数えてくれる?」
「えーっと、1、2、3、4、5……0人ですね」
「おい!もっといっぱいペンライト振ってくれてるだろ!」
会場が笑いに包まれ、呼吸がしやすくなった。
遠くにいる碧斗が助けてくれたのだ。
その事実だけで、胸がきゅうっと痛くなる。
碧斗は、こんな気持ちになったことないんだろうな。皆のアイドルだから。
気が抜けて、ここにふさわしくないため息が漏れ出た。
《お疲れ様! 今日もかっこよかったよ! 友達を探すくだりはめっちゃ焦ったけど、楽しかった! ありがと〜! おやすみなさい》
自宅で髪を乾かしながら碧斗に送信した。
元気そうな文面に反して、疲労が最高潮だ。
靴擦れしたし、喉や腕が痛い。でも、あのキラキラした3人を思い出すと、そんな苦しみも飛んでいく。
ドライヤーの電源を切ってしまっていると、碧斗から電話がかかってきた。
「…ビデオ通話」
メガネをかけて自分の顔を見た。
ノーメイクだけど、風呂上がりだから少しマシだ。血色がいい。
まあ、碧斗ならこの顔も晒せる。そう思って画面をタップした。すると、明らかにベッドに寝転んでいる碧斗が写った。
「夜な夜な電話とか珍しいじゃん。っていうか、碧斗めっちゃ眠そう」
「そういう晴香も眠いでしょ」
「うん、私も眠い」
そっちから電話をかけてきたくせに、すでに目が半分閉じている。
ふわぁとあくびをしてから、突然碧斗は呟いた。
「ああ…会いたいな」
小さい音で響く声に、トクトクと心音が高鳴る。何かを期待しているかのように。
すると、それでも冷静を装って口を開いた。
「ん?何よ。どうしたの」
「え、何が?」
「だって今、“会いたい”って」
そんなこと言ったっけ?と顔に書かれていて、気が落ちる。寝言なら寝てから言ってほしい。
スマホから目を逸らすと、碧斗の声が聞こえてきた。
「うん…会いたい。次にまとまった休み取れたらそっち行ってもいい?」
甘える子どもみたいな目で、そう言った。
「…あなた、本気?」
碧斗はこてんと頷いた。
喜ぶ心と反した表情で画面を見る。そうしないと、私は私でいられなくなるから。
家族に猛反対を受けながらも上京した碧斗は、実家に帰るのが怖いようだ。だから、私の家に行きたいと。
会えるのは嬉しいけど、メインは碧斗が家族と再会すること。私は前菜みたいな扱い。
1度ため息をついてから視線を戻す。碧斗は、だめ?と言っているような顔でじっと私を見ている。残念ながら、その表情に弱い。
「しょうがないなぁ。1泊なら許す」
そう言うと、優しい顔で微笑んだ。
「ふふっ、ありがと」
好きな人の笑顔は、栄養にも武器にもなりうる。それを肌で感じた。
ペットボトルの水をコップに入れて、一気に体に流し込む。
「…おやすみ」
「おやすみなさい」
碧斗が言い切ってすぐ、電話を切った。
スマホを充電ケーブルに差してからベッドに潜り込み、目をぎゅっと閉じる。だけど、瞼の裏に碧斗の顔が写って眠れない。
「…舞い上がりすぎ」
私は布団を頭まで被って縮こまった。




